2019-10-07 (Mon)✎
『日本百景』 秋 第400回 日本最高峰 〔山梨県・静岡県〕
富士山の最高点・剣ヶ峰は
月面基地のようだった
富士山 ふじさん (富士伊豆箱根国立公園)
富士山の標高は3776m・・。 誰もが知る日本最高峰で、標高の憶え方も「富士山のようにみななろ・3776m」というように、小さい頃から教わったものだ。 富士山は裾野を直径40kmにも広げる典型的なコニーデ型火山で、その秀麗な山容は世界に誇れるものの一つである。 しかし、『登山』に関しての魅力はかなり乏しく、あまり登山意欲の湧かない山である。
なぜなら、この山が比較的新しい山で高山植物がほとんど咲かない事、そして登山客と山頂神社の専横でかなり俗化しているからではなかろうか。 山頂での『県境の線引き』をめぐっての“人間の思惑”による争いが未だに続いている現状に、唖然とするばかりである。
山は“神”が作ったのではない。 ましてや、神社のいう“神”とやらの所有物でもない。
山は、大自然が長い年月を経て創造しえたものである。 俗世間の垢を落とす為に山へ登りに来たというのに、山頂での醜い“人間の思惑”を見せられたらたまったものでない。 この醜い“人間の思惑”が消えない限り、ワテの中では登山の魅力あふれる“登ってみたい山”とはなりえないであろう。
結論からいって、この山は『登る』よりも『眺める』べき山なのであろう。 それを踏まえて、行程表も『眺める』を念頭において組んでみた。 さて、『眺める』でお薦め所としては、朝霧高原はどうだろう。 朝霧高原にある広大なススキの原を借景に・・は、なかなか叙情的な風景である。
富士山・吉田口ルート 詳細図
行程表 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 富士吉田駅(現 富士山駅)よりバス(1:00)→富士山五合目・吉田口登山口
(1:20)→七合目・入口(1:20)→七合目・山荘《東洋館》前
《2日目》 七合目・山荘《東洋館》前(1:20)→本八合目(1:00)→九合目(1:00)→吉田口頂上
(0:40)→富士山・剣ヶ峰(0:40)→吉田口頂上(2:20)→七合目・山荘《東洋館》前
(1:00)→七合目・入口 (1:00)→富士山五合目・吉田口登山口よりバス
(1:00)→富士吉田駅(現 富士山駅)
※ 前回の『第399回 影富士』の続きです。
この日は空がかぎろい色に染まる
絶好の山日和だった
《2日目》 我が国最高峰の踏破と下山
昨日は『最大限の幸運』を目にして興奮冷めやらぬまま、落日と共に就寝する。 陽が落ちるとさすがにシュラフに潜り込まねばならぬ程に気温は落ちたが、それでも氷点下まてには至らなかったようで、昼寝したにも関わらず、この『オチャメ』な寝床でも19時から3時前まで8時間近く寝れた。
まぁ・・、こういう所が「ゴキブリ並の生命力」と云われる所以ですな。
でも、3時前に目が覚めた途端、昼寝を併せて通算10.5時間寝たツケで、眼が冴えて寝れなくなってしまった。 眠れぬままシュラフに潜っていると、木のテラスを歩いてくる人影とカンテラの光が・・。
どうやら、いい位置で御来光を拝むべく、深夜に五合目を出発してきた登山者のようである。
そのいでたちは、せいぜい萎んだデーパックのみで、恐らく水のみの完全な空身で登ってきたようである。 それも、1人2人ではなく次々と登ってくるのである。
こうなると『最上級の地べた』の弱点である、木のテラスに寝転がっていると「通り過ぎる登山者の足音が木琴の如くよく響く」という弊害が現れて、寝転がる事が困難となってくる。 なので、寝転がるのを断念して、荷物を袋に入れて寝床となったマットでくるんでシュラフと共に一か所に固めて、これらの通行者と同じ目的を負うべく、カメラ一式と水筒だけ持って出発する。 時間は4時前。
八合目の太子館より望む
富士の頂上丘
まだ空は暗く、カンテラを照らしながら八合目の山荘街に向かって登っていく。 寝床となった『東洋館』から八合目の山荘街までは普通の登山道然とした『岩コロが転がる砂礫帯』であったが、まだ空が暗い時間帯であるのと、この《富士山・吉田口ルート》においては『難路』に値するようである。
