2019-08-04 (Sun)✎
『日本百景』 夏 第390回 飯豊山縦走 〔山形県・新潟県・福島県〕
飯豊山のテント場より望む
朝の飯豊連峰稜線
飯豊連峰 いいでれんぽう (磐梯朝日国立公園)
福島・山形・新潟の三県にまたがる飯豊連峰は、主峰・飯豊山 2105メートル を中心に、最高峰の大日岳 2128メートル ・花の御西岳 2013メートル ・東斜面に幾筋もの雪量豊富な雪渓を持つ北股岳 2025メートル など、標高2000m前後の個性的な峰が並んでいる。 これらの山々は、豪雪地帯にそびえているので雪食が目立ち、特に主稜線東斜面は多量の積雪によって大いに削られて急峻な地形となっている。
一方、季節風によって雪が飛ばされて積雪が少ない西斜面は、あまり雪食の影響を受けず穏やかで、主稜線の山々は両面非対称の山容を示している。 この飯豊連峰も、東北の名峰と同じくアプローチが長い熟達者向きであるが、雪渓やお花畑を多く抱き、バリエーションルートも充実して登山心をくすぐられる山域だ。
・・魅力的な登山コースとして特にお薦めは、北股岳北東斜面に広がる《石転ビ沢大雪渓》を伝うコースだ。 このコースは、そこそこの登山経験が必要なバリエーションルートではあるが、長さ2.8km・標高差1000mの雄大な雪渓を直登する醍醐味を味わえる素晴らしきコースで、夏の飯豊登山のメインルートである。
2日目の行程図
行程記録 ※ メインサイトに記載している『飯豊連峰』のコースタイムと違うって?
仕方ないよ、全身の筋肉が脂肪に変わっちゃったから・・
《1日目》 JR米坂線・小国駅よりバス(1:00)→飯豊山荘前バス停
《2日目》 飯豊山荘キャンプ場(2:30)→湯沢峰(2:20)→五郎清水(1:10)→梶川峰
(1:40)→門内小屋
《3日目》 門内小屋(1:00)→北股岳(0:50)→梅花皮岳(3:40)→御西小屋
(1:20)→飯豊山(0:10)→飯豊本山小屋
《4日目》 飯豊本山小屋(1:25)→切合小屋(1:10)→三国小屋(1:40)→峰秀水〔水場〕
(1:50)→御沢(0:30)→川入集落より車(0:20)→いいでの湯よりバス
(0:25)→JR磐越西線・山都駅
雪と花の名峰・飯豊山を歩いてみよう
※ 別の時に撮った写真デス
《1日目》 飯豊山荘まで・・
初日の行程は、この山へのアプローチの際の(オチャメな)出来事ですので、『路線の思い出 第332回 米坂線・小国駅』に記す事にしました。 宜しければどうぞ・・。
さて、ここ数年は、まじめに夏のステージをこなしているな・・。 大峰・双門ノ滝の『弥山川ルート』、『奥大日への小さな山旅』、『白馬大雪渓から鑓温泉』を周遊するハードコースと、《茶釜ノ滝》のつもりが《雲上ノ滝》のオチャメに森吉山のハイキングを絡めた『東北名瀑めぐり』などなど・・。
そして、去年はハイグレードに、『南ア・最後の未踏区へ』と題しての小河内岳と蝙蝠岳への豪華2本立て・・と、まずまずの実戦経歴!?を挙げてきた。
それに勢いづいただけの“何の裏づけも根拠も無い自信”を引っさげて、例年通りにやります!『無酸素登頂』ならぬ『無訓練山行』を・・。 一応経験者で山の厳しさを知っているはずなのに、敢てナメた行動に終始する筆者に“天罰”が下るのは、この山行かもしれない。 ガンダム調に、“キミは、時の涙(筆者が大いに困窮して嘆く姿)を見る・・”
今のうちに存分に降るがいい
その後の絶景に魅せられるべく・・
