風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第338回  富内線・日高町駅跡

路線の思い出  第338回  富内線・日高町駅跡 〔北海道〕

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在りし時の日高町駅
※ 鉄道ピクトリアル誌よりコビー

《路線データ》
  営業区間と営業キロ    輸送密度(’79) / 営業係数(’83)  廃止年月日    転換処置
 鵡川~日高町 82.5km      280  /  2021                ’86/11/ 1         道南バス
 
廃止時運行本数
鵡川~日高町 4往復   鵡川~富内、1往復    鵡川~振内 1往復

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サボ撮るなら駅舎撮れよ・・

日高町駅(ひだかちょうえき)は、かつて北海道(日高支庁)沙流郡日高町字日高にあった国鉄・富内線の駅である。 富内線の廃線に伴い、1986年11月1日に廃駅となった。 予定では当駅から延伸し、占冠駅を経由して根室本線金山駅附近に接続する事になっていたが、延伸部分の新線建設は工事凍結となり、そのまま廃線となった。

廃止時点で、島式ホーム1面2線を有する駅で、富内線の終端駅であった。 駅舎側(東側)、外側(西側)共に番線表示なしの上下共用となっていて、ホーム端で収束していた。 その他、旅客の本線それぞれの外側に副本線を各1線ずつ有し、駅舎側の副本線の駅舎傍には貨物用の単式ホームを有していて、途中で分岐し本線に合流するほか、行き止まりの側線にもなっていた。 貨物列車は木材の搬出が主体であった。

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1日4往復しか無かった割には
有人駅が多かったですね

職員配置駅となっており、駅舎は構内の東側に位置し、ホーム北側とを結ぶ構内踏切で連絡した。
駅舎は鉄骨ブロック建て平屋の、明るく広い近代的な建物であった。 駅前には左手側に公園が設置され、樹齢1,500年のイチイの巨木、池、日高町特産の銘石による庭石が配置されていた。 1981年の1日当たりの乗降客数は、94人との事である。

廃止後しばらくは駅舎が農協に再利用されていたが撤去され、1999年時点では草原の空き地となっており、敷地の一部が農協に利用されていた。 駅跡地には、「国鉄富内線の跡」と記載された石碑が建立されている。 日高町駅で供用されていた駅備品(時刻表や運賃表など)の一部は、沙流川温泉ひだか高原荘の別館ロビー近くに展示保存されている。



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痛恨のフイルム間違いで
富内線で撮った写真はこの1枚だけ・・

この日高町駅は、鉄道在りし時は1往復乗っただけで、折り返しの列車で帰っただけの思い出しかなく、しかもこの時の旅は痛恨のタングステンフイルムを使った「フイルム間違い」で、撮った写真は全て青味が掛かって全ボツの『北海道ファーストアプローチの旅』であった。

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『奇跡の体力』在りし頃
テント担いでこんなハードな
ヤマ旅ができたのデス

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日高山脈の最高峰・幌尻岳と
山上の楽園・七ッ沼カール

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日高のヤマは総ナメとはいかないまでも
主要な峰は全て登ったよ

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反対側にそびえる
日高第三の標高の無名峰・1967峰にも登ったよ

だが、廃線となってからは、何度となくこの地を訪れているのである。 それは、この日高町が日高山脈と大雪山系のヤマを結ぶ交点上にあり、当時『奇跡の体力』を持ったワテは、放浪山旅で日高の山々と大雪山をハシゴしていたのである。 こんな芸当ができるのは、真に『奇跡の体力』の賜物である。

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この国道274号の日勝峠も
幾度となく通ったよ

それでこの日高町駅跡は、てっきりレストランやスーバーが建ち並ぶ『道の駅』のようなモノになっているとばかり思っていて、「廃止になって駅跡が繁盛する嫌な所だな・・」って感情が支配してたよ。

でも、そこでいつもラーメンをすすったり、スーパーが出店していたソフトクリーム屋のソフトクリームを貪り食ったり・・と、結構な『消費者』となっていたのである。 そして、毎年のように夏の放浪旅をする内に、行きつけの食堂を見つけて店のおばちゃんに顔を覚えられて、「夏の常連客」にもなっていたのである。 そう、いつも大盛定食を注文し、お代わりはいつもサービスしてもらっていたよ。

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ヤマでも水浴びはできたけど・・
やっぱり山の後は風呂だよね

そして、この店のおばちゃんに「この日高町の駅跡周辺は温泉がないねぇ」と訪ねたなら、少し離れた沙流川温泉の割引入浴券や無料招待券を差し出してくれたよ。 まだ沙流川温泉にクアハウスができる前の事だったから、一軒宿の岩盤風呂だったし・・。

でもある時、この道の駅の裏手に道があって、工事の飯場のような空地があるのを見つけたのである。
何かと思ってその道に車を突っ込んでみると、『国鉄富内線の跡』と掘られた石が佇んでいるのを見つけたのである。

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工事飯場のような空地に
あるハズのないこの文字が掘られた石を
見つけた時少し狼狽えたよ

どうやら、あのスーバーやレストランは駅跡を開発して建ったモノではなく、元からの店舗街だったようである。 そして、この店舗街の向かいにある『いきつけの食堂』は、駅前食堂だとばかり思っていたのも勘違いだったのである。

この事実を知った時、ローカル線の通を自負していたワテは少し恥ずかしく思ったよ。
あれだけ必死に追っかけて、あれだけ知識を獲り込もうとしたローカル線の終着駅すら把握できなかった事に・・である。

でも、だから・・といって反省する事も、学び直す事もなかったけど・・ね。
この『日高町駅の勘違い』から、廃線跡探索は大いに苦手となったよ。

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この勘違いから
駅跡を嗅ぐ嗅覚が狂ったよ・・
※ グーグル画像を拝借

それは、3度訪れるまで白糠線の上茶路駅跡を発見できなかったり、北進駅跡への降り口が判らなかったり、万字炭山駅跡が未だに判らなかったり、廃線後も撤去されずに残っている駅舎があるのに気付かず通り過ぎて、それに気づいて再訪した時には駅舎が取り壊されていたり・・と、廃線跡探索においては散々な結果となっているのである。

特に「イタかった」のは、知床のヤマに行った際や帰りに根北線の以久科駅跡の前を何度も通ったのに気づきもしなかった事と、士幌線の十勝三股駅跡をしょうもない『オタ黒歴史』の思考で写真を撮る事を躊躇って、気づけば駅舎は取り壊されるなど、文字通り「失ってから己の愚かな意地っ張り」に後悔する事になったのである。

掲載写真に乏しいので
山上の楽園おば・・
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幌尻岳・北カール
ここは花の器となる

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カールに咲く宝石
チングルマ

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白い可憐な花を魅せるイワヒゲ

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同じ300mの上下でも
この日高の坂はキョーレツです・・

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「我ひとりのパラダイス」
七ッ沼カールへ・・

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七ッ沼カールの底・・
そこは真に『山上の楽園』だった

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去り難し でも・・
下界でたらふくの飯も食いたいし・・

まぁ、この時はヤマに夢中で、鉄道趣味を持っていた事を『オタな黒歴史』として隠し覆す気持ちを抱いていたし・・ね。 だから今となって、「あの時にもっと真剣に調べて、立ち寄って足跡を残すべきだった」と後悔する事しきり・・なのである。

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写真は撮ってナンボ・・
というお話でした
えっ 違うって?



Yahoo!はブログ運営を勘違いして
『芸能人優先』のアメブロ方式に
走ろうとして自滅したね

それが「壮大なる失敗」の
Yahoo!ブログのβ版ですね


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