風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

TOP >  私の訪ねた路線 >  私の訪ねた路線  第38回  別府鉄道

私の訪ねた路線  第38回  別府鉄道

『私の訪ねた路線』  第38回  別府鉄道  〔兵庫県〕
 

別府港から土山線と
野口線の乗車券
「私鉄に興味はない」と
強がった己の浅はかさを
恥じ入るばかりなり
別府鉄道の“前時代的な箱物”という
“美味しい被写体”を撮る事もなく
やり過してしまったよ
 
《路線データ》
    営業区間と営業キロ      廃止年月日    廃止時運行本数      転換処置    
〔野口線〕 野口~別府港 3.7km      ’84/ 2/ 1    〔野口線〕 9往復       遊歩道化
〔土山線〕 土山~別府港 4.1km                     〔土山線〕 4往復
 
   《路線史》
多木製肥所(現在の多木科学)の経営者により、自社肥料製品を積み出す目的で建設された路線である。 建設規格はもちろん軽便規格で、創業時は別府軽便鉄道と呼ばれていた。 開業時は野口線が1921年、土山線は1923年である。

開業当時は、野口線は旧国鉄高砂線〔1984年11月末で廃止〕の前身である播州鉄道(後に播丹鉄道に社名変更)へと乗り入れ、加古川まで直通運行がなされていた。 だが、1943年の播但鉄道の買収・国有化により中止となっている。 土山線は山陽本線に接続している事から、貨物運用主体の路線であった。

終戦直前になると、野口線は不要不急線として休止となり資材も供出させられたが、土山線は肥料輸送の重要性が認められて存続した。 終戦後の1946年、社名から『軽便』を外して別府鉄道となる。
別府鉄道と社名を変更した翌年には、戦時休止線であった野口線を復活させている。

終戦直前~直後には、住友系財閥の製鉄科学工場(現 住友精化)が別府港で創業するなどの“追い風”が吹き、工場出荷製品の輸送を担うようになる。 この事で余力があったからこそ、戦時休止線であった野口線の復活が短期間で可能だったのだろう・・と推察できる。

だが、復旧した野口線は野口駅で高砂線への渡り線が設けられなかった為に貨物扱いはなされず、旅客列車のみの運行であった。 また、1966年には、川崎重工業の鉄道車両工場が土山線沿線に新設され、そこで新造された貨車などの搬出にも利用された。

戦後の運行状況であるが、野口線は旅客輸送、土山線は貨物輸送主体で細々と旅客営業を行なっていたのであるが、路線の開業時より旅客輸送は「オマケ」のような扱いで、並走する山陽電鉄が近代化と高速運行を推し進めてゆくのに対して、こちらは近代化を完全に放棄して、クラッシックな木造箱物気動車や、大正時代を彷彿させるが如く、貨車そのままのダブルデッキの一軸客車にステップをつけて貨客混合列車として運行していた。

そのような事ゆえに高砂市の中心地に乗り入れているにも拘らず、並走する山陽電鉄とは速度・本数ともに相手とはならず、旅客輸送は極小であったという。 このような状態だと貨物輸送が全盛の頃は良かったが、陸運が発達して鉄道による貨物輸送が斜陽化し始めると、当然如くその影響をモロに受ける事となる。

それは、貨物受け入れ先である国鉄の貨物業務の縮小化である。 経営危機に陥った国鉄では『国鉄再建法』の施行と期を同じくして、貨物取扱駅の削減も行なわれたのである。 
土山駅もその対象となり、貨物取り扱い業務が廃止される。

これによって、土山線による土山駅受け渡しの貨物輸送が不能となり、その影響を受けて1984年1月末をもって全線が廃止された。 使用されていた車輌は木造箱物のバケットカーやら、1軸ダブルデッキのノンボギー客車などの珍車が多く、各地の郷土資料館で静態保存されているという。
 


 
  《乗車記》
山陽本線の土山駅の離れヤードにある島式ホームが、別府鉄道の専用ホームだ。 そのホームには、小学校の修学旅行で訪れた明治村の汽車のりばにあった立て看板そのままの『別府鉄道・のりば』の看板が立ててあった。
 
列車は4往復だが、全ては貨物併結の混合列車で、客車は開拓時代の幌馬車のような1軸のダブルデッキのゲテモノであった。 もちろん扉などはなく、土山や別府港以外の停留所では、ステップに足をかけて乗車するのである。
 
沿線は、大阪都心部から1時間程度の所とは思えぬ片田舎の風景が見られた。 だが、片田舎といっても田圃だらけと言うわけではなく、沿線に立ち並ぶ工場が縮小されてその用地や資材置き場が放置され、土地が自然回帰を始めて季節を彩る野花が自生している・・といった按配だ。 しかし、こんな素晴らしい情景を撮らなかった幼き頃の自分の見る目の無さを、大変悔しく残念に思うのである。
 
野口線は《路線史》で示した如く、旧国鉄・高砂線との渡り線が設けられずに旅客運行のみの路線であった。 こちらは旅客線と言う事で土山線より本数が多く、車両も同和鉱業・片上線で使用されているのと同じタイプの気動車を主力に、木造車でバケットデッキ付のゲテモノ気動車も使用されていた。
 
野口駅で旧国鉄・高砂線と島式ホームで相対するのであるが、互いの車両が並ぶその時は、日頃はボロ車両と揶揄されて不評の国鉄・高砂線のキハ30系が、鋼鉄製の立派な車両にみえるのである。
 
また、野口駅は高砂市の役所所在地で、街周辺は近代的なマンションやビルが立ち並び、その中を木造のデッキ付のゲテモノ気動車が、アングラ劇場の劇団員のようにコソコソっと小走り程度の速さで行き交う様は、時代の流れとの対比を表す面白いシーンだったという。

    ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『別府鉄道』を御覧下さい。




関連記事
スポンサーサイト



No title * by オータ
関西出身だった大学の友人が、廃止前に乗りに行っていました。
プロ野球近鉄の応援で、何度も関西方面へ出かけていたのに、乗り逃してしまった感があります。すごいローカルだったそうで。

No title * by 風来梨
こんばんは。

本当に、「なぜこんな美味しい路線を撮らなかったのだろう・・」との悔いが、今大きく残ってますね。

コメント






管理者にだけ表示を許可

No title

関西出身だった大学の友人が、廃止前に乗りに行っていました。
プロ野球近鉄の応援で、何度も関西方面へ出かけていたのに、乗り逃してしまった感があります。すごいローカルだったそうで。
2011-07-17 * オータ [ 編集 ]

No title

こんばんは。

本当に、「なぜこんな美味しい路線を撮らなかったのだろう・・」との悔いが、今大きく残ってますね。
2011-07-17 * 風来梨 [ 編集 ]