2018-12-08 (Sat)✎
路線の思い出 第291回 羽越本線、奥羽本線・秋田駅 〔秋田県〕
駅前開発事業の一環で
記憶とは全く違う駅となっていた秋田駅
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
羽越本線
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
新津~秋田 271.7km 2557 / 208
’18年・運行本数
酒田~秋田 下り10本、上り9本
羽後本荘~秋田 6往復
新屋~秋田 下り5本(内 下り1本快速)、上り4本
道川~秋田 下り1本
新潟~秋田 特急【いなほ】 3往復
奥羽本線
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
福島~青森 484.5km 5140 / 156
’18年・運行本数
秋田~横手方面 普通 下り20本(内 快速1本)、上り18本
秋田~東京 秋田新幹線【こまち】 下り21本、上り19本
秋田~大舘方面 普通 下り22本、上り23本(内 快速 上下各2本)
秋田~男鹿 普通 15往復
秋田~青森 特急【つがる】 3往復
秋田駅(あきたえき)は、秋田県秋田市中通七丁目にあるJR東日本の駅である。 秋田県庁所在地にある県の代表駅であり、直営駅(駅長・副駅長配置)となっている。 管理駅として、奥羽本線の大張野駅・和田駅・四ツ小屋駅および羽越本線の下浜駅 ~羽後牛島駅間の各駅を管理している。 ’17年度の1日平均の乗車人員は10779人で、秋田県内の駅では最多となっている。
ホームは4面10線で、1・2番線は単式・切欠きホーム1面2線で、1番線は2番線の青森方を切り欠いた位置にある。 3~8番線は島式ホーム3面6線で構成されている。 2・3番線の間と6・7番線の間に、通過線がある。 7・8番線は福島方の半分を秋田新幹線ホームとしたため行き止まりであり、発着する列車は少ない。
新幹線ホームは、当駅が秋田新幹線の終点であり、頭端式1面2線ホームとなっている。
在来第4ホーム(7・8番線)と同一平面にあり、土崎側に乗換改札口(自動改札機)がある。
駅舎は橋上駅舎で、秋田駅東西連絡自由通路「ぽぽろーど」にある。 自由通路の北側は、駅ビル・びゅうプラザ秋田駅・みどりの窓口・在来線改札口・新幹線改札口の順で駅機能が並んでいる。
新幹線改札口には自動改札機が4台設置されている。 在来線は、中央改札口のみ自動改札機(Suica非対応)が導入されている。 自動券売機は各改札口に、みどりの窓口・指定席券売機は中央口のみ設置されている。
自由通路の南側は、駅ビル駐車場・スターバックス秋田駅店・待合室・NewDays秋田ぽぽろーど店・秋田市観光案内所がある。
ワテの記憶にある秋田駅の姿
※ ウィキペディア画像を拝借
秋田駅の思い出は、もちろん今の改装された駅での事ではない。 それは、シンカンセンが開通するずっと以前の、旧駅舎時代のワテが若かりし時の事である。 そして、その「駅の思い出」の内容は”うる憶え”の曖昧な記憶のモノである。
秋田駅前の激変たる変わり様に気づかず
この看板が『秋田誉』だったと思ってたよ
※ ウィキペディア画像を拝借
その”うる憶え”の曖昧な記憶とは、雪がちらつく駅の玄関口に下りたって目にした『情景』なのである。 それは、ビルの屋上に設置された白地に赤い文字の電飾看板で、『天下の美酒 秋田誉』の文字が雪のちらつく夜空に煌々と浮かび上がっていたのである。 それが何とも叙情的な情景で、雪国『秋田』を思わせる情景だったのである。
その看板を見ながら、秋田駅にこの日降り立った用事を済ますべく、駅前から続く昔ながらの商店街のアーケードをくぐっていった記憶があるのだ。 その時の”用事”とは、駅前交番でポリちゃんが住宅地図を広げて、「この商店街のアーケードを抜けた先に確かあったハズ」と教えてくれた銭湯へ行く事であった。
コインロッカー料金を惜しんで、「盗れるモノなら盗ってみやがれ!」と荷物を駅の待合室にデポ(放置の事)して、手ぬぐいと下着の替えのみをポリ袋に詰めて雪がチラチラと舞う夜空の下、商店街のアーケードを練り歩く。 その光景は、風呂無しの下宿屋に住む学生の姿と重なる古き良き時代の・・、そう『♪神田川』の歌詞に出てくるモノだったのである。 まぁ、違う事といえば、銭湯に行くのは一人旅の野郎だけで、一緒に銭湯に行ってイチャつく彼女が横にいないって事であろうか。
『♪神田川』のストーリーを紡げる駅舎は
やはりコチラの駅姿だろう
※ ウィキペディア画像を拝借
