2011-06-19 (Sun)✎
『私の訪ねた路線』 第32回 越美南線 〔岐阜県〕
北濃駅でひといき
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83) 移管年月日 転換処置
美濃太田~北濃 72.2km 1061 / 970 ’86/12/11 長良川鉄道
移管時運行本数
美濃太田~北濃 7往復 美濃太田~郡上八幡 下り1本
美濃太田~美濃市 上り2本 美濃太田~美濃白鳥 下り2本、上り1本
美濃白鳥~北濃 1往復
美濃太田~美濃市 上り2本 美濃太田~美濃白鳥 下り2本、上り1本
美濃白鳥~北濃 1往復
北濃~美濃太田 サボ
《路線史》
岐阜県と福井県を結ぶ路線として、美濃太田・福井双方からの建設線である『越美線』の岐阜県側の路線である。 既存開業区間である北濃へは、1934年と早くから開通している。 だが、福井からの北線部分の完成が遅かった事で、それ以降の延伸と、それに続く全通の夢は実現せずに終わっている。
1980年の国鉄再建法では北線と共に廃止対象の第二次候補にピックアップされたが、北線はなぜか廃止承認を保留され、南線だけが廃止対象に指定された。 これに伴い、地元の自治体を中心に第三セクター運営で路線存続させる事となり、1986年12月に『長良川鉄道』に経営移管された。
1980年の国鉄再建法では北線と共に廃止対象の第二次候補にピックアップされたが、北線はなぜか廃止承認を保留され、南線だけが廃止対象に指定された。 これに伴い、地元の自治体を中心に第三セクター運営で路線存続させる事となり、1986年12月に『長良川鉄道』に経営移管された。
終点・北濃駅の入場券と
北濃から美濃白鳥・大中ゆきの乗車券
なお、未開通区間のであるが、以前はJR(国鉄)バスが北線の終点である九頭竜湖駅と南線の主要駅・美濃白鳥とを国道158号を経由して結んでいたが、この区間はかつての集落がダム湖に沈んだ事によって完全たる無人地帯になってしまった為、生活路線としての人の往来は皆無(マイカーによる地方都市間の移動はあったが)で2002年に廃止されている。 これによって、越前と美濃を結ぶ路線の夢は完全に潰えた形となった。
越美国境に横たわる
巨大ダム湖・九頭竜湖
国鉄時代は急行【おくみの】が1往復運行されていたが、運行廃止の直前は越美南線内は各駅停車であった。 また、北濃の奥に《白川郷》という著名観光地が控えていた事もあり、並走する国道に国鉄バス《名金線》が4往復運行され、この全てが主要駅で列車に接続するという形を取っていた。 だが、近年に《東海北陸自動車道》が完成すると、鉄道が《白川郷》への行楽客の為に供する事はなくなったようである。
1999年の名鉄美濃町線の一部廃止と2005年の完全撤退によって、この《長良川鉄道》が代替手段として供されるようになる。 これによって、運営危機からの存廃問題は一時的にせよ棚上げされる事となったようである。
国鉄時代は急行【おくみの】が1往復運行されていたが、運行廃止の直前は越美南線内は各駅停車であった。 また、北濃の奥に《白川郷》という著名観光地が控えていた事もあり、並走する国道に国鉄バス《名金線》が4往復運行され、この全てが主要駅で列車に接続するという形を取っていた。 だが、近年に《東海北陸自動車道》が完成すると、鉄道が《白川郷》への行楽客の為に供する事はなくなったようである。
1999年の名鉄美濃町線の一部廃止と2005年の完全撤退によって、この《長良川鉄道》が代替手段として供されるようになる。 これによって、運営危機からの存廃問題は一時的にせよ棚上げされる事となったようである。
風光明媚な清流
長良川に沿ってゆく