※ 別の時に撮った写真デス
《2日目》 梶川尾根を伝って飯豊連峰稜線へ・・
夜半過ぎから夜明けの少し前まで、それなりの激しい雨が降ったようだ。 でも、起床の5時前は雨が上がっている。 「これは超ラッキー」と、急いで出発の準備をする。 何が「超ラッキー」なのかというと、台風崩れの低気圧が夜半過ぎに通り過ぎてくれたのなら、後は“台風一過”の晴天が期待できるからだ。
今日の朝まではこれを登る
爽快な山行に心を馳せていた
※ 別の時に撮った写真デス
始めは、《石転ビ沢雪渓》のルートを行くつもりだった。 過去に2度の経験もあり、割と“勝手知ったる”ルートである事と、山岳地図で破線表記のバリエーションルートであるとはいえ、8月も中頃となると上部の急傾斜域の雪渓は消えて“何でもない”レベルの坂となる事、そして登っている間が涼しく体力的にかなり割引があるので、迷わずこのコースを取る計画だった。
だが、昨日にテント場のロッジ管理人氏から雪渓の状況を聞き、修正を余儀なくされる。
「今年はあまりにも雪がなくて、入リ門内沢は大きく高巻いた上に沢の徒渉だよ」との事。
高巻きはともかく、夜半からの雨で沢が増水している事も考えられるから、もしかしたら“沢で往生”って最悪のケースも想定される訳である。 また、雪渓に取り付くまでのヘツリの部分も雨で地場が濡れると、滑って転落の危険も増す。
ここは、雪がない為に“限りなく不透明”な状況の《石転ビ沢雪渓》よりも、尾根を伝った方が確実性があるな・・と判断して(お~っ! ちょっとはマトモな事言うじゃない・・、このタワケ)、《梶川尾根》を伝うルートを取る。 でも、出来る事なら、この《梶川尾根》だけは登りたくなかったのである。
心臓破りの坂・・なので
勇猛な弁慶に通づるベンケイソウおば・・
:
そんなムリクリなこじつけ
やってて恥ずかしくないか?
それは、このルートが別名『心臓破りの一般ルート』と呼ばれる位にキツイルートで、私自身は帰りに下りで使った事があるのだが、下りでさえも炎天下で焼かれて軽い脱水症状を感じた経験(顔の横に冷や汗が滴り出る状態)があるからだ。 そして、その時に見た登高者が完全にヘバってダウンして、水場の所でテントを張ってビバークしてたのを見たような・・、見なかったような・・の記憶がある。
まぁ、とにかく、ルートはこの《梶川尾根》か《丸森尾根》しかない。 《丸森尾根》は幾分楽(こちらも下山の時に利用経験あり)なのだが、杁差岳へ行くならともかく飯豊本山の方向なら少し大回りが過ぎるので、選択肢としては《梶川尾根》以外にはないだろう。
5:40位に登高開始。 雨は止み、空は限りなく曇天であった。 考えようによれば、のっけからこのキツい急坂を登るのにピーカン照りだと、直に干上がってしまう。 なので、この尾根を登るにあたっての条件としてはベストなのかもしれない。 始めは順調に登っていくが、息が切れ出した頃から、いつもの如く上半身がタダを捏ね出した。
でも、下半身は今までの実績がモノを言ってか、至って順調だ。 ふくら脛が突っ張る事も、コムラが攣る事もない。 だから、ゼイゼイハーハーと息が切れる毎に立ち止まらねばならないが、『歩く歩幅と速さは、登り始めとさして変わらない』という矛盾に満ちた歩行ペースでゆく。
まぁ、ウサギとカメのウサギのような感じで、ドバッと歩いては2~3分立ち止まる・・というのを繰り返していった。 で・・、「ある程度登ったろう」、「少なくとも水場までは1時間以内の所までは来ただろう」と“都合の良い事”が頭を支配し始めた頃、道標の立つ峠地形の広場に登り着く。
