2011-07-09 (Sat)✎
日本の滝を訪ねて 第28回 鍋ヶ滝 〔熊本県〕
いつまでも眺めていたい
優美な絹糸の滝姿
鍋ヶ滝 なべがたき 落差 10m 熊本県・小国町
滝へのアプローチ 小国町中心街の西方約8km
『道の駅』おぐに〔旧国鉄宮原線・肥後小国駅跡〕より車利用
(0:15)→鍋ヶ滝前駐車場
行程表 滝駐車場より遊歩道を5分下ると滝前に出る
河床いっぱいに広がる白絹の妙
この滝は以前からもTVなどで取上げられている・・との事で、思った以上に案内板が掲げられてあった。
ともすれば、百名滝に指定された《鹿目ノ滝》よりも案内が充実していたようである。 そして、訪れる観光客も『TVで釣られる観光客』層である事から、滝の遊歩道などは“信じられない”ような手ほどきがされていて、呆れると同時に少し興ざめの気持ちを抱かされたのである。
滝裏の洞窟から
裏見の滝を堪能する
でも、これは「ミイラ取りが何とやら」で、かえって毛布の浮いたシワの部分に足を取られたり、地面の土の感覚が得られずに踏み外して足を挫いたりしかねないだろう。 でも、いつから人は、こんな訳の判らない事をし始めたのだろう?
話が逸脱して申し訳ないが、政権交代という言葉に騙されて本質を全く見ずに売国・亡国政権を選んでしまった事(それが今、震災を出汁に政権維持だけに走る管・民主政権によって、中央政府による震災復興が全くと言っていいほど止っているののである)や、デジタル機構に必要以上に頼り委ねた事が、『想像力』『判断力』『分析力』『予想力』『それを成し得る為の創意工夫』などといった生きていく上で大切なものを大いに失う結果を招いた事に、このような『訳の判らない事』も共通すると思う。
こんなボロ毛布を敷き詰めて不適当な靴でやってきた人間が転ぶのを防ぐ事を考えるより、「こういう場所に来るなら、滑らぬように足元をそれなりに固めて来い!」と啓発するのが当たり前であり、常識的と思うのだが。 そして、『転ぶ』よりも重いケガにつながりかねない『捻挫』の懸念を大きくさせているのである。
それは滝への遊歩道の事であるが、道はいささか急な下降となっているのである。 急といっても、スタンダップスタイルで下れる程度のモノなのであるが。 だが、その『いささか急な下りの滑り止め』として、古い毛布が滝までの遊歩道全体に敷きつめられていたのである。 まるで、『王宮の絨毯』のように。
まぁ、ドロで汚れて汚くはなっていたが。
滝の飛沫が永年を経て創造した
苔生した岩が水の力の偉大さを物語る
でも、これは「ミイラ取りが何とやら」で、かえって毛布の浮いたシワの部分に足を取られたり、地面の土の感覚が得られずに踏み外して足を挫いたりしかねないだろう。 でも、いつから人は、こんな訳の判らない事をし始めたのだろう?
天然の洞窟と
絹糸のような繊細な白布と
話が逸脱して申し訳ないが、政権交代という言葉に騙されて本質を全く見ずに売国・亡国政権を選んでしまった事(それが今、震災を出汁に政権維持だけに走る管・民主政権によって、中央政府による震災復興が全くと言っていいほど止っているののである)や、デジタル機構に必要以上に頼り委ねた事が、『想像力』『判断力』『分析力』『予想力』『それを成し得る為の創意工夫』などといった生きていく上で大切なものを大いに失う結果を招いた事に、このような『訳の判らない事』も共通すると思う。
裏の洞窟から望む情景は
雨をモチーフにした動画を見てるようで
こんなボロ毛布を敷き詰めて不適当な靴でやってきた人間が転ぶのを防ぐ事を考えるより、「こういう場所に来るなら、滑らぬように足元をそれなりに固めて来い!」と啓発するのが当たり前であり、常識的と思うのだが。 そして、『転ぶ』よりも重いケガにつながりかねない『捻挫』の懸念を大きくさせているのである。
落水のカーテンで
滝を神秘的に飾ってみる
遊歩道で呆れと興ざめが心を支配したのだが、この滝の優雅さはそれを完全に払拭させてくれた。
正直いって滝が今イチなら、この事はかなりに自分自身で尾を引いていただろう・・と思う。
この滝を目にした時、大げさかもしれないが『救われた心地』を抱いたのである。
正直いって滝が今イチなら、この事はかなりに自分自身で尾を引いていただろう・・と思う。
この滝を目にした時、大げさかもしれないが『救われた心地』を抱いたのである。
滝の落ち口に立つ
冬枯れの樹を入れるのもいい
『裏見の滝』であるこの滝を、いろんなアングルでカメラを向けて思う存分語り合いたいと思う。
でも、その充実した時を言葉で表現するのはムリがある。 どれだけ美辞麗句を連ねても表現しきれないからだ。 それ故に、カメラを通して語り合った瞬間を掲載写真という形で魅て頂きたいと思う。
でも、その充実した時を言葉で表現するのはムリがある。 どれだけ美辞麗句を連ねても表現しきれないからだ。 それ故に、カメラを通して語り合った瞬間を掲載写真という形で魅て頂きたいと思う。
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