2019-06-15 (Sat)✎
路線の思い出 第321回 大糸線・信濃大町駅 〔長野県〕
いつの間にか駅舎が改装されてたのね・・
でも・・改装前の駅舎しか記憶にナシ
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’17)
松本~糸魚川 105.4km 5691 / 176
電化区間運行本数(’17)
松本~信濃大町 上下とも1時間毎1本
松本~有明・穂高に区間運行有
信濃大町~南小谷 10往復〔上り最終便は快速〕
松本〜南小谷 新宿より直通の特急【あずさ】1往復
信濃大町駅(しなのおおまちえき)は、長野県大町市大町仁科町にあるJR東日本・大糸線の駅である。 大町市の中心駅で市街地に位置し、駅前は商店街が形成されている。 JR東日本によると、2017年度の1日平均乗車人員は1,283人との事。
東京からの特急も停まる駅だから
10両編成でも停車できる長い駅ホームだ
※ ウィキペディア画像を拝借
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の2面3線のホームを有する駅で、駅舎に面する単式ホームが1番線、島式ホームが3・4番線となっている。 2番線はホームのない留置線である。 互いのホームは跨線橋で連絡している。 駅構内のはずれに、蒸気機関車が現役のころに使用された転車台が残っている。
特急列車を含む全列車が停車するほか、普通列車のほとんどが当駅を始終着としている。
当駅以北は輸送密度が大きく低下する事から、ほとんどの列車がワンマン運転となり、夜間滞泊もある大糸線の要衝となる駅である。大糸線内では起点の松本駅に次いで利用者数が多い。
直営駅であり、管理駅として細野駅 - 簗場駅間の各駅を管理している。 駅舎内部にはみどりの窓口、自動券売機、自動改札機がある。 また、コンビニエンスストアと駅そば屋がある。 駅舎は2010年の改装により、屋根の形状などを変更して山岳都市をイメージした山小屋風となった。 改装には長野県産杉材を使用している。
信濃大町駅名板
あまりフイルムで撮ったのが
祝・ブログ掲載となったよ
信濃大町は、言わずと知れた北ア登山の玄関口となる駅である。 だが、『黒部立山アルペンルート』の開通と整備により、今やヤマというより観光ルートとして、明らかに「登山は目的外」のいでたちをした観光客が闊歩する大観光地となってしまった感がある。
そう・・、富山駅から富山地鉄の立山駅を経て、ケーブル・高原バス・トロリーバス・ロープウェイ・地下ケーブル・トロリーバス・路線バスを連ねて信濃大町へ山を縦断する事が、観光のメインルートとなっているのである。 その観光客のいでたちを見ると、かつて戦国の武将・佐々成正が越えたザラ峠(「さらさら越え」と言われている)の苦難も、もはや逸話となってしまったのである。
一応・・ヤマ屋さんのワテとしましては・・
だが、「ナンチャって」ではあるが山を志すワテとしては、この『黒部立山アルペンルート』を通らずに剱沢雪渓から黒部別山の峠(ハシゴ谷越)を越えて、黒部渓谷・下ノ廊下を伝って黒部ダムに抜けるルートで越えている。 その時の様子はコチラとコチラ。 ヘタレ編はコレとコレ。←過去記事を見てもらいたくて、このように無意味なリンクを貼る浅はかなタワケ(筆者)。
”ヤマ屋”の本能・・という訳で
雪渓を載せてみました
まぁ、これは”ヤマ屋”の本能から・・ではなく、『黒部立山アルペンルート』を全て使って踏破すると、富山から信濃大町を経て富山に戻ってくるまで15000円かかってしまうという、「銭が絡む事」が本当の理由だというのは藪の中に。
さて、話は脱線したが、駅に関する話に戻すとしよう。 この信濃大町駅であるが、毎年の夏山シーズンに運行されていた夜行急行【アルプス】があった時代は使い手があったが、今は”ヤマ屋”の立ち位置からしても、さほど便利ではないのだな。
