2019-10-23 (Wed)✎
『日本百景』 秋 第402回 荒沢岳・秋 〔新潟県〕
紅葉の彩りと薄らと雪を乗せた稜線・・
そしてスカイブルーの空の織りなす絶景へ
越後の名峰めぐり えちごのめいほうめぐり (越後三山只見国定公園)
越後の山々は、花あり・・、湖あり・・、岩壁がおりなすアルペンの雰囲気あり、温泉ありと、あらゆる角度で山を楽しめる山域だ。 中でも、高山植物が豊富な越後駒ヶ岳 2003メートル と奥只見にそびえる弧高の峰・荒沢岳 1968メートル は、是非登ってみたい峰である。
毎冬、越後地方に降り積もる大量の雪が山を削り、急峻な谷を創造し、雪解け水が清らかな沢音をとどろかせる。 そしてこれらが、山での素晴らしい情景を演出してくれるのだ。 この自然が創造したワンダーランドに、自らの足を思う存分使って訪ねてみよう。
荒沢岳・銀山平ルート 行程図
行程表 駐車場・トイレ・山小屋情報
小出町市街より車(0:40)→奥只見湖・銀山平(2:40)→前嵓(1:40)→荒沢岳
(3:40)→奥只見湖・銀山平より車(0:40)→小出町市街
秋は『シーズンオフ』となる
荒沢岳へ絶景を求めて・・
越後の名峰を語る上で忘れてはならないのが、この荒沢岳である。 穏やかな山容の越後の峰々の中にあって、コウモリの翼のように骨っぽい尾根を張り出した荒々しい山容を魅せている。
また、望む方角によっては、尖峰を天に衝き出すピラミタルな姿も魅せてくれる。
そして、この峰への登路も、荒々しい岩峰によって手強く、登り甲斐のあるものとなっている。
さて今回は、越後の名峰群の中にあって最も魅力的な山に、最も彩り鮮やかな秋の紅葉時に登ってみよう。
登山口となる《銀山平》は、《奥只見湖》の最奥端にあたる所で、《尾瀬》や《奥只見》の名峰への玄関口だ。 かつて、陸の孤島であったこの地域も、『奥只見シルバーライン』の開通によって今では車で容易に訪れる事ができる観光地となってしまった。
ここまで観光地化してしまうと“秘境”のイメージは薄れゆくが、山と大自然のおりなすその姿だけは、自らの足をもって行かねば体感することは叶わない。 さぁ、これより彩り鮮やかな秋の峰々へ・・、大自然のキャンパスいっぱいに広がる秋の気配を味わいにいこう。
・・『奥只見シルバーライン』の《銀山平》出口にある《銀山茶屋》より、500mほど《枝折峠》側へ進んだ所が荒沢岳の登山口だ。 登山口には、荒沢岳への登路状況が立て看板で記してあるので一目確認していこう。 これを怠ると、筆者が体験する如くの怖ろしい思いをするので御用心。
今回の恐ろしい
もとい・・絶景な場所
登山道よりは、対岸の彩り鮮やかな山肌を見ながらイッキに高度を300m上げる急登だ。 日頃の鍛錬度合がすぐに把握できるような急登を乗りきると、標高1091mの三角点のある荒沢・前山に登り着く。
ここでは、誰しもひと息着きたくなるだろう。
霧が立ち込めで幻想的に・・
前岳に登り着くと
映画のスクリーンで魅る如くの
越後駒ヶ岳の絶景が・・
それは、雄大に裾野を広げる越後駒ヶ岳と秋の気配が心地良く感じられ、正面には、コウモリの翼の如く尾根を展開する荒沢岳の彩り鮮やかな山肌が現れるのだ。 ちょうどひと汗かいて何かを欲する時に、的面の情景が広がるのだ。 しばし、カメラ片手に大自然からの最初の贈物を享受しよう。
山容が最も端正な
越後の次男坊・越後駒ヶ岳
目指す荒沢岳が
尾根を鶴翼の如く広げて・・
この荒沢・前山からは少したわみ気味に下り、眼前にそびえる《前嵓》に向かって尾根筋を伝っていく。
辺りは彩り鮮やかな紅葉群、しかし足下は落葉が霜に巻かれているなど、季節の変わり目を肌で感じ取れる中を歩いていく。 尾根筋を伝っての《前嵓》の大岩盤の付け根までは、緩やかな勾配で何ら問題はない。
立ち込めていた霧は
登るほどに雲海となっていく
