2019-01-06 (Sun)✎
よも”ヤマ”話 第55話 中央アルプス・厳冬期 その2 〔長野県〕 ’93・1
木曽中岳 2925m、木曽駒ヶ岳 2956m 【名峰百選 19峰目】、宝剣岳 【名峰百選 20峰目】
中央アルプスの盟主
木曽駒ヶ岳の山頂にて
中央アルプス ちゅうおうアルプス (中央アルプス県立自然公園)
中央アルプスは南北アルプスの間に連なる“木曽山脈”の総称で、高さも南北アルプスのそれにひけをとらない。 最高峰は木曽駒ヶ岳 2956メートル で、そのすぐ横に剣先の如く鋭く尖った頂を魅せる宝剣岳 2931メートル が並ぶ。 また、この中央アルプスの山々は氷食が著しく、鋭く尖った峰を持つ山が多いのが特徴である。
・・中央アルプスの魅力は、何といっても氷河による浸食でできた数多くの“カール”地形と、そこに群生するお花畑であろう。 濃ヶ池・千畳敷・極楽平のカールが、夏になると高山植物の花々に飾られた天然の“うつわ”となり、悠然と構える峰々に囲まれた『神の園』となる。
中央アルプスは南北アルプスの間に連なる“木曽山脈”の総称で、高さも南北アルプスのそれにひけをとらない。 最高峰は木曽駒ヶ岳 2956メートル で、そのすぐ横に剣先の如く鋭く尖った頂を魅せる宝剣岳 2931メートル が並ぶ。 また、この中央アルプスの山々は氷食が著しく、鋭く尖った峰を持つ山が多いのが特徴である。
・・中央アルプスの魅力は、何といっても氷河による浸食でできた数多くの“カール”地形と、そこに群生するお花畑であろう。 濃ヶ池・千畳敷・極楽平のカールが、夏になると高山植物の花々に飾られた天然の“うつわ”となり、悠然と構える峰々に囲まれた『神の園』となる。
中央アルプス・厳冬期 行程図
《1日目》 JR駒ヶ根駅よりバス(0:50)→しらび平よりロープウェイ(0:10)→千畳敷
(1:00)→浄土乗越(0:40)→伊那前岳(0:40)→浄土乗越
《2日目》 浄土乗越(0:30)→木曽中岳(0:40)→木曽駒ヶ岳(1:10)→浄土乗越
《2日目》 浄土乗越(0:30)→木曽中岳(0:40)→木曽駒ヶ岳(1:10)→浄土乗越
(0:25)→宝剣岳(0:30)→浄土乗越(1:10)→千畳敷よりロープウェイ
(0:10)→しらび平よりバス(0:50)→JR駒ヶ根駅
※ 『第54話 中央アルプス・厳冬期 その1』の続きです
「冬は登ってはいけないんだって」
と記した山へ行ったんだな!
このタワケは
《2日目》 木曽駒ヶ岳・宝剣岳を踏んで下山
前話を御覧になった方は、前話の最後に「冬は登ってはいけないんだって」って記してあったろうが!との御指摘を入れたくなるのはごもっともな事です。 ですが、残念ながらこのタワケは「ナンチャッて山ノボラー」の分際で『遭難フラグ』を乱立させる筋金入りのロクデナシで、その辞書には「行ってはダメ」という制止の文言がないんですよね~。 要するに、このタワケ本人がビビッて自重しない限り、自制できないんだよね~。
・・という訳で、《宝剣山荘》で泊って’93年の元旦を迎える。 山で元旦を迎えるとなると、誰しも最初にする事はただ一つ。 『初日の出』の御来光を拝む事である。 夏ならば山の頂上まで出張って御来光を・・という山の猛者もいるが、今は冬でそんな事するのは一人もいないようだ。 宿泊者の皆が山荘の出入口の前に結集する。 冬の厳冬期なので、そのいでたちは「羽織一枚引っ掛けて」とはいかず、赤穂浪士の討ち入りの如く“完全武装”の上で・・である。
そして、山荘の玄関口で“完全武装”の宿泊者の多くタムロして、満員電車に乗っているような状態となる。 何故に山荘の玄関口で多くの者がタムロするかというと、「御来光の一瞬だけを拝んでとっとと山荘の中に戻ろう」と、考える事が皆して一致しているからであるのは言うまでもない。
