2019-12-15 (Sun)✎
よも”ヤマ”話 第86話 日高・幌尻岳 その1 《アプローチ~北電ゲート~幌尻山荘》
〔北海道〕'94・7
戸蔦別岳より望む日高の盟主・幌尻岳と
地上の楽園・七ッ沼カール
日高山脈 ひだかさんみゃく (日高山脈襟裳国定公園)
北海道の山も、近年ではかなりオープンとなってきた。 しかし、この日高山系だけは原始の姿を多くとどめていて、登山道はおろか未だ踏跡さえない山もあり、素人登山を決して受け付けない厳しさがある。
だが、原始の山とは、大いに征服欲をかきたてるものだ。 そして、大自然相手に数多くの困難の末、山頂にたどり着いた者のみが大自然そのままの景観を欲しいままにできるのである。
・・さて、日高の山のプロフィールであるが、大きく3つに分けられる。 最高峰の幌尻岳 2052メートル ・戸蔦別岳 1959メートル を含む北日高、カムイエクウチカウシ山 1979メートル や、標高がそのまま山名となった1839 (イッパーサンキュウ) 峰 1842メートル を含む中部日高、またペテガリ岳 1736メートル より南部にある南日高と呼ばれる山々に分けられる。
そして、この山系の見どころとしては、七ッ沼・コイボク・八ノ沢など、この山系の特徴である《カール地形》が挙げられる。 花ならば、戸蔦別岳からペテガリ岳までのカール地形に群落を成している。
しかし、これらの山々や“花の楽園”であるカールの底へたどり着くには、川を渡渉し、沢をつめ、時には滝を遡上しなければならない。
コース難度も全てが上級向きで、山小屋も北日高の幌尻山荘を除くと山中には全くなく、装備・体力・経験の全てが要求される。 初心者ならば、さしてキツくないアポイ岳 811メートル への“花の登山”から始めるといいだろう。
幌尻岳周回ルート 行程図
行程表 ※ 当時の若き日の体力を元に作成 今はこの行程表通りに行くのはムリ・・
《1日目》 平取町・振内より車(1:10)→林道・振内ゲート(1:20)→北電・額平川取水ダム
(2:40)→幌尻山荘
《2日目》 幌尻山荘(1:30)→命の水(2:30)→幌尻岳(2:30)→戸蔦別岳(3:00)→幌尻山荘
《3日目》 幌尻山荘(3:50)→林道・振内ゲートより車(1:10)→平取町・振内
さて、今回初めて我が国で最も厳しい山域の日高に足を踏み入れるが、これより踏み入るこの日高では転倒なんかは序の口で、骨折・火傷・裂傷・沢で流される・沢での缶詰・果てはソー○ンまでフルハウスの『オチャメ』を体験したワテの『聖域』のヤマなのである。 その『オチャメ』の数々は、日高の山に登る度に語っていこうと思う。←まぁ、これが、ワテが「ドン退き必至の内容」と言う所以である。
言うのも恥だが、まぁ普通の人では体験できない『オチャメ』ワールドである。
日高・幌尻岳へは、今は廃校となった豊糠小中学校の校舎を利用した宿泊施設・豊糠山荘に予約をした上で登山前日に宿泊し、翌朝山荘からのシャトルバスに乗って・・となるが、ワテが初めて日高・幌尻岳に訪れた’94年の夏はそんなものはなかったのである。 存在したのは、シャトルバスの終点となっている全ての車の進入を防ぐ《第二ゲート》のみであった。
だから、平取町・振内の市街地より道道638号線と糠平川林道のダート道を、車で延々と31km伝って《第二ゲート》まで入っていたのである。 そして、登山のセオリーは早朝出発であるは周知の事と思うが、その早朝登山を実行するには前日の明るい内に《第二ケート》前まで入っておいて、ゲート前の真っ暗闇の林道で車寝するしかなかったのである。
真夜中の沢沿いの林道を車で行くより
明るい内に着いて車寝の方が安全ですね
※ 別の林道の写真デス
:
当時の額平川林道は
もっと過酷だったしィ
そりゃぁもう、完全無欠の真っ暗闇である。 もし、この夜明かしに耐えれないのなら、日高・幌尻岳の踏破は諦める他はなかったのである。 なぜなら、《林道ゲート》前の真っ暗闇の中で車で夜を明かすより、《林道ゲート》前に早朝に着くべく夜が明けぬ内から、真っ暗闇で獣が出没し放題&沢に沿った崖沿いの林道を車で走る方がよっぼと危険だからである。
まぁ、こういう事を繰り返してきて鍛えられたのか、真っ暗闇とかは割と平気になっちまったよ。
