2019-01-19 (Sat)✎
路線の思い出 第296回 三陸鉄道〔北リアス線〕・田野畑駅 〔岩手県〕
駅自体は新しい建物だが
レトロ感を漂わせた田野畑駅
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 宮古~久慈 71.0km
※ 宮古~田老は旧国鉄宮古線、普代~久慈は旧国鉄久慈線の第三セクター移管線
運行本数(’17)
宮古~久慈 11往復
田野畑~久慈 1往復(下り列車は快速)
普代~久慈 下り1本
田野畑駅入場券
田野畑駅(たのはたえき)は、岩手県下閉伊郡田野畑村和野にある三陸鉄道北リアス線の駅で、島式ホーム1面2線を有する列車交換が可能な駅である。 田野畑村が受託する簡易委託駅となっている。
駅舎内には出札窓口の他、売店・喫茶もある。 駅の愛称は「カンパネルラ」。 これは、宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』の登場人物に由来する。
「鉄道むすめ」ならぬ「鉄道ダンシ」が
三陸鉄道のマスコットキャラクターに
なっている・・らしい
※ 三陸鉄道のウェブサイトより
開業前、1982年当時の仮の駅名は『平井賀』であった。 2002年に、「のどかな環境に佇む、心休まる和風の駅舎」として東北の駅百選に選定された。 NHKの2013年度上半期連続テレビ小説「あまちゃん」のロケ地となり、作中で北三陸鉄道リアス線の「畑野駅」として登場した。
この駅と周辺にある三陸海岸の景勝地《北山崎》は、前回の『第295回 石北本線、ちほく高原鉄道・北見駅』の前に訪れた駅及び、景勝地である。 その旅における『テーマ』は、「銀河鉄道」である。
それは狙ったかのように、旅の全てに置いて『銀河鉄道』が関連づけられていたのである。
この旅の最初に訪れた今は無き岩泉線では、大晦日の夜から正月までの年越しで『銀河鉄道の夜』プロジェクトを敢行したのだった。 その時のプロジェクトがコレ。
ワテが描いた『銀河鉄道の夜』
そして、この三陸鉄道も、宮沢賢治宜しく『銀河鉄道』の愛称がつけられた路線で、この後に立ち寄った《ちほく高原鉄道》も、「ふるさと銀河線」のサブネームが着いていたのである。
旅の最後に訪れた《くりはら田園鉄道》も、岩泉線・ちほく高原鉄道と同じく銀河の流星群の如く、流れて消えちゃったしィ(悲)
作戦コードネーム
『銀河鉄道の夜』を終えて
翌朝は気合が入らず駄作の山に
まぁ、茶化しネタはこの辺で置いといて、「銀河鉄道の夜」たる『風景鉄道』情景を撮るというプロジェクト!?を成し遂げて目的を果たし、翌朝の岩手和井内折り返しの列車を撮り終えると、1日3往復半の定めである「後9時間以上何もする事がない」という空白の時間に突入するのである。
この状況に入ると、途端に気が萎えてくる。
岩泉線の最後のショットだというのに
微妙にピン甘に終わっちまったよ
岩泉線の1日3往復半の『駅寝&撮り鉄』は、さすがにキツいわ。 でも、全てを学生たる本分をかなぐり捨て、地位も立場も投げ出して追っかけた若きあの時だったら、どうだったのだろう?と思いめぐらすと、少し感傷的な気持ちになるね。
・・で、、「後9時間以上何もする事がない」状態を回避すべく、岩泉線の岩泉発の1番列車に乗って宮古まで“逃げる”。 この日の『青春18きっぷ』を使える区間は岩手和井内~宮古と僅かな距離なので、これは使用せず敢て480円を払って乗車券を購入。 列車は何事もなく、9:15に宮古到着。
宮古からは「1日3往復半の岩泉線の『撮り鉄』では身が持たないだろう」と、かねてからその回避策として考えていた三陸海岸きっての名勝《北山崎》へ向かう事にしたのである。 宮古からの三陸鉄道の列車は、3分接続とあまりにも慌しいので、1本を見送って次の11:18で向かう事にする。
宮古で、今日・明日の食料と今日の生活水を仕入れて三陸鉄道へ。 この三陸鉄道、開業時の勢いも消し飛び、今や存続もヤバめの赤字運営との事。 そして、東日本大震災で痛手を受けて存続が危ぶまれたが、見事復活して運行再開を成し遂げたのである。
