2018-11-17 (Sat)✎
路線の思い出 第287回 予讃本線・宇和島駅 〔愛媛県〕
昔・むかし(35年近く前)に撮った
宇和島駅でのキハ55の貴重な写真
↑
コレは筆者基準でっす
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数 (’83)
高松~宇和島 297.5km 8085 / 260
運行本数(’18)
予讃本線・宇和島駅発着列車
松山~宇和島 特急【宇和海】下り17本、上り16本
松山・伊予大洲・八幡浜~宇和島 普通 下り11本、上り10本
予土線
宇和島~窪川 6往復 、 宇和島~江川崎 2往復 、 宇和島~近永 4往復
宇和島駅(うわじまえき)は、愛媛県宇和島市錦町にあるJR四国・予讃線の駅である。
予讃線の終着駅であり、線路名称上は同線の単独駅であるが、隣の北宇和島駅を線路名称上の終着駅としている予土線の列車も当駅まで乗り入れている。
1914年に宇和島鉄道によって開業した駅で、1933年に予讃本線の国有化により国鉄駅となる。
1998年に上階がホテルの駅ビルが完成する。 2016年のダイヤ改正で高松及び岡山発着の特急車両が全て電車化された為、高松・岡山から非電化区間の松山~宇和島への直通列車が消滅し、同区間を走る優等列車は特急【宇和海】のみとなった。
頭端式ホーム2面3線を持つ駅で、駅ビル改装以前は線路は駅より先に集まり、車止めは1つのみであった。 松山方面の特急列車は全て改札口前の1番線から発着する。
2番線・3番線は1番線よりホームが短く、原則普通列車のみが使用する(一部1番線に発着する普通列車もある)。
直営駅で、みどりの窓口や自動券売機が設置されている。 また窓口横に「ワープ宇和島支店」(JR四国の旅行センター)がある。 キオスクは待合室横と駅舎外の2か所にあったが統合され、駅ビル内のウィリーウィンキー宇和島店(ベーカリー)脇にビッグキヨスク宇和島店としてリニューアルオープンしている。 跡地はセブン-イレブンに転換され、セブン-イレブンKiosk宇和島店となった。
駅構内に車両基地の宇和島運転区を併設し、夜間滞泊もある。
2017年度の1日平均の乗車人員は1,290人であり、これはJR四国で17番目に多い。
上部がホテルの駅ビルとなった宇和島駅
:
劇的に変わったので少し驚いたよ
※ ウィキペディア画像を拝借
時を経て劇的に変わった駅なのが、今回取り上げる宇和島駅である。
まぁ、『30年ひと昔』と云うが、時の流れとは凄いモノだな・・と思わせる変わりっぷりだった。
でも、その変わりっぷりには魅力を抱く事ができずに、写真も撮らずにそのままスルーしたのを明快に憶えている。 まぁ、このホテルで宿泊でもしない限り、上がホテルの駅ビルを撮ったって仕方ないし・・。
ワテが知っていた宇和島駅
コチラの方が駅らしいよ
※ グーグル画像を拝借
そして、時を経て『奇跡の体力』が『メタボ脂肪』に化学変化を起こすなど、衰えまくる我が身体と併せて見つめると、時の経過とはかくも残酷なモノだと思い知らされるのである。
その30年という時を経た駅は、駅舎となる建物自体は近代化した今風のビル駅となったが、この駅ビルは実質『ホテル』と商用施設フロアであり、純粋な駅ではないのである。
何より変わったモノ・・
それは『肝』とも云える運行形態だった
※ 35年近く前の中坊の時の写真でっす
そして、何より変わったのが、列車の運行形態である。 岡山はおろか、高松でさえも直通する列車がなくなり、非電化区間がすっぽり一つの「閉塞区間」と化してしまったのである。
これによって、鉄道で四国に入ってくる旅行者が直接宇和島の街に向かう事ができなくなったのである。
四国への玄関口となる岡山や高松から
宇和島までの直通列車が消滅していたのだ
※ 上の写真と以下同文
でも、鉄道に乗って旅する旅行者が車窓より見たい風景は、海に近い駅の『下灘』やミカンの段々畑が広がる下宇和付近など、この非電化区間に多くあるのである。 昔の様に夜行列車が無くなった今・・、比較的近い関西圏の都市からも、車でしまなみ海道を行く以外にその日の内にこの地に到着する事が難しくなった。
これは何を意味するかというと、旅人の足が更に遠のく結果となりはしないか・・との危惧が生じるのである。 それは放浪旅時代を卒業して、週末+有給1日の『突貫旅』しかできない身の上となって身に染みて理解した事だが、移動に日数をかける訳に行かないのと、必ず日曜日の夜までに帰宅しておかねばならない事という「時間的な縛り」がキツい事である。
