風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第311回  標津線・中標津駅

路線の思い出   第311回  標津線・中標津駅  〔北海道〕


ネガを入れたサブカメラで
『B級写真』として撮ってた中標津駅
メインのカメラで撮ったのは
「フイルム間違い」で全ボツなので
北海道のファースト旅は
『B級写真』しかなかったりして・・

《路線データ》
      営業区間と営業キロ             輸送密度 / 営業係数(’83)
 標茶~根室標津・厚床~中標津 116.9km         391   /  1366
       廃止年月日                   転換処置       
        ’89/ 4/30                阿寒バス・根室交通バス 
廃止時運行本数
          〔西春別線〕 標茶~根室標津    6往復
                 標茶~中標津    下り1本
                 中標津~根室標津  上り1本
          〔厚床線〕  厚床~中標津     4往復


中標津駅
「さよなら標津線」スタンプ

中標津駅(なかしべつえき)は、北海道標津郡中標津町東2条南2丁目にかつてあったJR北海道・標津線の駅である。 標津線の廃止に伴い、1989年4月30日に廃駅となった。 廃止時点で、単式ホーム1面と島式ホーム1面の計2面3線の国鉄型配線とホームを有する駅であった。 駅舎は、構内の北側(標茶に向かって右側)にあった。


あぁ こんな情景だったなぁ
※ ウィキペディア画像を拝借

その他に、南側に3本の主要側線が有った。  1984年2月の貨物及び荷物取り扱い廃止までは貨物積降場が2ヶ所有り、1箇所は北側(駅舎側)根室標津方面にあって切欠ホームへ貨物積降線が敷かれ、もう一つは南側根室標津方面の貨物ホーム後方のコンテナ取り扱い場へ敷かれていた。

その他に根室標津方面は本線左右に2本、標茶方面は南側に1本の計3本の留置線(引き上げ線)があり、また根室標津方面の本線と南側貨物ホームの間に転車台と車庫へ向かう入出区線が1本有った。
貨物取り扱い廃止後は、これらの内の南側2本に新たに車庫が設けられた。

駅名の由来は所在の自治体名からで、日本語の「中」とアイヌ語の「シ・ペツ」(大きな川)を組み合わせた合成語であり、駅所在地が標津川の中流域に存在することに由来している。



この中標津って所は、真に原野の中に突如現れるオアシスの感覚がある。
標津線の列車は、広大な根釧原野を地勢そのままのアップダウンで越えてゆき、その車窓風景は真に『北海道の旅』そのままの情景だった。


原野の長大なアップダウンをゆく

そう・・、その地勢に応じたアップダウンの最中は、家屋や建物は全くと言っていい程に見当たらず、ともすれば不安にも感じる情景だ。 そんな不毛な大地を行き交う中で、唯一の人の生業を確認できてホッとできる所が駅だった。


人の生活姦を感じる所は駅周辺だけ
それが標津線沿線の光景だった

駅の周りにひと固まりの民家や牧場のサイロがあり、駅を過ぎると再び何もない原野を地勢に逆らわぬようにアップダウンで乗り越える。


広大な平原をとにかく真っ直ぐ
地形の変化に逆らう事なく
アップダウンで乗り越える

その情景に慣れて「当たり前」に感じる様になった時に、砂漠のオアシスの如く突如都市機能をもった「自分の住んでいるのと同じような街」が現れるのだ。


原野からいきなり
「百貨店アリ~の」は戸惑うよ
※ ウィキペディア画像を拝借

そう・・、百貨店アリ~の、信号アリ~の・・、そして北海道に上陸してから久しく目にしなかった「信号待ちする歩行者」や、バス停でバスを待つ乗客、ショッピングセンターで駐車場の誘導を行う警備員などが駅に近づく列車の車窓に映っているのである。


駐車場待ちの車を警備員が捌く
都会では見慣れた光景に
カルチャーショックを受けたよ
※ ウィキペディア画像を拝借

そう・・、今まで見続けていた・・、ともすれば「刷り込み」に近い位に原野の情景を魅せられた目には、小さな『カルチャーショック』さえ感じる光景である。 普段は見慣れた「当たり前」の光景であるにも拘わらず・・。



自分の住む街ではこれでも
足りない位の情景だったが
それは原野風景に慣れた目には
蜃気楼のような光景だった
※ グーグル画像を拝

でも、ガキの頃のローカル線を必死に追いかけていたワテには、この光景が標津線という路線を語る鍵になるとは想像だにできなかったのである。 だから、乗り換えの合間に降りて、列車の時間待ちの間に駅前にあったほか弁屋で、から揚げ弁当を買い込んで駅待合室で食った記憶しかない。


