風来梨のブログ

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私の訪ねた路線  第29回  清水港線

『私の訪ねた路線』  第29回  清水港線 〔静岡県〕
 

1日1往復ながら
路線バスの充実で
わりと容易に手に入った
清水港線の乗車券類
 
《路線データ》
         営業区間と営業キロ          輸送密度 / 営業係数(’83)   
         清水~三保 8.3km           597  /   666 
          廃止時運行本数      廃止年月日        転換処置
            1往復         ’84/ 4/ 1      静岡鉄道バス

 
   《路線史》
東海道本線の貨物支線として江尻(今の清水)~清水港〔貨物駅〕を開業したのが始まりの路線で、建設は1916年と古い。 清水港線と路線名が名付けられて独立したのは、三保まで全通した1944年である。
この年の末より貨物の他に旅客も取り扱うようになる。

港より揚る貨物輸送が主目的の路線の為、列車は全て貨物列車として仕立てられ、貨物列車の後部に客車を連結した『混合列車』という形で旅客輸送が行なわれる。 貨物輸送が最盛期の1930年頃は、『国鉄一の黒字路線』という華々しい称号を得た時もあったという。

だが、昭和40年後半頃からの道路整備による陸運の発達(トラック輸送への転換)で貨客共に衰退を始め、赤字路線に転落。 旅客扱いに到っては、1972年のダイヤ改正以降では朝下り1本・夕方上り1本の僅か1往復しか設定されず、『日本一旅客列車が少ない路線』として名を馳せるようになる。
華々しき営業成績のトップという称号と、不名誉な運行本数ワースト1という2つの『日本一』を戴冠した路線であった。

旅客扱いに関しては前述の如く1日1往復という事で、さながら沿線にある高校の通学専用列車そのものであったという。 沿線に所在する高校の最寄り駅である折戸駅は、ホームと思しき土盛りだけの路面電車の停留場並の設備ながら、路線の全旅客取り扱いの90%超がこの駅の乗降であったという。
このような状況であった為、廃止後の対応は転換バス会社(静岡鉄道バス)が専用のスクールバス系統の運行を設けるだけで事足りたという。

この路線が港への貨物路線という事で、荷揚げ施設や運河設備に貴重な設備が多々あった。 
残念ながら廃止後に撤去されてしまったが巴川運河に架かる可動橋や、貨車と船との間で直接木材等の大型貨物を積み込める設備である「テルファークレーン」などがあった。 なお、この「テルファークレーン」は国の登録有形文化財に登録され、『清水マリンパーク』として公園整備された敷地内に保存されている。
 


   《乗車記》
清水港線の1日1往復の列車は、朝の通学時間時に発車する。 その1日1回コッキリの発車ホームは、東海道線の清水駅ホームより200m離れた貨物専用の引込み線ホームである。 本線ホームより、踏み切りで側線を何本も跨いで1日1本の為だけに設けられたホームへ向かう。
 
この路線の基本は貨物輸送で、貨物が主・旅客は従であったので、1日1本の旅客扱いの列車も混合列車として貨車を併結していた。 だが、廃止間際になると貨車を連ねるほどに運ぶべき貨物も無くなり、木造の客車を4両つなげて、うち1両を荷物車としていたみたいだ。
 
清水の専用ホームを出て、本線の専用軌道とは違って路面軌道を進んでいく。 道路と交差する踏切では、何と貨物の運転要員の詰所から職員が手動で踏切バーを上げ下げしているのが見られたのである。
廃止されたのは27年前とかなり昔の事だが、それでも先進国たる日本で手動の踏切が存在した事に驚きはある。
 
列車は臨港の工場街の中を進み、程なく前方に『テルファークレーン』という海上の船から直接荷揚げして列車に積み込む巨大クレーン施設が見えてくると、貨物駅の清水港だ。 この駅は旅客扱いはしておらず、旅客扱いの本列車は通過する。 現在の清水港貨物駅跡は、臨海公園・ドリームプラザとして整備され、このテルファークレーンも港町・清水の臨港史を語る語り部として保存展示されている。
 
最初の旅客駅は清水埠頭だ。 この駅の海側には観光汽船の船着場があり、港に面した船着場の店屋だけが活況を呈していた。 清水埠頭を出て、次の巴川口の手前に差し掛かると、この路線の名物である可動橋で巴川を渡る。 巴川口の駅は有人駅であったが、主任務はこの可動橋の昇降操作であったという。
貨物列車を含めて1日数本の列車が往来する時は可動橋を下ろし、船の通過の無線連絡を受けると船の通過誘導を行うべく遣り取りしていたという。
 
巴川口を出ると、線路は港に沿って湾曲しながら進んでいく。 次の折戸は、東海大工業高校の通学生専用駅といった感じで、1日1往復の乗客の90%以上がこの学校の通学生だったという。 あり丁寧にいえば、この路線はこの学校の通学専用線といっても過言ではなかっただろう。
 
折戸を出ると、次は終点の三保だ。 天の羽衣の天女伝説でも語られる『三保の松原』で有名な所だ。
駅は1日1本の旅客列車にも関わらず、入場券まで販売していた。 その入場券が『日本一列車の少ない路線の終着駅』として売れ行きが良く、また列車は1日1本なれどバスは30分置きに便がある事から入手も容易であった為、廃止間際はバス会社主催の入場券ツアーも催されたという事である。
 
帰りは、もちろん16時過ぎの折り返し列車まで待つなんて事はしないだろう。 それをする位なら、歩いて帰った方が早く戻れる事だろう。 もちろん、1時間に2本以上の便があるバスに乗って帰ろう。

    ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『清水港線』を御覧下さい。



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No title * by オータ
ワタシは28日に行きました。大阪行きの帰りに寄ったので、バスで三保まで行き、清水行きに乗っています。それも時間があったので折戸駅まで歩いて、やって来る列車を撮影してから、ファンで大混雑の車内の人になりました。

No title * by 風来梨
この路線は、私も乗っただけ・・です。

余程の計画性がないと、1日1往復の撮影はキツいですね。
当時は車どころか、原チャリが精一杯の歳でしたし。

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No title

ワタシは28日に行きました。大阪行きの帰りに寄ったので、バスで三保まで行き、清水行きに乗っています。それも時間があったので折戸駅まで歩いて、やって来る列車を撮影してから、ファンで大混雑の車内の人になりました。
2011-06-19 * オータ [ 編集 ]

No title

この路線は、私も乗っただけ・・です。

余程の計画性がないと、1日1往復の撮影はキツいですね。
当時は車どころか、原チャリが精一杯の歳でしたし。
2011-06-19 * 風来梨 [ 編集 ]