2019-10-28 (Mon)✎
路線の思い出 第350回 根室本線、白糠線・白糠駅 〔北海道〕
長い平屋建ての白糠駅舎
:
釧路・根室管内はこの形の駅舎が多い
《路線データ》
根室本線
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
滝川~根室 446.8km 976 / 424
※ 新得~帯広を除いた数値
池田~釧路 運行本数(’16)
札幌~釧路 特急【おおぞら】6往復
池田~釧路 6往復
池田~浦幌 下り2本、上り1本
池田~厚内 上り1本
厚内~釧路 下り1本
音別・白糠・大楽毛~釧路 区間運転 上下5本づつ有
※ 2016年の台風災害により、現在は東鹿越~新得は不通となっている
現在は不通区間に代行バスを運行
あの時撮った写真は
ワテの生涯の宝物となった
白糠線
営業区間と営業キロ 輸送密度(’79) / 営業係数(’83)
白糠~北進 33.1km 123 / 3077
廃止年月日 転換処置 廃止時運行本数
’83/10/23 白糠町営バス 3往復
白糠駅の駅名標
:
この記事のエピソードの後は
白糠駅も立ち寄る事にしたよ
白糠駅(しらぬかえき)は、北海道白糠郡白糠町東1条南1丁目にあるJR北海道・根室本線の駅である。 駅名は、アイヌ語の「シラル・カ(平磯の岸)」に由来する。 当駅は白糠町の代表駅で、特急【スーパーおおぞら1号・4号】を除く全列車が停車する。 かつては当駅から北へ白糠線が分岐していた。
3番線で札幌からの急行の
乗り継ぎ客を待つ白糠線2番列車
島式・単式ホーム2面3線を有する駅で、白糠線は3番のりばに発着していた。 ホーム間の移動は跨線橋で連絡している。 音別駅が管理し、北海道ジェイ・アール・サービスネットが受託する業務委託駅でみどりの窓口設置駅である。 自動設備は近郊区間用の簡易券売機が1台あるのみで、自動改札機設置はない。
1日1往復の列車が当駅を始終着し、釧路方面へ折り返す。 駅舎内には、たこ焼き屋が入居している。
「我が青春のローカル線」の始発駅
それが白糠駅だ
ワテにとっては、白糠駅といえば「我が青春のローカル線」白糠線の始発駅なのである。
だから、白糠線が廃止となった1983年の秋以来、ずっと御無沙汰だったのである。 でも、白糠や釧路に全く行かないって訳ではなく、上茶路駅や北進駅跡の白糠線遺構めぐりや、尺別の浜での『撮り鉄』、釧路川橋梁や別寒辺牛川での撮り鉄、そして野鳥の楽園《春国岱》などに行く通り道となっていたのである。
在りし時もプレハブ小屋の待合室が
原野の中に一つあっただけの北進駅は
30数年の時を経て
再び何もない原野に還っていた
だが、何故か白糠駅はスルー状態だったのである。 白糠線の遺構めぐりの時など、何度も駅のすぐ近くにある国道392号(白糠線と並走して本別に至る国道)には立ち寄るも、白糠駅はよらず終いとなっていたのだ。
上茶路駅舎の建っていた所も
原野に回帰していた
駅床から伸びた木はやがて
コンクリートをもめくり上げるのだろう
考えて見るに、これは恐らくワテの深層心理の中で「白糠線の遺構を全て消し去ったであろう白糠駅の姿を目にしたくない」という思いが会ったからかもしれない。 それに白糠駅は国道から100mほど入り込んだ所にあり、車(レンタカー)で立ち寄るには不便な所で立ち寄り難かった事もあるし・・。
だが、毎年のように訪れていた年末・年始の北海道の『撮り鉄&野鳥撮影 etc・・ 旅』のある年に、偶然白糠駅に列車で降り立つ機会ができたのである。 それは、その年の年末に千歳への空路の空席がなく、辛うじて東京から釧路の便に空があるのみだった。
放浪期ならば『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』を使って普通列車でアプローチとシャレ込む事が適うが、今はしがない勤め人で『正月休み』という限られた日程の中を行くので、アプローチに時間をかける事は許されないのだ。
