2019-06-15 (Sat)✎
『日本百景』 夏 第381回 奥深き峰・赤石南嶺 その1 〔長野県・静岡県〕
南アルプスの更に奥深く・・
豊かな緑に囲まれた秘峰へ
’14・ 7 名峰次選 アルプス八千尺制圧作戦!?より・・
関東制圧編(何を制圧するのだろうか、このタワケ〔筆者〕は・・)はオチャメ率100%だったものの、目的の2峰(和名倉山・女峰山)はクリアして『結果』としてはまずまずであった。 この結果を踏まえて「歳を重ねて体力が消え失せ、筋肉がメタボ脂肪に変わっても何とかなるじゃない!」と、顔がほころぶ能天気満開のタワケ〔筆者〕であった。
その裏付けの全くない余裕と自信を抱いたタワケ〔筆者〕は、更にステップアップしたムズくシンドイ山を目標に掲げてしまう。 もちろん、目標達成の為の鍛錬や努力は一切ナシで・・である。
まぁ、今までもこれで結果を残しているのだから、筆者の悪運の強さは並大抵のモノではないのだろうね。
それに〔名峰次選〕の全峰制覇を志すなら、このムズくシンドイ未登峰の頂を踏まねば、いつまでたっても目的の達成はないのである。 そしてこういう事は、踏ん切りをつける事が全てなのである。
即ち、自らに枷をハメて気持ちを追い込まねば、物臭さ極まるタワケ〔筆者〕の事・・、恐らく生存中の達成はできないだろうし・・。 それが、『本年中の日本一の標高の山での本願成就』である。
丹沢山にて【名峰百選】全踏破
かなり滑稽だが思いっきりミレニアムだったのよ
1999年12月31日だもの・・
まぁ、【名峰百選】の時は、丹沢・蛭ヶ岳にて1999年12月31日の達成という『ミレニアム』をカマしたし・・。←コレって、結構スゴい事なのでは!?
さて、その「更にステップアップしたムズくシンドイ山」というのが、今回の南北アルプスの縦走路から外れた位置にある2500m前後の峰々である。 これらの峰々はメイン登山ルートより外れているが故に、頂上までの歩行距離が長かったり、山小屋などの設備が皆無であったり、水場が乏しかったり・・で、テント装備必須の登山レベルでいうなら中級より上の健脚向けのレベルの山々なのである。
それを、『目標達成の為の鍛錬や努力は一切ナシで・・』を信条にしている大タワケが行くのである。
コリは、今回はどんな『オチャメ』に遭い対しますやら。 今回も、バテた筆者の「時の涙を見る」モードによる、責任転嫁な呻き声が山中に響き渡る事だろう。
黒薙の大崩壊地から望む
双耳峰・池口岳
梅雨の制裁!? 暴風雨に見舞われた南ア南嶺・池口岳
「道を2回も間違える」やら「廃道然の道をルートに選ぶ」という『死亡フラグ』につながりかねないオチャメをかましながらも、『二峰踏破』というまずまずの結果に慢心となった筆者は、残る峰で北海道のペテガリに次ぐ難関峰にリトライを目論む。 それは山中に小屋はなくテント必須で、しかも水場がなくて生活水を持参せねばならない南ア・赤石南嶺の池口岳の踏破である。
この池口岳は難関峰である事に加えて、『日本のチロル』と陰口を叩かれる酷(国)道152号線の秘境・遠山郷へのアプローチも厄介で、金曜勤務明けに出発しての土日を使っての1泊2日山行はかなりキビしい行程となるのである。
それは今の「金さえ惜しまねば」であるが、高速道路で時間短縮が可能な日本列島各地において、高速が通ってない区間を100km以上行かねばならないのだ。 これは、かつての『放浪』時代なら「よろこんで!」であるが、週末登山の限られた時間内となると結構シンドいのである。
・・で、東名高速の豊橋を下りたの21時前でその後は下道(一般国道)を行くが、日付が変わった深夜12時でも遠山郷には着かず、睡眠時間を確保する為に手前の阿南町の『道の駅・信州新野千石平』でストップとなった。 この『道の駅』は、6月の終わりに池口岳を踏破しようと出たが、雨に降られて断念(高速代とガソリン代がイタイ←ワテの車は高燃費車)して引き返した時に仮眠に使ったので把握していたのである。
赤石南嶺・池口岳 登山ルート行程詳細図
行程記録 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 『道の駅・遠山郷』より車 (0:35)→池口岳登山口 (2:40)→黒薙
(1:30)→ザラ薙の頭 (0:10)→ザラ薙平〔露営地〕
《2日目》 ザラ薙平〔露営地〕 (1:30)→加加森山ジャンクション (0:40)→池口岳(北峰)
(2:00)→ザラ薙平〔露営地〕 (1:20)→黒薙 (2:00)→池口岳登山口より車
(0:35)→『道の駅・遠山郷』
《1日目》 チロルの里よりザラ薙平露営地へ
翌日はこの『道の駅・千石平』を6時過ぎに出発して、1時間近くかかって計画上の起点となる『道の駅・遠山郷』に着く。 この『道の駅』は、温泉クアハウスのある「使える」道の駅だ。
ここで行動水の補給など、登山の下準備をして出発。
