2019-05-05 (Sun)✎
路線の思い出 第313回 信越本線(現 えちごトキめき鉄道、しなの鉄道)・妙高高原駅 〔新潟県〕
リゾート駅・妙高高原駅
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83) 運行本数
高崎~横川 29.7km 19098 / 182 時刻表を見てください
篠ノ井~長野 9.3km
直江津~新潟 136.3km
計 175.3km
※ 横川~軽井沢 11.2kmは1997年10月1日の北陸新幹線の長野までの先行開業に伴い廃止
軽井沢~篠ノ井 65.6kmは同じく北陸新幹線の先行開業に伴い、《しなの鉄道》に移管
長野~直江津 2015年3月14日75.0kmは北陸新幹線の金沢までの延伸開業に伴い、
長野~妙高高原の長野県内の区間は《しなの鉄道》に、妙高高原~直江津の新潟県内の
区間は《えちごトキめき鉄道》に移管されている
妙高高原駅(みょうこうこうげんえき)は、新潟県妙高市大字田口にある、えちごトキめき鉄道・しなの鉄道の駅である。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線を有する駅で、単式ホーム西側に面して駅舎が所在し、両ホームは跨線橋で連絡している。 えちごトキめき鉄道が管理する直営駅で、えちごトキめき鉄道としなの鉄道の共同使用駅となっている。 2017年(平成29年)度の1日平均乗車人員は282人である。
2015年3月14日に北陸新幹線の長野駅~金沢駅間が延伸開業したのに伴い、それまでJR東日本が運営していた信越本線の長野~直江津が並行在来線として経営分離され、長野県側がしなの鉄道、新潟県側がえちごトキめき鉄道へ移管された。 駅の施設はえちごトキめき鉄道へ移管され、両社の境界駅となっている。
赤に塗り替えて使用してるみたい
※ ウィキペディア画像を拝借
移管前の信越本線は当駅がJR支社境で、以南が長野支社、以北が新潟支社の管轄で、新潟支社が当駅を管理していた。かつては特急「あさま」「白山」などすべての優等列車が停車する主要駅であったが、特急「みのり」の廃止以降、当駅を発着する定期運転の優等列車は設定されていない。
冬季はスキー・スノーボード等のウインターレジャーで賑わい、夏季は豊かな緑に囲まれるリゾート地、妙高市妙高高原地区にある。また新潟県内の鉄道駅としては最南端に位置している。
今回取り上げるこの駅では、鉄道に関わる思い出はない。 無理矢理に鉄道の事を絡めたなら、先程運行を終えて引退した国鉄型の特急電車が白に深緑色の帯の塗装で快速〔くびき野〕として走っていて、それに乗った位である。
あの頃は国鉄型特急車両が
格落ちしまくってたなぁ
※ ウィキペディア画像を拝借
それにこの頃は鉄道より心が離れていた山放浪期で、今にして思えば鉄道マニア羨望の的な列車に乗っていたのですね。 まぁ、鉄道を追っかけてた時から特急車両にはあまり興味がなかったので、もちろん写真は撮ってません。
では、この駅でどんな思い出や体験があるかというと、筆者(タワケ)に有りがちな『オチャメ』ネタなのである。 それは、時に日本全国の山を訪ねては放浪していた頃で、泊りは下界なら車寝、山中ならばテントを張って野宿で、建物に泊るとしたら山中の無人の避難小屋・・という「宿泊に極力金を使わないバージョン」で日々を送っていたのである。
この頃は日本全国の山々を放浪してますた
もちろん食事も、放浪旅に出る前に食糧やインスタントラーメンなど約1ヶ月分を買い込んで車に積んでいたので、即飢えるような事はなかったのである。 だが、毎日こんなではひもじく感じるので、週に一度位はホカ弁や大衆食堂に入っていたのである。
それで、妙高山・火打山と妙高の盟主を登って、次の山に移動すべく下界に降りてきたのであるが、放浪していたこの時はヤマと下界との接点は駅であり、ヤマから下りてきて店屋を見つける方法は駅前のロータリーなどによくある「町中案内図」だったのである。 まぁ、こういったリゾート地の駅なら、ついでに最寄りの温泉銭湯も案内してあるケースが多いし・・。
・・で、放浪していた時の最重要索敵懸案である『温泉銭湯』、『コインランドリー』、『ホカ弁』の『三種の神器』を探しに地域の中心である駅に出向いたのである。 だが、『温泉銭湯』は見つかれども、『コインランドリー』と『ホカ弁』は見つからなかったのである。
まぁ、『コインランドリー』は長野市内で発見してキープしてあったのでいいのであるが、久々の温ったか飯である『ホカ弁』は見つからなかったのである。 だが、駅前に食事処があり、山に籠って4~5日が過ぎて温ったか飯に飢えていたせいもあり、ロクにその食事処を確認せずに入店する。
・・そして、自爆したのである。
その食事処は『一品料理』を出す食事処であったのだ。 店に白木で掲げてある『お品書き』を見て、心臓がバクバクと高鳴ったよ。 ・・最低の『梅』でも3500円・・。 放浪旅を生業としているタワケには、1週間分の食事代に匹敵する金額だったのである。 あぁ、道理で店前のショーケースが無かったのね。 大衆食堂なら、大概『かつ丼』やら『親子丼』の店屋物の模型がショーケースに展示されてるハズなのだし・・。
3500円に呆然と立ち尽くしたタワケです
店に入って早々、白木の『お品書き』を見て呆然と立ち尽くすこのタワケを見て、店の親方も「コイツは間違って入ったな・・」と察しが着いたようで、ボソッと「今日はいいのが入ったからサービスだ!」と言ってくれたのである。
横にいる吞べえの客も、「大将がサービスしてくれるなんて、坊主はついてるぞ!」と後押ししてくれたのである。 でも、タワケは動揺を隠しきれず、さりとて「間違えましたぁ~」と店を出る根性もなく、小声で『う・・梅』というのが精一杯だった。
それで、店の親方による「サービス」が展開される。 いきなり、季節の山菜やら岩魚の焼き串とか、鰻巻きなど、『梅』にない一品料理が次々と出されたのである。 そう・・、その献立は、明らかに一等上の『竹』コースで、白木の『お品書き』には5500円也と銘打っていた一品料理だったのである。
そして、御飯はおかわりのし放題・・、そして茶碗蒸しまで着いてきたのである。
先程の店の常連であろう吞べえの客も、「坊主! これ食うか?」と天ぷらセットを差し出してくれたのである。 ・・もう、年に一度あるかないかの豪勢な食事となったよ。
御相伴に預かっている最中は
山の素晴らしい夜明けを
目にした如く至福の時でした
だが、その至福な美味の時は過ぎて、『竹』と思しき一品料理が出尽くして「この店を発つ時」、即ち、『勘定』の時がやってきたのである。 何とかギリギリ3500円払える位にしか金がなく、それはもう財布の中の有り金を全て取り出して払おうとするタワケに、店の親方は3500円の内の2000円をそっと返してくれたのである。
吞べえの常連客も「坊主のヤマ話面白かったぞ!」と、2000円を握りしめて店を出るタワケにエールを送ってくれたのである。 ・・そう、今の時代に無い人情味がこの時代にはあったのだ。
そして、昔は本当にバックパッカーや放浪旅をする奴がいて、こういった人情噺を体験しているのだと思う。 あぁ・・、あの頃は良かったなぁ。
営業をかけるべく、ブログ村に入ってみました
でも、バナー設置の仕方がよく解らん・・
- 関連記事
スポンサーサイト