2019-08-31 (Sat)✎
『日本百景』 晩夏 第394回 塩見岳・朝景 〔長野県・静岡県〕
昨日夕立と雷を呼び込んだ雲が
山を美しく装っていた
塩見岳・蝙蝠岳 しおみたけ・こうもりたけ (南アルプス国立公園)
南北に標高3000mを越える峰々を連ねる巨大な山脈・南アルプスのほぼ中央にそびえる3000m峰が塩見岳 3052m だ。 この峰は北側から望むと漆黒の甲冑を思わせる入道頭の山塊をもたげて、遠目から望んでもすぐに視認できる。
その塩見岳を違った角度から望むと、あの漆黒の甲冑姿ではなくスラリとした綺麗な三角錐の山容を魅せる。 その塩見岳の神秘的な美しい三角錐の姿は、一般縦走路から大きく離れた所からでしか望めない。 その大きく離れた位置にそびえるのが、南アルプス中央部きっての秘峰・蝙蝠岳 2865m である。
この蝙蝠岳の名前の由来は、麓の地で唯一この峰が望める場所の大井川東俣域から見上げると、コウモリ型の雪形が現れるからだそうである。 この蝙蝠岳の頂に立つなら、大井川東俣域の二軒小屋ロッジから10時間かけて登りつめるか、山中でのビバークが必要だ。 このように、容易に近づく事が叶わぬ秘峰・・、それが蝙蝠岳である。
塩見・蝙蝠岳ルート 行程図
行程記録 ※ 今回実際にかかった時間ですけど・・、何か?
《1日目》 JR・伊那大島駅よりバス(1:50)→鳥倉登山口(2:50)→三伏峠
《2日目》 三伏峠(1:20)→本谷山(1:50)→塩見小屋(1:30)→塩見岳(0:35)→蝙蝠岳分岐
《3日目》 蝙蝠岳分岐より蝙蝠岳往復、所要・片道2時間(0:45)→塩見岳(1:05)→塩見小屋
《4日目》 塩見小屋(1:30)→本谷山(1:20)→三伏峠(2:00)→鳥倉登山口よりバス
(1:50)→JR・伊那大島駅
※ 前回『第393回 蝙蝠岳』の続きです。
『復路の懸念』となっていたこの岩稜越えも難なくこなし、10時前にテントをデホった《蝙蝠岳分岐》に戻り着く。 取り敢えずテントを撤収しながら、今日のこの先の行程を考える。 1つは小屋番の兄さんや行き違う人などから「水があるよ」と教えてもらった《雪投沢》に下り、そこで幕営をする案である。
もう一つは、「残金が17000円程あるので、素泊まりならいける」という事で、塩見小屋で停泊する事である。
紫色の秋の花が主を占めていた
さて、どうしたものか。 「《雪投沢》はタダだが、便所と帰りの時間が切羽詰る」という不利がある。 小屋泊りは、《雪投沢》の不安要因であるトイレ・水・下山時間を金で買う事で解決できる。
どちらにしようか考えた時、「そういえば、昨日の明け方に《三伏峠》のキャンプ場でして以来、今日にかけて『大』をしてないな」という事が頭に浮かんだ。 そして、昨日の小屋番の兄さんの話の中であった「できるだけ、山を汚さぬように・・ そして、できるなら、山を汚さぬように・・」という言葉を思い返し、ここはトイレの事を優先して小屋泊まりにしよう・・と決める。
美しい花や自然を楽しむ為にも
できるだけ、山を汚さぬように・・
そして、できるなら、山を汚さぬように・・
今回の山行では、「できるだけ、山を汚さぬように・・ そして、できるなら、山を汚さぬように・・」という教訓を何とか守れそうだ。 今更ながら、簡単なようでかなり難しく奥の深い訓示なんだ・・と認識する。 どの辺をとって「できるだけ」と捉える事だけをとっても、人によって区々(まちまち)だからであろう。
まぁ、未だに私欲を満たす為だけにペットを連れ込み、周囲に悪害を振り撒こうが自然を破壊しようが開き直るクズが存在するって事がこの訓示と相反しているし、ましてや他の生命を蝕み自然破壊の限りを尽くすこのクズ共が、「自然を守ろう」やら「ペットと自然との共生」などと、行為と真逆な言葉を吹聴する自体が言語道断なのである。
