風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第289回  阪急宝塚本線、今津線・宝塚駅

路線の思い出  第289回  阪急宝塚本線、今津線・宝塚駅  〔兵庫県〕


唯一自身で撮った阪急の画像おば
宝塚本線を撮った写真が見当たらないので

《路線データ》
宝塚本線
   営業区間と営業キロ             運行本数(’18)   
 阪急・梅田~宝塚 24.5km   宝塚駅発着列車 毎時6本、ラッシュ時78
                  宝塚発着列車は早朝・深夜を除いて
                  ほとんどが阪急・梅田~宝塚運行の急行
今津線
   営業区間と営業キロ             運行本数(’18)   
   宝塚~今津 9.3km     宝塚駅発着列車 毎時6
                  (普通は全て宝塚~西宮北口 運行)
                  朝ラッシュ時 1315
                  朝ラッシュ時のみ今津線経由の梅田行準急運行
                  夕ラッシュ時  810



宝塚大劇場に似せた外観の阪急・宝塚駅
※ ウィキペディア画像を拝借


阪急宝塚駅(はんきゅう・たからづかえき)は、兵庫県宝塚市栄町二丁目にある阪急電鉄の駅である。 19937月に今津線部分、9月に宝塚本線部分の駅の高架化が完成し、順次切り替えられて現在に至っている。 駅舎は宝塚大劇場等と共通した外観で、阪急百貨店を核とする店舗群と一体となっている。
また、駅屋上の一部は駐車場となっている。


頭端式ホーム24線を有する高架駅でホーム有効長は10両だが、現在のダイヤでは10両編成の列車は当駅に入線しない(1995年~1997年のダイヤでは、平日朝のみ設定されていた特急が10両編成で入線していた)。 ホームにある駅名標には、宝塚大劇場前の副駅名が記されている。
以前は付近にあった遊園地にちなみ宝塚ファミリーランド前と記されていた。


宝塚市の中心となる駅であり、阪急電鉄とJR福知山線の駅がある。 阪急の宝塚駅は、宝塚本線と今津線の共通の終着駅である。 もともと当地は阪急の牙城であり、駅の規模はJRより大きい。


戦前には当駅からさらに有馬温泉まで線路を延ばす計画があったが、六甲山系の山々に阻まれた事と、有馬温泉の宿泊施設からの猛反対に遭い実現しなかった。 かつて、阪急とJRの駅の間には国道176号線で隔てられていたが、国道が地下トンネル化されて駅前ロータリーが作られた経緯がある。



高架駅となる前の阪急・宝塚駅
※ グーグル画像を拝借

駅高架化以前は、今津線1本と宝塚本線2本の23線ホームで、なおかつ宝塚本線のホームは乗車ホームと降車ホームに分かれていた。 列車は乗客を降ろした後に引き上げ線に入り、再度乗車ホームに入線していたが、1960年代に編成両数増大に伴い乗降分離の取扱いが廃止された。


駅周囲が民家で囲まれていたため、8両編成分以上のホーム延伸が困難で、なおかつ駅構内も狭かった。 今津線ホームは6両編成分であったため、朝ラッシュ時の今津線経由準急梅田行(8両編成)は宝塚本線ホームに入線していた。


高架化以前の宝塚駅前は
情緒豊かなストリートだった
※ ウィキペディア画像を拝借

駅の高架化以前は、駅前から宝塚ファミリーランドへの道筋には土産物店が並んでいた。
このように温泉地として開発され、阪急電鉄の創業者・小林一三の手によって発展を遂げた宝塚駅周辺は行楽地の雰囲気をたたえていたが、宝塚ファミリーランドが閉園してからはそれも薄らいでいる。




宝塚駅の思い出・・。 それはもう、体験できない高架駅になる以前の思い出である。
幼い頃に3番目の母親(オヤジの女癖が思わしくなく、筆者の家庭内事情はチョッち複雑)が熱中していた宝塚歌劇団によく連れていかれたが、宝塚の歌劇など小学校低学年のガキには解る訳もなく、「退屈だぁ~」とグズついて、宝塚歌劇を観た後にこのグスついたガキの御機嫌取りに、今はもう廃園となって久しい《宝塚ドリームランド》のゴーカートに乗せてもらっていた。



宝塚歌劇が退屈でグズった小僧の
宥め先だった宝塚ファミリーランド
※ ウィキペディア画像を拝借

その時に、この3番目の母親の好物だった『ハイチュウ』というキャンディーガムを必ず買ってもらって食べて、『ハイチュウ』が歯に絡みついて酷い虫歯になった事を思い出す。 宝塚ファミリーランドのアトラクションなど全く憶えてはいないが、この『ハイチュウ』でなった虫歯の痛さは今でも鮮明に憶えている。 そんな、ガキの頃の『セピア色』の思い出が詰まった駅だった、高架化される以前の宝塚駅。


