2019-02-19 (Tue)✎
『日本百景』 冬 第366回 大塔渓谷 〔和歌山県〕
大塔渓谷 おおとうけいこく
和歌山県の有名観光地に押されて、ほとんど陽の目を見ないこの大塔渓谷。 ほとんどの人はその場所、いやその存在さえ知らないはずだ。 この大塔渓谷は和歌山県の奥深部、《川湯温泉》のある大塔川の上流にある渓谷で、この渓谷の見どころはズバリ“滝”である。
和歌山県の有名観光地に押されて、ほとんど陽の目を見ないこの大塔渓谷。 ほとんどの人はその場所、いやその存在さえ知らないはずだ。 この大塔渓谷は和歌山県の奥深部、《川湯温泉》のある大塔川の上流にある渓谷で、この渓谷の見どころはズバリ“滝”である。
70m級の落差を誇る滝が幾条も掛かっている“本格派”で、魅力あふれる渓谷なのである。
《大杉滝》・《鮎返滝》・《ヒツボノ滝》など、知らざれる大瀑布は見ごたえ十分である。
大塔渓谷の滝 位置図
行程表 駐車場・トイレ・山小屋情報
新宮市内より車(1:00)→川湯温泉(0:50)→大塔渓谷
鮎返滝・大杉滝は道路沿いから探勝可能、ヒツボノ滝は支沢の奥にあり、入渓しての遡行が必要となる
激流に鮎もたじろぐ
鮎返滝
その存在さえしられていない、神秘の渓谷・『大塔渓谷』を探勝してみよう。 いや、これは“探勝”というより、“処女地”に初めて足を踏み入れる“探検”といってもいいだろう。 湧き上がる冒険心をいっぱいに抱いて、未知の渓谷を見開いていこう。
多雨地帯・紀伊山麓の水が
神秘の渓谷を創造する
さて、この渓谷には、マイカーアプローチが必須条件だ。 当然の事ながら、渓谷へ向かう交通機関など皆無だからである。 新宮市街より車で1時間余り、《熊野大社本宮》と《川湯温泉》という著名な観光地を見やると、《熊野川》の支流・《大塔川》への出合に着く。
ここから《大塔川》沿いに進んで最奥集落の《静川》を突き抜けると、県道は“林道”規格となって、かなり荒れた未舗装道となる。 整備状況も、ほとんど成されていないようである。
幽谷に無名滝が
次々と現れる
私の訪れた時などは、道が土砂崩れで塞がれていて、ひたすら林道を歩いていく他に方法がなかったのである。 歩く・・といっても、1日に歩く距離には限界がある。 従って、今回この渓谷の探勝は不完全なものとなってしまったのである。
前置きが長くなってしまったが、それでは『大塔渓谷』に沿って歩いてみよう。 《静川》の集落より6km入った辺りから、川の両岸がグッと迫って渓谷らしくなってくる。 灯も何もないトンネルを3回抜けて2km程歩いていくと、雑木林の下にけたたましい瀑音が轟いているのが聴こえてくるだろう。
しかし、この雑木林に遮られて何なのか解からない。
意を決して、雑木林を掻き分けて沢へ下ってみる。 もちろん、道など切られてはいない雑木林の“土手”をである。 するとあった、激流の滝が! 本流の全ての水を激流と化して、3段のスライドでたたき落している。
意を決して、雑木林を掻き分けて沢へ下ってみる。 もちろん、道など切られてはいない雑木林の“土手”をである。 するとあった、激流の滝が! 本流の全ての水を激流と化して、3段のスライドでたたき落している。
鮎返滝の激流が
瀑音を轟かす
何ともすざましい様相の瀑布である。 そのすざましさに驚愕し、しばし滝口にたたずむ。
滝口より戻って林道の朽ちたカーブミラーを見ると、小さく『鮎返滝』と示してあった。
これを目にして、初めてこの滝が《鮎返滝》だと気づいたのである。
滝口より戻って林道の朽ちたカーブミラーを見ると、小さく『鮎返滝』と示してあった。
これを目にして、初めてこの滝が《鮎返滝》だと気づいたのである。
落差40mはあろうか
というこの滝も
名を授けられる事のない無名滝だった
滝の名称が確認できたのはこの《鮎返滝》のみで、その他は確認できずじまいとなってしまった。
それというのも、林道を行くごとに瀑布は方々に掛かるものの、その全てが名称の記されない“無名滝”で、“どれが《大杉滝》か、どれが《逢合滝》か”と検討をつける事ができなかったからである。
鮎返滝の下部は
大きな淵を形成している
・・トンネルの地点から8km位まで林道を川に沿って遡ってみたのだが、これ以上奥に入ると1日の行動限界を越えてしまいかねないので引き上げる事にした。 残念な事に、今回は《雨迫滝》や《ヒツボノ滝》は“断念”となってしまった。
だが、いつか・・、その神秘のベールを見開いてみようと強く思っている。 その際は、入渓スタイルの準備を万全にしてアタックしようと考えている。 その時がくるのを心待ちにしている次第である。
川そのものが巨大な露天風呂
野趣溢れる川湯温泉
※ グーグル画像より拝借
帰りは、この渓谷の手前にある全国的に有名な川湯温泉で、その名の通り川から湧き出る露天風呂で、この渓谷歩きで駆使した脚を癒すとしようか。
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No title * by 鳳山
大塔渓谷って大塔宮護良親王と何か関係あるのでしょうか?気になります。
No title * by 風来梨
鳳山さん、こんにちは。
渓谷の名の由来は、この付近が以前大塔村(現在は田辺市)だった地名からですが、この大塔村の村名の由来は、仰る通り後醍醐帝の皇子の大塔宮護良親王が都から落ちのびる際に立ち寄ったという故事から・・だそうです。
武闘派故に父親の後醍醐帝とそりが合わず、最後は父親の後醍醐帝から足利方に差し出されて足利方の下で幽閉され、中先代の乱が勃発すると、足利方と敵対する諏訪頼重や北条時行などに連れ出されて担ぎ上げられるのを恐れた尊氏の弟・足利直義の差し出した間者により殺されたとのことです。
まぁ、子を売る後醍醐帝は、無能の極みですね。
渓谷の名の由来は、この付近が以前大塔村(現在は田辺市)だった地名からですが、この大塔村の村名の由来は、仰る通り後醍醐帝の皇子の大塔宮護良親王が都から落ちのびる際に立ち寄ったという故事から・・だそうです。
武闘派故に父親の後醍醐帝とそりが合わず、最後は父親の後醍醐帝から足利方に差し出されて足利方の下で幽閉され、中先代の乱が勃発すると、足利方と敵対する諏訪頼重や北条時行などに連れ出されて担ぎ上げられるのを恐れた尊氏の弟・足利直義の差し出した間者により殺されたとのことです。
まぁ、子を売る後醍醐帝は、無能の極みですね。
No title * by 鳳山
教えていただきありがとうございました。大塔宮は紀伊国に潜伏していたんですよね。
No title * by 風来梨
私も調べることで、一つの目から鱗の知識を得ました。 地名にまつわる歴史は奥が深いですね。