テントをたたんでザックにパッキングして出発。 まだ10時過ぎ。 「まぁ、塩見の頂上で呆けても1時過ぎには着くな」と、余裕を持って歩いていく。 余裕ができると、周囲がよく見えるものだ。
カメラを向けても動じない
度胸の座った野鳥だったよ
野鳥が潅木の縁をトコトコと歩いているの見つける。 鳥の名前は解らないが、かなり度胸の坐った奴と見えて、カメラを向けようが動じない。 お陰で何枚か撮れたよ。 でも、200mmだと小さいな。
このようにダラダラと登っていくと、しんどくはないが時間はあっという間に経ってしまう。
そして、南ア・稜線での『11時』がやってくる。 何でだろうか、いつもこの時間になると急速に曇り始めて、下手すりゃパラパラと来る。 稜線上で、しかも岩稜地帯でパラパラ以上に遭遇すると、真に困難な状況となる。 特に雷を伴うと、身の危険を伴う厄介となる。 ちなみに昨日は、『パラパラ』はなかったが雷はあったみたいだ。 一度、空が光ってテントが明るくなったのを覚えている。
塩見の頂上は秋色の世界だった
;
だが頂上ではそんな事を凌駕する
原罪の高校部活の有り様が判明したよ
南ア・稜線『11時』の雲が空に厚く覆い被さった頃、塩見の頂上に着く。 11:10。
頂上では、高校のW・V部の連中が岩の上でグタっていた。 確かに荷は重そうだったが、ワテの現役時代より覇気がなさそうな山岳クラブだった。 学校は東京の有名私学大の付属高みたいだ。
でも、この連中、私の現役時代では有り得ない事を行程に組み込んでいたのであった。
それは、この後に明らかとなる。
その高校部活は
ワテの持つ山の部活の常識と
「グッナイ(フウロ)」するものだった
:
苦しいのは重々承知です
突っ込まないでネ
私が塩見の頂上に着いて数分後、案の定パラパラと来たので、岩で寝そべっていたこの連中は飛び起きて、慌て気味に荷物を担ぎ出発した。 パラパラと来たのだから、私もこの連中の後を着いていく事にする。
塩見岳の下りはやや危険な岩稜下りがあるのだが、この連中のモタツキ様といったら、今のワテ並であった。 悪いけど、全く若さが感じられんかったよ。 上の引率教員の指示がなければ、マゴついて降りれないでやんの。 ひょっとすると、伝家の宝刀『クマ下り』(後ろ向きの四つんばい下り)がある分だけ、ワテの方が上かもね。
先行の高校W・V部が下りでマゴついたお陰で、私自身の『登りより遅い下り』が目立つ事もなく、1時間10分かけて塩見小屋まで降りつく。 ちなみに、健脚なら45分で下れるんだって・・。
でも、そんな事を凌駕する『サプライズ』な事を彼らはしてくれたのだ。
「ゆとり教育」以降の高校部活の有り様が
山を包む霧が解けて姿を現す
が如く明かされていく
今の時間は12時半前。 高校生という若い身体なら、十分《三伏峠》まで下れるはずだ。
それが、この小屋のVIPルームに泊るようなのである。 その為に、予め1棟まるごと宿泊予約を入れていたみたいである。 どうやらこの子達、テント担いでないみたい。 荷物を解体している姿をチラッと見ただけだが、テント用具は皆無だったし。
そしてもっと驚きは、水を汲みに行かずに小屋で購入してやがんの。 まぁ、ワテも購入したので人の事を言えんが・・。 そして、食事も小屋食を取るみたいである。 食事の時間の割り振りの説明があったみたいだしィ。
いやぁ、時代が変わったからなのか何なのかよく解らんが、私の今までの経験を当てはめるとこの光景は少々パニクったよ。 あの大きな荷物の中身は、食後のデザートやら、お菓子やら、軽食やら・・であったみたいである。
少なくとも、ワテの現役時代は考えられん事だったよ。 ワテの現役時代の山岳クラブは、水は出発地(たぶん、《熊ノ平》だろう)よりの持ち運びだろうし、小屋に泊まる事もないし、この時間帯ならたぶん《三伏峠》まで下ってのテント泊となるだろう。 ましてや、食事は全て自炊だよなぁ。
お菓子はともかく
ヤマにゲーム機はイカンだろ!