もし、原野風景から突如として現れる蜃気楼のような街・中標津をキチンと追いかけておけば、もっとしっかりした標津線のりボートができたのに・・と思うが、この時の齢18~19のガキにはムリな事か。


鉄道廃止後に訪れたのは
廃止から20年経った後だった
※ ウィキペディア画像を拝借

そして鉄道が廃止となって、『ローカル線』という追っかけるモノが無くなって鉄道から心が離れていた頃・・、次の生涯のターゲットとして熱中していた山や秘境を踏破する放浪旅の最中に立ち寄ったのがこの中標津の街だった。

鉄道を追っかけていた小僧の時に体験済みとはいえ、今まで行く手を阻む事が全くなかった原野から、いきなり着陸態勢に入ったプロペラジェット機が頭上を低空で飛来し、高速バスや路線バスで渋滞となり車が停まる状況は、やはり小さなカルチャーショックを感じるのである。


中標津の街から空港まで僅か4km
原野から進入する飛行機が
頭上を低空で飛来するのは
あまり気持ちのいい光景ではない

そう・・、この中標津に寄った時は、ワテの旅人生における最大のプロジェクトである《知床岬》踏破に挑むべく羅臼へ赴く最中だったのだ。 だから、普段よりこのカルチャーショックがナーバスに響いたよ。 その為かどうかは解らないが、第一弾は波に巻かれて血まみれとなる大失敗に終わったよ。
まぁ、血まみれは少し大げさだけど。


血まみれな目に遭っても
踏みたかった“地ノ涯テ”

でも、まだこの頃はリベンジ精神旺盛で、その2年後に大潮という暦の知識を得てキッチリとリベンジを果たして、「この国で最も辿り着く事が困難な・・、何の変哲もないタダの灯台」にタッチする事がかなったよ。 その冒険記に興味がある方は、コチラをどうぞ。 でも、非合法に近いのでチャレンジは止めた方が無難です。


野生のウサギギクを掻き分け
「遥かなる」タダの灯台へ


















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No title * by たけし
ナイスボタンが消えてしまったので、改めてナイス!

No title * by 日本一周
標津線、1973年冬の新婚旅行で行きました。
根室で泊まって、翌日タクシーで納沙布岬から白鳥の尾岱沼、そして根室標津まで…。
昼過ぎに根室標津について、標茶までの列車は夕方…。
家内は駅前の美容院へ行き、私は海岸端で国後島を眺めていました…。
なつかしい思い出です。

No title * by 風来梨
たけしさん、こんばんは。
ナイスコメを頂き、有難うございます。

ナイスがある時は「集客目的でナイスを押すな!」っていうブログさんが数多くいて、それが目についてほとんど押さないようにしてましたが、無くなると寂しいですね。 押してくれた方のブログにも行けなくなりますし。

それで、Yahooブログのブログを止めさせるような対応に嫌気がさして来ましたね。 で、5月の金色週間明けを目処にFC2に移ろうと思います。

移ってもYahooブログは期日まで残しますので、そこからYahooの皆さんに会いに行こうかと。

アメブロは、芸能人やその太鼓持ちブログにアクセス数7倍やら10倍やらの水増し不正があるなど、知れば知るほどに嫌いになったので、当初はアメブロに行かれた方との窓口として誘導ページを設置する予定でしたけど、パスにしました。

余りにもブログ書きをバカにしていますから・・。

No title * by 風来梨
日本一周さん、こんばんは。

1973年というと、私はまだブラレールではしゃいでいた幼な子でした(笑)

私も標津線を冬に初めて訪れた時は、根室標津のユースホステルで泊まり、翌朝国後島とあの島まで渡っていけるような流氷を見ました。 しかも、蜃気楼現象の『四角く見える日の出』付きで・・

人生におけるお宝写真が撮れましたね。

それらの写真をまとめた記事が『オホーツク縦貫鉄道の夢』の第11回『根室標津と野付半島』です。 宜しければどうぞ。

No title * by きゃみ
こんばんは。
標津線のイメージといえば原野を真っすぐ走る線路ですね~。
私は学生の頃に乗ってきました。1986年の冬。前夜は訳あって根室警察署に泊めてもらい、朝一の上りで夜明けの厚床へ、そこから乗りました。とっても懐かしいです。