取り敢えず、深夜に歩く『難路』として、慎重に登っていく事にしよう。 一か月半前に、夜道で転んで腹から火を噴いた事もあるし・・。
この『難路!?』を登りつめて、山荘の石垣につけられた石段に取り付いて登っていくと、八合目山荘街最初の山荘『太子館』の上に出る。 ここのテラスも展望は良さそうだが『東洋館』の木のテラスに比べれば落ちる(東洋館の建物が入る)し、地べたも最悪の砂利敷きで、寝床を『東洋館』の木のテラスに決めた判断は大正解であった。
八合目からは、再び《富士山・吉田口ルート》のスタンダードである幅の広い砂利道のつづら折りとなる。 若干幅が狭まり、砂利コロの質が少し大粒になったようではあるが・・。
そして下の砂利道と同じく、大きな山崩れ防止の為に突き立てられた土堰が無粋な風景を見せていた。
八合目の山荘は七合目のように密集せず、どの山荘もつづら折りの砂利道を隔てた一定の間隔で建っている。 そして、各山荘ごとに広い敷地を持ち、雰囲気としては八ヶ岳の山荘風であった。
富士五湖で最大の湖・山中湖が見えてきた
登っていく毎に空が明るくなってゆき、《八合三勺》の道標と富士浅間神社の境界を示す石柱が建つ《本八合目》に着く。 この《本八合目》に着く前頃が御来光タイムであった。 取り敢えず御来光からは少し過ぎたが、「富士での日の出」をカメラに収める。
陽は海側から昇るので平凡だね
でも、この《本八合目》は標高3380mもあるのね。 ここより200m近くも低い北岳の頂に登る方が、断然にキツいんですけど・・。
下が雲海に蹴られて
御来光としては今イチ・・
さて、この《本八合目》で《須走口ルート》を併せて登っていく。 八合目の最奥の山荘である山荘『御来光館』を過ぎると、白い鳥居の建つ山頂結界門をくぐり、ようやく登山道らしい砂礫道となる。
上を見上げると頂上丘に建つ浅間神社の社殿が乗っかっているのが視認でき、右横を見ると溶岩流跡を示す赤土の薙が遥か下まで掘れていて、左横は遥か下に富士五湖が小さく光っていて、下を見下ろせばこれまで登ってきたつづら折りの砂利道と、それと交差する下山道の直線的に切られた道筋が見渡せる。
でも、あの下山道の直線具合は、恐らくブルトーザーで掘り進めて造った証だろうね。
赤土の山肌に砂利道の登山道が
つづら折りに連なっている
この結界門から先の登路を登っていると、ようやく登山している気分になったよ。 これまでは、砂利道だの山肌に突き立てられた土堰だの・・と、道の状況や周囲の様子が到底登山道らしくなかったので、尚更に強く感じたよ。 この砂礫の道を登りつめていくと、両側に狛犬が鎮座する浅間神社奥宮の境内に入る。
狛犬が鎮座する
頂上浅間神社奥宮境内の境界線
境内に入ると、2~30段の石段を登って《吉田口頂上》となる浅間神社(久須志神社)奥宮の本殿前の広場に出る。 ここには長いベンチとテーブルが置かれ、登り終えた登山者の憩いの場となっているようだ。
でも、この光景はシーズンを終えた今だから・・の事で、シーズン中は人でごった返して足の踏み場もない・・との事である。
富士のお鉢めぐりのコース図
※ グーグル画像より拝借
さて、富士山の最高点である剣ヶ峰へは、ここから火口壁を半周伝っていく。 剣ヶ峰まで、40分かかるかかからないか・・って所だろう。 ちなみに、火口壁は右回りでも左回りでも距離はほぼ同じ位だが、左回りは最後は標高差70mの急登となるので、右回りの方が断然お得だ。
周囲は火口壁が風化した奇怪な情景が広がる
シャカの割れ石
右回りだと、解放されていない富士山の第二高点である白山岳 3756メートル が眼前にそびえ立つ。 火口壁の対面にそびえる最高峰・剣ヶ峰より高く感じるのは気のせいだろうか。
火口壁に鎮座する雷石
我が国の最高峰・剣ヶ峰までもうすぐだ
ここから火口原を望みながら整地された砂利道を半周伝っていくと、対面から見ると富士山観測所のドームなどの構造物で頂らしからぬ異様な眺めを見せていた我が国の最高峰、富士山・剣ヶ峰の頂に登り着く。 到着は8時ちょっと前であった。
『日本最高峰』の石碑と
頂上からの眺め
富士山測候所のドーム
頂上では、拠所ない事情によって〔名峰次選〕のファイナル峰とはならなかったが、そのつもり・・を演出すべく奇妙な帳面をかざした姿で『我が国最高峰でのアリバイ写真』を撮る。
