2019-11-28 (Thu)✎
『日本百景』 秋 第406回 仙人池 再び・・ その1 《室堂~剱沢雪渓~真砂沢》 〔富山県〕
剱沢より紅葉をまとう剱の岩峰
:
秋色模様にうつつを抜かすと
筆者の如く『オチャメ』に見舞われます
仙人池 再び・・
時が経つ(歳を喰う)のは早過ぎるというか残酷なもので、前回仙人池に訪れた時からもう20年経ってしまった。 あの頃は『奇跡の体力』の最盛期で、今回の所要時間の半分で駆け抜ける事ができたが、今はヘタるだけヘタれてしまったよ。
これだけヘタれると、何度か通った仙人池へのルートも「ほとんど初めて歩いた感覚」となるのだ。
それは、若き頃に保持していた『奇跡の体力』が終焉を迎え歳を喰うと共にヘタレが加速して、実際にヤマに訪れてはその事をイヤという程に思い知らされ続けて、「あの『奇跡の体力』は夢まぼろしだったのだ・・」と諦めが頭の中を支配し始めた証なのだろう。
もし、あの『奇跡の体力』の残像がまだ頭の中にこびり着いていたなら、「こんなハズではない」という思いに苛まれているだろうし・・。 それでは、何度か通ったこの仙人池へのルートを、20年の時を経て「初めて歩いた感覚」で伝ってみようか。 なお、季節的には冬に突入しますが、コレは恐らく《その4》まで続くと思われますので、そこの所は憐れな程にヘタったワテに免じて許してネ。
今回の山行の1日目行程図
行程記録 ・・記してて涙がこぼれそうになった行程記録
《1日目》 JR富山駅より鉄道利用(1:05)→立山駅よりケーブルとバス(1:00)→室堂
(0:30)→雷鳥平(1:50)→剱御前小屋(1:00)→剱沢(4:40)→真砂沢小屋前
《2日目》 真砂沢小屋前(1:40)→近藤岩・二股(3:20)→仙人池
《3日目》 仙人池(3:00)→仙人温泉(4:30)→仙人ダム(1:20)→阿曽原温泉
《4日目》 阿曽原温泉(6:40)→欅平より渓谷鉄道利用(1:20)→宇奈月温泉駅より鉄道利用
(0:30)→黒部宇奈月温泉駅
20年前の山行で撮った
朝日を縞模様に浴びる
剱・八ッ峰を投影する仙人池
:
この素晴らしき情景を再び
仙人池には20年ぶりなるも、ここ数年で3回《真砂沢》から《内蔵助平》を経て《黒部ダム》への山行をしているので、《真砂沢》までのルートは「勝手知ったる」というか、通れば通る程に己のヘタレの進行度合を思い知らされる事になったよ。 そして、今回がその「トドメ」となったのである。
今年は台風が多くて、なかなか3日間(ヘタレが進行して4日になったけど)晴れ続きが無かったのである。 現に、前の山行の鹿島槍では9/21は台風15号で山行自体がポシャり、山行を行った10/4は登山初日に台風18号崩れの低気圧に遭遇して小屋に逃げ込み、五竜までの縦走予定が鹿島槍のピストン山行になっちまった。
そして、この仙人池の山の前も、東日本各地に大被害をもたらした台風19号で長野の車両基地水没被害に遭い、帰りのシンカンセンが上越高原~金沢のみの運行となっていたよ。
今年は台風や雨が連なったけど
それをかいくぐって
いい天気の日にヤマに行けたよ
だが、これだけ雨が降ったからなのだろうか・・、仙人池に訪れた4日間はまたとない快晴の秋晴れヤマ日和となったよ。 まぁ、これで雨の中の山行となったなら、下手すりゃ『遭難フラグ』がはためいたかも・・ね。
さて、台風19号で行楽を自重した方が多かった為か、はたまた筆者の勤務シフトが『3班2交代』で平日休みになったからなのか・・で、富山行の夜行バスも3日前に取れたよ。 もう急行【きたぐに】がないので、この夜行バスの予約が取れないと山行断念に直結するのである。
ホント、免税店やら外人観光客の要望に応えて繁華街での深夜営業の外国人パブの営業やら、無駄過ぎるオリンピック競技施設の新設など外人の娯楽の為に金を使うなら、この国に住む日本人の娯楽の為に金を使って欲しいモノである。
室堂から望む立山三山
:
日本人が収めた税金は
外人の為に使うのではなく
日本人の為に使って欲しいよね