ここでザックを下ろし、地図を「見るんじゃなかった」。 《湯沢峰》、標高1000mちょっと。
予想では少なくとも1300mは登っている感覚だったから、その失望感と心理的ダメージはかなりデカい。
コバイケイソウ
有毒な花なんだって・・
水場どころか、「梶川峰まであと650mもあるんかい!」と思わず喚いてしまった。 でも、下がアレだけ山奥なのに標高400m程度しかない・・という事実にも愕然とした。 やはり、雪渓コースは尾根直登に比べて、標高差が気にならない程に楽なルートなのだ。
そう言えば、雪渓を登高してヘタった記憶ないもんな・・。 バリバリの体力あった最盛期(放浪旅に出ていた時)は、5時出発で10時半には《梅花皮山荘》に登りついていたしね・・。 今、時計は8時過ぎ。 この上半身のヘタり具合だと、かつての10時半に《五郎清水》の水場まで辿り着けるかも怪しい雰囲気になってきた。
それに、水も1.5リットルだけでは足りないやも知れない。 その時は、水場で補給するしかないが・・。
とにかく、水場で水を補給するまでに残り500mlは残さねばならないし・・(もし、水場が枯れているなどの一大事になったら目も当てられんし)。
雪渓ルートの方が楽なのに・・
※ 別の時に撮った写真デス
この湯沢峰からコブを乗り越えるが如く軽く下って、またそれなりの傾斜で登っていく。
そして、次のポイントである《滝見場》に到達するのだが、それなりに歩いてそれなりに登った負荷が身体に圧し掛かっているにも拘らず、地図上での標高差は僅か100mちょっとしか登っていない。
「このコース、明らかに北アや南アの標高差100mの倍のキツさがあるぞ」。 「剱の《雷鳥坂》の標高500mは、去年で1時間20分で登れたぞ! それなのに、ここでは何故だよぅ」と『嘆き(時の涙を見る)モード』に突入していく。 ちなみに、この《滝見場》は梅花皮ノ大滝を望む展望所であるが、「今はそれ所ではない!」と付け加えておきましょうか。
こんな感じで雪渓が見えるのだが
今回は滝が増水して濁流になってたよ
※ 別の時に撮った写真デス
もう、立ち止まりだけではダメで、“育ちのいい”平たい岩を見つけては腰をかけて“いっぷく”する。
だが下半身は、情けない“脂肪まみれの上半身”と違ってまだまだ健在なので、歩き出すとドバっと進み出す。 やがて、ワテの憐れな上半身に情が移ったのかどうかは知らないが、空が泣き始めてきた。
ポツポツの小降りはいたって短く、すぐに大泣き(本降り)となってきたよ。
カッパを出そうと思ったが、Tシャツは既に汗で絞れば滴り落ちる位にベタ濡れだったので、そのまま雨に打たれたまま登り、そして座り休憩を交えていく。 ちなみに、下は始めからカッパである。
そうこうしながら、《湯沢峠》から2時間20分という時をかけて、ようやく水場の《五郎清水》に着く。
着いたその姿は雨に打たれるままに、川に飛び込んだが如くズブ濡れとなっていた。 予定通り500ml残した水は、水場が健在なのを他の登山者が汲みに行く姿で確認してから一気に飲み干す。
ウメバチソウ
前田家の家紋という事で・・
山の水は100万石に匹敵する貴重なモノ
:
気でも痴れたか・・ このタワケ
水場は冷たく良い清水が湧き出しているのだが、ちよっと登山道からは遠い。 しかも雨の中、ヤブとルンゼを伝ってかなり下に下りていかねばならない。 ヘタッている身には結構キツい。 でも、まだ梶川峰まで標高差にして300mあるので、行動水は絶対に必要だろう。
