2019-02-23 (Sat)✎
路線の思い出 第303回 渚滑線・北見滝ノ上駅跡 〔北海道〕
在りし日の北見滝ノ上駅舎
:
撮ってて良かったB級写真
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
渚滑~北見滝ノ上 34.3km 303 / 1742
廃止年月日 転換処置 廃止時運行本数
’85/ 4/ 1 北紋バス 渚滑~北見滝ノ上 下り7本・上り6本
渚滑~上渚滑 下り1本(休日運休)
北見滝ノ上駅入場券
北見滝ノ上駅(きたみたきのうええき)は、北海道紋別郡滝上町栄町にあった国鉄・渚滑線の駅である。 渚滑線の廃線に伴い、1985年4月1日に廃駅となった。
駅名の由来は当駅の所在する地名からで、滝ノ上の市街地が渚滑川の滝の上側にある事に由来ししている。 当駅開業時には既に夕張線(現在は石勝線)に滝ノ上駅が所在したので、区別する為に旧国名の「北見」を冠した駅名となった。
町名の由来となった渚滑川の滝
:
この滝の上に町があるので
『滝ノ上町』となったとの事
※ 滝ノ上町のウェブサイトより
廃止時点で単式ホーム1面1線を有する駅で、同線の終端駅であった。 ホームは線路の北側(北見滝ノ上方面に向かって右手側)にあった。 その他にも、渚滑方から駅舎側に分岐して駅舎東側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの旧貨物側線を1線と、貨物側線の手前より分岐し構内の南側をめぐり発着線の延長で収束する形の引き上げ線、およびその途中東側から南西側へ分岐した転車台の残存する車庫線を1線有していた。
かつては貨物列車の運行があった名残で構内は広く取られており、貨物最盛期の1955年(昭和30年)頃は5番線まで存在し、貨物線や積卸線も有していたが、1983年(昭和58年)時点では大部分の側線が撤去されていた。
職員配置駅となっており、駅舎は構内の北側に位置しホーム中央部分に接していた。 開業時からの木造モルタル塗りの比較的大きな駅舎であった。 貨物輸送は原木が主体であり、貨物列車廃止後も駅構内は製材所や貯木場に囲まれていた。 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は89人との事。
駅舎内は渚滑線の
「美味しいグッズ」が展示されている
※ 滝ノ上町のウェブサイトより
旧駅構内は滝上町によって、「北見滝ノ上駅舎記念館」として整備されている。 駅舎は少し南側(山側)に移設され、舎内に当時の時刻表、駅名標、行先標、乗車券、備品などの渚滑線関連資料が保存・展示されている。 また舎外には標識や一部の線路が保存され、ロッド式の古典的貨車移動機が静態保存・展示されている。
戸締りの為の格子扉がアンバランス
※ 滝ノ上町のウェブサイトより
駅前のロータリーも復元されており、「滝上」停留所が設置され、渚滑線廃止代替バスなど北紋バスの路線バスや、旭川・札幌方面からの都市間高速バスが発着する。
シバザクラ観覧用の『虹の橋』となったのが
旧渚滑線の滝ノ上橋梁のコレ・・
また、1997年11月の時点では、滝上市街を流れている川に架かっていた鉄橋跡を「虹の橋」という観光展望台に整備し、春には名物のシバザクラ観望用に利用されている。
滝ノ上の春は街を望む公園の丘が
ピンクのじゅうたんで染まる
※ 滝ノ上町のウェブサイトより
渚滑線の終着駅・北見滝ノ上駅は今は『駅舎記念館』として、かつて渚滑線在りし時に使用された遺構物が展示されているが、 ワテの訪れた時は『冬季閉鎖中』で、約30年ぶりに訪れたにも関わらず中には入れなかった。
入口の格子扉が廃屋・物置然の
様相を呈した理由なのかな?
でも、記念館となった駅舎を目にすると、「こんなに民家っぽかったかなぁ」という印象を強く抱いたのである。 それは人の住んでない廃屋を物置化した感じそのもので、昔は駅だった面影を全く感じないのである。 まぁ、『冬季閉鎖中』という事で、正面だけしか見ていないのであるが。
駅前のロータリーも復元されているようだが、その敷地の半分以上が除雪した雪の仮置き場となっていて、空いたスペースはロータリーに並ぶ軽食喫茶店の駐車場と化していた。 そう・・、渚滑線在りし時に感じた『木材の町』の香りや木工の音は全くなかったのである。
鉄道在りし時の昔は、確か駅裏のヤードには皮を剥いだ原木が積まれてあり、駅の周囲にある木工場からは、原木を加工する「トントントン」という音が心地良く響いていたのを憶えている。
でも、今はそれが皆無なのだ。
それは、駅周囲に建つ建物は近代化されて欧米風の建築様式の建物ばかりとなっているが、心なしか寂れ果てて活気を失った様相の漂う街の姿が映し出されていたのだ。
渚滑線在りし時の
滝ノ上の街には活気があった
鉄道のあった頃は豊富な森林資源を紋別の街に運び出し、そして町では割り箸の加工生産全国一の規模を誇ったと言うが、今も割り箸の加工生産はそれなりにあるのであろうが、町の意義は旭川から紋別に至る中継点でしか無くなってきている・・との事だ。
町外れの滝ノ上渓谷の鉄橋付近
に設けられた『道の駅・たきのうえ』
:
旭川紋別自動車道が中湧別経由で延伸されると