もう一つの思い出は、時が過ぎて高校生の頃。 当時、高校のワテはナンチャッて山登りクラブのWV部・・、周囲からは軽蔑の意味を込めて『ワンゲロ部』と呼ばれていた部の伝統的な活動である『六甲全山縦走』のゴール地点となったのが、この阪急・宝塚駅である。



六甲全山縦走ルート
赤線で引いた所を伝っていきます

この『六甲全山縦走』というのは、『山行』というより『行』といった方が正しいシロモノだった。
それは須磨浦公園から宝塚まで、六甲山の稜線を忠実に伝うモノだが、歩行距離約54km・所要時間は標準で15時間近く・・と、今の高校部活では『必ず』といっていい程に『ストップ』がかかる”オーダー”なのである。 それどころか、これを容認した顧問は吊し上げられ、部活は活動禁止となるだろうね。 ケガでもしようものなら、校長のクビが飛ぶかも。

まぁ、ワテが高校時代に所属した『ワンゲロ』部は巷でいう『基地外』部で、日々の訓練では”日課”として50㎏もの砂とブロックを詰めたザックを背負って100段の階段を10往復したり、素手で炎天下のアスファルトで腕立て伏せをするなど、『マゾヒスト』の様相を呈していたのである。


コレのシングルタイプで
厚い防炎素地を使っていたので
やたら重かった通称『自衛隊テント』
※ グーグル画像を拝借

また、使用する山の道具も、今ではプロの”山ヤ”さんでも使わないポンピング加圧式のガソリンコンロ《ホエーブス》を使ったり(もちろん、『第一種危険物』のガソリンも携帯)、高校生に一人で担がせるならば『リンチ』の誹りを受けかねない、重さ6㎏の通称『自衛隊テント』と呼ばれたツエルト型防火素地テントを担いだりしていたのである。

『定例山行』でも、顧問の同行ナシに雪山に行ったり、沢遡行をしたり(もちろん酒も持ち込み)と、問い詰められたならば、間違いなく顧問は教師生命を失う位に吊し上げられる『重量級』の違法部活だったのである。 考えればこの部活経験が、『奇跡の体力』の元となったのかもね。


コレ・・登山道ですよ
ヤル気なくすでしょ・・
※ グーグル画像を拝借

その『六甲全山縦走』とは、山に登る上で“何の楽しみもない”という事、そして前述の如くこのルートを歩くという事は、己の忍耐力を試す“行”であるという事であった。 つまり、“景色なんぞに目もくれずに、ひたすら歩け”という事なのだ。 そして、「この“行”をやり遂げたなら、それによって得られる充実感と自信は、きっと今後の生活での“糧”となり“力”となるだろう」という『教育的指導』の精神を押し付ける山行でもあったのである。

それは、登山靴で長い長い住宅地の舗装道を歩かされる“神経戦”や、山上遊園地を行き交う車や行楽客を横目に歩き続ける“虚しさ”、日没時間に追われて駆け下る事を迫られる《塩尾寺》への急傾斜、これら全てが厳しい試練となるのだ。 ”ヤリたい”盛りのチャラ男な高校男子の精神とは、真っ向から反した『忍耐試し』なのである。

その上、「この『六甲全山縦走』は、お前らの諸先輩も皆乗り越えたんだ」と、”一人前”になる為の『登竜門』の位置づけをされていたのである。 とどのつまり、全ての先輩の思想が絡む「逃げる事のできない」重大『イベント』だったのである。

その『イベント』当日の朝というか、まだ日が昇る数時間前の真夜中、「他にする事ないのか?」という先輩がわざわざ1ボックス車を出して、日の出前の4時過ぎにスタート地点の須磨浦公園駅まで送ってくれる。 もちろん、見送りつきで・・。 この先輩も、この情熱を他の方向に向ければ、大物になったかも・・ね。 まぁ、『ル・マン24時間耐久マージャン』を主宰するようなお方だったので、儚き夢となる公算大だが。


街の光に向かって駆けていく・・
※ 別の所で撮った六甲の夜景です

『六甲全山縦走』の途中経過はアホらしいので割愛するが、最後の《塩尾寺》からの下りは、真剣に走ったよ。 ・・で、早い奴で夜8時過ぎ、中堅のワテで9時前、ラストが10時前に次々と《塩尾寺》から舗装道を駆け下ってくる。 ゴールは、人混みも静まった休みの日の夜の駅・・。


あの時のうどん屋は
『阪急そば宝塚店』ではなかったのか?
※ ウィキペディア画像を拝借

記憶としては、ゴールインしてすぐさま駅そば屋に駆けこんで、汁気の多い『きつねうどん』やオキアミの天ぷらの入った安上がりの『天ぷらうどん』を、無事イベントを達成した仲間同志並んですすったのだが、調べて見ると過去も今も、宝塚駅では《阪急そば》店は出店していないようなのである。
要するに、記憶がごっちゃ混ぜになっているようである。