東日本大震災の被害を受けて
不通となっていた時は
駅は喫茶店と生活雑貨店として
地域復興に貢献した
※ ウィキペディア画像を拝借
訪れた時は東日本大震災の発生以前であるが、県都・盛岡へ1日4本と“使えない”JRに見切りをつけてバス会社とタイアップするなど、経営努力を継続し続ける鉄道だったのである。 そして、列車への誘導を職員のお姉さんがするなど、接客印象も上々だった。
各駅の駅名標にも、駅から徒歩で行ける『名所案内』が全ての駅にあるなど、鉄道旅をする旅人にとっては、嬉しい限りの鉄道路線である。 “そういえば、この線に乗るの約16~17年ぶりだなぁ”などと思いめぐらしていると、程なく田野畑へ到着。 そして、田野畑駅でタクシーを呼んで《北山崎》へ。
冬の海に魅せられて
冬の波が岩礁を洗い
白い波の花を咲かす
この《北山崎》は’04の北海道・東北の旅で訪れて以来、私の好きな“海の情景”となった地である。
でも、タクシーの片道3000円は、ちと痛かったかな。 重い荷物は駐車場前のあずまやに置いといて、早速719段の階段を下って北山崎の核心部へ出てみる。
寄せる波が永い時を経て
この海洞を刳り貫いたのか
所々雪が凍ったブロックの段を、手すりを持ちながらゆっくりと下っていく。
れを下りきると、1年半ぶりの懐かしい情景が視野に飛び込んでくる。 この情景に言葉はいらない。
心ゆくまで、カメラを手に波や風たちと語り合おうか・・。
一瞬、波が静まって
そのいっときの沈黙の後
怒濤の如く押し寄せる波
:
それは厳しくも何か懐かしい眺め
引き潮と寄せ波が
合いぶつかって波の渦を魅せる
この《北山崎》は三陸海岸きっての観光地でもあるので、ツアー旅行の観光バスで観光客は定期的にやってくる。 マイカーの観光客も次々と訪れる。 だが、さすがに719段の階段を下って波打ち際までやってくる者は一人もいなかった。 最も情景豊かなものを見ずして、この景勝地を“思い出”として心に刻めるのか?と不思議に思う。
大きな海洞が並んで口を開ける
《北山崎》の代名詞
思う存分波や風と語り合ったなら、身体も冷えてきた事だし“下界との接点”へと戻ろう。
この思いを抱いて立ち去るのであるが、山と違うのは“下ろう”でなくて“戻ろう”という事だろうか。
約15分かけて上へ戻る。 戻って昼食とひと息を着けたなら、今夜の“宿地”探しである。
始めは荷物を置いたあずま屋が候補であったのだが、ちょっと目につきすぎる位置にあるので見送る。 “さて、どうしたものか”と駐車場周辺をウロウロしていると、その脇の犬走りにテント1張可能な芝地があった。 迷わずそこを宿地と定め、即刻テントを張る。 テントの中に入城の14時過ぎ、電源をONにしたラジオからはサッカーの天皇杯が放送されていた。 これを聴きながら、今回の旅での『新兵器』を下ごしらえする。
始めは荷物を置いたあずま屋が候補であったのだが、ちょっと目につきすぎる位置にあるので見送る。 “さて、どうしたものか”と駐車場周辺をウロウロしていると、その脇の犬走りにテント1張可能な芝地があった。 迷わずそこを宿地と定め、即刻テントを張る。 テントの中に入城の14時過ぎ、電源をONにしたラジオからはサッカーの天皇杯が放送されていた。 これを聴きながら、今回の旅での『新兵器』を下ごしらえする。
実力は「トレビアン」なのだが
ホヤはメッシュの布キレなので
1回しか持たないのが欠点だね
その『新兵器』とは、《ガスランタン》である。 これは面倒臭い事に、ホヤ(特殊な布でできた発光体)を焼き入れして発光すべく形どらねばならないのだ。 だが、その実力は“トレビアン!”の一言。
実に暖かいのである。 飯どきなどは、テント内温度25℃というふざけた温度になった位である。
そして、テントを芝生の上に張ったからなのかとても暖かく、全ての火を消した夜半過ぎも4.5℃を下回る事はなかった。 コリは、大阪の我が家の最低温度記録『4.1℃』より暖かいのである。
従って、東北の冬の野宿だというのに、この日は湯タンポなしに就寝ができた。