富山行の夜行バスはつづがなく富山駅に着き、そこから『富山ガチャコン』コト富山地鉄に乗って立山へ。 もちろん、この間は爆睡だ。 ・・で、立山に7時前に着き、立山ケーブルも上記の如く空いていたので、待つ事なく7:20の便に乗れたよ。 紅葉シーズンなら3時間の乗車待ちが必須で、平日以外にはこの山行プランは組めない山域なんだけど。
バスの中でも爆睡して、《室堂》には9時過ぎに到着。 ここまでは順調過ぎる程に順調に事が運んでいるので、ここからがワテの山行でのお約束の『オチャメ』タイムである。 小腹が空いたので《室堂》で立山そばと豚まんを食って、9:30に室堂を出発。
室堂を出発したのは
朝の雰囲気の残るAM9時半・・
湧き立つ室堂・地獄谷の噴煙
:
登り始めはレポ写真撮る
余裕あるんだよね
登りはヘタレの影響がよりマシで、剱御前小屋までの雷鳥坂の500mの登りはコースタイムの2時間を10分切る1時間50分で登りきる。 登り着いた《剱御前小屋》はこの週の日曜まで営業のようで、小屋前の公衆トイレも開いていたよ。 でも、この先の小屋は全て営業終了している旨を看板を立てて告知していたよ。
小屋で飲み物を購入してそれを飲みながら剱沢の雪渓の状況を小屋のスタッフに尋ねるが、「もう雪渓は崩壊してないに等しい状況ですよ」、「雪渓崩壊時に高巻くスラブのロープも、今日取り外すと言っていた」と、イヤな情報が返ってきたよ。
剱御前小屋より望む秋の剱岳
:
雷鳥坂の登りでコースタイムを切り
午前中に剱沢に向けて出発したのに
何故に『オチャメ』るのだろう
ひと息入れて小屋を出たのが正午を少し周った頃・・、それが何でカンテラかざして歩くハメになったのだろうか? それが、この日の『オチャメ』である。 この日の『オチャメ』のネタをバラしたが、今はそんな事になるとは思いも寄せず、「前(数年前の《黒部ダム》への山行)では、《真砂沢》に着いたのは15時半頃で紅葉の夕景が撮れたなぁ」などと、能天気を炸裂させながら下っていく。
この時点では30分で
30分タイムを引き離されても
この青空の如くのほほんとしていたよ
でも、小屋をほぼ同時に出た小屋関係者と思しき方はあっという間に《剱沢》に下り着いて、撤収作業に取り掛かっていたよ。 その時のワテは、まだ《剱沢》の岩場を跨いでいた頃だったなぁ。
要するに僅か30分の時間の経過で、30分以上の『ダブルスコア』で離されたのである。
だが、まだ時間の事など全く気にも留めていなかった反省のないワテ。
いつもは秋でも雪渓が残る剱沢の滝が
滔々と白布を魅せていた
:
昨今の大気の温暖化で雪が残らなく
なったのだろうか?
例年はここまで下ると
雪渓が現れ出すのだが
今年は沢になってたよ
さて、トロトロモタモタと下っていくと、普段は秋でも一部雪渓に埋まっている剱沢の滝が見えてくる。 その滝に強烈な斜光が射していて、「これは絵になるかも」と撮るが、この強烈な斜光は夕方に入る前の斜光だったりして・・。 恐らく、まだ剱沢の1/4も下りてない時点で夕方に差しかかっていたのである。 でも、ワテの認識では、「まだ2時前」だったのである。
この青空で能天気が炸裂して
ワテの『脳内時計』は1時半過ぎだった
ただでさえ遅いのに、素晴らしい紅葉情景に見染められては立ち止まってシャッターを切り、気がつけば小屋で行っていた『スラブの高巻き』地点に着く頃には夕暮れ時となっていた。 だが空はこの山行期間中を通して唯一曇っていたので、夕暮れだと判り辛い状況だったよ。
快晴の青空に突き出す剱の岩峰と
そろそろに湧き立ってくる
夕暮れを告げるガス雲
夕暮れを告げる雲が
剱の岩峰を覆ってきて
この後は曇りがちとなった
その『スラブの高巻き』であるが、一部残置ロープが残っている状態だったよ。 でも、シーズン中に設置されるメインロープは撤去されていたよ。 そして、この前の《黒部ダム》山行の時に通った時より確実にスラブが丸みを帯びて、しかも水が流れ落ちて滑りやすくなってたよ。
このスラブは前の《黒部ダム》の時は容易に通過できたので、あまりデンジャラスな印象を抱いてはいなかったが、今回はメインロープが撤去されて(前もメインローブは撤去されていたが、アングルが設置されて容易に渡れる迂回ルートがあった)、残置ボルトに足を掛けてスラブを直下降するルートとなってたよ。