だが、《前嵓》に取り付くと様相は一変する。 これより、相次ぐ鎖場とハシゴ群、『門』や『ルンゼ』状に迫り出した岩崖が行く手を阻む。 取り付いた最初の内は、まだ“鎖場”であるので、何とかよじ登れる。 しかし、登っていくごとに、「鎖場』が『鎖場』ではなくなっていくのである。
それは、このルートが夏のシーズン以外は鎖を取り外してあるからである。 彩り鮮やかな秋でさえ、この山域はシーズンオフで静寂な所なのである。
まだこの頃はモンキークライムした後でも
奥只見湖の写真を撮る余裕があったよ
《前嵓》の肩に登り着くまでに1ヶ所オーバーハングでツルツルの岩肌の登りがあり、それも期待通り!?鎖が取り外してあって、周りの潅木をモンキークライムで這い上がらねばならない。
登山口の立て看板には、登山道のこのような状況が告知してあったのである。 当然、これを見て自重する登山者がほとんどで、何も見ずにやってくると前述のように怖い思いをするのである。
素晴らしい絶景に
我を忘れそうになるが・・
さて、《前嵓》の肩までやってくると、一度展望が開けて錦色に染まった荒沢岳への登路が一望できる。
《前嵓》の石斧のような大岩盤も美しく彩りづいていた。 しかし、ここからが本当の難路である。
あの石斧に向かって一度下ってから、斧の刃渡り下部をトラバース気味に斜上していくのだ。
前にある灌木の前に出ると・・
鋭い石斧がコチラに向けて
刃を研ぎらせていた
もちろん、鎖は一切取れ外してある。 鎖はあっても北アの穂高連峰なみの難路であるのに、これで鎖がないと大変怖ろしいのである。 登り時はそれ程キツくはないが、下りともなると足元が見え辛くおっかない。 概要は次の通りである。
《前嵓》の肩からは、一枚岩状(傾斜はそれ程でもないが・・)の岩盤を下り、底部に広がる沢の源頭のような岩石礫帯を跨ぐ。 ここから泡状にボコボコした崩岩帯を100mに渡って、ほぼ直登気味に登っていくのである。 手掛かりは、半分浮石みたいな泡状の岩ボコと、鎖を掛ける為に岩に打ち込まれたアングルのみである。
写真に撮ると大したように見えないが
この泡石は握るとポロっと外れるなど
かなりデンジャラスです
こう撮れば
理解して頂けるかも・・
下りの場合、泡状の岩が下方の視界を遮って、しかも浮石も多くホジションが取り辛い。
もう、アングルに手足を掛けながら下らねばならない。 この場所を鎖なしの状況で余裕に通過するには、登攀 とはん (岩登りの事)の技術が必要だろう。
これを登りつめると、取り外した鎖がトグロを巻いて置いてあった。 そして、そのすぐそばに、白ペンキで『頂上アト2.0h』と記された岩道標と《前嵓》の頂上標がある。 ここからは、《前嵓》の肩から望んだあの錦色の尾根上を一直線に頂上までつめていく。 登っていくごとに、紅葉樹林からダケカンバなどの潅木林に変わっていく。
足元に霜柱が現れ出す
周りの木々も雪化粧し始めて
足下も落葉という秋の世界から、雹や氷という冬の世界に様変わりしつつある。
荒沢岳本峰に突き上げる《北ノ又川》支流の左俣源頭も、雹と氷の筋に飲み込まれていた。
稜線の肩に立ち
越後駒と魚沼の山なみを望む
:
こここまでくればもう一息だ
尾根筋を一直線に登りつめて、花降岳 1891メートル と荒沢岳との稜線の肩に出る。 ここまでくれば、頂上まで一投足だ。
稜線の肩より望む
越後一郎(中ノ岳)・二郎(駒ヶ岳)の絶景
1ヶ所鎖場(大した事はない所だが、どういう訳かここには鎖があった)を越えて、越後の名峰・荒沢岳 1969メートル の頂上に立つ。
越後駒に背中を後押しされて
荒沢岳の頂へ
名峰・荒沢岳 1967m 到達
越後の名峰からの展望は、周囲の山々の眺めを欲しいままにできる。 山らしい容姿を魅せる越後駒ヶ岳 2003メートル と、抱いていたイメージとは違う骨っぽい節々を《北ノ又》へ落とす中ノ岳 2085メートル 、その名が示す通りどこまでもまろやかな山容を魅せる平ヶ岳 2141メートル 、2つの角を突き上げて一目でそれと判別できる燧ケ岳 2356メートル 。
荒沢岳発 絶景かな・・