沿線は日本屈指の清流として名高い長良川に寄り沿っていて、風光明媚な沿線風景を抱いている。
この眺望を売りに、1992年からトロッコ列車が運行されている。 また、沿線の主要都市・郡上八幡(現 郡上市)は盆の“郡上おどり”で有名で、この時期には臨時列車が運行される。
この眺望を売りに、1992年からトロッコ列車が運行されている。 また、沿線の主要都市・郡上八幡(現 郡上市)は盆の“郡上おどり”で有名で、この時期には臨時列車が運行される。
のどかな奥美濃路をゆく
北濃付近にて
《乗車記》
ワテがこの路線に通しで乗ったのは、前回の越美北線同様、4半世紀以上も前の厨房時代である。
だから、当時は急行【おくみの】も運行されていて、またこの【おくみの】号は、名古屋~美濃太田の間は急行【のりくら】号に併結されていたのである。 要するに、この線に乗るべく、名古屋~美濃太田の間を急行券を買って乗車したのであった。
美濃太田に停車中の
越美南線列車
そして、この【おくみの】号は、越美南線に入ると普通列車となって、北濃まで全ての駅に停車するのである。 所要時間も2時間半と、かなりの鈍足だ。 さて、急行【のりくら】に引っ張られて美濃太田に着いた2両のキハ58は、【のりくら】から切り離されて出発の時を待つ。 確か、10分以上も美濃太田駅に停車していた記憶がある。
美濃太田を出ると、駅舎なしの棒線駅・加茂野口。 しかし、ほんの20分程前まで『急行』を名乗っていた列車が停車する駅ではないような気がするのだが。 次の加茂野は、屋根瓦と木造の駅舎が残る雰囲気のいい駅。 今は、駅名を行政町名に合せて富加と名乗っている。
次の関口は、名鉄美濃町線の撤退によって息を吹き返した駅。 近くの郊外型スーパーへの無料シャトルバスも運行されるなど、活気を取り戻しつつある駅だ。 美濃関は名鉄美濃町線の新関駅が近くにあり、開業時はかなり苦戦をしたようだが、名鉄線の撤退により関市の代表駅となり現在に至る。
名鉄線は次の美濃市まで併走していたが、名鉄の撤退によりこちらも市の代表駅となる。 車窓に話題を移すと、この美濃市からが見せ場となる。 なぜなら、清流・長良川が線路沿いに寄りそってくるからだ。 美濃立花は、雰囲気のいい鄙びた木造駅舎の駅だった。
蛇行する長良川を
見ながらゆく
次の美濃洲原・木尾(こんの)・半在と駅舎のない棒線駅が続く。 長良川は『着かず離れず』といった間隔を保ちながら併走している。 次の大矢駅は、美濃市~郡上八幡では唯一の交換可能駅。 運転要員が配置されている為、立派な木造駅舎を有している。
棒線駅の郡上福野を経て、元美並村(現 郡上市)の玄関駅である刈安に着く。 一村一駅を地でいくような雰囲気の駅で、駅前に郵便ポストや自動販売機、地元町工場の取次事務所などが入っている。
次の郡上赤池の前で長良川を渡る。 当時のワテは、『長良川を渡る』というそれだけで、撮影地をこの場所に決めて下り立ったのである。 もちろん、結果は「厨房だから仕方がない」という言い訳を駆使せねばならぬ程の悲惨なデキであったのは藪の中に。
かろうじて見れるのが
この1枚だけ
郡上赤池~深戸
郡上赤池からは、蛇行する長良川と国道156号線と何度もクロスする。 川に近づけば、程よい撮影名所が点在するようだ。 今は喫茶店が同居している深戸・木造駅舎から簡易駅舎に建て直された美濃相生と停車していき、やがて市街地が開けたかと思うと『郡上踊り』で有名な八幡町(現 郡上市)の代表駅・郡上八幡に着く。 駅舎内は観光資源である『郡上踊り』を最大限にアピールするべく、郡上踊りの写真や、祭提灯などが掲げられている。
美濃山田・徳永と棒線駅を経て、元大和町の中心駅・美濃弥富に着く。 ここは列車交換可能駅だ。