:
ゲームの効果画像のような花を
画像イメージにしますた
昔は携帯ボンベコンロがショボくて今のように高性能ではなかったので、『重たさ極めたり』のホワイトガソリンコンロ(ホエーブス)をガソリン付で担がされたものだよ。 ちなみに、ホエーブスの重さは約2.5㎏とガソリン1㍑で約3.3㎏ナリ。 ほんと、形も悪く(円柱の缶で、パッキングし辛いったらありゃしない)て担ぎにくく、“ホエ~”と嘆きたくなるような重さだったよ。
いゃぁ・・、たまに小屋に泊ると、驚くべきサプライズがあるもんですねぇ。 彼らが予約者専用の『VIPルーム』を占拠してしまったので、飛び込みのワテは15人収容の棟に押し込まれる。
これから何人来るのか。 『来る者拒まず』の山小屋なれば、この先15人、20人、30人・・と増えていく事が想定される。 もしかしたら、『三角座り』かも。
コイツらは山の情熱が
ウスユキソウ・・
:
苦しいダジャレだね
悶々と「そうなれば、テントを張らしてもらって逃げたいなぁ」などと考えながら、リミットの夕方5時を待つ。 この『夕方5時』というのは、小屋番の兄さんが「5時を過ぎるとさすがに飛び込みはいなくなるだろう」と言っていた時間である。 まぁ、暗くなる前に余裕をもって到着するのは、山では常識な事ですがね。
途中で同宿者にウイスキーを勧められて酒盛りとなるが、飛び込みは思った程におらず、定員ちょうどの15人で収まったみたいである。 ひとまず、『三角座り』は避けられたようである。
ちなみに、3時頃から強い夕立が降った事が、宿泊者が増えなかった原因かもしれない。
でも、小屋泊りで良かった。 《雪投沢》ならババ濡れになったかも。 雷も稲妻付きでゴロゴロなってたしィ。
今日は絶景を魅せましょうか・・
《4日目》 塩見小屋より下山
キチキチではないとは言え、狭い所(約10畳強)に15人は寝苦しい。 それに、お互い様だけどイビキ・寝言・鼻づまり気味の寝息もあったりするし。 逆に、ワテもイビキかいてたかも。
・・で、3時頃には、皆そろって目覚める事となったみたいである。 4時頃には、朝食前に山頂まで空身往復をする者と、小屋前でたむろする者に別れ、それぞれ散っていく。
ここは塩見岳の織りなすアートに
魅せられるべく「たむろ組」となろう
私は当然「たむろ組」である。 塩見岳の勇姿を添えての夜明けの情景を撮りたかったからである。
空は昨日の夕立を降らした雲が多く残っているものの、まずまずの天気。
かぎろいの空の下
南ア北部の山々が浮かんでくる
雲の切れ間から仙丈や甲斐駒、間ノ岳・北岳が見渡せる。 だが、肝心の塩見岳は頂上付近がガスに覆われて見えない。
北岳の方向が明るくなってきた
バスの発車時刻の14時までに《鳥倉》に降り着ければいい・・ということで、時間はたっぷりある。
ここはカメラ片手に、頂の雲が途切れるまで待つ。 日の出から粘り続けて待つ事約20分後、ついに雲が抜けてシャドーの塩見岳と天狗岩が鋭角に突き出すシーンをゲット。 まぁ、その成果は掲載写真をごろうじろ。
ガスで覆われていた
塩見の前衛の岩塔が姿を魅せた
塩見岳を覆っていたガス雲は
間ノ岳の方へ流れていった
代わりに北岳が姿を魅せてくれた
塩見の本峰を覆っていたガスが
朝の光で美しく輝き始めた
撮影に夢中になって朝の5時前から1時間半近く、フイルム2本を撮りきる。 朝の“お仕事”が済んだら、次は朝の“お通じ”だろう。 いうなれば、「これの為に小屋に泊る決断を下した」といってもいい位だったから。 さて、その“お通じ”だが、この小屋の『大』の処理法は、かなり工夫を凝らしたいい方法であった。
その方法とは、トイレの建物の中には洋便座のオマルが置いてあって、それにサニタリー袋をかけて、その中に用を足す。 後は用便袋となったサニタリー袋を付属のビニール紐で縛って、外の用便捨てにポイである。 ・・ん、待てよ。 これって、私がいつぞやに『思いのまま日記』に《山トイレ問題について》で書き記した方法と同じではないか。 違うのは、「管理者のいる山小屋で実行しているのか、管理者がいない野営地なのか」という違いだけだ。