でも、これほど苦労してまだ標高1400mなのね。 下から1000mの登高か。 5時間もかかったよ。
でも、感覚と疲れの度合から推し量ると、裕に北岳一本分(標高差1600m)は登っているんだけどなぁ。
《五郎清水》で1リットル程汲みなおし、ズブヌレのTシャツを脱いで上半身素肌になって、その上にカッパを着る。 そうでもしないと、蒸れて不快この上ないから。 そして、Tシャツを絞って(絞る事で1リットル位の水が出た)ザックに入れる。 それでも雨水を含んでいるので、荷はかなり重くなったよ。
しかも、雪渓用に持ってきた10本爪アイゼンの1.5㎏も、無用の荷だ。 これでカメラが壊れて5㎏のガラスとプラッチックと鉄クズになったなら、もう泣き叫ぶよ。
カメラがガラスと鉄と
プラッチックのクズとか化す
;
コレ・・実際に遭遇すると辛いよ
by 経験者
※ 別の時に撮った写真デス
さて、荷は重くなったが少し体は復活して、梶川峰へ最後の登りとなる。 この梶川峰にさえ登ってしまえば、もうさしたる登りはない。 キツい登りはなくなるが、今日だけの『特別御奉仕』があるのは後ほど語るとしようか。
相変わらず、どこかの岩に坐っては“ドバッと歩き”を繰り返すペースでゆくが、ズブ濡れとなった肌着を替えたのが良かったみたいで、ヘバりながらも順調に登っていく。 そして、ようやく何の感動もなくいきなり飛び出る感じで、梶川峰 1692メートル の殺風景な標柱サークルの上に出る。
もう、あまりにも感慨がなくて、あれだけ登りでは無意味な座り休憩を繰り返したにも関わらず、ここは立ち止まる事なく通過。 なので、到着時刻はハッキリ見ていない。 たぶん、正午前後だと思う。
梶川峰を過ぎると過去に通った記憶の通り、稜線上の広い砂礫帯を緩い傾斜で行くようになる。
また、マツムシソウやツリガネシャジンを中心としたお花畑もチラホラと見え始める。
だが稜線に出た事で、時折吹っ飛ばされそうなく位の暴風雨がアゲインストで吹きつけてくる。
これが、先程に予告した「今日のような荒天の日だけの『特別御奉仕』」である。
でも、ここまでズブ濡れとなり、ヘタるだけヘタったので、「もう、今更の暴風雨位」と開き直れる。
現に、暴風雨が吹きすさむ中、“少しでもバテを解消する為に”との名目で、平らな岩に腰掛けてパンをかっ食らっていた位である。 暴風雨の中でパンをかじる経験って、そうそうないと思うから貴重な体験だと思いますよ。
イワイチョウ
パサパサのパンで「イワ(す)イチョウ(胃腸)」
アァ・・モノ投げないで下さい
パンはパサパサであまり美味くなかったが、前を向くと勝手に雨水が口の中に入ってくるので、先程に《五郎清水》で汲んだ水は必要なかったりして。 でも、本当の限界ってヤツはキチンと把握できてますからご心配なく・・。 山では笑える貴重な体験(いわゆる『オチャメ』)を、かなりの数かましておりますので。
実際にビバーク経験もあるし。 ダテに沢でカンズメにあったり、沢でムーミンになったり、波に捲かれて血まみれになったりしてませんって・・。←タワケだから、これ位しか自慢する事ないの。
さて、あまり美味くなく、前を向くと勝手に口に入る雨水で水っぽいパンだったが、とにかくカロリーは取った。 そして、何となくであるが、バテとヘタリも消えてきた。
絶景に魅せられると
疲れを忘れるのと同じ・・かな!?