あまりの暖かさにぐっすりと寝込んでしまい、目覚めたのは6時前。 『F・S』(フィールド・ステイ)を自称する者としては自戒せねばならぬ位の朝寝坊だ。 天気は、昨日とは打って変わって重苦しい曇天・・。 厚い雲が垂れ込めるこの空では、朝と海の情景は厳しそうである。
昨日宮古駅で買い込んだ朝飯のおにぎりを食って、即刻テントの撤収と荷造りを終えて、6:30に出発。
始めは719段を下りて波打ち際まで・・と思ったのだが、小雪が舞い落ちる展開となってきたので朝日は断念。 これを下らずに、250段下にある《第二展望台》へ向かう事にした。
始めは719段を下りて波打ち際まで・・と思ったのだが、小雪が舞い落ちる展開となってきたので朝日は断念。 これを下らずに、250段下にある《第二展望台》へ向かう事にした。
観光客の立ち寄る下限
第二展望台から《北山崎》の海崖を望む
第二展望台から《北山崎》の海崖を望む
望遠で渦巻く波を狙ってみたが
:
波打ち際まで降りないと
やはり迫力不足だね
上の掲載写真は、その《第二展望台》から望遠で狙ったものである。 日の出は水平線上に厚い雲が垂れ込んで、予想通り拝む事は叶わなかった。 朝の撮影を終えたなら、8時過ぎに迎車を予約した昨日のタクシーで田野畑駅へ戻る。
この駅から北海道の旅が始まった
※ グーグル画像を拝借
北海道への道程は
まず八戸へと向かう
田野畑駅からは、いよいよ北海道へ向けての旅が始まる。 その田野畑駅であるが、古き良き時代の鉄道駅の雰囲気を醸し出す駅であった。 出札口の切符売り場には、区間毎に差してある切符差しがあり、駅事務室の中には振り子のついた柱時計が掲げてあり、ちょうど9時を周って心地良い音色の時報を奏でていたよ。 また、駅待合室にもストーブが焚かれてあって、お客さんを大事にする心が伝わってきたよ。
当時は中央にストーブがあって
とっても暖かかったよ
※ ウィキペディア画像を拝借
空は薄曇りで時折チラチラと小雪が舞う寒い日だったと思うのだが、昨日のテントでのガスランタンといい、汽車を待つまでの間の待合室のストーブといい、暖かい音色の柱時計といい、この田野畑からの三陸海岸めぐりは、暖かく過ごした記憶で満たされていたのである。
ザック下ろすの面倒で担いだまま
望遠で狙ったわりには完璧なデキ
余計な力が抜けたのかな!?
余計な力が抜けたのかな!?
待合室でのいっときを経て、定刻通りにやってきた久慈行列車に乗って、一路北海道の『銀河鉄道めぐり』に繰り出したのである。
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No title * by 風来梨
きゃみさん、こんばんは。
前回の北見駅の記事を書いて、この旅でめぐった三陸鉄道の事を思い出して記事にしました。 海沿いを真新しいアーチ橋で谷ごと渡る三陸鉄道の雰囲気は、真に『銀河鉄道』でした。 田野畑の駅も雰囲気最高でした。
まだ随分と先の計画ですけど、今年から来年の冬は東北を旅しようかな・・。 夜のアーチ橋の下から星空流しで『銀河鉄道の夜』再び・・もいいし、夜明けの海とアーチ橋も美味しいですね・・と、「撮らぬタヌキのなんとやら・・」で頭がいっぱいになってきました(笑)
きゃみさんの東北の駅めぐり紀行を楽しみにしてます。
撮影の参考にしたいな・・と。
前回の北見駅の記事を書いて、この旅でめぐった三陸鉄道の事を思い出して記事にしました。 海沿いを真新しいアーチ橋で谷ごと渡る三陸鉄道の雰囲気は、真に『銀河鉄道』でした。 田野畑の駅も雰囲気最高でした。
まだ随分と先の計画ですけど、今年から来年の冬は東北を旅しようかな・・。 夜のアーチ橋の下から星空流しで『銀河鉄道の夜』再び・・もいいし、夜明けの海とアーチ橋も美味しいですね・・と、「撮らぬタヌキのなんとやら・・」で頭がいっぱいになってきました(笑)
きゃみさんの東北の駅めぐり紀行を楽しみにしてます。
撮影の参考にしたいな・・と。
先週の三連休で三陸鉄道に乗ってきました!
久々にいい旅を体験できました。何がよかったって外国人などの団体客に出くわすことが全くなかったことでしょうか(笑
また別途報告させていただきます。