2019-08-14 (Wed)✎
『日本百景』 夏 第391回 飯豊山(夕景・朝景) 〔山形県・新潟県・福島県〕
コレを魅たいが為にヤマに登る・・
飯豊連峰 いいでれんぽう (磐梯朝日国立公園)
福島・山形・新潟の三県にまたがる飯豊連峰は、主峰・飯豊山 2105メートル を中心に、最高峰の大日岳 2128メートル ・花の御西岳 2013メートル ・東斜面に幾筋もの雪量豊富な雪渓を持つ北股岳 2025メートル など、標高2000m前後の個性的な峰が並んでいる。 これらの山々は、豪雪地帯にそびえているので雪食が目立ち、特に主稜線東斜面は多量の積雪によって大いに削られて急峻な地形となっている。
一方、季節風によって雪が飛ばされて積雪が少ない西斜面は、あまり雪食の影響を受けず穏やかで、主稜線の山々は両面非対称の山容を示している。 この飯豊連峰も、東北の名峰と同じくアプローチが長い熟達者向きであるが、雪渓やお花畑を多く抱き、バリエーションルートも充実して登山心をくすぐられる山域だ。
・・魅力的な登山コースとして特にお薦めは、北股岳北東斜面に広がる《石転ビ沢大雪渓》を伝うコースだ。 このコースは、そこそこの登山経験が必要なバリエーションルートではあるが、長さ2.8km・標高差1000mの雄大な雪渓を直登する醍醐味を味わえる素晴らしきコースで、夏の飯豊登山のメインルートである。
飯豊本山~川入 下山ルート 行程図
行程記録 ※ メインサイトに記載している『飯豊連峰』のコースタイムと違うって?
仕方ないよ、全身の筋肉が脂肪に変わっちゃったから・・
《1日目》 JR米坂線・小国駅よりバス(1:00)→飯豊山荘前バス停
《2日目》 飯豊山荘キャンプ場(2:30)→湯沢峰(2:20)→五郎清水(1:10)→梶川峰
(1:40)→門内小屋
《3日目》 門内小屋(1:00)→北股岳(0:50)→梅花皮岳(3:40)→御西小屋
(1:20)→飯豊山(0:10)→飯豊本山小屋
《4日目》 飯豊本山小屋(1:25)→切合小屋(1:10)→三国小屋(1:40)→峰秀水〔水場〕
(1:50)→御沢(0:30)→川入集落より車(0:20)→いいでの湯よりバス
(0:25)→JR磐越西線・山都駅
これまで歩いて来た稜線を振り返る
そうこうして内に、何とか飯豊本山 2106メートル に登頂。 到着は13:15。 7時間以上かかったよ。 でも、そのほとんどがダレて潰した時間で、歩行時間は6時間程度じゃないかな・・と自己弁護に走ってみるデスと・・。
雲海が湧き立つ大日岳・・
ダイナミックな眺め
今日はピーカン照りで、大日岳が裾野まで見渡せる。 そして、今朝出発した《門内小屋》も、稜線にチョコンと乗っかっている。 あまりにも雪がなくて雪紋が山を飾る風情はないが、この分なら久々の山の夕景が見れるだろう。
陽が沈む前の
強烈な斜光が射し込んで・・
大日岳に連なる山なみも
黒光りの逆光から解放されて
夕陽のショータイムが始まる
頂上で感慨に耽ったフリをして、バテを解消するため1時間近くタムロし、残り10分を歩いて頂上小屋に向かう。 もう、この時点で、この頂上小屋でストップとほぼ決め込んでいた。 理由付けとしては、「山頂の夕景色が撮りたい」という事にしておこう。 「決して、もう歩くのはイヤだから・・という訳ではございません!」と言えない所に悲しいモノがあるが・・。
飯豊本山のテント場は
絶好のテント場なのだが
トイレが遠いので”使えない”
さて、頂上小屋についてテント場を確認したら、ここから300mも先にあるとの事。
そしてトイレは、300mを歩いて小屋前へこなければならない事を小屋番氏に教えられ、「コリャァ・・ 使えん」と、せっかくテント一式を担いできたにも拘らず小屋泊まりとする。 最近トイレが近い(血糖値が高いから水をよく飲むせいかも)ので、これはかなりキツいしね。
テント場とトイレが遠すぎるので
今日は小屋泊りとしたよ
小屋泊りを決め込むと、シュラフや今朝のカッパや中シャツ、テントなどを石垣に並べて乾かす。
ピーカン照りだから、見る見る内に乾いたよ。 ・・で、水を汲みに行ったり(水場まで往復15分)、干したものを叩んだり、夕飯の用意をしてそれを食ったりしながら夕景時を待つ。