『道の駅』から《フォッサマグナ縦貫酷道》のR152を行くが、かつて『日本のチロル村』と云われた旧上村(現在は飯田市に編入)地域を行くので、『道の駅』を出てからほんの1km足らずで離合困難の狭隘道路となる。
この地域にとっては《フォッサマグナ酷道》のR152よりも、今朝に阿南町の『道の駅・千石平』から通ってきた《日本三大酷道》のR418の方がメイン道路のようである。 まぁ、R418とて、「落ちたら死ぬ!!」の看板で名を馳せるが如く胡散臭さは同等なれど・・。
そのR152で遠山郷の集落を見下ろすまでに坂を上り、その上りきった所にある1日2本ほどのバス停の前に60°の鋭角の細い曲がり角(遠山郷からだと切り返しをせねば曲がれない)がある。
これが池集落から池口林道への入る道のようである。 後は、かなり状態の悪い林道を20分ほど詰めると『登山口モドキ』な所に出る。
池口岳避難小屋
思ったより使えそう・・
着いた時は登山口だと俄に信じがたく、更に奥を行って泥濘にハマって車がドロドロの泥坊主になる小オチャメ(自爆)をかましてしまったが・・。 まぁ、通り過ぎたおかげで、登山口から300m先に「微妙に使える・・かな?」の避難小屋(畳と暖炉はあれど、水場ナシでトイレは300m先)があるのを発見したし。 でも、使う事ないだろうね。
避難小屋の内部
道の駅で車寝よりいいかも・・
:
でもトイレがね・・
さて、先程に『登山道モドキ』と記したが、周囲を見渡すとこれ以外に登山口はなさそうな位の登山口だった。 頼りないハシゴ階段で土手を登ると、その上に『池口岳登山口』と記された丸太ポールが立っていたし。 まぁ、車の運転席目線だと樹に隠れて見えなかったけど。
車を3台ほど駐車できる小荒地(地面はボコボコに穴が開き、駐車適地とはお世辞にも言えない)の端に車を止め、放置されたトイレで小用を足して(この便所で『大』ができるなら、大した度胸だ←遠山郷の『道の駅』で絞り出してきたし・・)から登山開始。 道は予想に反して明快な一本道で続いていて、登りの傾斜度もそれ程にキツくなかった。 まぁ、傾斜が緩い分、頂上までの距離が長いのだろう。
登りが思ったよりキツくないとはいえ、水の入手が難しいので1泊2日の山行を凌ぐ分の水を担ぎ上げねばならないのである。 その水の量は3.5リットル=3.5kgで、水をを含めた荷の重さは23.5kgに達しているのである。 ワテの限界点は25kg(この重量を超えると、身体が拒絶反応を起こす)なので、これを超えないように山行前のパッキングに腐心したのである。
それはもう衣服をカットしたり、食料も軽いパンを選択したり・・と、足掻きまくるのである。
それでも、写真『床』(写真界を席巻するのが写真『家』、その底辺をナメクジのように這いずり回る『床』がワテ・・)を自負する『カメラ野郎』なので、望遠レンズは持っていったよ。
道は判り易く明快な一本道で、道標のリボンも完備していた。 こんなマイナーな山で道標リボンが『花ざかり』とは、この様子では結構ワテのような『ナンチャッテ』な山ノボラーも多く来るのだろうな。
この山でトラブルに巻き込まれたら、初心者ならヤバいよ。 まぁワテは、数々のオチャメ体験があるのでシブトい(このシブとさを称して『ゴキブリ並の生命力』と云われている)けれど。
森の中の一本道を抜けると
歓声を上げたくなるような明るい草原地帯に出る
森の中の一本道を伝っていくと、徐々に傾斜が増していく。 やがて森林帯を抜け出たのか、周囲は明るい草原地帯になっていく。 黒薙の頂上付近まで登りつめたようだ。 思えば、この山行で最も恵まれた環境の中を過ごした時間帯なのかも。 その通り、これより徐々に雲が漂い始めて、最後は『オチャメ』となる事をこのタワケ(筆者)は知る由もない・・のである。
この日差しに輝いて眩いばかりのライトグリーンの草原帯を詰めると、稜線上に出る。
稜線上から望むと見事なまでの非対称な山で、尾根筋の東側は完全無欠に大崩れを起こした薙となっていた。
標高1837mの黒薙の源頭から
1000m以上の薙を魅せる黒薙の大崩落
もちろん、草一つ生えない不毛の薙で、転げ落ちたら底まで行ってしまうだろうな。
そしてその薙の向う側に、逆光に黒光りした池口岳の主峰がそびえたっている。
遥かなる双耳峰・池口岳とスカイライン
これが今回の一番星かも・・
「まだまだ遠いなぁ・・」と、汗を拭きつつカメラを取り出してひと休み。
この山行で最も充実したひとときであった。 明日にここで『オチャメ』な目に遭う事は、素晴らしい山岳風景に酔っているタワケには知る由もなかった。
左側は鬱蒼とした森
右側は1000mを越える
大薙の崩壊地形を魅せる黒薙頂上
この東側が薙落ちた尾根上を200mほど伝うと、少し草地側に入って黒薙 1837メートル の頂上サークルにたどり着く。 頂上サークル上は樹木に覆われていて、展望は先程の薙となって切れ落ちた尾根上の方が断然良い。 薙った尾根上で思う存分に身体を伸ばしたので、ここはほとんど休憩も取らずに先に進む。
視界に入る山の名が
指摘できぬ程に深い山域なのだ!