でも、このタワケの『自制』の効かない“ロクデナシ”な行動は、極く稀に良い方に転ぶ時がある。
御来光の写真を撮る為にすぐ様山荘の外に飛び出て、山荘の玄関口の混雑緩和の一助となっていたのである。
それで、雲一つない快晴ではあったが、氷点下20℃、風速20m超の夜明け前の紫色のグラデーションに包まれた空の下で必死に写真を撮っていたのである。 それは、前年の11月に大峰・八剣山で「夜明け前のグラデーション」の美しい情景を魅せられて虜になって、この中央アルプスでもその情景を欲したからである。 それでは、夜明け前の崇高な『グラデーション』の美をごろうじろ。
夜明け前の『ショータイム』
濃紺から紫・・そしてかぎろい色に
神掛かったグラデーションの美を奏でる
やがて空は全てかぎろい色となる
周囲の山々も
この年が始まる準備を整えて
空の『グラデーション』の変化に夢中になっていると、程なく御来光の時がやってくる。
この時を見計らって、山荘の玄関口でタムロしていた宿泊客が一斉に玄関先に並ぶ。
その様子は、「御来光を見る事よりも、事を済ませてすぐさま山荘の中に戻る」“プロテクト”思考が渦巻いた様相だったよ。
すぐさま山荘を飛び出たワテのみが『軍司』の如く前に出て、山荘という『城』を背に『兵ども』(他の宿泊者)が『背水の陣』の如くへばりつく『陣容!?』となって、皆して固唾を飲んで御来光の瞬間を待つ。
『ブレミアム』な御来光
一年の始まりが
今ここに
その「一年の始まり」となる御来光は
それは富士の頂に陽の玉が乗っかる
極上の『プレミアム』なモノだった
その待ちわびる中央アルプスの『初日の出』の御来光は、この壮大なる!?『陣容』となった皆の期待に違わぬ特別なモノだったのである。 それは、初めてこの地で御来光を目にした者なら全く予期せぬ位置・・、富士山の頂上の凹みに御来光の陽の玉が乗っかる『プレミアム』な御来光シーンだったのである。 これは思わず唸ったよ、「スゲェ~」と。
陽の玉が富士の頂より離れていくと
御来光シーンは終わる
御来光シーンが終わり、『背水の陣』を固めていた『兵ども』が我先にと『城』(山荘)に引き上げる中、この富士から上がる“クライマックス”に魅せられたタワケは、「氷の世界に輝く灼陽」の情景を求めて雪原をウロウロと彷徨う。 もちろん、氷点下20℃・風速20mの「Wツェンティ(20)」の中を・・である。
氷の世界の灼陽
シャドーとなった山の斜面を
転がるが如く灼陽の火の玉が
その灼陽の火の玉は
氷河から雪煙を巻き上げ
自身も火の玉から星になる
やがて灼陽の火の玉は
周囲を柔らかい朝の光で照らし始める
すると、『城』の中に退却しなかったカメラマンが、ワテに声を投げかける。 「スミマセ~ン そのままいっときその場所で立ち止まってもらえないか?」と・・。 どうやら、過酷な「wツェンティ(20)」の状況下で耐えるワテが写真の『絵』となったようである。
周囲の山々を撮っていると
お声が掛かった
まぁ、かぎろい色の夜明けの空の下、吹っ飛ばされそうな風に耐えながら雪原を歩く人の孤影は絵になるわなぁ。 ・・という訳で、この俄か『モデル』業を快く引き受ける。 まぁ、若かったからね。
今だったら風でふらついているだろうけど。
吹きすさぶ風に耐える『モデル』を
兼任しながら撮った一品でっす
御来光の一連の「ショータイム」が終わり、ほぼ一番最後に朝食を取って、7時頃に中央アルプスの盟主・木曽駒ヶ岳へと向かう。 山荘を出ると緩やかな丘状の高みへ登っていく。 登っていくと、山の猛者達の『巣』であるテント場が見下ろせる。
この時は「真冬のテント」に呆れたが
数年後は「ミイラ取りがミイラ」に
このテント場の連中を見て「冬はここまではしたくないなぁ」と一人頷くが、その数年後に自らがそれをやっているのは藪の中に。
雪でカチコチに凍った避難小屋
コレ・・再び使えるのかな?