なぜなら、アルピコ交通(変な名前のバス会社だ)が、登山口の扇沢直通の夜行高速バスを運行して、夜明けに登山口に着くのである。 即ち「バスを降りたら即登山開始」が適うのである。 でも、狭いバスは眠りに着くのに苦労するけど・・ね。 そりゃあ・・もちろん、広い車内でぐっすり眠れる夜行列車が運行されてたら、迷わず鉄道を使ってくるよ。 だってワテ、鉄道でも「ナンチャって」な『○鉄』だもの。
それに、今の車社会となって久しいからなのか、駅前の商店街はワテのような『バックパッカー』系のコスイ”ヤマ屋”には優しくない店屋ばかりで、コンビニや大衆食堂などは駅前に見当たらないのである。
そう、コンビニ・銭湯・コインランドリー・ホカ弁・大衆食堂といった『放浪旅・五大必須アイテム』は、みな駅から500m程離れた国道沿いにあるのだ。
右端のポケット状のスペースに
ほとんどみやげ品しか置いてないキオスクがある
※ ウィキペディア画像を拝借
だから、ヤマに登る前の買い出しや、ヤマから下りてきての列車待ちの際の食料調達がやりにくい駅なのである。 まぁ、駅そばやとみやげ品屋・・ちょっとだけコンビニのキオスクしかないので、松本ですぐの乗り継ぎの場合は名古屋まで食い物に有り着けないのである。
駅そば屋はあるが・・
※ グーグル画像を拝借
それか「一か八か!」、駅から300m先で発見したスーバーで惣菜弁当を買い込む以外にないのである。 バスから列車の乗り継ぎは結構シビアなので、スーバーまでの「一か八か!」に後れをとると、戻る時間が1時間以上遅くなってしまうのである。
ヤマから下りてきた時の駅との絡みを語ってきたが、この信濃大町駅での思い出は、やはりヤマにまつわる出来事なのである。
山頂で朝日に輝く花々を
撮るまでは予定通りだったが・・
それは白馬から鑓温泉を周るルートで下山したのだが、ヘタリにヘタって下山が17時を過ぎてしまったのである。
下るのが遅いのに
写真を撮るのにかまけてるから
最終バスに乗りそびれたりして・・
普通ならばゲームオーバー(この日の内に大阪に戻れない)となって登山口でビバークとなるのだが、運良く一緒に下山した方(一緒に下山したというより、ワテのあまりの下山の遅さに不安を感じて付き合ってくれたのが真相)の車で信濃大町まで送ってもらったのである。
でも、信濃大町に着いたのは18時半過ぎ・・。 もう、大阪に戻れる時刻の松本からの特急【しなの】には間に合わず、ゲームオーバーが確定していた時刻である。 「このままでは翌日は欠勤となっちまう」と、駅置きの時刻表で長野・松本~大阪の夜行高速バスを当たるが、全て空席無の全滅。
まぁ、飛び込みで夜行バスの席が取れるほど甘くはないのである。
「万事窮すか・・」と思った矢先、ある素晴らしい案を思いついたのである。 それは、「信濃大町から糸魚川に出て、そこから急行【きたぐに】で出ればOKじゃないの!」という、絶妙な帰版方法だった。
この方策を思いついた時、「ワテって、なんと頭がキレるのだろう!」と自分を最大に褒め称えたよ。
急行【きたぐに】を思いついた時
ワテの頭に満開の花が咲いたよ
もう、スキップ足で『みどりの窓口』に入って、急行【きたぐに】の急行券と北陸周りの大阪までの切符を所望する。 だが、この年は2007年の夏ヤマシーズンだったのである。 そう、この一ヶ月後にこの事をすっかり忘れて「オチャメ再び」をこの駅で繰り返したのはヤブの中に・・。
たぶんこんな感じで
キップを所望したと思う・・
※ 2ちゃんねるより拝借
スキップ足で『2ちゃんねるのクマー』のように喜び勇んで急行【きたぐに】の切符を所望するタワケに、『みどりの窓口』のオペレーター氏は、「急行【きたぐに】は中越地震で運休中ですよ」と淡々と語った(ホンネは「またアホなのが来やがった!」と思った事だろう)のである。