いゃぁ、最高ですね。 言葉で上手く言い表す事ができないので、拙いウデの写真でも見てくんろ。
飯豊本山 夕陽のショータイム
斜光が弱まり一度色彩を取り戻したヤマは
再び夜の闇に包まれるべく影となっていく
:
いよいよクライクックスの始まりだ
ラッキーな事に飯豊本山の頂の
すぐ右に落日する様だ
落日は太陽が次の日に必ず会うべく
魅る者にその姿を植え付ける
儀式なのだろう・・
陽の光が照らす側も
徐々に夕景に染まっていく
そしてクラスマックス・・
クライマックスの時
陽の光が照らす側は
ヤマをかぎろいに染めて・・
そしてショータイムは
足早に幕引きをし始めた
幕引き・・
太陽の周りが急に暗くなり
ほんの1~2分で
陽の大半が雲海に没する
ショータイムが終わった
この日の日の出はアートだった・・
《4日目》 飯豊本山から川入ルートをイッキに下山
小屋は、昨日の暴風雨が効いたのか登ってくる人が少なく(今日登り始めで、即日に飯豊本山まで登ってこれる人はかなりの健脚である)、また稜線上”にいる人(昨日の暴風雨の中を登ってきた人)も少なくて、最も混むと云われる本山小屋も40人程度の利用だった。
だが、40人であろうと小屋利用の宿命として、『早く寝たもの勝ち』の法則が遺憾なく発揮されるのだ。 寝着くのにしくじったら、イビキの騒音や人があたる暑苦しい中で悶々と過さねばならない。
ちなみに、ワテは寝着くのにしくじったのである。 それは、日焼けした腕が熱ごもって熱く、それが気になって寝てられない状況に陥ってしまったのである。 もう、気温15度位だというのに、シュラフから出てTシャツと下ジャージだけで寝転がっていたのである。
初日に暴風雨に打たれ、次の日はピーカン照りに焼かれ、そして焼けた腕が熱くてシュラフから出て寝転がった・・となれば、当然風邪ひくわな。 という事で、下山したら風邪引いちゃいました。
でも、4時間程度は寝たと思うけど。
日の出前の情景
日の出前・・
得も言えぬ鰯雲が漂っていた
日の出が近づくと
空が紫から水色に変わっていく
それと同時に
鰯雲が少し崩れ乱れたようだ
月山や蔵王の方も
光が届いて視認できるようになる
・・で、朝4時起床。 この頃の考えとして、夏の朝は時間をかけたくないので火を使わない食事(パン)に切り替えている。 どうも、「朝の食事はモタモタしてイカンな」と感じていたものですから。
それに、今日は『山の夕景と朝景を撮る』べく《本山小屋》で留まってしまった(あくまでも、これが理由である)ので、下山の距離が増えた事もあって早発をしなければならないのである。
出発前の情景
大日岳と雪紋もまだ影を落として・・
これより下っていく道も
まだ見通せないほどに暗い
朝がパンで小屋泊りだとトップで便所に入れて、支度が済んだのが4:30。 これから日の出までのひとときは、カメラ片手にじっくりと素晴らしい情景に魅せられる事が出来るのである。
この情景も、やはり言葉で表現する事は叶わない。 これも、掲載写真をごろうじろ。
そして御来光シーン
そして御来光の時がやってきた
空に浮かぶ鰯雲が黄金色に輝いて・・
黄金色に輝いた鰯雲が元に戻ると
御来光シーンも幕引きだ
やがて陽の光は
橙色から黄金色の強い光に変わっていく
でも素晴らしい景色に足を止められて
なかなか下山が捗らない
山の朝景色が一段落つくまでに下りきると、約100mの登り返しだ。 でも、ようやく身体が“山慣れ”したのか、ノンストップのハイペースでこの登りをこなす。 このコブを越えて少し下ると、《切合小屋》が見えてくる。 でも、見えてからがなかなか着かない・・っていうか、いつまで経っても下りの歩行技術は上手くなりませんね。 何か、ものすごく時間がかかった錯覚を覚えながら、《切合小屋》に着く。
ここまで1:20。
《切合小屋》は水場が小屋前で、テント場も小屋の真裏で便所も近い。 でも、ここでは先程の縦走路のコブ山に遮られて、あの素晴らしい“山の落日と日の出”は絶対に拝めない。 という訳で、「ワテの判断は正しかったのだ」と胸を張ってみるデスと・・。
