2018-12-01 (Sat)✎
『日本百景』 冬 第356回 加津佐・前浜 〔長崎県〕
女島と白浜を背景に
旧国鉄型の気動車を
『撮り鉄』する為に・・
加津佐・白浜と女島展望台
長崎県・南島原市(旧 加津佐町)にある、白砂青松で美しい海水浴場である。 透明度の高い海で海岸が広く、島原半島の砂浜でも人気が高い。 また、イルカウオッチングも楽しめるとの事。
2008年に路線廃止となるまで、海水浴場の前に島原鉄道の終着駅・加津佐駅があった。
また、駅裏から海水浴場までの間はコテージ村となっていて、リゾート気分が味わえる。
その前浜の海岸線に突き出す女島は、白砂青松で美しい海岸風景と加津佐の街が一望できる展望台となっている。 また、この女島は、美しい白砂の海岸風景のいいアクセントとなっている。
この加津佐・白浜は『海水浴場』のビュースポットという事で、本来なら夏に取り上げるべき景勝地であろう。 だが、ワテがこの砂浜を訪れたのは冬で、しかも海の風景を魅にきたのではなく、2008年の3月末で廃止となった島原鉄道と砂浜風景・・、もっと踏み込んで言えば当時島原鉄道のこの区間で運用されていた、旧国鉄からの払い下げのキハ20系気動車を撮る『撮り鉄』が主目的だったのである。
でも・・来るのは大半が
黄色の軽快気動車だった
更に踏み込むと、この時の旅ではこの島原鉄道を訪ねる事は予定にはなかったのである。
それは、この旅の目的が『冬の九州の滝めぐり』で、この島原鉄道を含めて鉄道をめぐる予定は全く組んでいなかったのである。
なぜなら、勤め先の火曜日が会社創立記念日で休みとなっていて、有休を充てる月曜を土日とつなげて4連休の日程をこしらえての旅を企画したのだが、この日数では九州の滝をめぐるのが精一杯で、島原鉄道が廃止になるのは知っていたが、「日程が足りずパス」としていたのである。
「かつてとった杵柄」に火が点いて
予定外の島原鉄道の『撮り鉄』へ
だが、滝めぐりの最中に災害で廃線となった高千穂鉄道の放置された廃線跡を目にして、「かつて取った杵柄」に火が点いたのである。 でも、今いる宮崎と熊本の県境付近から島原までは遠すぎるので「無理か・・」と諦め半分でレンタカーのカーナビに『加津佐』と入れると、熊本に出てカーフェリーに乗ると案外早く島原市街に上陸できる事が判ったのである。
・・で、実行。 懸念材料だったカーフェリーの航送料金も3500円と許容範囲で、このカーフェリーにレンタカーを乗せて、夕方の6時頃に島原外港に着く。 島原外港で車を置いて、全く未乗の島原鉄道の廃止区間だけでも乗りたかったのだが、島原外港の駅付近は”超”がつくほどの手狭な袋小路の駅で車の置き場がなく、かといってフェリー乗り場の駐車場に長々と止める訳にもいかないので、加津佐から乗る事にして車を向かわせる。
旧島原外港駅
軽乗用車でさえ転回が困難な袋小路駅だった
※ ウィキペディア画像を拝借
加津佐駅に着いた時に運良く加津佐駅に止まっていた列車に、発車時刻も確認せずに飛び乗る。
この列車は最終列車だったようで、これに乗って廃止区間の端である島原外港駅まで乗ってしまうと加津佐に戻れなくなるので、最初の交換駅の原城駅で降りて、折り返しの列車で加津佐に戻らざるを得なくなってしまったのである。 乗ってから知った事だけど、夜の8時前が最終列車なんて、早すぎるんでないかい?
後で知った事だが
最終が19:48って早すぎるんでないかい?