飯豊山と落日
疲れというのはやはり“気持ち”が大きなウェートを占めるもので、暴風雨の中での行動に考えを集中させると、“疲れ”に気をまわす事がなかった・・というか、疲れていた事を忘れていたかのような錯覚さえある。 まぁ、実際の話、今回のバテ・ヘタレというものはこの程度のものだったんですね・・と、自己弁護してみるデスと・・。
やがて、主稜線との交点となる《扇ノ地紙》という所に出て、ササに覆われた回廊のような縦走路を行くようになる。 これは暴風雨が避けれるからラッキーと思ったが、最後の最後に門内小屋の手前で大岩を巻くヘツリ場が現れて難儀したよ。 岩場の足元が細い所で、下からの突き上げ暴風雨が吹き上げるんだもの・・。 普段は何でもない岩場なので鎖などはなく、風に煽られるとヤバい場面だった。
何でも、そこが《門内小屋》の水場らしい。
ここは、「水は何とかなるが、風に煽られて吹き飛ばされたら何ともならん!」と、これを越える事だけに集中する。 3点支持のトラバースで、暴風雨が吹きつけるタイミングを計って、ヤッコさんが吹きつける間は、ガッチリとホールドできる場所で凌ぐ。 風が弱くなるタイミングで、ゴキブリのようにカサカサと移動する・・といった案配だ。 何とか2度の“凌ぎ”だけで伝い渡る事ができて、伝い渡ると小屋の建物が見えてきてひと安心。
でも、小屋の前でモーレツな横突風が吹いて、一瞬身体を飛ばされたよ。 ザックの荷と滲みこんだ雨の重さも加味して、100㎏近い(言っとくが、ザックの重さは20㎏超で雨水を含めて2~3㎏増大しているので、決して体重が0.1トンに近い訳ではない!)身体を吹っ飛ばすんだから、瞬間的には風速25~30m/s位はあったんでないかい?
小屋に入ると、先行していった人を含めて15名ほど避難していた。 皆、予定では《梅花皮小屋》であったが、この暴風雨の中で稜線を伝うのはちとヤバ過ぎるので、文字通り“避難小屋”のお世話になっているって寸法だ。 ワテも“右に倣え・・”で避難小屋に御厄介になる。 到着は13:20頃。 行程時間は、7時間40分だった。
着いたら、即効乾いた服に着替えて昼寝。 台風の如くの暴風雨で、小屋はビシビシと唸っていた。
やっぱり、台風崩れの低気圧は、佐渡ヶ島でシンカーをかけて曲がってきたのね。
まぁ、今日を乗り切ったから、明日は『台風一過』のいい天気だろう。
鬱陶しい雨も翌朝晴れたなら
『水滴の芸術』を魅せてくれるのデス
《3日目》 飯豊連峰稜線を遊歩して飯豊本山へ・・
朝起きたら、何とか暴風雨は治まっていた。 だが、霧雨が降る生憎の天気。
便所の重なりや、カッパや干した衣類の事で出発が遅れ、小屋を出たのは6時ちょうど位か。
たぶん、出発はブービーかラストだったと思う。 まぁ、グズグズする事で、天気の回復を待っていたという側面もあるが・・。
霧雨とも霧ともつかない中、盛夏のシーズンなら滅多に着る事のない中シャツを下着代わりに着て、その上にカッパを着る。 まぁ、衣類を濡れて潰すのは『日に1枚』の作戦だ。 これが潰れても、まだ防寒着として持ってきたジャージの上と丸々新品の下着セットが一枚ある。
これで、最悪でも今夜は新のTシャツとジャージが確保できるし、明後日の下山は行動中なので、素肌にカッパでもいい訳だ。 「一見アホのようだがスゲー考えてるな、この筆者(タワケ)は・・」と思ってもらえると嬉しいよ。
3日目の行程地図
さて、昨日の暴風雨の記憶覚めやらぬ今朝・・という事で、荷物は水を含んで重たいままだ。
だからか、やはり足取りは重い。 約1時間程で、飯豊連峰の北部で最も高い北股岳 2025メートル の頂に着く。 誰もおらず、霧が立ち込める寂しい頂上風景だった。
ここまでずっと雨でこのショットが
この山での「写真コト始め」だったりする
ちなみに、ここでの写真が今回の山行でのファーストショットとなる。
・・という訳で、今までの掲載写真はほぼ全て『使いまわし』であるのは、筆者の苦渋たる事情という事で。