《切合小屋》を出て、すぐに《大日杉》へ下るコースと分岐するが、登り4:00で《切合小屋》に辿り着ける最短ルートらしい。 ヘタすれば、数年後はこちらが福島県側のメインルートになっていたりして。
バスの便とかあれば、絶対コッチ側に進路を取るな。
下る最中に魅た鰯雲
後は下る一方だから、そんなに書き記す事はない。 降りてゆく毎に・・、時間が経ってゆく程にピーカン照りとなり、キツい日差しで首筋や腕を焼かれる。 また風が生ぬるくなり、汗も噴き出してくる。
下りでの随一の難所
剣ヶ峰の岩場下り
:
岩がピーカンで熱せられて
触ると熱くて難儀したよ
荷が重く感じ、徐々に干乾びヘタッていくのが感じ取れる。 最も疲れたのは、やはり三国岳直下の《剣ヶ峰》の岩場下りだろう。 鎖場のレベルとしては何でもないものだったが、とにかくピーカン照りの中で日差しの遮りようがなく、しかも鎖場伝いなので長時間日照りに晒されるのだ。
何かが起こるような空だったが・・
:
その不吉は下でSLを撮る
『撮り鉄』の頭上に落ちたみたい
何でも地元の人とトラブルがあって
警察沙汰になったらしいし・・
もう、意識が朦朧となったよ。 ここでかなりヘタって、ペースがガタ落ちになった。
地図上で下り55分とあったが、1:20位かかっちゃった。
《剣ヶ峰》を下り終えて、ヘロヘロになって地蔵岳分岐に着く。 ここでザックを降ろしてみると、ザックのラバーがベットリと汗に濡れていた。 「コリャぁ、かなりやられたな」と思いながら、分岐の道標を見る。 分岐に立つ道標には、かつての記憶にない水場がある事を示していた。 「あれ? 昔はこんな水場あったっけかな」と思いながら進んでいく。
すると、もの凄くいい岩清水があるではありませんか! あぁ、時代は変わった。 以前は、こんな水場のある迂回ルートなんかなく、地蔵山を直登で結んでいたよな。 でも、今は格段に恵まれたルートに付け替えられている。
でも、ピーカン照りに焼かれた身の上なので、この水場はかなり“嬉しい”。 もう、我を忘れて“腹をタプンタプン”にしてしまう愚を犯してしまった位だしィ。 まぁ、いくら飲んでも、汗となって噴出すだけだけれど・・。
さてここからは、長坂線の《川入》行き普通列車だ。 停車駅は、《横峰》・《笹平》・《上十五里》・《中十五里》・《下十五里》・《御沢》・・、終点《川入》だ。 つまり、樹林帯の中に延々と続く坂をダラダラと降りるだけだ。 そして、その坂を下る暑さ辛さに対しての心の拠り所が、この停車駅が一つつづ減っていく事である。
何となくであるが、《上十五里》と《御沢》が交換駅として列車待ち想定が必要だろう(つまり、休憩して呆ける)と、運行計画を練る。 予想の運行計画!?通り、《横峰》と《笹平》は小駅で余力もあったから、通過同然に立ち去る。 しかし、《笹平》から《上十五里》が長く、到底0.7kmとは思えん。
案の定、疲れてしまって、予定通り《上十五里》で列車交換待ちの停車。 停車時間は約10分。
少し復活してまた《中十五里》・《下十五里》を飛ばしたが、休憩で復活した余力もここまでで、《下十五里》からカクンとペースが落ちる。 エンジンが焼けてオーバーフローが発生したようだ。
・・となると、なかなか着かない《御沢》駅に対しての逆恨みそのままの愚痴が出てくる。 “ブツブツ念じ”を唱えながらテレテレと下る“イヤイヤ下り”を続けていくと、フッと鳥居のある《御沢》駅が見えてくる。 到着は11:58。 所要は6時間45分であった。 登山道の案内板を見ると、飯豊本山まで13.5kmだって。 よくぞまぁ、歩いてきたもんだ。
こんな素晴らしい情景に魅せられました
でも、さすがに疲れて、《御沢》駅では両足を投げ出してベタ座り。 周りに、杉と栃の大木がそそり立つ木陰の中で・・。 この巨木は樹齢200~400年の県指定の天然記念物らしいが、今の私にはピーカン照りのキツイ日差しを遮る木陰としての利用価値しか頭になかったよ。 願わくば、蚊も防いで欲しかったが・・。
後は頭にタオルを被って、再びピーカン日照りの中の林道を終点・《川入》へ向けて歩いていく。
でも、昔あった《御沢小屋》は取り壊されて撤去されたのかな? 見られなかったけど。