今のシンカンセンという鉄道での渡道は
飛行機より高くて時間が倍以上かかり
「かつて使えたモノ」がこの橋梁の
ように使えなくなってしまった
・・で、東京まで夜行バスで行って東京の羽田空港より釧路行の飛行機に乗った為に、釧路が北海道上陸の初日となったのである。 そして、旅のお題目である野鳥を撮りに《春国岱》へ向かうべく列車で根室に向かったのである。
だが、冬のレンタカー内での『車寝』を基本としたタワケの何でもアリのコスい旅では、根室に列車に向かった事で旅の行程上で問題が発生したのである。 それは、野鳥の楽園《春国岱》をめぐるべくレンタカーを根室で借りた為に、そのレンタカーは根室に返却しなきゃならなくなったのである。←今思えば、札幌まで乗り捨てしても良かったかなぁ・・
レンタカーを返却するという事は、ワテの旅的には「宿泊先を返却して『宿無し』となる」一大事なのである。←「いい歳してんだから、金出してホテルに泊れよ!」という突っ込みは、この記事の話が立ち行かなくなるので御容赦ね。
・・という訳で、《春国岱》や《温根沼》など根室をめぐった後は、次にめぐる日高本線やインクラの滝(滝と鉄道がコラボするなど、このタワケの旅は設定がメチャクチャなのです・・ハイ)の為に道央に移動せねばならなくなるのである。 なので、1日は決意を秘めて(しかも、大晦日の夜に・・)、根室で借りたレンタカーを釧路で返して(駅レンだったので、乗り捨て料金3000円でOK)札幌方面に向かわねばならなくなったのだ。
・・で、釧路に着いて『駅レン』にレンタカーを返して、特急で札幌方面に向かう事にしたのだが、今度の札幌方面の特急は2時間程の開きがあり、手持無沙汰なので特急の停車駅である白糠まで普通列車で行って時間を潰す事にしたのである。
釧路からの白糠行普通列車は
白糠線よりも短い単行運転だったよ
約40分程の乗車で白糠に着く。 降り立った白糠駅の音別側には、明らかに線路跡のカーブした草むらが集落地の中へ延びていたよ。 そして、対向の島式ホームの真ん中に柵が設置されて、白糠線の発車ホームであった『3番線』は封鎖破棄されて単式ホームになったかのような印象を受けたよ。
駅に降りた時は柵があるのを見て
3番ホームは廃止されたとがっかりしたが
この記事を書く前の駅の下調べで
3番線が今なお使用されているのを知った
※ ウィキペディア画像を拝借
そう、妄想で頭に浮かんでいた「白糠線の残り香を全て撤去した白糠駅の姿」が現実の情景だったと思って、少しがっかりしたよ。 でも、この記事を書く時に調べたら、『3番線』は待避線及び、白糠始発の列車のりばとして使われている事が判って少し嬉しくなったよ。
久々に訪ねた白糠駅は
『みどりの窓口』は年末年始で休業
ストーブは取っ払われてがらんどうだった
※ ウィキペディア画像を拝借
そして、駅舎に入ると『みどりの窓口』は16時半で閉って無人駅同様っていうか、大晦日で終日休業のようで営業時間内でも窓口は閉まったままで、待合室の暖房は全て撤去されてがらんどうとなった寂しい駅の姿で、再びがっかりと気落ちしたよ。 駅の表情を目にして一喜一憂する自分を垣間見て、「やっぱりワテは『○鉄』なんだなぁ」としんみりしたよ。
白糠線在りし時の北進駅のスタンプは
白糠駅に置いてあったよ
暖房もなく駅にいても寒いのは変わらないので、駅の外に出て周辺をウロウロ歩いて時間を潰す事にする。 まず目に着いたのは、白糠線の代行バスのバスターミナルである。
『バスターミナル』とダイレクトに
記載された看板がコケティッシュ・・
※ 白糠町のウェブサイトより
こちらも年末年始は完全に休業のようで鍵が閉められて中には入れなかったが、窓越しに開業当時の写真など白糠線が輝いていた頃の写真や、白糠線内の駅名標のレプリカが飾られていたのだ。
バスターミナル内にある
白糠線駅名標のレプリカ
ん・・一駅足りねえぞ
白糠町ウェブサイト!