木曽中岳の頂に居座る
巨大なホッキョクグマ
陽の光がいつの間にか
射す様なギラギラに変わっていた
やがて、ホッキョクグマのような氷塊が頂上にデンと居座る木曽中岳 2925mの頂上に出る。
木曽中岳からは広い雪原を緩やかに下り、下った時と同じ感覚で緩やかに登り返すと、木曽駒ヶ岳の頂上の祠が見えてくる。 山頂直下の窪地には《頂上山荘》があるが、冬眠中のようだ。
頂上直下の山荘は『冬眠中』のようだ
中央アルプスの盟主・木曽駒ヶ岳 2956mの頂上に立つと、今まで山の腹で遮られて弱まっていた風がイッキに渦巻いて吹きつけてくる。 それは、御来光の時に『モデル』となって耐えた風よりも数段強く感じた。
穏やかな様に見えても
「Wツェンティ(20)」でした
なので、中アの盟主での『アリバイ写真』はこんなに滑稽なモノと相成ってしまいますた。
まぁ、「タワケに相応しい『アリバイ写真』だ」と言えばその通りだけどね。
コリは撮ってくれた方も
退いただろうね
頂上の風は凄ましく、目も明けてられない程に強烈だったので、頂上写真はロクに撮れなかった。
・・そういえば、この木曽駒ヶ岳は、後にも先にもこの時以外に登頂した事ないんだよね~。
木曽駒ヶ岳の頂上にて
御岳山が見渡せる
北アの山々を見るのも
木曽駒ヶ岳だね
でも宝剣岳は迫力が殺がれるね
空木岳や南駒ヶ岳は望めるけど
帰りはつづがなく《宝剣山荘》に戻る。 山荘に戻って、後は山岳指導員の指示に従って千畳敷まで降りるだけだが、このタワケは「山岳指導員の目を盗んで“行ってはいけません!”」の方向へ足を向けたのである。 そう、宝剣岳のそびえ立つ方向へ・・である。
これより「行ってはいけません!」の方向へ
その宝剣岳への道は、木曽谷に周りこむまでは何でもないが、木曽谷に入り込むと宝剣岳の山体が野球のグローブのように刳り貫かれて木曽谷に垂直に落ちており、このトラバースが鎖片手に行かねばならない。 シクると、間違いなく滑落して「サヨナラ・・額縁の人」だ。
でも、『奇跡の体力』全開の寸前までに至り体力的な自信に満ち溢れていたのか、そんなに恐怖感は感じなかった。 基本的には「生涯1度たりとも幅跳びで3mを越えた事のない」超ド級の『運痴』で、山を歩く歩行の技量もないのに、何故にこんなに自信に満ちていたかを考えてみる。 そういえば、まだ「雪山で滑落した体験」が無かったんだったわ。
でも、この後何度も滑落して(何度も滑落してよく生きてるな・・)、その恐怖を身体で憶えてしまったから、今は無理だろうね。 でも、アイゼン外れなくて良かったわ。 アイゼンの装着が甘く、日頃は外れまくりのアイゼンも、こういう勝負ときには不思議に外れない悪運の強さを持っているのだろうね、このタワケは。
山の技量もナシに
冬の宝剣岳行って帰ってこれただけでも
類い稀なる『悪運』だよ
宝剣岳の頂上はもの凄い風で写真どころじゃなかったので、一枚もとってません・・っていうか、カメラを取り出す為にリュックを降ろす事も困難だったよ。 当然「行ってはいけません!」の所なので、誰もいなかったしィ。
帰りも緊張しながら降りて行ったが、それほど恐怖を感じなかったので明確に状況を憶えていない。
ただ、デンジャラスな木曽谷の「グローブの中」をトラバースしきって、《宝剣山荘》に続く尾根筋に戻り経った時、大きく息を着いてピッケルを深く雪に突き刺した“興奮状態”だけは憶えている。
デンジャラスゾーンの木曽谷を越えて
ホッとひと息・・ 宝剣岳を見上げる
後は、先程に目を盗んだ山岳指導員の指示に従って、千畳敷まで降りる。 でも、千畳敷への下りにもたつく登山者が結構な数でいて、山岳指導員が「もっと山の技量を得てから来なさい!」、「アイゼンも4ツ爪はダメ! 装備はしっかりと!」、「ストックじゃなくピッケルだよ!」などと叱りながら、その登山者の脇についてサポートしながら下っていた。
あとはつづがなく千畳敷に降りるだけ
この頃は急傾斜の下りでも
写真を撮れる余裕がありますた
でも、下りに躊躇する登山者でコレだから、「行ってはいけません!」の禁を犯した事がバレたらワテ・・、罵倒されるだろうね。 まぁ、この後の長い山の自分史では、何度も「お客さん扱い」ながらも罵倒されているので、その事は後々の『よも“ヤマ”話』で語るとしましょうか。
最後は南アの白峰三山おば・・
、
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No title * by 風来梨
chinuさん、こんばんは。
絶賛のお褒めを頂き、光栄の至りです。
私自身も今のへたれば具合を見ると、まるで別人がした事のようです。
これより更に過酷で笑える・・というより、ドン引き必至の山ネタが出てきますので、宜しければ御期待の程を。
絶賛のお褒めを頂き、光栄の至りです。
私自身も今のへたれば具合を見ると、まるで別人がした事のようです。
これより更に過酷で笑える・・というより、ドン引き必至の山ネタが出てきますので、宜しければ御期待の程を。
No title * by 鳳山
夜明け前の冬山の空、幻想的ですね。
ナイス
ナイス
No title * by 風来梨
鳳山さん、こんばんは。
幻想的な情景の現場は、得てして厳しい撮影条件ですね。 朝方は氷点下20℃を下回り、風速も風の抜ける所は風速25メートル以上の吹っ飛ばされそうな状態です。
幻想的な情景の現場は、得てして厳しい撮影条件ですね。 朝方は氷点下20℃を下回り、風速も風の抜ける所は風速25メートル以上の吹っ飛ばされそうな状態です。
すんばらしい写真達です。そもそも、人間がこの厳冬期に山に登れることが不思議でしょうがありません。私も、休みの日は外で過ごすアウトドアはではありますが、とてもとても。
昔から新田次郎の作品が好きでよく読んでいましたので、知識だけはそこそこあるのですが・・・
とてもナイスな写真でした。暖かい部屋で見ているのが申し訳ない気がします!