他の宿泊者も皆、口を揃えて「これは、いいアイデアだ」と言っていた。 これを横耳で聞いていた私は「鼻が高い」よ。 是非にも、稜線の野営地でも試みて欲しいと願う。 例えば、この南アルプスでは《雪投沢》が格好の試験候補地となろう。
費用は登山口と伊那から入る登山者の全てが通る《三伏峠》の小屋で、全ての入山者から山中1日当たり1000円を徴収すればいいだろう。 なお、私のアイデアはリンクをクリックして読んでみてくれたまへ。
ついでに、その次の項目も読むべし(強制はしないけど)
間ノ岳を覆っていた雲が完全に晴れて
縦走路の尾根筋が見渡せた
間ノ岳からの縦走路が朝日を浴びて
モスグリーンの輝きを魅せた
念願だった南ア・最後の峰を踏破して、「できるだけ、山を汚さぬように・・ そして、できるなら、山を汚さぬように・・」という訓示も守る事もできたという事で気分も上々。 後は下っていくのみである。 出発時間は7時過ぎ。 地図上のコースタイムも6時間弱という事で、バスの時間まで1時間少々の余裕がある。
北岳と間ノ岳に掛かっていた
ガス雲が晴れて並び立つのが魅えたなら
そろそろ出発の準備に取り掛かろう
ここは、カメラ片手にのんびりと行こう。 漸く身体も山に馴染んできたようで、体調もかなりいい。 「今日くらい身体が軽ければ、ヘバらずに山に登れるかも」と自惚れるボケが、一人でほくそ笑んでいた。
あれだけ覆っていた雲が完全に晴れた
今日はすごぶるいい天気で、厚い雨雲に覆われたまま、前日までの3日間で一度たりとも拝めながった《荒川三山》が雲一つない完全無欠な姿で見渡す事ができた。 望遠レンズでみれば、中岳の避難小屋も確認できる。 「あぁ、半月前はあの山のあの稜線を伝っていたんだな」と思い返すと、なかなかに感慨深い。
この山行で初めて
荒川三山方向が望めた
体調がいいという事で、カメラ片手でもハイペースで下っていく。 途中のミヤマダイコンソウの群落(往路で「もうピークを過ぎた秋の花で、足を止める程の感慨も湧かなかった」と記したお花畑である)を撮ったりしながら《三伏峠》の小屋へ。
ミヤマダイコンソウが萎れていく姿は
夏の終わりを連想させるね
《三伏峠小屋》前到着は、9:40。 ここまで2時間半と、コースタイムの『下り3時間』を大きく切る好タイムだ。 でも、あまり早く着き過ぎてもバスの待ち時間が長くなるだけで、あまり利益はないのだが。
・・という訳で、小屋前で1時間近くタムロする。 そこに、ゼッケンをつけた下が半ズボンや、自転車レーサーなどが着るウエットスーツみたいなピチピチのスーツをはいた山岳トライアスロンに参加している連中が何人か通り過ぎる。 何でも、この《三伏峠》は通過ポイントらしい。 小屋前で小休止を入れる参加者の兄さんに、一緒に降りてきた登山者の数名が大会の概要をなどを尋ねていた。
兄さん曰く、「スタートは糸魚川の親不知海岸で、北アの栂海新道から槍・穂高を越えて、中央アルプスを完全縦走して、南も夜叉神峠から鳳凰三山を越え、白峰三山・塩見・荒川・赤石と縦走して光岳から寸又峡林道に下りて太平洋を目指す」というものらしい。 何でも、「2年に1回、この手の競技の有名人が音頭を取って参加者を募集し、大会を催す」との事である。
参加概要では競技中の事故に関しては『自己責任』との事だが、もし事故が起きたら人命を伴うもので、『自己責任』などと悠長な事はいってられないのだ。 山道を走るだけでも危険極まる行為なのに、動けぬまでに疲れたらツエルトを張って休むものの、制限時間をクリアする為に参加日程の大半は夜を呈して走る・・とか言っているのだから。
ヤマは走るモノではないし・・
でも、はっきりいって、「あまり」どころか全くもって『関心できない』競技である。 下半身裸のような状態で、山道を昼夜問わず走り続ける競技だそうである。 そして、到着の時間制限もあるという。
全てを8日以内で通過しないといけないらしい。 もちろん、電車・バス・タクシーなどの交通機関やヒッチハイクは即失格との事。
こんな岩峰を駆け下って・・
衝突する事を考慮しないのだろうか?