※ 2枚とも白糠町のウェブサイトより
なので白糠町のウェブサイトが載せ忘れた
縫別駅の駅名標は手持ちの写真で・・
さよなら列車に掲げられた
ヘッドマークも展示されていた
※ 白糠町のウェブサイトより
さよなら列車は撮れなかったけど
さよならキップはゲットできた
もう、「大好きなモノを見つけた幼な子」の気持ちとなって、顔を窓に引っ付けて食い入るように中を覗き込んだよ。 外は寒かったけど、何か心が温かくなったのを感じたよ。 白糠の町はまだ「白糠線があった事を憶えている」、「鉄道があった事を大切に記憶に残し、後世に伝えようとしている」事が解って、本当に嬉しかったなぁ。 これで今日の『決意の年越し』も、いい年越しになるだろう。
ちなみに『決意の年越し』とは、石勝線の川端駅でテント張っての耐寒年越しである。←例年の如く、年越し『どん兵衛・たぬきそば』と、親子丼(グリコのレトルト)で、無事年越ししました。
翌朝のおせちは、鮭・かつお・シーチキンの3色おにぎりで・・。
今年の秋の『撮り鉄』は
秘境駅めぐりを絡めて
でも紅葉シーズンで
宿が取れる見込みがないので
秘境駅で駅寝です
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Re: 何もない * by 風来梨
hanagonさん、こんばんは。
> 白糠線懐かしいです。いの一番に廃止されてしまった特定地方交通線だったですよね。終点の北進は本当に何もない処でしたねぇ。
> ここには札幌からの夜行急行 狩勝で白糠に早朝到着し、一番列車に乗換えました。確か一両しか自由席がない、準寝台列車と呼んでもいい列車だったと記憶してます。
ホント何もない所で、小僧の時に訪れた時は次の撮り鉄列車の14時台までの7時間が長かったです。 退屈しのぎに雨の中車止めより先を探検しようとしましたが、500m程行った所でカサカサとの音が耳に入ってビビッて退散しました。 後は1000ページのマンガ雑誌を小脇に抱えて廃鉱となった小中学校で雨宿りしてました。
こんな事ができたあの頃は、撮り鉄に対して思いっきり情熱があったようです。
その時のエピソードを書いた記事です。 宜しければどうぞ。
『路線の思い出 第30回 北進駅』
https://furai58.blog.fc2.com/blog-entry-1311.html
> 白糠線懐かしいです。いの一番に廃止されてしまった特定地方交通線だったですよね。終点の北進は本当に何もない処でしたねぇ。
> ここには札幌からの夜行急行 狩勝で白糠に早朝到着し、一番列車に乗換えました。確か一両しか自由席がない、準寝台列車と呼んでもいい列車だったと記憶してます。
ホント何もない所で、小僧の時に訪れた時は次の撮り鉄列車の14時台までの7時間が長かったです。 退屈しのぎに雨の中車止めより先を探検しようとしましたが、500m程行った所でカサカサとの音が耳に入ってビビッて退散しました。 後は1000ページのマンガ雑誌を小脇に抱えて廃鉱となった小中学校で雨宿りしてました。
こんな事ができたあの頃は、撮り鉄に対して思いっきり情熱があったようです。
その時のエピソードを書いた記事です。 宜しければどうぞ。
『路線の思い出 第30回 北進駅』
https://furai58.blog.fc2.com/blog-entry-1311.html
No Subject * by 風旅記
こんばんは。
白糠線は、写真で見ただけながら、私の中ではずっと憧れの存在であり続けています。
多くの人や物を運ぶという鉄道の本来の形からすれば、到底鉄路を維持することはできなかった路線でしたが、何もない原野の中にぽつんとある北進駅の様子は、心に残るものがあります。本当はもっと先まで延伸される計画だったのでしょうが、北進という名前の響きも良いものに感じました。
