風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第286回  羽幌線・作返仮乗降場

路線の思い出  第286回  羽幌線・作返仮乗降場  〔北海道〕


作返仮乗降場
乗降場にしては破格の駅舎があった
※ グーグル画像を拝借

《路線データ》
   営業区間と営業キロ    輸送密度(’79) / 営業係数(’83)   廃止年月日    転換処置
  留萌~幌延 141.1km        540  /  967         ’87/ 3/30     沿岸バス 
廃止時運行本数
               留萌~幌延  6往復
               留萌~羽幌  下り1本・上り2本
               留萌~鬼鹿  下り1本

作返仮乗降場(さくかえしかりじょうこうじょう)は、かつて北海道(留萌支庁)天塩郡天塩町字作返にあった旧国鉄・羽幌線の仮乗降場である。 天塩川橋梁の南に位置した。 羽幌線の廃線に伴い、1987年3月30日に廃駅となった。

廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する駅であった。 ホームは線路の南東側(幌延方面に向かって右手側)に存在した。 また、転轍機を持たない棒線駅であった。 ホームは留萌方にスロープを有し、駅施設外に連絡していた。 乗降場としては破格の大型駅舎を有し、木に彫られた立派な駅名標が掲げられていた。


羽幌線がJRへの経営移管の2日前に廃止(国鉄としての最後の廃止路線が、この羽幌線だった)となった為、仮乗降場のJR経営移管後の駅昇格は成されずに、廃止時まで旭川鉄道管理局の『局設定』による無人の仮乗降場であった。 

駅名の由来は当仮乗降場が所在した地名からで、その地名はアイヌ語の「サク・カ・イ・ウシ」(夏になると湖水が増水する)に由来する。  現在は、駅跡の痕跡は何も残されていない。



羽幌線・・。 この線はホントに「乗っただけ」である。 更に言うなら、「乗っただけ」と言うのも驕がましい位に、始発駅の幌延駅発車直後から終点の深川駅までのほぼ全区間、5時間に渡って延々と尽きる事無く『爆睡』していたのである。

正直言って、こんなに寝れるのはやはり若さゆえの事であろう。 歳食ったなら、途中で必ず目が覚めてしまうモノだし。 だから廃止になった後に、この羽幌線の魅惑的な姿を次々と知る事となって、「我が追い求めたローカル線の足跡」を思い返す度に、激しく後悔する事の一つとなったのである。
それは言うまでも無く、もう二度と「路線在りし時の姿」を体感できないからである。


あの頃は北海道の太平洋岸は
ほぼ無視状態だったなぁ

そして、その後悔は『オホーツク沿岸の廃止線優先主義』や、『一次廃止線優先主義』といったワテ自身による取捨選択によって逃した『獲物(路線)』ではなく、「全線に渡っての爆睡」という己の不作為が原因となって逃した『獲物(路線)』だからである。 要するに「追っかけよう」と頑張れば、手元に『お宝写真』や『思い出』を残す事が叶った路線だったからである。

だから後で知る事となった、海岸線に沿ったカーブをなだらかなスロープで海に向かって下っていく《金駒内橋梁》や、様々な魅惑的な路線内仮乗降場の数々など、情景を頭に思い浮かべては地団駄を踏むが如くの悔しさが募るのである。


あの時にこの橋梁の存在を知っていたなら
車内で5時間眠りコケる事はなかっただろう
※ グーグル画像を拝借

特に、日本海に沈む夕日と緩やかに海へ向けて下っていく《金駒内橋梁》とのコラボ情景を想像しただけで、ローカル線の情景を追い求めてやってきたのに、その極上の情景に気づかずに眠りコケた若き時の自身の鈍感さに呆れ、後悔するのである。


このスロープを下っていく気動車と
※ グーグル画像を拝借

でも、この事に気づいたとしても、撮れるかどうかも定かでなく、いや寧ろ落日時と列車の時間が合わなかったり、精々真っ黒けの逆光黒潰れが上っただけかもしれない。 撮れたとしても、恐らくその程度しか望めないだろう。


海に没する夕日とのコラボを想像するだけで
雄冬の海岸にて

写真の道は、底辺を這いずる『写真床』の小僧がいきなり訪れて、一発で極上を仕留められる程に甘くないのも重々解っている。 でも、それを成し得なかった分、「もしかしたら」という甘い空想が頭に渦巻くのである。


波打つ岩と海鳥もいいけど
鉄道車両と一緒はムリかな
雄冬海岸にて

なぜそんな妄想に浸れるかというと、ワテの撮った写真って一発目だけが成功して、「二匹目のドジョウ」を狙って再度訪れた時はからっきし・・というパターンが多いからである。 『利尻山と宗谷本線』や根室の『春国岱』など、「ビキナーズ・ラック」な撮影体験が撮影行のほとんどを占めるのである。


『利尻山と宗谷本線』の最初が大成功


2度目以降は連続4回の『×』継続中


春国岱も最初に訪れた時に
『ニルスの不思議な旅』が撮れた


エゾシカの群れが棲みかに戻る
感動のシーンも

そう・・、この羽幌線跡もこの法則が当てはまったのかもしれないが、その「ビキナーズ・ラック」の時を車内で眠りコケて撮影に挑む事無く終わってしまったのである。 そして30年という時を経て、廃止になってから訪れた時は、吹雪で事故らずに通るだけで精一杯・・やら、唯一晴れて夕日が撮れそうな時は岬温泉のクアハウスに入ってしまって、落日のクライマックスシーンを《金駒内橋梁》跡で拝むチャンスを見す見す逃したりしているのである。


日が差してるように見えても周囲は地吹雪で
たまたま風が収まった所を撮っただけです


恐怖のホワイトアウト
吹雪の中の車の運転は命がけですよ

そんなこんな・・で、在りし時も路線廃止となってからも「苦い思い出」だらけのこの羽幌線で、何故に沿線の夕日の織りなす情景とは全く無縁の始発・幌延の次の乗降場・作返を取り上げたのかというと、後悔だらけの『羽幌線爆睡紀行』で唯一「起きていた証」として憶えているのが、この作返仮乗降場の『駅の標札』なのである。


目にしたのは車窓からなので
このアングルとほぼ同じだったと思う
※ グーグル画像を拝借

このデカい木の『駅標札』は、かなりインパクトがあったのだ。 そして、この時は「仮乗降場のハシゴ」をするなど、意識的に仮乗降場に下りていたから尚更である。 でも、その時は変な所で生真面目に、キチンと下車した駅以外は写真に撮る事はせずに「インパクトを抱いたまま」で終えてしまったのである。
だから、駅関係は全てグーグルからの借りモノです。


自転車置場(たぶん)にも
同じ木彫りの駅標札が掲げられていたようだ
※ グーグル画像を拝借

まぁ、18~19の小僧が30年後の後悔を先読みできる方が怖いし、今現在そう思って18~19の小僧の頃の不作為を後悔するのも、先程の「撮ればビキナーズラックでイイのが撮れる」との妄想と併せて、完全無欠の御都合主義なのだが。















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