風来梨のブログ

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私の訪ねた路線  第30回  歌志内線

『私の訪ねた路線』  第30回  歌志内線 〔北海道〕
 

歌志内駅入場券と乗車券
 
《路線データ》
        営業区間と営業キロ           輸送密度 / 営業係数(’83) 
       砂川~歌志内 14.5km           658  /  394 

        廃止時運行本数      廃止年月日      転換処置 
          8往復        ’88/ 4/25     北海道中央バス
 
   《路線史》
沿線の炭鉱から産出される石炭の積み出しの為に建設された、典型的な運炭路線である。
開業も早く、1891年に道央地域の運炭事業のほとんどを担った北海道炭礦鉄道によって建設された。
小樽港への運炭が路線建設理由の全て・・という事で、主幹線の接続駅である砂川から炭鉱のある歌志内までの全区間が一括開業している。

1906年に鉄道国有法が発布されると、北海道炭礦鉄道が建設・保有したほとんどの運炭路線と共に買収・国有化される。 国有化後はそのまま《官設鉄道・歌志内線》と呼称されるようになった。
以来、運炭と旅客営業にあたったが、1970年頃からの石炭産業の衰退と共に貨客とも減少していく。

そのような中で国鉄再建法が制定されると、炭鉱(歌志内にある空知炭鉱〔1995年閉山〕)が稼動しているにも拘らず、路線存続の輸送基準に満たない路線として1984年に第二次の廃止対象路線に指定されてしまう。 その特定地方交通線(即ち廃止承認路線)指定にまつわるエピソードがあった。

それは『独立路線』として廃止承認を受けた歌志内線と同じく、砂川を基点に並行するように同じ運炭路線の函館本線・上砂川支線があったのだが、こちらは輸送密度が歌志内線より低かったにも関わらず「幹線鉄道たる函館本線の一部」として未承認扱いとされた為、鉄道雑誌などで声高に「路線名による運・不運」の『不運な路線』として取り沙汰された事があった。

この廃止承認を受けてから4年後の1988年4月25日に、歌志内線は規定通りに廃止・バス転換されている。 そして函館本線・上砂川支線も、この歌志内線が廃止されてから6年後の1994年の5月に廃止された。 しかも、特定地方交通線としての廃止転換である歌志内線は転換交付金の受託や代替バス等の指定が行なわれたが、この上砂川支線はそんな恩恵が皆無の状態で廃止されたので、今となっては上砂川支線の方が『極めて不運であった』という事になろう。
 


 

蒸気機関車が長い運炭貨物を牽引する
“往時の運炭路線”がイメージ図案の
歌志内駅スタンプ
 
   《乗車記》
砂川からの2つの運炭路線である歌志内線と函館本線の支線・通称〔上砂川支線〕は、砂川駅の母屋に寄り添う本線筋のホームから最も離れた所から発着していた。 歌市内線が2面3線を有する砂川駅の母屋から最も離れた外側の3番線で、上砂川支線約に至っては駅母屋から100m離れていて、辛うじて跨線陸橋でつながっている『離れ小島』の5番線(4番線は欠番)から発車していた。
 
一応本線を名乗る函館本線の支線格である上砂川支線が5番線、歌志内線が3番線を使っていたようだ。 
この両線は、互いの反対側へと進んでいく。 つまり、砂川駅の4番5番線の島式ホームを挟んで1本のつながった路線の形状を成していた。 まぁ、直通列車が行き交う事はなかっただろうけど。
 
さて、砂川を出た気動車は深川側に進路を取り、大きく右にカーブしてペンケウタシナイ川沿いに進んでいく。 やがて、北海道の格上系の仮乗降場でよく見られるタイプのちょっと大き目の波板で造られた待合所を持つ焼山に着く。
 
清流の川は終点の歌志内まで寄り添うが、イメージ的には廃れた炭鉱町の暗い雰囲気が各所に漂っている。 次の文殊は、石勝線の旧来の夕張線区間であった川端駅と同じ造りの駅。 やはり、夕張という炭鉱を抱えていた地区と同じ目的で鉄道路線が敷かれたからだろうか?
 
そして、駅名の妙もこの路線は『目からウロコ』である。 まず焼山は、「蒸気機関車からの火の子で山火事が頻発した事にちなんで・・」らしく、次の文殊は3人の共同で炭鉱を経営していたらしく、『3人寄れば文殊の知恵』の諺にちなんだらしい。 ほとんど『ウソだろ?』と訝るような駅名のネーミングである。 なお、この文殊と砂川で反対方向に線路を延ばしていた上砂川支線の終点・上砂川は約1kmと近接している。
 
次の西歌は『西歌志内』の略らしい。 駅舎は、炭鉱の飯場兼仮眠場のような建物だ。 今は近くに歌志内温泉のクアハウス『チロルの湯』があるとの事だ。 西歌の次の神威は元有人駅との事で、駅務室跡が大きながらんどうとなって残っていた。
 
次の歌神駅は如何にも意味有りげな響きを持つ駅名だが、実は「前駅の神威と次の歌志内の頭文字をとって引っ付けただけ」というオチを持つ駅だ。 立派な駅舎があった記憶があるのだが、末期は取り壊されてホームのみとなっていたらしい。
 
次は終点・歌志内だ。 一応炭鉱路線という事で、数本の側線がヤードの形で配置され、またその奥の一本は空知炭鉱へと続いていた。 また、廃止直前まで細々ながらも炭鉱の積み出しがあり、路線廃止となる最後の最後まで石炭を運搬する貨車(通称・セキ貨車)が機関車につながれて、駅構内を往来していたという。

   ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『歌志内線』を御覧下さい。
 
 
 
 
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No title * by オータ
乗りにいけませんでした… 後に「悲別」として残っている駅は訪ねましたが。

No title * by 風来梨
この路線は、乗っただけです。
「悲別」の方も、乗っただけです。

いずれも終点では6分折り返しで、スタンプと入場券を買うのが精一杯でした。

No title * by オータ
拝復、ごめんなさい。上砂川と勘違いしていました…恥ずかしい!

No title * by 風来梨
けっこう、乗車を後回しにしてそれっきり・・ってオチの路線でした。 私もその理由です。

コメント






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No title

乗りにいけませんでした… 後に「悲別」として残っている駅は訪ねましたが。
2011-06-19 * オータ [ 編集 ]

No title

この路線は、乗っただけです。
「悲別」の方も、乗っただけです。

いずれも終点では6分折り返しで、スタンプと入場券を買うのが精一杯でした。
2011-06-19 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

拝復、ごめんなさい。上砂川と勘違いしていました…恥ずかしい!
2011-06-21 * オータ [ 編集 ]

No title

けっこう、乗車を後回しにしてそれっきり・・ってオチの路線でした。 私もその理由です。
2011-06-21 * 風来梨 [ 編集 ]