だから歳食ってヘタレとなった今は、通常なら明るい内に着ける所が日没となってカンテラ点けて山の稜線を歩いたり、無人小屋での昼寝が過ぎてカンテラ無し(幸いその小屋にはローソクとマッチがあった・・詳細はリンク記事中ほど以降に記してます)でその小屋に泊まるハメとなったり、最悪は日のある内に下山できずにナシナシ(何の装備も持たずに)山頂ビバークしたり・・と『オチャメ』りまくっているのである。
でも、普通の神経構造なら、どれ一つとっても『トラウマ』必至だわな。 まぁ、日高では、頭上の崖をクマさんがほっつき歩きカンラカンラと石を落としてきても、それをボケ~っと眺めているような奴だからね・・、ワテは。 相乗効果でヤマでハデに『オチャメ』っても、のほほんとしていられる『面の厚さ』も備わったけど。
シャトルバスのない時代は
このゲート脇の道のふくらみに
車を止めて夜を明かしていた
※ グーグル画像より拝借
さて、こんなヨタ話を続けていては先に進まないので、翌朝に時間を進めよう。 《林道ゲート》(今はこのゲートより2.5km手前に《第二ケート》があり、そこがシャトルバスの発着場となっている・・らしい)の脇にある隙間をくぐると、この林道の終点の《北電取水口》まで延々と5kmに及ぶ林道歩きだ。
昔はこんな落石防止ネットなかったよ
※ グーグル画像を拝借
林道脇には200m毎のキロポストが設置されているので、一度通ると林道での現在地は把握できる。
ちなみに、『5.0』のキロポストが《林道ゲート》を越えたすぐ先にあり、《北電取水口》の林道が途切れるその脇に『10.0』のキロポストがある。
北電の額平川取水口
ここが林道終点&登山口だ
※ 平取山岳会のウェブサイトより
ここから額平川に沿って、右岸(幌尻山荘に向かう者から見たら左側)をヘツリながら歩いていく。
ヘツリ道の最中にはトラバースが必要なまろやかで滑りやすい岩の通過や、増水時の高巻き用のザイルロープが垂れている所もあった。 これを約1時間歩くと、《四ノ沢》の河原に出る。
対岸で《四ノ沢》が、勢いよく本流に合流している。 ここから靴を徒渉用に履き替えて、“気合を入れて”川を渡っていく。
ちなみに、この時のワテは『渡渉』に対して全く知識がなく、渡渉靴すらその存在を知らなかったのである。 ・・で、吐き潰して靴ソールの溝がツルツルになったスニーカーを履いて渡ったのである。
でもそれは幸運だったようで、ソール溝のなくなったスニーカーは渡渉靴のフェルトの役目を果たして、偶然とはいえ「沢中では滑りにくくなった」のである。 こういう事はタワケが調子づく原因となるので、考えようによっては後々の歳食ってからの『オチャメ』要因となりえるのだが。
誰が名づけたのか・・
風流な名の『心洗ノ滝』
さて、沢への第一歩は、すごく冷たくて背筋がピンときたのを憶えている。 この感触を味わって以来、これが沢に入る前の『儀式』となっちまったよ。 この『儀式』を終えると、前方にけたたましい瀑音が聞えてくる。 《心洗ノ滝》である。 誰が名付けたのか・・、岩に赤ペンキで書いてある。
もし、この風流な“名付け親”がいなければ、日高の沢に無数とある“無名滝”として、人知れず瀑布を掛けているのであろうか。
沢の写真撮ってなかったので
『心洗ノ滝』をもう一丁!
風流な響きの《心洗ノ滝》を過ぎると、両岸がぐっと迫り函状となる。 一枚岩の崖が迫り出し、高巻く事はできない。 約200mほど、ずっと沢の中を遡っていく。 この函状の所は、“増水”が最も危険だ。
増水すると、途端に逃げ場を失うからである。 従って、沢に入る時に一番大切なのは『技術』ではなく、天候を見分ける的確な『判断力』である。 この函状の難所を越えると、視界がパッと開けてくる。
ここからは、戸蔦別岳を見ながらの楽しい遡行となる。 土手を高巻いたり、暑くなったなら沢を流れる天然の『ミネラルウオーター』で喉を潤したりしながら、幌尻山荘のある《五ノ沢出合》まで着実に沢をつめていく。
こんな沢の奥によくもまぁ・・
というほどの立派な建付けの幌尻山荘
沢に入ってから2時間40分・徒渉すること17~18回で、「こんな沢中によくもまぁ・・」と思うほどに立派な幌尻山荘に着く。 今日はここ泊まって、翌朝日の出と共に出発するとしよう。
これから冬に突入するけど
この項目は夏山全開となります
でも真冬に盛夏の記事を書くのは
心臓がバクバク鳴るよ
- 関連記事
スポンサーサイト