そして、ここまでくれば、ローカル線特有の鄙びた感じが感じ取れるだろう。 万場・大中・大島と、棒線駅や駅舎が民家に埋もれて解りにくい小駅を経て、越美北線への接続バスの乗換駅であった美濃白鳥に着く。
風格漂う美濃白鳥駅の駅舎
当時の筆者も、このバスに乗って越美北線の九頭竜湖に抜けた経験がある。 このバスの通る国道158号の越美国境越えは、巨大なロックフィルダムの九頭竜ダムや白馬洞という鍾乳洞、『大穴馬』というバス停、そして巨大なダム湖にかかる『夢の架け橋』(この吊橋は、瀬戸大橋架橋の試作橋であったという)など、見所満載のバス路線であった。
美濃白鳥で行き違い
停車をする下り列車
次の二日町は棒線駅なれど、すぐ近くに長良川の清流を見る事ができる。 そして、ようやく終点の北濃だ。 ここまで2時間半。 かなりの鈍足だ。 でも、この北濃駅に降り立てば、長い乗車の疲れが一辺に消し飛ぶ事だろう。 何ともいえない終着駅の良き雰囲気が、駅全体に広がっているのだ。
田舎の駅の雰囲気漂う北濃駅
そういえばローカル線事始めは
この線だったなぁ
北濃駅にて
そして、駅ホームの端にある『越美南線終点 北濃駅』の木の案内板が情緒を盛り上げてくれる。
付近を流れる長良川の清流もいい。 そして、6kmほど離れてはいるが、日本百名滝の阿弥陀ヶ滝へハイキングがてら訪ねるのもいいかもしれない。
旅の趣を感じる
“終点”の案内板
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No title * by 風来梨
胆振線の急行【いぶり】も撮ってみたかったなぁ。
あの頃は、すごい設定の急行列車が多く走っていました。
私からすると、1世代前の事なのですが・・。
循環急行【いぶり】や名寄本線の【天都】、標津線に分かれる【しれとこ】・・。 【大雪】も、札幌~網走~釧路のロングランでしたね。
いゃぁ・・、これらの列車が載ってる古い時刻表は、見ているだけでも楽しいです。
あの頃は、すごい設定の急行列車が多く走っていました。
私からすると、1世代前の事なのですが・・。
循環急行【いぶり】や名寄本線の【天都】、標津線に分かれる【しれとこ】・・。 【大雪】も、札幌~網走~釧路のロングランでしたね。
いゃぁ・・、これらの列車が載ってる古い時刻表は、見ているだけでも楽しいです。
No title * by ほくほく北陸
飛騨高山に生まれ育った私にとって、郡上を走る越美南線は近いようで遠い路線でした。奥美濃の郷愁漂う写真に感激してしまいました。
No title * by 風来梨
ほくほく北陸様、こんばんは。
見て頂いてありがとうございます。
この記事の写真の元となる私の乗った時はもう25年も前の事で、国鉄時代の鉄道の雰囲気ある時でした。 駅舎や駅の案内看板など、旅情や哀愁を誘うものが多かったですね。 惜しむべくは、まだ自分が幼くて、これらのものの味を十分に引き出せなかった事かな・・って思います。
これからも、いろんな廃止・転換路線を取り上げますので、よろしくお願いします。 お気に入りの登録もありがとうございます。
見て頂いてありがとうございます。
この記事の写真の元となる私の乗った時はもう25年も前の事で、国鉄時代の鉄道の雰囲気ある時でした。 駅舎や駅の案内看板など、旅情や哀愁を誘うものが多かったですね。 惜しむべくは、まだ自分が幼くて、これらのものの味を十分に引き出せなかった事かな・・って思います。
これからも、いろんな廃止・転換路線を取り上げますので、よろしくお願いします。 お気に入りの登録もありがとうございます。
わが地元を走っていた胆振線のあの有名な「急行いぶり」も同じようなものでした。キハ22単行で棒線駅、無人駅に止まりつつ…