登頂の証
『二等三角点・富士山』
頂上からの眺めであるが、富士山の標高が他の山を抜きん出ている事もあってか、アルプスの山は雲海に埋もれるなど山岳風景としては今イチであった。
富士山観測所越に望む山上展望
登路が設定されていない
富士山の第二高点・白山岳
どうやら富士山の風景は、昨日の夕方の『クライマックス』がほぼ全てだったのだろう。
頂上の見どころと言えば、《大内院》と呼ばれる富士山の火口と火口壁くらいだし・・。
でも、せっかく来たのだから、無意味に1時間ほどタムロする。
頂上からの眺めで唯一圧巻だったのは
『大院内』と呼ばれる富士の爆裂火口だ
さて、今回は週末の連休にやってきたのだから、今日中に帰路につかねばならない。 今は9時・・。
そろそろ下山に取り掛かる時間だ。 シーズンも終わって格段に登山者が少なくなった今、敢えて混雑時の対応として設けられた下山ルートを取る必要もない。 まぁ、ゆっくりと下っても2時ごろには下山できるだろう。
さぁ・・下界に向けて降りていこう
ただ一つ怖い事は、何の下調べもしていない為、《吉田口・五合目》での富士吉田行きのバスの時刻を全く知らないからである。 もし、最終バスが2時より前だったら、限りなく「ドボン」である。
頂上から続く均一の傾斜は
美しいシルエットの源だ
「まぁ、シーズンが終わったとはいえ、そこまで減便されてはいないとは思うが」、「いや、御来光を見る為とはいえ、深夜から登ってきた奴はもうとっくに下り始めているし・・ね」、「バスの最終に乗り遅れたら、タクシーは無理 持ち合わせの余裕がないしィ」と、ブツブツと妄想に『ブツブツ念じ』を唱えながら下っていく。
標高差1500mにも及ぶ
富士山の赤土薙
下りは日が高く上がって写真映像的な魅力も減じてきたので、山頂より連なる溶岩流痕の赤土の薙などを数枚撮っただけで、割と下りに集中する。 そして、登りでは散々貶したつづら折りの砂利道も、登りが苦手な筆者にとっては「普通に歩ける」タイムロスの少ない下山道中だった。
頂上より下界をパノラマで望む
富士吉田の街
道志・丹沢の里
山中湖と山中湖村
・・で、結構早く荷物をデポった今日の寝床の《東洋館》の木のテラス前に戻り着く。
ここで、荷物をくるんで固めていたシュラフマットが紛失(恐らく、不埒者が尻に敷く為に盗っていったのだろう)するアクシデントがあったが、嫌な気持ちになったとはいえそれほどのダメージもなかったので、急いで荷物をパッキングして荷物を担いで下山を急ぐ。
これよりは七合目の長屋状の山荘街を過ぎるとつづら折りの砂利道となるので、下りにそんなには時間はかからないだろう。 つづら折りの砂利道を急ぎ気味に下れば、つづがなく六合目の登山指導所を過ぎて、相変わらずゼブラロープで進入を阻んでいるだけの《泉ヶ滝》の登山道入口に着く。
アクシデントもいと楽し・・
:
お陰で心に残る情景に魅せられました
後は、馬車馬の馬糞が落ちまくって臭い《富士スバルライン》の観光砂利道を伝っていくと、登り始めに「到底、これより登山を始める場所とは思えない」と記した《吉田口・五合目》に下り着く。
着いてすぐさまバスの発車時刻を確認すると、16時位までバスの便はあるみたいだ。 まぁ、観光地だからね。 バスは満員で車内で荷物を下ろすスペースもなく、荷を担いでバスの揺れに耐えると、一ヶ月半前の古傷が少し疼き出したよ。 そうだった、この盆に北海道遠征で腹から火を噴いたんだっけ。
帰路であるが、バス終点の富士吉田(現 富士山)駅のバスロータリーに降りた時に偶然に接続していた御殿場行きの路線バスに乗れたお陰て、大槻から東京周りで帰るより大幅に費用と時間を浮かせる事ができた。
御殿場線の車窓から富士のシルエットを魅て
少し感傷的になったよ
御殿場から乗ったJR御殿場線の車窓から見た夕暮れ空に浮かぶ富士のシルエットを目にして、「今日・・、あの頂点に立ち、頂点の突起から裾野まで下って来たんだなぁ」とちょっと感傷的になったよ。
昨日の『路線の思い出』記事アップで
何とか『山と高原』トップ返り咲き
これで解ったよ
人気のないブログは記事を
上げ続けなきゃダメだって事が・・
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