※ ウィキペディア画像を拝借
コレで、廃止区間の完乗はならず終いとなっちまったよ。 まぁ、島原をめぐる自体が今回の旅では予定外だから仕方ないとは言え、帰ってから悔しい思いが残るだろうなぁ。 加津佐に戻ってから、今夜車寝をする『道の駅・ふかえ』に戻る。
寝着くまでの間に、過去に見た島原鉄道の写真やら、雲仙普賢岳の噴火で不通になった歴史やら、以前は国鉄型に似せた気動車があって、急行列車と併結運転で博多まで運行されていた事やら・・と、ローカル線『撮り鉄』に熱中していた頃の記憶を必死に思い返して明日の『撮り鉄』の構想を練っていた。
普賢岳は常に道路を挟んだ内側となり
狙える地点がなさそうだった
だが、空想や構想が膨らんで眠る事ができず、たまらず夜中に線路に沿って車を走らせる。
車を走らせてみたら、構想の成否が明らかになってくる。 沿線を通じてのほとんどが「線路は海手・道路は山手」で、普賢岳バックは国道が間に入ってしまって今イチだ・・と解る。
なら、海に面した所は・・というと、これも線路がコンクリートの護岸の上に敷かれていて、今イチぱっとしないのである。 ならば、過去に写真で見た事のある「船着き場と繋がれてる漁船を背景に」はないものか・・と思ったが、加津佐までの間にそれは発見できなかった。 後から知った事だが、船着き場につながれた漁船をアテにするアングルの撮れる撮影地は、どうやら廃止されずに残る区間側にあるようである。
波止場風景は残存区間との事らしいが
入江風景の撮影場所はこの女島だった
このように、コレといった撮影場所を見つけれぬままに、終点の加津佐にたどり着く。 取り敢えず駅舎の中に入って、先程慌てて列車に飛び乗ったが為に全く目に入っていなかった駅舎の中の掲示物に目を向ける。
駅舎内の掲示板には3月末をもって島原外港~加津佐の区間が路線廃止となる旨の張り紙がデカデカと掲げられていたが、その脇の小さなスペースに駅周辺の名所案内が掲げられてあって、加津佐の街を一望できる好展望地・女島の事が掲示されていた。 これを目にして、「撮影地はここだ!」と決まったのである。
駅の廃止告知に埋もれた
名所案内を見て「ここだ!」と思ったよ
さて、撮影地が決まったなら、その場所へ向かわねばならない。 加津佐駅の周辺は海水浴場となっていて、バンカロー村やコテージ施設があり、その奥の標高100m足らずの陸地の盛り上がりが、女島のようである。 この頂上が、街を一望できる展望台との事である。
・・で、早速、女島展望台へ行ってみる事にする。 だが不思議な事に、女島展望台への案内が皆無なのだ。 これを不思議に思いながら進んでいくと、何と土砂崩れで通行止になっていたのである。
どうやら、土砂崩れの後に復旧せずに放置されたまま通行止となっているらしいのである。
どうりで案内がなかった訳である。 案内が取っ払われている所をみると、近々に復旧する気はナシのようである。
通れる所はこれ程でもなかったが
それでも土砂崩れが道を塞いでいた
※ ユーチューブ画像を拝借
さて、その土砂崩れは身長大の大岩がダダ崩れとなって通路を防いでいたのだが、これ位ならよじ登って潜り抜ける事はできそうである。 なんだかんだ言っても、こんな土砂崩れよりも修羅場を山で経験してきているので、これを抜けるのは造作もない事である。
登り着いた女島展望台は
こんな感じだった
で・・、夜明けの30分位前に女島頂上の展望台に着く。 この上からは街を一望できる素晴らしい展望が広がっていた。 早速、日の出時にやってくる加津佐行きの始発列車を狙う。 ・・が、これは、ワテの最も失敗するパターンの『点景』(列車が小さくなりすぎて点景となる失敗)に終わった。
あっ 点景になっちった
でも、列車の速度が遅く、余裕でレンズを望遠に変えて、やや光量不足なものの構わず海沿いの砂浜を渡る列車を狙ってみる。 どうやら、これが今回の一番星になったようである。
その後も陽が昇って明るくなるまで、駅の俯瞰を交えたり、朝日を海に煌めかせたり、街の全景を撮ったりしながら、楽しい時を過ごす。 でも、街を俯瞰して、これほどの規模の町でも鉄道はやっていけない現実も目の当たりにしたのである。