さすがにこのスラブの下りは厳しかったよ
※ 別の時に撮影
ここでの失敗は手袋を着けたままだったので、手袋が濡れてしまった事だな。 だが、『オチャメ』ると冷静になるワテは「とにかくこのスラブを下りきるのが先決」と、残置ロープからボルトにホールド点を移して、ボルトに足が届くかどうかだけに意識を集中して『伝家の宝刀』を抜く。 『伝家の宝刀』とは、もちろん『クマ下り』である。
春山などでは、下りの最中ずっと・・、3時間も4時間もこの『宝刀』を抜き続けた宇宙一安い『伝家の宝刀』なのであるが。 この『伝家の宝刀』を抜き続ける事で、傍から見ると不細工な姿を晒し続ける事となり、この事に慣れて人目を気にしないで「何でもアリ」に突き進む強い心が形成されたけど。
まぁ、一般的にはこの「人目を気にしない程の強い心」は、『ロクデナシの道』へと相通じるのだが。
スラブの通過ではさすがに
写真が撮れないので
適当に掲載写真を見繕いますた
何とかこのスラブを通過すると、今度は派生滝を渡る所に出くわしたよ。 予期しなかっただけに、スラブの下降よりもこの派生滝を渡る方が危険に感じたよ。 この滝を越えると、唯一雪渓を渡って対岸に移る地点に出る。 ここで「せっかく持ってきたのだから」と無理やりアイゼンを着けるが、ここでも装着に手間取り10分は時間をロスしているし・・。
スラブを越えて長次郎谷の
出合まで下り着いた頃には
思いっきり夕方になっていたよ
対岸に渡ると危険な箇所は全て乗り越えて一般的な谷のヘツリ道となるが、それは「昼間の明るい内」という但し書きが付くのである。 ここからは歩き出す毎に曇ったままの空が暗くなっていき、ちょうどこのヘツリ道の『クライマックス』(沢との高低差が最も大きい所)の下りあたりから、足元が見え辛くなっていたよ。 そして、まだ《真砂沢小屋》も見えない。
あ~ぁ・・、また夜間ハイクとなっちまったよ。 真っ暗にならぬ内にカンテラを取り出して点けて、ゴロゴロと石の転がる沢沿いの岩場を跨いでいく。 カンテラを点けて15分ばかり下ると、かなり先で工事用のぼんぼり型の照明灯が煌々と光っているのが見えた。 これを目にして「まさか・・、真砂沢小屋はあんなに先なの!?」と慄いたが、程なく閉鎖されて真っ暗闇となった《真砂沢小屋》が現れたよ。
夜に着いて真っ暗闇だったので
以前に撮った冬眠中の真砂沢小屋
着いたのは18:03・・。 《室堂》から8時間半で、《剱御前小屋》までは2:20とコースタイムを切って正午前に着いていたので、《剱沢》の下りだけで6時間かかった事になるのである。
地図上のコースタイムは2時間半なので、240%の時間がかかっちまったよ。 でも、我ながら、恐るべきヘタレ退化である。 そして、それにめげる事のないワテ自身も、恐るべき「強い心」(恥知らず)なのである。
剱沢ギャラリー
強い心で「何でもアリの道」を
邁進する厚顔無恥なれど
剱沢の下りで三倍満(コースタイムの2.4倍)
を叩き出す超ド級のヘタレでも
何故か山での写真は
それなりのモノが撮れる不思議
誰もいない真っ暗闇の小屋前でテントを設営して飯の支度に取りかかるが、最後のひと仕事があった。
それは、暗闇となった沢に炊事用の水を汲みに行く事だ。 コレ・・、結構そそるモノがあるよ。
ともすれば、あの『スラブの下り』よりデンジャラスかも。 なぜならカンテラの光一つで、真っ暗闇の沢の土手から沢へ崖を下っていかねばならないからである。
もう、真っ暗闇でどこが降り口か判らんので、降りれそうな所を検討着けてヤブを握りしめて降りたよ。 帰りも下りてきた道が判らず適当に這い上がったけど、最後で滑って岩で顔を軽く打ったよ。
そんなこんなの困難(身から出た錆)を経て汲んできた水なので、いつも通りの山行メシだけど美味かったよ。
・・続く《2日目》以降は次回の『第407回 仙人池 再び・・ その2』にて
コ-スタイムの2.4倍かかって
着いたのが真っ暗闇となったなら
トラウマになりかねないのに
都合の悪い事は即効忘れる
ワテの鋭い忘却力
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