越後一郎こと中ノ岳が鎮座する
その隣を締めるのが
端正な姿を魅せる越後二郎こと越後駒ヶ岳
更にその奥は果てなき
連なりを魅せる上信越の山なみ
この山域の最高峰・尾瀬の燧ヶ岳も
双耳峰で存在感を示す
その他にも、至仏山 2228メートル や浅草岳 1586メートル ・未丈ヶ岳 1553メートル 、そして飯豊や奥日光の山なみも望める。 それは、この山が名だたる名峰群の中央の位置にあるからだろう。
山だけではない。 《北ノ又川》から続く《奥只見湖》も深い蒼を示し、周囲の錦絵巻に溶け込んでいる。
北ノ又川と未丈の果てしない山景
奥只見湖では遊覧船が往来していた
山から育まれた水は
ダムを経て大河となって
見果てぬ先の海へ注ぐ
これ程の眺めを魅せられると真に去り難いが、ここには水もなく、ましてや幕営適地もない。
秋も深まると、夕暮れも早くなる。 程よく切り上げて、下山に向けて気持ちを高めていこう。
生半可な気持ちで下ると、あの難所は事故の元だ。 鎖が取り外されている時はより集中力が必要となり、下りも登りと同じ位に時間がかかるかもしれない。 なお、鎖は例年7月~10月初旬の登山シーズンのみ掛けられるとの事である。
下りの難所に取りかかる前に
鶴翼の尾根を魅て気合いを入れ直す
ちなみに、この時は『奇跡の体力』の最盛期&日帰りの空身だったから早く下りれたけど、ヘタレとなった今ではどうなる事やら・・。
モンキークライムの鎖除去場を乗り越えて
ひとまずはポッとひと息
:
この時は越後駒を撮る余裕があったけど
今なら日が暮れて露光不足で撮れないかも・・ね
前岳まで下ったら
さすがに身体の力が抜けたよ
:
で・・ 何でもない所で転んだ
カンテラ点けて下山か奥穂~西穂の時の様に、日が暮れるまでに降りれなくなって頂上での『ナシナシビバーク』に追い込まれてたかも・・。 なので、日帰りであっても、カンテラと水と防寒着は持っていこうね。 なお、奥穂~西穂の『オチャメ』は現在執筆中でっす。
こんな絶景なのに
シーズンオフなんだね
前述の通りこの山域では、周囲が錦絵に染まる秋本番は“オフシーズン”なのである。
下山を終えて“観光地”に戻ると、温泉あり、湖上遊覧船ありと、途端にシーズンたけなわとなる。
日程に余裕があれば、行楽に費やすのもいいだろう。
先週は裏剱・仙人池行ってたので
記事の掲載ができなかったよ
その裏剱・仙人池でも
キッチリとオチャメをカマしますた
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No Subject * by 鳳山
荒沢岳、奥只見の方ですね。河合継之助はこの山を見たのか、生涯見ずして過ごしたのか気になります。越後駒ケ岳は魚沼盆地を通った時何とか見えそうな気はしますが。
Re: No Subject * by 風来梨
鳳山さん、こんばんは。
> 荒沢岳、奥只見の方ですね。河合継之助はこの山を見たのか、生涯見ずして過ごしたのか気になります。越後駒ケ岳は魚沼盆地を通った時何とか見えそうな気はしますが。
奥只見でも更に奥にある荒沢岳は、江戸時代末期は恐らく「名無しの峰」だったと思いますね。 この地で山と言えば越後駒と八海山、そして河合継之助が越えた『八十里越』から見える浅草岳ですね。
登山の概念のない時代は、見える山=越後駒以外は認知されてないでしょうね。 そんな奥深い山に登れる今は幸せな時代ですね。
> 荒沢岳、奥只見の方ですね。河合継之助はこの山を見たのか、生涯見ずして過ごしたのか気になります。越後駒ケ岳は魚沼盆地を通った時何とか見えそうな気はしますが。
奥只見でも更に奥にある荒沢岳は、江戸時代末期は恐らく「名無しの峰」だったと思いますね。 この地で山と言えば越後駒と八海山、そして河合継之助が越えた『八十里越』から見える浅草岳ですね。
登山の概念のない時代は、見える山=越後駒以外は認知されてないでしょうね。 そんな奥深い山に登れる今は幸せな時代ですね。