2019-06-29 (Sat)✎
路線の思い出 第324回 奥羽本線・後三年駅 〔秋田県〕
後三年駅
建て替えられて
駅らしくなくなったような・・
※ ウィキペディア画像を拝借
後三年駅(ごさんねんえき)は、秋田県仙北郡美郷町飯詰字東山本にあるJR東日本・奥羽本線の駅である。 駅名の由来は、一帯が後三年の役の古戦場であった事からである。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線ホームを有する駅で、互いのホームは跨線橋で連絡している。
横手駅管理の無人駅。
2013年に開催される秋田デスティネーションキャンペーンと、それに向けて前年に開催されたプレデスティネーションキャンペーンを見据えて、秋田を訪れる観光客を綺麗な駅舎で迎えるべく、地元の美郷町との合築で駅舎の建て替えが行われた。
後三年の役古戦場であることにちなんで、駅舎は武士の兜をイメージしている。
外観は回廊や連子窓などを設置し、白壁、黒格子、丸柱で落ち着いた雰囲気を表現している。
ギャラリーとして後三年の役を解説するパネルなどが展示されている。
この駅・・、降りた事はなく、混んで座れずに立席となった電車の窓から眺めた駅構内の絵看板が妙に印象に残って、プーの山を放浪していた時に車で立ち寄ったんだよね・・。 当然、この駅にはその絵看板を見に訪れただけだったので、駅舎の写真も撮ってないし、切符も買ってないし、駅ウォッチングもしていないのである。
やっぱり『駅』って
こういうのを言うのだと思うし・・
※ ウィキペディア画像を拝借
ついでに言えば、ただ立ち寄っただけなので、駅の由来である『後三年の役』の御当地である金沢柵跡も行ってないのである。 まぁ、近いといっても駅から約4km程離れた小山の上が柵跡なので、行く予定でも立てねばなかなか行けるモノではないし・・ね。
その妙に印象に残った看板をネットの画像検索で探してみても、その印象に残った看板はいっさい出てこなかったのである。 画像検索で出てきたのは、ワテの守備範囲外の平安時代末期の絵巻物チックな「カワイクない」武骨な武者絵だったのである。
武骨な武者の合戦絵巻・・
ワテとしては眼中にない絵だったよ
※ JR東日本の旅広報ウェブサイトより
でも、ワテが印象に残ったのは、源氏物語の光源氏顔負けの「盛り過ぎだろ~!」という位のこの合戦の主役・八幡太郎義家のビジュアル系アニメ絵が描かれた絵看板であったのである。
そして記憶では、『後三年の役』の史実説明が看板に記されてあったと思う。
でも、Googleの画像検索でキーワードを変え、「後三年駅が記憶違いで別の駅かも・・」とも考えて周辺の駅をも巻き込んで検索しても、一向にその絵看板は出てこなかった。 そして最後は「『後三年の役』が思い違いで、その絵は御当地・秋田のビジュアル系絵看板として描かれる可能性が高いもう一人の歴史的著名人・小野小町だったかも・・」と思って画像検索を調べまくったが、全く該当するモノは出てこなかったよ。
こんな感じの
痛い位に「的外れ」な絵だったよ
※ まんが・日本歴史絵巻より
そのビジュアル系の八幡太郎義家の絵は、『まんが・日本歴史絵巻』に描かれたこの絵とほぼ同一の絵柄だったのですね。 まぁ、武人である八幡太郎義家が光源氏ばりの色恋沙汰を催すキャラでないので、『後三年の役』や『八幡太郎義家』を描く看板としては大いに「的外れ」なのだろうけど・・。
ちなみに、ワテがヤマ旅放浪をしていた25年位前はまだ普通の国鉄時代からの駅舎で、このビジュアルな八幡太郎義家の絵看板もあったよ。 だから恐らく、あまりにも「的外れ」だから撤去されて今の武骨な看板となったんだろうね。
あれから25年という時が経ち、それ以来当地に赴く事もないので、あの看板が撤去されたがどうかを知る術はないのだけれど・・。
駅と違う方向に盛り過ぎな
内容になっちまったよ
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