これで僅かな望みも断たれて。完全にゲームオーバーとなった。 それで仕方なしに大糸線での『常連宿』である頸城大野駅で駅寝と相成りました。
ヤマから降りての常宿はこの駅
もう5回も駅寝してるよ
常宿のその理由は
この広い間取り・・
当時はガラケーだった(まだスマホは出回ってなかったと思う)し、電波も一番ダメな「柔らかい銀行」製だったのでアンテナが立たず、駅の公衆電話で明日の欠勤の申告をしたよ。 連絡して欠勤の理由を申告した時は、「アホや~!」の大爆笑の渦だったよ。
大いなる笑いを提供した
タワケの翌日の行動は
アジサイと木造駅舎とボロキハを
撮る『撮り鉄』だった
売上(アクセス数)を上げねば
営業所(ブログ)の閉鎖も有り得る訳で・・
:
・・で 買って下さい!
と営業をかけてみる
- 関連記事
スポンサーサイト
Re: No Subject * by 風来梨
風旅記さん、こんばんは。
> 大糸線の北側の各駅は、本当に静かですね。最終列車が行ってしまえば、翌朝までは姫川の流れの音だけの世界ではないでしょうか。
> 最後に訪ねたのは、キハ52形が走っていた最後の頃を最後の頃、もう何年経ちましたでしょうか。今では車両は変わりましたが、沿線の雰囲気はきっとそのままなのではないかと思っています。
> 思わぬ形での朝からの撮影、せっかくならばお気に入りの一枚は撮れましたでしょうか。
> 風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
大糸線の非電化区間はいつもヤマから下りた時に撮りに行くのでいつも「適当撮り」で、なかなか気に入ったのが撮れないでいます。 キハ52の頃も雪解けの姫川を背景に撮りたかったのですが、撮りそびれてしまいました。 田圃の水鏡も、風が吹いて滲んでしまいましたね。
その時の写真と記事が下のURLです。
https://furai58.blog.fc2.com/blog-entry-1064.html
残念なデキで、いつかリベンジしたいな・・と。
> 大糸線の北側の各駅は、本当に静かですね。最終列車が行ってしまえば、翌朝までは姫川の流れの音だけの世界ではないでしょうか。
> 最後に訪ねたのは、キハ52形が走っていた最後の頃を最後の頃、もう何年経ちましたでしょうか。今では車両は変わりましたが、沿線の雰囲気はきっとそのままなのではないかと思っています。
> 思わぬ形での朝からの撮影、せっかくならばお気に入りの一枚は撮れましたでしょうか。
> 風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
大糸線の非電化区間はいつもヤマから下りた時に撮りに行くのでいつも「適当撮り」で、なかなか気に入ったのが撮れないでいます。 キハ52の頃も雪解けの姫川を背景に撮りたかったのですが、撮りそびれてしまいました。 田圃の水鏡も、風が吹いて滲んでしまいましたね。
その時の写真と記事が下のURLです。
https://furai58.blog.fc2.com/blog-entry-1064.html
残念なデキで、いつかリベンジしたいな・・と。
管理人のみ閲覧できます * by -
大糸線の北側の各駅は、本当に静かですね。最終列車が行ってしまえば、翌朝までは姫川の流れの音だけの世界ではないでしょうか。
最後に訪ねたのは、キハ52形が走っていた最後の頃を最後の頃、もう何年経ちましたでしょうか。今では車両は変わりましたが、沿線の雰囲気はきっとそのままなのではないかと思っています。
思わぬ形での朝からの撮影、せっかくならばお気に入りの一枚は撮れましたでしょうか。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com