でも、あの時は確かにうどんをすすった記憶があり、それは17~18まで生きてきた生涯で1~2を争う『美味いうどん』だったのである。 だから・・「もしかしたら」であるが、屋台のうどんが出ていたのかもしれないね。 もし、『屋台のうどん屋』なら、それはそれで「セピア色の思い出」が1ページ加わった事になるね。


屋台のうどん屋だったなら
「思い出」は淡いセピア色に・・
※ グーグル画像を拝借

それは、当時の高架駅になる前の宝塚駅であるが、駅から《宝塚ファミリーランド》へのストリートの夜は、屋台の「のれん街」となっていたのだから。












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No title * by pikes peak
こんばんは。
もしかすると1枚目の画像は、桂駅??

ファミリーランドと言えば、電車館だけ記憶が残ります。
看板がズラリと並んでいたのが印象的でした。
宝塚駅の変貌はかなりインパクトがありました。

No title * by 風来梨
pikes peakさん、こんばんは

宝塚駅で撮ったモノとばかり思ってたら、どうやら御指摘の通り嵐山線でのモノですね。 修正しておきますね。 阪急を獲った持ち弾は、コレと大山崎で撮った6300系の2枚のみです。

近鉄なら、結構持ち弾あるのですが・・。

No title * by ゲバゲバ
はじめまして、ゲバゲバと申します。
宝塚のお話し、楽しく拝見いたしました。
うどん屋さんですが、調べてみたら結構、食堂がありまして。

「宝塚の定点観測」をしていまして、その中で宝塚駅周辺が
「阪急宝塚駅と その周辺①」(https://blogs.yahoo.co.jp/kabukuwa0820/38908290.html)から
「阪急宝塚駅と その周辺⑧」
(https://blogs.yahoo.co.jp/kabukuwa0820/39080087.html)まで
昔の写真がありますので、探してみてはいかがでしょうか?

ワンゲル部におられたんですか。
私の大学時代は、似たような部に所属していました。
合宿は、この世の地獄。趣旨は「人間を極限状態にする」でした。
殴る・蹴るも当たり前。
今だったら、大問題以上でしたね。

No title * by 風来梨
ゲバゲバさん、こんにちは。

ファミリーランドがあった時期は、入口までの通り道が屋台村だったそうですね。 今はどうなってるのかなぁ。

大学のワンゲルは、モロ体育系ですね。
ウチは高校なので、そういった過酷なのはなかったけど、皆同学年だったので、規律はゼロでした。

後輩が入らず廃部になるのが決定的になった途端に、みんなして部の備品を私物化してましたので・・。 ホント、ロクデモない部活でした。

コメント






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No title

こんばんは。
もしかすると1枚目の画像は、桂駅??

ファミリーランドと言えば、電車館だけ記憶が残ります。
看板がズラリと並んでいたのが印象的でした。
宝塚駅の変貌はかなりインパクトがありました。
2018-11-25 * pikes peak [ 編集 ]

No title

pikes peakさん、こんばんは

宝塚駅で撮ったモノとばかり思ってたら、どうやら御指摘の通り嵐山線でのモノですね。 修正しておきますね。 阪急を獲った持ち弾は、コレと大山崎で撮った6300系の2枚のみです。

近鉄なら、結構持ち弾あるのですが・・。
2018-11-25 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

はじめまして、ゲバゲバと申します。
宝塚のお話し、楽しく拝見いたしました。
うどん屋さんですが、調べてみたら結構、食堂がありまして。

「宝塚の定点観測」をしていまして、その中で宝塚駅周辺が
「阪急宝塚駅と その周辺①」(https://blogs.yahoo.co.jp/kabukuwa0820/38908290.html)から
「阪急宝塚駅と その周辺⑧」
(https://blogs.yahoo.co.jp/kabukuwa0820/39080087.html)まで
昔の写真がありますので、探してみてはいかがでしょうか?

ワンゲル部におられたんですか。
私の大学時代は、似たような部に所属していました。
合宿は、この世の地獄。趣旨は「人間を極限状態にする」でした。
殴る・蹴るも当たり前。
今だったら、大問題以上でしたね。
2018-12-04 * ゲバゲバ [ 編集 ]

No title

ゲバゲバさん、こんにちは。

ファミリーランドがあった時期は、入口までの通り道が屋台村だったそうですね。 今はどうなってるのかなぁ。

大学のワンゲルは、モロ体育系ですね。
ウチは高校なので、そういった過酷なのはなかったけど、皆同学年だったので、規律はゼロでした。

後輩が入らず廃部になるのが決定的になった途端に、みんなして部の備品を私物化してましたので・・。 ホント、ロクデモない部活でした。
2018-12-05 * 風来梨 [ 編集 ]