この赤石南嶺は・・
ここまで信じられない事に、コースタイムの3時間を20分もアンダーでやってきている。
「余裕があるので、少しゆっくりと行こうか」と余裕をかますと、途端に足が遅くなったりして・・。
ある珍しい植物を撮る為に幾度となく立ち止まったとはいえ、次の《ザラ薙平ノ頭》までの1:10のコースタイムを30分もオーバーしちまったよ。
単体だと「不気味なコマクサ」
と言った所か・・
その『ある珍しい植物』とは、ギョリンソウである。 茎から花弁からの全てが透き通った白を魅せていて、怪しい雰囲気満点の植物だ。 まぁ、厳密にいえば菌根を形成する腐生植物で、花というより茸に近いかもしれない。 これを撮るのに、これまた熱中したのである。
群れるとムーミン谷の
ニョロニョロを連想させるね
それは樹木の隙間よりの木漏れ日に当たって銀色に輝く、この怪しい植物に魅せられたからだ。
背丈が10cm程で、しかもジメっぽい土床からムーミンに出てくる『ニョロニョロ』のように生えているので、荷物を下ろして胡坐をかいて・・でないと撮りきれないのである。 もちろん、マクロレンズ装着で撮る瞬間は『息を止めて』である。 その戦果は以下の掲載写真をごろうじろ。
ギョリンソウ
:
何とも不可思議なブッタイ
もはや植物ではなく生物なのかも・・
・・で、黒薙よりザラ薙平までのスパンを乗り越え、ほとんど森の中に真新しい看板の立つ《ザラ薙平ノ頭》に着く。 時間は12:40・・。 23.5kgを担いで登山口から4時間チョイは、今のヘタレには奇跡である。
《ザラ薙平ノ頭》の頂上より少し先に進むと樹林帯を抜け出して、西側が草付で東側がこれまた大きく切れ落ちた薙の尾根上を歩く。 でも、登山道=歩行トレースが薙の縁にピッタリと着くなど、登山者の多い人気の山岳コースでは有得ないデンジャラスさがあるね。 やはり、マイナーな山だからなのだろうね。
味わい深い
ザラ薙平からの眺め
これよりは尾根の西側に広がる草原帯を見渡して、幕営適地を選定する『仕事』をせねばならない。
出発前に見たガイド本では「《ザラ薙平》は草原地帯で幕営適地である」と記されてあったが、見た感じそんなに草原ぽくなかったのである。 ただの草付だった。 ガイド本を見て「山上大草原での夢の一夜」を想像していたので、少し期待外れであった。
10分程降りてトレースが薙の縁から少し内側に入ると、ちょっと雰囲気のよさそうな木々に囲まれた草原帯があり、そこを今夜の宿地と決める。 時間は12:56。 23kgを担いだにしては、好タイムでないかい!? でも、こんな完全無欠に何もない所にテントを張るのは久しぶりだねぇ。
テント場となるザラ薙平の草原
記憶を辿ると、南アの蝙蝠岳を攻めた時に《北俣岳分岐》で幕営して以来か。 いや、あの時は他に一張りあったので、完全無欠は日高の《七ッ沼カール》以来12年ぶりだね。 12年ぶり・・という事は、最盛期に近かった頃だね。 「・・ってぇと、今回の水運びのワザは最盛期のワテに通ずる大ワザだったのね」と、無意味に気が大きくなって誇らしげな気分になる頭が花札の『ボタンと蝶々』状態のワテであった。
昼飯に菓子パンを食って、テントの中でひと眠り。 あぁ・・、早く着くと、こんなキツイ山域でも、こんな余裕を持つ事ができるんだね。 先程も記した通り、周囲は『草原』というには物足りないし、薙となっている南方は完璧な崩壊地形だし、山は隠れて眺望は今イチで寝る以外にする事ないのだが・・。
明日は、いよいよ難関峰の池口岳を踏破する。
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涙ぐましい努力をしていまっす
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No Subject * by 根室大喜
登山する人の快楽がわかりません^^)食い物の快楽は知っていますけど
Re: No Subject * by 風来梨
根室大喜さん、こんばんは。
> 登山する人の快楽がわかりません^^)食い物の快楽は知っていますけど
まぁ、人それぞれに楽しみと好き嫌いがあるので・・。
言うなれば、私が芸能人に貢ぐが如く、金を払ってまでコンサートに行ったりするのがわからないように・・。
> 登山する人の快楽がわかりません^^)食い物の快楽は知っていますけど
まぁ、人それぞれに楽しみと好き嫌いがあるので・・。
言うなれば、私が芸能人に貢ぐが如く、金を払ってまでコンサートに行ったりするのがわからないように・・。