『中継点』としての意義も失う懸念がある
※ 滝ノ上町のウェブサイトより
その滝ノ上渓谷を渡る
渚滑線の鉄橋がココ・・
そして、その『中継点』としての役割も、《旭川紋別自動車道》が峠越えである浮島越えの最短ルートを採らずに遠軽経由の旧名寄本線ルートを採る延伸計画で、《旭川紋別自動車道》が更に延伸すると《中継点》としての役割も失ってしまう懸念もある。
その時にふと思ったのが、もし渚滑線を『鉄道敷設法』の概念通りに上川まで延伸していたなら、「冬でも安全に道央とオホーツク沿岸の紋別をつなぐ事ができたのでは?」という、妄想に似た甘い考えであった。
夏は天然記念物・浮島
を抱く観光名所だが
冬は滝ノ上の街まで500m以上の
高低差&アイスバーンの難所となる
それは、この『北見滝ノ上駅舎記念館』に立ち寄るべく、国道273号線の浮島の道を通ったのであるが、峠の頂点である浮島から滝ノ上町の市街地まで、アイスバーンの急坂だったのである。 この峠越えの道は、大型トラックや高速バスのスリップ事故多発地帯であったのだ。
もしワテが紋別へ向かう乗客となった場合、「この区間をバスに乗って行きたくないなぁ」と端的に思ってしまう。 大雪山の裾を周って網走に至る石北本線の存在意義、それは冬季の安全・安定した輸送力にあるのだ。 それと同じで、もし渚滑線が旭川とレールでつながっていれば、冬季の格段の安定輸送が適ったと思うのである。
鉄道があったなら・・
このような写真を撮りに
毎年でも訪れるよ ワテは・・
:
渚滑線の一番星・・
16~17でコレほどのが撮れたのに
今はウデが退化する一方のワテ
まぁ、その紋別自体も、人口が2万ちょっと・・と過疎化してきていて、運ぶ貨客も減る一方であるで採算は取れないと思うが。 国鉄時代のローカル線って、そのような意義が多分に含まれていると感じるワテであった。
滝ノ上に訪れたなら「渓谷めぐり」でしょ・・
取り敢えず、白一色となった渓谷で雪と戯れて、あの時の思いを少しだけ思い出して浸る事にしようかな。
渚滑線在りし昔にラッセルしながら
撮りにいった滝ノ上渓谷が・・
今は遊歩道が整備されて
ラッセル無しに通れるようになって・・
安易に冬の渓谷が撮れるようになった
でも・・この事実を隠し仰せば・・
「猛烈な雪との格闘の末で撮った」と
ホラを噴く事ができるなぁと思ったワテ・・
:
「本当のクズだね!」 by おそ松さん
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No title * by 風来梨
pikes peakさん、こんばんは。
芝桜の季節にいかれたのですね。 羨ましい! 滝ノ上の芝桜と能取湖のサンゴ草は行ってみたいのですが、季節的に難しいですね。
この滝ノ上の記念館もそうですが、冬は『冬季閉鎖』で見れない事が多くて・・。
渚滑線は一次廃止線でも早めに廃止となったので、夏のフイルム間違いの失敗のリベンジで、その冬に訪れて何とか4枚撮れたのみです。 掲載ネタが少ないので、その4枚は全て掲載しましたよ。
芝桜の季節にいかれたのですね。 羨ましい! 滝ノ上の芝桜と能取湖のサンゴ草は行ってみたいのですが、季節的に難しいですね。
この滝ノ上の記念館もそうですが、冬は『冬季閉鎖』で見れない事が多くて・・。
渚滑線は一次廃止線でも早めに廃止となったので、夏のフイルム間違いの失敗のリベンジで、その冬に訪れて何とか4枚撮れたのみです。 掲載ネタが少ないので、その4枚は全て掲載しましたよ。
No title * by 鳳山
地図で見ると紋別って今は鉄道通ってないんですね。道路も冬は凍結しそうですし海路も厳しい。陸の孤島となりますね。あのあたりに住むのは厳しそうです。
No title * by 風来梨
鳳山さん、こんばんは。
紋別市は地方空港もあり、冬は流氷観光があるのでそれなりな街を維持してますが、それでも人口2.2万程度と過疎化の波が来てます。 それより深刻なのは、紋別市より北側の興部町や西興部村などですね。 もう、町や村の至る所が限界集落化してますね。
道も最短道より、遠回りでも安全に往来できる旧鉄道ルートの遠軽・中湧別周りで旭川紋別自動車道を延伸する計画で建設されてますが、通行需要が低く途中まで完成した遠軽まで無料開放となってます。
この道路が完成しても、無料のままでしょうね。 そして、先に挙げた興部町や西興部村はまずまず過疎化に拍車がかかりそうです。
紋別市は地方空港もあり、冬は流氷観光があるのでそれなりな街を維持してますが、それでも人口2.2万程度と過疎化の波が来てます。 それより深刻なのは、紋別市より北側の興部町や西興部村などですね。 もう、町や村の至る所が限界集落化してますね。
道も最短道より、遠回りでも安全に往来できる旧鉄道ルートの遠軽・中湧別周りで旭川紋別自動車道を延伸する計画で建設されてますが、通行需要が低く途中まで完成した遠軽まで無料開放となってます。
この道路が完成しても、無料のままでしょうね。 そして、先に挙げた興部町や西興部村はまずまず過疎化に拍車がかかりそうです。
芝桜の頃に訪れましたが、雪の渓谷はすばらしいですね。
渚滑線、名寄本線は鉄道施設が多く残されていますね。
走っている時に訪れたかったですが、施設巡りでも満足しています。