白糠駅や駅近くのバスターミナルには、この路線の痕跡が残っているのですね。憧れて、現地に行ってやはりとうの昔に廃止されていることを思い知りながら痕跡を辿るのが楽しく思えるのか、憧れは憧れのままがいいのか、こちらの記事を拝見してなお、そんなことを考えてしまいます。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
白糠線は、写真で見ただけながら、私の中ではずっと憧れの存在であり続けています。
多くの人や物を運ぶという鉄道の本来の形からすれば、到底鉄路を維持することはできなかった路線でしたが、何もない原野の中にぽつんとある北進駅の様子は、心に残るものがあります。本当はもっと先まで延伸される計画だったのでしょうが、北進という名前の響きも良いものに感じました。
白糠駅や駅近くのバスターミナルには、この路線の痕跡が残っているのですね。憧れて、現地に行ってやはりとうの昔に廃止されていることを思い知りながら痕跡を辿るのが楽しく思えるのか、憧れは憧れのままがいいのか、こちらの記事を拝見してなお、そんなことを考えてしまいます。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
Re: No Subject * by 風来梨
風旅記さん、こんばんは。
太字の文
> こんばんは。
> 白糠線は、写真で見ただけながら、私の中ではずっと憧れの存在であり続けています。
> 多くの人や物を運ぶという鉄道の本来の形からすれば、到底鉄路を維持することはできなかった路線でしたが、何もない原野の中にぽつんとある北進駅の様子は、心に残るものがあります。本当はもっと先まで延伸される計画だったのでしょうが、北進という名前の響きも良いものに感じました。
> 白糠駅や駅近くのバスターミナルには、この路線の痕跡が残っているのですね。憧れて、現地に行ってやはりとうの昔に廃止されていることを思い知りながら痕跡を辿るのが楽しく思えるのか、憧れは憧れのままがいいのか、こちらの記事を拝見してなお、そんなことを考えてしまいます。
> 風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
少年の頃、全てを擲ってでも追いかけに行きたかった白糠線。 学生では御法度のオチャメを繰り返して、解っていてもようやく行けた白糠線との惜別の旅。 でも、行ってよかった。 行ったからこそ、生涯のお宝写真と思い出を得ることができたのだから。 学生の本分に従って自重してたら、恐らく今の自分はなかったデショウネ. そして、度を語ることもない退屈な人生だったとゾッとしますね。
太字の文
> こんばんは。
> 白糠線は、写真で見ただけながら、私の中ではずっと憧れの存在であり続けています。
> 多くの人や物を運ぶという鉄道の本来の形からすれば、到底鉄路を維持することはできなかった路線でしたが、何もない原野の中にぽつんとある北進駅の様子は、心に残るものがあります。本当はもっと先まで延伸される計画だったのでしょうが、北進という名前の響きも良いものに感じました。
> 白糠駅や駅近くのバスターミナルには、この路線の痕跡が残っているのですね。憧れて、現地に行ってやはりとうの昔に廃止されていることを思い知りながら痕跡を辿るのが楽しく思えるのか、憧れは憧れのままがいいのか、こちらの記事を拝見してなお、そんなことを考えてしまいます。
> 風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
少年の頃、全てを擲ってでも追いかけに行きたかった白糠線。 学生では御法度のオチャメを繰り返して、解っていてもようやく行けた白糠線との惜別の旅。 でも、行ってよかった。 行ったからこそ、生涯のお宝写真と思い出を得ることができたのだから。 学生の本分に従って自重してたら、恐らく今の自分はなかったデショウネ. そして、度を語ることもない退屈な人生だったとゾッとしますね。
ここには札幌からの夜行急行 狩勝で白糠に早朝到着し、一番列車に乗換えました。確か一両しか自由席がない、準寝台列車と呼んでもいい列車だったと記憶してます。