No title * by 風来梨
きゃみさん、こんにちは。

私も標津線のイメージは同じで、光進の1㎞以上に及ぶスパンのアップダウンや、上武佐のアップダウンを気動車が喘ぎ登る姿に人生の機微のようなものを感じましたね。

厚床線の方は果てしない原野を行き、地平線が見える厚床駅から延々と続く原野地帯から、パラレルワールドにハマったが如く、百貨店やらホテルやらが建つオアシスが現れる不可思議な情景でした。

あのパラレルワールドな情景をもっと追っていれば、さらに深い内容の記事が書けたのでしょうね。

No title * by 164
ブログ引っ越ししないといけないんですね 私のブログに訪問いただいて
ありがとうございました 風来梨さんのブログ素敵で大好きです
引っ越しても是非訪問させてください それとコメントは欲しい派なんですね
自己紹介とかに沢山アピールあれば きっと沢山のかたコメントしてくれるのでは
それではこれからもよろしくお願いいたします 164

No title * by 風来梨
164さん、こんばんは。

その後、カミソリ回転のバリウスⅡはゴキゲンですか? コチラは歳食って上半身の力が無くなって、ニンジャは重いッス(笑)

コメントですが、キチンと記事を読んでくれてのリアクションならとても嬉しいですけど、全く読んでないのがモロ判りの一言コメントとかはウザいのでノーサンキューですね。

だから、これといった「営業」活動はしてませんね。

まぁ、今のままの「一つの記事辺りの平均」で1を割らなければそれでいいかと。

Yahooブログは今月で更新終了しますので、以降は新天地のFC2で宜しくお願いします。 移転先アドレスは、移転次第にYahooブログの最終更新でお知らせしますね。

No title * by なべ
こんばんは。標津線は単調な路線でどこも同じような景色だったような気がします。私が乗ったときは本数少ないせいか、超激混みでした。ローカル線の駅前のスーパーはありがたいですね。名寄の西城?とか今でも有るのかな。。

No title * by バンポマダム
シベツ もそうですが、北海道の地名は不思議な読み方をする所が多いなぁと思っていたのですがアイヌ語から来ていたのですね、
初めて知りました^^
ただぼーっと景色を眺める列車の旅、やってみたいなあと思いました。

No title * by 風来梨
なべさん、こんばんは。

単調ながらも、広大な大地を地形に逆らうこと無くアップダウンで越える気動車の姿に虜になりましたね。 光進のアップダウンは、喘ぐ気動車の姿に人生の機敏を見ているかのようでした。

それと、西條百貨店は名寄で健在ですよ。 今は百貨店というより、AEONのようなスーパーになってますが・・。 あと、北見枝幸駅すぐの西條スーパーも健在ですよ。

No title * by 風来梨
バンポマダムさん、こんばんは。

標津はアイヌ語で、シ=大きな・ペッ=河を意味するアイヌ語の結合した言葉ですね。

鮭が遡上するような大きな河=標津川から取られた見たいです。

車窓を眺めてボーッとする旅・・、憧れますが、今は北海道でもなかなか難しいですね。 列車本数が少ないし、そういう所をゆく路線は大方廃止されちゃいましたので。(泣)

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2019-04-12 * たけし [ 編集 ]

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標津線、1973年冬の新婚旅行で行きました。
根室で泊まって、翌日タクシーで納沙布岬から白鳥の尾岱沼、そして根室標津まで…。
昼過ぎに根室標津について、標茶までの列車は夕方…。
家内は駅前の美容院へ行き、私は海岸端で国後島を眺めていました…。
なつかしい思い出です。
2019-04-12 * 日本一周 [ 編集 ]

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たけしさん、こんばんは。
ナイスコメを頂き、有難うございます。

ナイスがある時は「集客目的でナイスを押すな!」っていうブログさんが数多くいて、それが目についてほとんど押さないようにしてましたが、無くなると寂しいですね。 押してくれた方のブログにも行けなくなりますし。

それで、Yahooブログのブログを止めさせるような対応に嫌気がさして来ましたね。 で、5月の金色週間明けを目処にFC2に移ろうと思います。

移ってもYahooブログは期日まで残しますので、そこからYahooの皆さんに会いに行こうかと。

アメブロは、芸能人やその太鼓持ちブログにアクセス数7倍やら10倍やらの水増し不正があるなど、知れば知るほどに嫌いになったので、当初はアメブロに行かれた方との窓口として誘導ページを設置する予定でしたけど、パスにしました。

