風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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私の訪ねた路線  第35回  内子線

『私の訪ねた路線』  第35回  内子線 〔愛媛県〕
 

笹まつりと栗の名所を示す
内子駅スタンプ
 
《路線データ》
     営業区間と営業キロ       輸送密度 / 営業係数 (’83)
    五郎~内子 10.3km         456   /  1237
                     輸送密度 / 営業係数 (’15)
                      3833   /   148       
運行本数 
       現在、予讃本線(伊予市~伊予大洲)のバイパス路線化
       特急列車多数運行  詳細は時刻表を見てください
 
   《路線史》
元々は予讃本線の支線である盲腸線で、廃止対象年次の輸送量も人キロ/kmで500足らずと、国鉄再建法の廃止転換対象の1次路線に選定される水準であった。 だが、路線名称や建設目的によって命運が決まった不運な路線もあれば、この内子線のように本線のバイパス線となり幹線化する『出世路線』も存在するのである。

だが、現在は駅や施設が全て規格化された殺風景な路線となり、かつての風情を追い求めるならやはり“廃止されたもの”と捉えるのが正解かもしれない。 かつて、ワテが憧れた“ローカル線”たる内子線は、木造駅舎や古ぼけた気動車が行きかう素朴な雰囲気を魅せた路線であったから。
 

 

おお・・、バス窓タイプの20系気動車
内子駅付近にて
 
   《乗車記》
この路線の乗車記は、もちろん廃止対象になってもおかしくない盲腸支線時代の事である。 
正直言うと、幹線化されてからは乗った事がないのである。 なぜなら、今のワテで鉄道利用を想定するなら石鎚山の登山か、その裏側の御来光の滝という事になるが、これらのアプローチ駅である伊予西条は伊予大洲よりも東側で、伊予大洲まで鉄道に乗る必要がないからだ。
 
まぁ、内子線を使ったバイパス線の完成で支線化した予讃本線の海線区間には下灘という撮影名所があるみたいなので、また機会があれば行ってみようとは思ってはいるが。 それでは、かつては伊予大洲の次の五郎駅から出ていた盲腸支線に乗ってみよう。
 
今のバイパス線は、五郎駅の手前で伊予大洲方向に向きを変えて五郎駅を経由しないようになっているが、以前は伊予大洲への方向に背くように五郎駅に入線し、ここでスイッチバックして伊予大洲に向かっていたのである。 そして、内子線の全列車が伊予大洲行という訳ではなく、むしろ半数以上が五郎駅発着だったのである。
 
そしてこの五郎駅は、かつてのアイドル・野口五郎にあやかっての入場券が売れた経歴だけが全てのようなローカル色満点の駅だった。 もちろん、ローカル線ではあるが一路線の分岐駅であったので、駅員もいた。 だが、今は駅舎は取り壊されて待合室さえ設置されず、内子線発着のホームも線路が剥がされて“ものの哀れ”の情景が漂う駅となっていた。
 
さて、この駅より発車する内子線列車は、キハ20の中でも古参車の『バス窓タイプ』が就任していたようである。 列車は伊予大洲方向に向かって進み、五郎駅を出るとすぐにカーブして左へ分かれていく。
大きくカーブして、国道56号と併走するようになると新谷に着く。 周囲は田畑と国道56号とぼちぼちと集落がある程度の在り来たりの田舎風景だ。
 
次の喜多山も、同じような眺めの棒線駅だ。 駅舎としての変化を見るなら、終着の1つ前の五十崎であろうか。 かつての駅は妻面が入口の寺子屋のような木造駅舎で、夏の蝉が鳴く姿がイメージに合いそうな感じであった。 だが今は、見るも無残な『棒線駅化された待合室さえナシの停留所』という成れの果てとなっている。
 

こういうのが『駅』なんだよね
今は無き、旧線・内子駅にて
 
そして、次の終点内子も、断然昔の方が『駅』であった。 木造駅舎に何も手を加えられていない広い駅前ロータリー、そして駅舎の裏側は資材置場が点々とある昔ながらの『駅』だった。 だが、今は特急さえ止まる高架駅で、高架の下に土地のイメージである土蔵風の駅舎をはめ込んでいるが、高架の下に土蔵矢倉といった時点で『センスの無さ』を感じてゲンナリしてしまう。
 

このスタンプ図案も
旧駅舎ならイメージに合うのだが
 
古き良き鉄道の面影は、やはり旧線の付替→事実上の旧線の廃止でなくなってしまったのだ・・と改めて感じる情景が新線のそれにあったのである。 

   ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『内子線』を御覧下さい。
 
 
 
 
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No title * by オータ
ワタシも乗っていますし、キハ20の写真も撮ったはずです。バス窓タイプかどかは意識してませんでしたが…

No title * by 風来梨
キハ20って、思ったほどに撮ってないのですね。
キハ22と違って、私の鉄道写真最盛期には淘汰され始めていましたから・・。

だからあるのは、中学時代の写真ばかりです。 アングルも今イチですね。

No title * by tom
こんにちは
バス窓タイプにキハ20系列も日本中いたんだと思いますが、小生もあまり撮っていません。記憶にあるのは美祢線と高千穂線位です。

No title * by 風来梨
tomさん、こんばんは。

キハ20は非力な上に傷みが激しかったそうで、キハ20系列の最初に淘汰が始まったみたいですね。 また、配属された本州・四国・九州はキハ58やキハ40、キハ47という代換車両も充実していたので、廃車にしやすかったみたいです。

だからでしょうか・・、私の鉄道撮影最盛期の昭和58~59年頃は、キハ20はほとんど消滅していましたね。 だから、私もキハ20は四国位しかないし、バス窓はこれしかないですね。

コメント






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No title

ワタシも乗っていますし、キハ20の写真も撮ったはずです。バス窓タイプかどかは意識してませんでしたが…
2011-07-02 * オータ [ 編集 ]

No title

キハ20って、思ったほどに撮ってないのですね。
キハ22と違って、私の鉄道写真最盛期には淘汰され始めていましたから・・。

だからあるのは、中学時代の写真ばかりです。 アングルも今イチですね。
2011-07-02 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

こんにちは
バス窓タイプにキハ20系列も日本中いたんだと思いますが、小生もあまり撮っていません。記憶にあるのは美祢線と高千穂線位です。
2013-01-14 * tom [ 編集 ]

No title

tomさん、こんばんは。

キハ20は非力な上に傷みが激しかったそうで、キハ20系列の最初に淘汰が始まったみたいですね。 また、配属された本州・四国・九州はキハ58やキハ40、キハ47という代換車両も充実していたので、廃車にしやすかったみたいです。

だからでしょうか・・、私の鉄道撮影最盛期の昭和58~59年頃は、キハ20はほとんど消滅していましたね。 だから、私もキハ20は四国位しかないし、バス窓はこれしかないですね。
2013-01-14 * 風来梨 [ 編集 ]