北股岳を下っている最中に、「何か雲間に太陽の丸い光が見えてきたような・・」、「でも、相変わらず濃い霧だし・・」、「先に進む事に専念するか」と、ブツブツ言いながら下っていく。
この光景には我を忘れたよ
昨日の大雨に打たれた“体験者”だもの・・
すると白霧の世界から、バックライトに輝いた《梅花皮小屋》が視界にいきなり入ってきた。
何とも言えない熱い光景だ。 そして、山を覆う白霧が幕を引くが如く“サァ~”と晴れて、逆光に黒光りする梅花皮岳が現れてきた。 何とも言えないシブい光景だ。
北股岳を降りていくと
サァ~と霧が晴れていった
朝露を浴びて輝く
マツムシソウの虜となった
ついでにこれから暑くなる事が確実だし、台風一過の晴天を利用しない手立てはないだろう・・という事で、今日出発した時に着ていたカッパと中シャツを脱いで、昨日の雨の中で濡れに濡れたTシャツに着替える。 このTシャツの状況は、絞ればまだ水が出る“生乾き以前”のシロモノだ。 だが、着て歩いている内に乾いて使えるだろう・・と踏んだのである。
予想は的中し、写真を撮りつつ《梅花皮小屋》へノタクタと歩きついた時には、完全なドピーカンとなっていた。 これよりこのドピーカンの中、梅花皮岳への登り行程となる。 当然暑い。
だが、濡れて重いTシャツの分の荷が軽くなって、しかも暑い状況に冷たい濡れ下着・・という、なかなか好条件を演出できたのである。
天気の変わり目を直に目にする興奮・・
これで、難なく梅花皮岳 2000メートル は攻略。 今は8時前。 この山行で、初めて地図のコースタイムを上回った瞬間だった。 たが、付け焼刃の勢いはこの場限りであったのは言うまでもないが・・。 梅花皮岳から《石転ビ雪渓》を見たが、ほんとに雪がない。 ヤバい位に・・。
コレがこの年の《石転ビ沢雪渓》上部の状況
見事に雪がない
普段は雪渓に囲まれて“鼻”の形を呈している《中ノ島》と呼ばれる丘が、完全に露出してたもの。
何ていうか、《石転ビ雪渓》を知っているワテからすれば、雪渓のこのような姿はあまり見たくはなかったかも。
お花畑と雪渓の斜面
これより写真銀座となるし・・
さて、梅花皮岳からは、カメラを首にぶら下げていつでも写真が撮れるようにして歩いていこう。
ここからは急激な登降はあまりないから。 路傍には、マツムシソウやニッコウキスゲ・ヨツバシオガマ・ハクサンフウロ・ウメバチソウ・イブキトラノオ・イワベンケイ・イワイチョウ・コバイケイソウ・・と、秋口の花が咲き競っていた。
シシウドか?
ヨツバシオガマ
イブキトラノオ
また、天気の急速な変わり目による“より戻し”とでも言うが如く、時折急激にガスが立ち込めたり、その霧を吹っ飛ばすべく突風が吹きつけたり・・とめまぐるしい。 昨日、台風崩れの低気圧が直撃した事を物語る天候の変わり目である。 たぶん、これから張り出す高気圧との気圧の差が、かなり開いているのだろう。 そして、発生する気圧のせめぎ合いが、このような情景を創り出したのだと思う。
烏帽子岳を借景に
マツムシソウを狙ってみた
やがて、烏帽子岳 2018メートル を越え、池塘や二重稜線の中を緩く上下しながら進んでいく。
以前も歩いた事があるが、以前と違うのは路傍にほとんど残雪が見られない事であろうか。
あぁ、以前と決定的に違うのは、体力の差と歩行時間だったっけ。 前は《梅花皮小屋》と大日岳の往復を8時間でこなしたんだっけ。
御手洗池
稜線上には池塘が点在する
でも今は、《天狗ノ庭》でもう10時半。 これから、前回は何とも思わなかった天狗岳への登りが待っている。 水の消費量も前の倍だ。 そして、昨日の雨に打たれたTシャツは雨での濡れは完全に乾いたけれど、汗によって局所的にヘトベトになっている。 飲んだ水が全て汗になったみたいだ。
まだ、身体から余分な血糖が抜けきってないのかな? だって、上半身のみタダを捏ねる状況は変わらないから。
御西小屋手前の万年雪渓
飯豊随一の冷たい水だ