女島展望台より加津佐の街を俯瞰する
:
決して人里稀な突端地ではないのだが
それでも鉄道経営は立ち行かない
さて、陽も完全に上がって、さすがにひと所で撮り続けるのも飽きてきて、俯瞰していた砂浜へと繰り出す事にする。 砂浜に出て、思ったのは『波と列車のアングル』である。 でも、線路と砂浜と海が結構離れていて、意図通りにはいかなかったようである。 ちなみに撮った列車は、美味しい事にJRから払い下げられた国鉄型のキハ20であった。
海に突き出た岩に寝そべって
時折「船を漕ぎながら」撮っていると
後は、昨日からほとんど寝ていない事もあって、岩礁に寝そべって時折ウツラウツラしながら撮っていると、潮が満ちてきて岩礁が沈みそうになった中に取り残されたオチャメ(大失態)をキッチリ決めて、島原鉄道の撮影の思い出を終える。
見る見るうちに潮が満ちて
取り残された上に
沈みかけてたりして
でも、沈みかけた岩礁に取り残されたのはヤバかった。 岩礁から海岸べりへの幅飛びは、もしかして生涯初めての3m超えを記録したかもしれない。
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Re: 加津佐・前浜 * by 風来梨
terubonさん、こんばんは。
> 加津佐・前浜のブログ拝見しました。
> 私がレンタカーでうろついた地方に鉄道が走っていたなんて
> 始めて知りました。原城跡は面白いですが
> 何の目的で鉄道を敷いたのでしょうね。今考えると廃線しても仕方ないですね。
> あのブログ写真がバラバラで見難いでしょう。
> ヤフーを移行したままで何の手も加えていないのです。
> これからもあちこちの旅行記や、日常の出来事をご覧の上コメ下さい。
2008年4月に熊本~島原を結ぶ有明海フェリー乗り場の島原外港駅より先が廃止されましたが、最盛期は諫早駅から急行列車に併結されて博多までの列車が運行された幹線鉄道だったのですね。 もう、30年以上も前の話ですが・・。
その頃は道も整備されておらず、もちろん高速道路もなく、鉄道が移動手段の主を担ってました。
でも、普賢岳の噴火と共に転落の命運を辿りました。 一度は土石流災害から復旧したのに、利用客の鉄道離れで力尽きましたね。
私も、基本はヤフーからの記事はそのまま放置です。 正直言うと、1500記事もあって面倒見きれないですし・・。
リンクを貼る時などに、チョロっと手を加える程度です。
> 加津佐・前浜のブログ拝見しました。
> 私がレンタカーでうろついた地方に鉄道が走っていたなんて
> 始めて知りました。原城跡は面白いですが
> 何の目的で鉄道を敷いたのでしょうね。今考えると廃線しても仕方ないですね。
> あのブログ写真がバラバラで見難いでしょう。
> ヤフーを移行したままで何の手も加えていないのです。
> これからもあちこちの旅行記や、日常の出来事をご覧の上コメ下さい。
2008年4月に熊本~島原を結ぶ有明海フェリー乗り場の島原外港駅より先が廃止されましたが、最盛期は諫早駅から急行列車に併結されて博多までの列車が運行された幹線鉄道だったのですね。 もう、30年以上も前の話ですが・・。
その頃は道も整備されておらず、もちろん高速道路もなく、鉄道が移動手段の主を担ってました。
でも、普賢岳の噴火と共に転落の命運を辿りました。 一度は土石流災害から復旧したのに、利用客の鉄道離れで力尽きましたね。
私も、基本はヤフーからの記事はそのまま放置です。 正直言うと、1500記事もあって面倒見きれないですし・・。
リンクを貼る時などに、チョロっと手を加える程度です。
私がレンタカーでうろついた地方に鉄道が走っていたなんて
始めて知りました。原城跡は面白いですが
何の目的で鉄道を敷いたのでしょうね。今考えると廃線しても仕方ないですね。
あのブログ写真がバラバラで見難いでしょう。
ヤフーを移行したままで何の手も加えていないのです。
これからもあちこちの旅行記や、日常の出来事をご覧の上コメ下さい。