取り壊されたのなら、かつて泊った事ある身としては、寂しい限りである。
御沢の登山口から4~500m行くと、登山者駐車場と事務所棟の立派なログハウスが建っていて、その前の駐車場には車が50台ばかり駐まっていた。 林道はその駐車場を突っ切っていくのであるが、その中を「乗っけてくれないかなぁ」という下心オーラ全開のフラフラ歩きで通過。 でも、誰も見向きもせんかった。 セチ辛い世の中じゃ。
キツイ日差しの中をヘロヘロ歩きで30分、林道が舗装に変わると民宿を営む民家がチラホラと見えてきて、程なく終点・《川入》だ。 林道を歩いている途中で車に2回抜かれたのだが、楽に抜かれるのは癪に障って道の真ん中を歩いてやろうと思ったのだが、小市民なのでやめた。←こういう所が“腐ったミカン”の所以である。
さて、《川入》の民宿でお風呂を仕立ててもらおう(前回降りた時は風呂を仕立ててもらった)と民宿を訊ねて周るが、今はどこもやってない・・との事である。 まぁ、7~8km下に“いいでの湯”という温泉施設ができているので仕方がない事だろう。
でも、ここで風呂を入れなければ、1日2本の駅へのバス便の最終便14:30発まで2時間のムダ&ヒマだ。
その上に、今日大阪に帰らねばならぬ身の上なので、風呂に入る事自体がポシャってしまうのである。
どうしてもひと風呂浴びたければ、究極の贅沢である“タクシー”を呼んで“いいでの湯”までいくしかないのだ。
でも、一度大雨に降られてタダ濡れになり、翌日にピーカン照りの日差しで無理やり乾かし、そして今日はピーカン照りの中を7時間歩いて汗まみれとなった繊維ズタボロのTシャツを着たまま、風呂にも入らす帰りの新幹線に乗ったならつまみ出されるかもしれないしィ。 つまみ出されないまでも、すれ違う人が全て避けてしまって、自由席が大混雑しても座れたりするかもしんないね。
・・という訳で、究極の贅沢を行使しようと民宿に電話を借りるお願い(携帯は圏外でした・・ 一番ダメな『柔らかい銀行』のモノなので)をしたら、《いいでの湯》まで乗っけてくれるって・・。
とても運のいい出来事だった。 民宿の方には大いなる感謝! これで、新幹線をつまみ出される事も、今日中に帰れなくなって職場に「スンマセェ~ン 拠所ない事情により帰れなくなりましたァ~」と泣きを入れる危険性も概ね回避できた。
車で送って頂いて、風呂に入って、昼飯にザル蕎麦食って、アイスクリーム食って、お土産買って、《いいでの湯》で川入を14:30に発車したバス便に乗ってJR山都駅へ。 でも、この1日2本しかない登山バスの下山便に、下山者が1人も乗っていないのにはたまげた。 こんなに利用率が悪いと廃止になっちゃうよ・・っていうか、全ての登山者が車利用なんだろうね。
山都駅に着いて、30分の待ち合わせで会津若松ゆきの蓬トッピングの食パン気動車に乗る。
車窓をぼ~っと眺めていると、デジタルカメラをぶら下げた奴らが見えただけでも2~300人はいた。
これを見て、「もしかすると、アレね」と直感的に判ったよ。 それはビンゴで、中には川の中に下半身を沈めながらハイ三脚を立てている根性者もいたよ。 このデジイチ達が何をしているかというと、磐越西線を走るSL列車【ばんえつ物語】を狙っているらしい。
まぁ、『○鉄』ではあるけれどSLには全く興味がなく、「あんなの撮るのはフイルムの無駄」との認識でいるワテには川に入ってまであんなものを狙う行動は全く理解できないが、「オタクの一念、岩をも通す」という事ではないでしょうかね。
ワテはSLではなく
この情景の虜になりますた・・
何かに取り憑かれたかの如く、明らかに目の色が違うコイツらの撮影の邪魔をしたりすれば、猛烈な罵倒が待っているかもね。 イベント列車(特にSL)が走る路線付近を散歩する地元の方は気をつけましょう。
後は郡山まで出て、東北新幹線と東海道新幹線を乗り継いで大阪へ帰る。
郡山から大阪まで所要4時間半はいいが、20000円は高すぎるぜ!
山岳ガイド本は信じるなかれ
危険な所がスルーされているし
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