2019-10-16 (Wed)✎
路線の思い出 第348回 三江線・船佐駅 〔広島県〕
ホームから離れた所にポツンとあった
船佐駅の待合室
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’16)
江津~三次 108.1km 46 / 1109
廃止年月日 転換処置
’18/4/1 備北交通・大和観光・邑南町営・石見交通
など区間によって分担
運行本数(’17)
江津~三次 下り2本・上り1本
江津~石見川本 上り1本
江津~浜原 3往復
石見川本~三次 上り1本
浜原~三次 2往復
口羽~三次 1往復
※ 廃止日までの残り2週間は昼間便の浜原~口羽の通し運行を実施した
江津~三次 下り4本・上り3本
江津~石見川本 上り1本
石見川本~三次 上り1本
江津~浜原 1往復
浜原~三次 1往復
船佐駅(ふなさえき)は、広島県安芸高田市高宮町船木下場3333番地にあったJR西日本・三江線の駅である。 三江線の廃止に伴い、2018年(平成30年)4月1日に廃駅となった。 三次方面に向かって左側に、1面1線の単式ホームを持つ停留所規格の駅であった。 ホームは島式1面2線に対応した形態になっていたが、開業以来から単式ホーム1面1線と思われ、もう1線分の路盤は駅前広場の一部に転用されていた。
浜田鉄道部が管理する無人駅で、駅舎は駅前広場の端にポツンとあり、ホームとは直接繋がっていなかった。 なお、ホームへは浜原寄りの出入口から入る事ができた。 自動券売機等の設備はなかった。 2015年の1日平均の乗車人員は2人との事。
廃止となった三江線だが
粟屋~式敷までの区間だけは
道路より格上の交通機関だった
長谷から船佐を経て所木に至る区間は、三江線にピッタリ寄り添って通じる「道路の三江線」こと《県道112号・三次江津線》(名称もそのままですね)も、最も狭隘区間となって車の離合も困難となるのである。 中でも特に先程の長谷駅の項目で撮った鉄橋の所から船佐駅に抜ける区間は、広島県の道路行政いわく『レベル4』の通行困難の”警告レベル”の道となるのである。
そして、周囲の地区からの流入経路もなく、災害が起これば孤立必至の場所のようであった。
だからか・・、駅周囲に1~2軒の民家が建つのみで隣りの長谷駅に比べても集落の規模は小さいのに、1日の乗車人員が2名いるというのも頷ける。
この区間は道路事情が劣悪で
三江線を追っかける『撮り鉄』にも
敬遠された「穴場」だったよ
駅のある位置も三次側から入っていくと正面に駅待合室が見えてすぐに判るが、口羽側から入ると駅待合室が雑木林に隠れるのと、狭過ぎる道路を通るのに神経を使って気を取られてしまって見落としてしまいがちなのである。 筆者も最初に通った時は口羽側から進入した事もあり、見事にこの船佐駅を見落としてしまったのである。 「ぢ・つ・わ・・」であるが、この船佐駅の訪問が三江線の全駅訪問の『ラスト』だったりして・・。
また、三江線に寄り添う江ノ川もこの船佐駅付近では雑木林に遮られて見えなくなり、また地域的にも閉鎖空間の中にあって薄暗い雰囲気で、この船佐駅は『撮り鉄』の観点からしても「撮りようのない駅」であったのである。 でも、この状況でも「何とかならないか」と思って駅ホームに立ってカメラを構えてみたが、天候が思わしくなかった事もあるが昼間でも薄暗く「使えない」ロケーションだったのである。
なので、駅の待合室だけを撮ったのみである。
船佐駅周辺で撮ったのは
この旋回する鳶だけ
この時に「撮りようがない」と判断を下した後は、この船佐駅の狭隘区間はパスして迂回路を通るようになったのである。 それは次に訪れた時に、先程の長谷駅の項目で撮った鉄橋の所から先の船佐方面が「除草作業の為に地元住民の許可車以外通行止」となっていて迂回路が示されていたので、それを通ってみたのである。
迂回路の途中にある一字違いの
船”木”集落で見かけた
純朴な雰囲気を魅せる神社
その迂回路は県道322号と国道433号を大回りして式敷駅付近に出るルートなのだが、このルートの距離は船佐を通る県道112号の2.5倍の15kmもあるが、ほとんど全部が快適な上下2車線道路で常時60km/hですっ飛ばせる分、むしろコチラを使った方が早く着くのである。
唯一の昼間便の石見川本行きの列車を
長谷~船佐にある鉄橋で撮っても
何せ、長谷の例の鉄橋で撮った『唯一の昼間便』の石見川本行きの列車を追っかけても、余裕で宇都井での『2度撃ち』ができたのだから・・。
迂回して広い道路を通ると
余裕で宇都井で『2度撃ち』ができた
今度の仙人池めぐりに備えて
記事予約で書き溜めでっす
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Re: 三江南線 * by 風来梨
hanagonさん、こんばんは。
> この駅の名前と大体の位置だけは三江南線時代から知ってはいましたが、このような秘境地帯だったのですね。
> 中学生の頃だったか三江線が全通した時は、地元は結構なニュースになりました。急行が(臨時ですが)通った事もあることを思い返すと、隔世の感がありますねぇ。
三江線の南側区間は、粟屋駅から口羽駅まで江の川に渡る橋がほとんどなく、陸の孤島化してますね。 車がないと暮らせないでしょうが、高齢者が多くなってあの狭い道は運転が大変でしょうね。
利益的には採算が合わなくても、地域の公共の為には鉄道は必要なのでしょうね。 それが開通時の期待の表れだったのでしょうね。
> この駅の名前と大体の位置だけは三江南線時代から知ってはいましたが、このような秘境地帯だったのですね。
> 中学生の頃だったか三江線が全通した時は、地元は結構なニュースになりました。急行が(臨時ですが)通った事もあることを思い返すと、隔世の感がありますねぇ。
三江線の南側区間は、粟屋駅から口羽駅まで江の川に渡る橋がほとんどなく、陸の孤島化してますね。 車がないと暮らせないでしょうが、高齢者が多くなってあの狭い道は運転が大変でしょうね。
利益的には採算が合わなくても、地域の公共の為には鉄道は必要なのでしょうね。 それが開通時の期待の表れだったのでしょうね。
No Subject * by 根室大喜
列車を下から撮る、、、やってみたい^^)
Re: No Subject * by 風来梨
根室大喜さん、こんばんは。
> 列車を下から撮る、、、やってみたい^^)
私もいつも思います。 広い大地をゆく孤高の単行ディーゼルカーを撮りたいなぁ・・と。
> 列車を下から撮る、、、やってみたい^^)
私もいつも思います。 広い大地をゆく孤高の単行ディーゼルカーを撮りたいなぁ・・と。
中学生の頃だったか三江線が全通した時は、地元は結構なニュースになりました。急行が(臨時ですが)通った事もあることを思い返すと、隔世の感がありますねぇ。