・・で、連日ヘロヘロとなって、《御西小屋》に着く。 11:30の到着。 ここで持参した1.5リットルの水を全て飲み干し、御西の水場で補給しなければならないハメとなる。 もうダレていたし、御西の水場は歩いて7~8分かかるので、この《御西小屋》では、30分近くの大休止となった。 ここで思い浮かんだのが、今日の“終点”の場所だ。
予定通り《切合小屋》まで行くか、《飯豊本山小屋》でストップするか・・である。
もう、大日岳往復の計画は、《梅花皮小屋》の前で霧がサァ~っと晴れたように見事に霧散したよ。
飯豊・大日岳はタワケの
ヘタレゆえに霧散したので
迫力あるそのお姿をお魅せする事で
・・許してネ
御西岳は、どこが頂上か判らないなだらかな丘だ。 その丘に向けて、雲一つないピーカンの刺すような日照りが照りつけてくる。 肌は見る見る内に赤く焼けて腫れ上がり、頭を焼かれまいと首に掛けていたタオルを頭に被ったもんだから、素肌を晒した首筋に日照りが刺さって、輪をかけるようにダレてヘタっていく。 昨日の暴風雨に、今日のピーカンの日照り地獄。 かなり、縦走条件としてはキツいオーダーだよな。
イイデリンドウ
これを目にしてカメラを
取り出さないのはウソでしょう
ザックを下ろして、マクロレンズを取り出すしかね~じゃないか! ここで撮影をハショると、何の為に5㎏のガラスとプラッチックのまじった鉄クズをもってきたのか分らんようになるっていうか、最初に飯豊を歩いた時はカメラが壊れて4㎏の鉄クズと化していたし・・。
一輪咲くニッコウキスゲとお山の情景
頂上に一本の道標が立つあの高みへ・・
そうこうして内に、何とか飯豊本山 2106メートル に登頂。 到着は13:15。 7時間以上かかったよ。 でも、そのほとんどがダレて潰した時間で、歩行時間は6時間程度じゃないかな・・と自己弁護に走ってみるデスと。
このピーカン照りで
搾れば水が出たTシャツが
『ごわテックス』な繊維となってたよ
今日はピーカン照りで、大日岳が裾野まで見渡せる。 そして、今朝出発した《門内小屋》も、稜線にチョコンと乗っかっている。 あまりにも雪がなくて雪紋が山を飾る風情はないが、この分なら久々の山の夕景が見れるだろう。
※ 続きは『第391回 飯豊山・夕景』にて・・
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No Subject * by 鳳山
飯豊連峰、名前だけは知っていましたがこういうところなんですね。恥ずかしながらずっと「いいとよ」だと思っていました。飯豊まりえの影響大です(笑)。
Re: No Subject * by 風来梨
鳳山さん、こんばんは。
> 飯豊連峰、名前だけは知っていましたがこういうところなんですね。恥ずかしながらずっと「いいとよ」だと思っていました。飯豊まりえの影響大です(笑)。
幼い頃の私は、「めしゆたか」とそのまま読んでいました。 それが九州の『筑豊』に充てられて「めしほう」と呼んでました。
「いいで」と読むのを初めて知ったのは、旧国鉄が上野~会津若松~新潟に急行【いいで】を運行していたのを知って、その急行【いいで】を載せた写真集の解説文で、「この急行列車の名称の由来は飯豊連峰から・・」とあった事ですね。 確か、小学校5年生頃だったかと・・。 その本の名前はコロタン文庫の『急行大百科』です。
> 飯豊連峰、名前だけは知っていましたがこういうところなんですね。恥ずかしながらずっと「いいとよ」だと思っていました。飯豊まりえの影響大です(笑)。
幼い頃の私は、「めしゆたか」とそのまま読んでいました。 それが九州の『筑豊』に充てられて「めしほう」と呼んでました。
「いいで」と読むのを初めて知ったのは、旧国鉄が上野~会津若松~新潟に急行【いいで】を運行していたのを知って、その急行【いいで】を載せた写真集の解説文で、「この急行列車の名称の由来は飯豊連峰から・・」とあった事ですね。 確か、小学校5年生頃だったかと・・。 その本の名前はコロタン文庫の『急行大百科』です。