給水塔下に立つ安全第一』のゲート
このゲート文字にかつての記憶があったよ
※ ウィキペディア画像を拝借
そして歳を喰うと、長時間車を運転して、しかもワテ自身が世の中で最も”高い”と思う高速料金を払って、なおかつガソリン代を湯水の如く使って(ウチの子〔車〕、よく食べるの・・ 夢のリッター7キロ台! ターボ付きで無駄に速いけど)までこの地へは行く気にはなれないのである。
興味がないとスルーするよね・・
:
35年前の頃からSLに興味なかったので
SL用の保管庫がある事など知らなかったよ
※ ウィキペディア画像を拝借
こうして、ワテは宇和島・・、いや四国全体から足が遠のいてしまったのである。
ワテはこのようになってしまったが、他の方も無意識にワテと同じ思惑となっているだろうと思う。
要するに、鉄道は「旅の手段」として使えなくなってきているのである。 少なくとも、時間制約を受けた大多数の『週末休み旅行族』にとっては・・。
そして、上記に記したように「マイカーも・・」とくれば、『週末休み旅行』自体が実行困難な事となってきているのである。 だから、昔は良かった。 ホント、「聞き飽きたセリフ」なのだが、この言葉が自然と口に出る。
35年前は高松から宇和島へ
夜行急行があった
昔は夜行列車があり、安く自由に回れる周遊券などの『フリー切符』が充実していた。
だから、「一晩列車の中で眠れば・・」目的地のすぐ近くに着いていたのである。 そして、『フリー切符』一枚手に持てば、途中の経費を気にする事なく乗り降りできたのである。
この一枚でエリア内どこでも行ける
『魔法のキップ』だった
※ ウィキペディア画像を拝借
「自由に往来できるエリアが広い」という事と、「朝一から旅の行動を始められる」という2つの『アイテム』が満たされていたので、あの当時は爆発的に鉄道旅行が流行ったのだろう。
決して、「高速道路のネットワークがまだ完成していなかったから・・」などではないと思う。
高速道路のネットワークが充実した所で、ガソリン代と高速代、そして駐車場代を含めるとかなりの出費となり、しかも「日曜の夜までに必ず戻らねばならない」という時間の制約のついた車の運転は、精神的に疲れるのである。 帰りに渋滞なんぞに巻き込まれたなら、旅と運転の疲れも重なって焦りが倍増するのである。 心を癒しに旅に出て逆に心が疲弊したなら、旅に出る意味はないのだ。
これからも旅を続ける為に
基本は夜行バスとレンタカーの併用で
旅先で有利となるなら鉄道利用・・に
旅の形を変えていったよ
※ ウィキペディア画像を拝借
でも、「旅を心の住処」とするワテのライフスタイルは変えられない! だから、ダマシダマシ、夜行バスを見つけては、レンタカー併用で旅に出ている。 あぁ・・、そういえば、マイカーで四国に行ったのは、 『フォーエバー』のこの時が最後だわ。 これ以降はどこに行くにしても、『行き夜行バス、旅先は鉄道、帰りシンカンセン』か、『行き夜行バス、旅先レンタカー、帰りはシンカンセン』のパターンとなってるね。
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No title * by 風来梨
きゃみさん、こんばんは。
予土線はいつか撮りにいこう・・とよく計画を練りますが、なかなか実現しませんね。 予土線は宇和島口の農村風景から、江川崎で一転して四万十川の渓流沿いに進む変化が魅力的な路線です。
>四国周遊券、復活して欲しい・・
付け加えて、夜行急行【うわじま1号】復活して欲しい・・
ついでに、土讃線の夜行快速も・・。 キハ58で・・。
予土線はいつか撮りにいこう・・とよく計画を練りますが、なかなか実現しませんね。 予土線は宇和島口の農村風景から、江川崎で一転して四万十川の渓流沿いに進む変化が魅力的な路線です。
>四国周遊券、復活して欲しい・・
付け加えて、夜行急行【うわじま1号】復活して欲しい・・
ついでに、土讃線の夜行快速も・・。 キハ58で・・。
宇和島は数年前に訪問しました。その時は既に櫛形構造で駅舎はホテル一体型の建物でした。夜に予土線から宇和島入りして、そのホテルに泊まりました。ホテルの窓からは駅構内が見渡せてなかなか面白かったです。
次回行くことがあったら日のあるうちに訪問したいですね。(四国周遊券、復活して欲しい・・・)