余りにもブログ書きをバカにしていますから・・。
2019-04-12 * 風来梨 [ 編集 ]

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日本一周さん、こんばんは。

1973年というと、私はまだブラレールではしゃいでいた幼な子でした(笑)

私も標津線を冬に初めて訪れた時は、根室標津のユースホステルで泊まり、翌朝国後島とあの島まで渡っていけるような流氷を見ました。 しかも、蜃気楼現象の『四角く見える日の出』付きで・・

人生におけるお宝写真が撮れましたね。

それらの写真をまとめた記事が『オホーツク縦貫鉄道の夢』の第11回『根室標津と野付半島』です。 宜しければどうぞ。
2019-04-12 * 風来梨 [ 編集 ]

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こんばんは。
標津線のイメージといえば原野を真っすぐ走る線路ですね~。
私は学生の頃に乗ってきました。1986年の冬。前夜は訳あって根室警察署に泊めてもらい、朝一の上りで夜明けの厚床へ、そこから乗りました。とっても懐かしいです。
2019-04-13 * きゃみ [ 編集 ]

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きゃみさん、こんにちは。

私も標津線のイメージは同じで、光進の1㎞以上に及ぶスパンのアップダウンや、上武佐のアップダウンを気動車が喘ぎ登る姿に人生の機微のようなものを感じましたね。

厚床線の方は果てしない原野を行き、地平線が見える厚床駅から延々と続く原野地帯から、パラレルワールドにハマったが如く、百貨店やらホテルやらが建つオアシスが現れる不可思議な情景でした。

あのパラレルワールドな情景をもっと追っていれば、さらに深い内容の記事が書けたのでしょうね。
2019-04-13 * 風来梨 [ 編集 ]

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ブログ引っ越ししないといけないんですね 私のブログに訪問いただいて
ありがとうございました 風来梨さんのブログ素敵で大好きです
引っ越しても是非訪問させてください それとコメントは欲しい派なんですね
自己紹介とかに沢山アピールあれば きっと沢山のかたコメントしてくれるのでは
それではこれからもよろしくお願いいたします 164
2019-04-13 * 164 [ 編集 ]

No title

164さん、こんばんは。

その後、カミソリ回転のバリウスⅡはゴキゲンですか? コチラは歳食って上半身の力が無くなって、ニンジャは重いッス(笑)

コメントですが、キチンと記事を読んでくれてのリアクションならとても嬉しいですけど、全く読んでないのがモロ判りの一言コメントとかはウザいのでノーサンキューですね。

だから、これといった「営業」活動はしてませんね。

まぁ、今のままの「一つの記事辺りの平均」で1を割らなければそれでいいかと。

Yahooブログは今月で更新終了しますので、以降は新天地のFC2で宜しくお願いします。 移転先アドレスは、移転次第にYahooブログの最終更新でお知らせしますね。
2019-04-14 * 風来梨 [ 編集 ]

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こんばんは。標津線は単調な路線でどこも同じような景色だったような気がします。私が乗ったときは本数少ないせいか、超激混みでした。ローカル線の駅前のスーパーはありがたいですね。名寄の西城?とか今でも有るのかな。。
2019-04-14 * なべ [ 編集 ]

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シベツ もそうですが、北海道の地名は不思議な読み方をする所が多いなぁと思っていたのですがアイヌ語から来ていたのですね、
初めて知りました^^
ただぼーっと景色を眺める列車の旅、やってみたいなあと思いました。
2019-04-15 * バンポマダム [ 編集 ]

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なべさん、こんばんは。

単調ながらも、広大な大地を地形に逆らうこと無くアップダウンで越える気動車の姿に虜になりましたね。 光進のアップダウンは、喘ぐ気動車の姿に人生の機敏を見ているかのようでした。

それと、西條百貨店は名寄で健在ですよ。 今は百貨店というより、AEONのようなスーパーになってますが・・。 あと、北見枝幸駅すぐの西條スーパーも健在ですよ。
2019-04-15 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

バンポマダムさん、こんばんは。

標津はアイヌ語で、シ=大きな・ペッ=河を意味するアイヌ語の結合した言葉ですね。

鮭が遡上するような大きな河=標津川から取られた見たいです。

車窓を眺めてボーッとする旅・・、憧れますが、今は北海道でもなかなか難しいですね。 列車本数が少ないし、そういう所をゆく路線は大方廃止されちゃいましたので。(泣)
2019-04-15 * 風来梨 [ 編集 ]