駅前交番のポリちゃんが教えてくれた通りに銭湯はあって、ひと風呂浴びて番台で”お約束”の瓶のフルーツ牛乳を腰に手を当てて飲み、濡れた手ぬぐいを首に当てて再び雪がちらつく街からアーケードを通って駅に戻る。
その道すがらも、『秋田誉』の電飾看板が、駅の位置を指し示す『水先案内』をし続けてくれたのである。 ほんの他愛もない、旅の出来事とも言えない「ただ銭湯に行って帰ってきただけ」の事だが、妙に憶えているのである。
それで、この『路線の思い出』のネタとしてこの事を取り上げるべく、その”曖昧な記憶”が確かなモノだったのかどうかを調べて見る事にしたのである。 まぁ、これを調べようとした動機は、間違いなくこの『路線の思い出』のネタ繋ぎのさもしい心根なのであるが。←まだ、冬の北海道駅ネタを出すには暖か過ぎるしィ。
すると・・、その”曖昧な記憶”は半分が合っていて、半分が妄想だと判ったのである。
そして、その『妄想』となる間違った記憶は、やはり「このようであって欲しい」というワテ自身の願望だったのだろう・・と思う。 付け加えると、その時の情景は跡形もなく消え去っていて、「例え妄想でも、妄想を夢見る本人がいいなら、別に構わんじゃん!」という状況となっていたのである。
そう・・、秋田駅は、あの頃とは全く『別の駅』となっていたのである。 それは、「かつての旧駅舎自体が妄想ではないのか?」と思える位に跡形もなく変わっていたのである。
かつての駅前の情景
:
それは記憶と願望からくる妄想が
ごちゃ混ぜとなったモノだった
※ グーグル画像を拝借
それは、秋田の酒の電飾看板は確かにあったが、それは『秋田誉』ではなくて、『太平山』という銘柄であったのだ。 でも『秋田誉』は全くの”妄想”ではなく、商店街のアーケードの入口に掲げられていた電飾看板だったのである。
『秋田』を端的に示す『秋田誉』の記憶は
このアーケード入口の電飾看板との
ごちゃ混ぜの妄想だった
※ グーグル画像を拝借
雪がちらつく夜の空に煌々と照らす「秋田の駅で見た地酒の電飾看板の情景」のイメージが、『秋田』の文字を含む『秋田誉』となったのであろう。 でも、それらの後は、跡形もなく消え去っている。
同じ暮れの駅前情景
:
だが・・この光景に
憧れるような情感は湧かない
※ グーグル画像を拝借
何でも、『天下の美酒 太平山』の電飾看板が掲げられたビルは区画整理で取り壊されて、その跡地には高層ホテルが建設されたとの事。 そして、アーケードも廃されて、黄色い看板の雑貨チェーンストア『ロフト』とその専門店が入店するテナントビルとなっていたのである。 そう・・、旅情もヘッタクレもない、都会の駅前風景と同じな光景となっていたのである。
恐らく・・これが
古き良き時代を魅せてくれた
アーケードから変わった姿だろう
※ グーグル画像を拝借
便利で商売をするなら今の駅の様式の方が優れているのだろうけど、そこに「雪がチラチラと舞う中を首に手ぬぐいぶらさげて銭湯へ通う」といった、古き良き時代の風情が失われたのだ。
そして、それを惜しむワテの深層心理が、こういった妄想と記憶のごちゃ混ぜを生み出したのだろうね。
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No title * by 風来梨
オータさん、こんにちは。
>昔の駅舎、駅前のほうが、おしなべて味があるのは なぜなのでしょうね!?
やはり、昔の方が心にゆとりがあったからではないでしょうかね。
駅も列車の運行形態も、「鉄道事業」という商売を抜きにした利用客への優しさと気配りがありました。 でも、そういった「気配り」は「費用がかさむ」、「採算が取れない」という事で撤去されていきました。
こういった殺伐とした余裕の無さが、今の時代に噴き上がる問題点の数々だと思いますね。 そして、あの頃に戻りたいと思う私の思いが、回顧ネタの乱発だったりして・・。
「昔の方がいい写真が撮れたしィ」という、回顧ネタの乱発の真実はヤブの中に・・。
>昔の駅舎、駅前のほうが、おしなべて味があるのは なぜなのでしょうね!?
やはり、昔の方が心にゆとりがあったからではないでしょうかね。
駅も列車の運行形態も、「鉄道事業」という商売を抜きにした利用客への優しさと気配りがありました。 でも、そういった「気配り」は「費用がかさむ」、「採算が取れない」という事で撤去されていきました。
こういった殺伐とした余裕の無さが、今の時代に噴き上がる問題点の数々だと思いますね。 そして、あの頃に戻りたいと思う私の思いが、回顧ネタの乱発だったりして・・。
「昔の方がいい写真が撮れたしィ」という、回顧ネタの乱発の真実はヤブの中に・・。
昔の駅舎、駅前のほうが、おしなべて味があるのは なぜなのでしょうね!?
ともかく、今の新幹線停車駅など まつたくつまらない駅ばかりです。