「山で走る」という事は、「他の登山者も巻き込む恐れが多分にある」という事を思い返して欲しい。
蹴つまづいて落とした石ころが他の登山者に当ったり、坂道を走っていて他の登山者に衝突したり・・という危険が多分にある事を認識してもらいたいのである。 これを認識できたなら、こんなバカげた大会など開く事など考えも寄らないと思うのだが。
そういえば、昨日も《塩見小屋》で、この大会の参加者が一服がてら『ペース配分』について話していた。
横耳を立てて聞いたなら、「《塩見小屋》から《三伏峠》までは1時間で着く。 足だけは痛めないように、踏みしめずに降りていこう。 今日は少なくとも《荒川小屋》まではいかねば・・」云々だった。
これを聞いて「コイツら、頭狂ったか?」と思ったよ。
こういう競技の参加者は
花を愛でる事はないのだろうね
小屋番の兄さんも、「我々としても、あのような大会はケガを招く危険が多々あって関心しませんね。
もし、事故が起きたら、それこそヘリコブターものですからね」と溜め息を着いていた。
そうなのである。 これは、他人を大いに巻き込む言葉の意味と真逆な『自己責任』なのだ。
他の登山者はこの参加者の兄さんに驚嘆や喝采の声を上げていたが、私はどうしてもしっくりとはいかず、ただ冷ややかな目で聞いているだけであった。 短パンで足むき出しのこの兄さんの足は、無数の傷と血の固まった痕が残っていた。 正直言って、「こうまでなってやるべき事なのか?」と問い返したかった位である。
そうこうしている内に《三伏峠小屋》での1時間チョイは過ぎ去り、11:00の出発予定時刻が近づいてくる。 《鳥倉》までの下山路は、前回の『荒川三山』と今回の往路の2度通っていて、「どこに何があるか」をほぼ把握しているので問題はない。 むしろ、ここで問題を起こすようなら、ちょっとヤバいかもしれんな。
いい天気は暑くなりすぎるのが玉にキズ
・・という事で、2時間かからずに下りきって、暑い最中の下界との接点である登山口へ降り着く。
到着は12:50。 バスまで、1時間半の待ち時間。 下のバス停は陽炎が立っとるよ。
今近づくと、たぶん溶けるだろうな。
・・で、登山口上にある植林の木陰の下で、のんびりとバスを待つ。 定刻通りにバスは来て、「ハイ終わり」なのであるが、ちょっとバス内で運転手とゴネた登山客のイザコザがあって、“いい終わり方”にはちょっと『水を差された』かな?
書くほどの事でもないが、たぶん運転手に輩った客は宗教か何かではないかねぇ・・と思う。
ゴネて思い通りに『直通利用者専用便』(途中下車扱いをしない便)に乗れたのに、降りてからも時間調整で止まるバスまでやってきて「客に対して態度がなってない」などとイチャモンをつけてたよ。
それに、バスの運ちゃんの顔写真まで撮ってたよ、何に使うのかしらん? 後は、高速バスと近鉄を乗り継いで帰るのみである。
勤務シフトが変わると
記事を書く休日が増えるが・・
残業代など収入は少し減る
どちらが得かよく考えて見よう!
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