2018-11-05 (Mon)✎
路線の思い出 第285回 越美北線・勝原駅 〔福井県〕
勝原駅舎
駅務室部分が完全に封鎖されている
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15) 運行本数(’18)
福井~九頭竜湖 55.1km 494 / 772 福井~九頭竜湖 4往復
福井~越前大野 5往復
越前大野~九頭竜湖 1往復
駅の背後にいつの間にか
ログハウスの公民館が建てられていたのね
※ ウィキペディア画像を拝借
勝原駅(かどはらえき)は、福井県大野市西勝原にあるJR西日本・越美北線の駅である。
福井地域鉄道部が管理している無人駅で、自動券売機等の設備はない。 1972年まで越美北線の終着駅であった。
九頭竜湖方面に向かって右側に単式ホーム1面1線を有する停留所規格の駅である。 豪雪地帯をゆく路線ゆえ、除雪車を格納する為の車庫が置かれている。 かつて終着駅だったころの名残で、駅舎や保線員の詰所などが残っている。 終着駅であった頃に構内に設けられていた転車台の跡地は、五箇公民館となっている。 2016年の1日平均の乗車人員は2人との事。
STB(駅寝)でお世話になった頃の勝原駅舎
かなり殺風景だった
※ ウィキペディア画像を拝借
この駅は、鉄道を追っかけていた頃の末期に『STB』でお世話になっている。 何故「鉄道を追っかける」のが『末期』となったのかというと、この頃に熱中していた『廃止ローカル線』の大方の動向が『廃止・淘汰』で帰結してしまったからだ。 云わば、鉄道に「追い求める目的」を失った直後に訪れたのである。
駅寝した当時(’85)の勝原駅構内
※ ウィキペディア画像を拝借
:
『廃止ローカル線』の淘汰という帰結により
鉄道を追っかける情熱を失ってからは
こういう情景に魅力を感じなくなっていた
『廃止ローカル線』という目的を失ったのにどうしてこの線を訪れたのかというと、鉄道を追っかけた最後の北海道旅で余った『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』の消費の為だったのである。
その時は無人駅となって、がらんどうになった広い駅舎にテントを張って泊まったのである。
だから、テントの中で自炊したりするという、以降の山での幕営スタイルの礎となったような気がする。
その時撮ったのがコレ
でも、今回の『思い出』の内容はコレではない。 どちらかというと、今回の内容は『駅や鉄道』からかけ離れているのである。 正直いうと、駅ネタ探しの際にフと思いついた事を、ムリヤリ『路線の思い出』という記事にしただけなのである。
その「フと思いついた事」とは、「駅から徒歩で山の登山口に行ける駅」という話題である。
もちろん、史跡名勝めぐり系の街の練り歩きや日帰りハイキングの玄関口としての駅は『却下』である。 まぁ、これは『却下』しないと、近鉄などの大手私鉄が開催する『週末ハイキング』企画で、参加者を集合させる駅全てが対象になってしまうからである。 そこで今回のネタとして取り上げる条件としては、全国的に名を馳せた山である事としようか。
それで調べると、山の登山口に徒歩で行ける駅は「ほとんどない」事が判ったのである。
駅の名所案内に「○○山登山口」と記載された駅でも登山口まで数キロ離れていて、実際は駅からバスに乗り継ぐなどしなければ登山口には辿り着けないのである。
・・で、調べた結果、『本当の山の登山口』へ徒歩で行ける駅とは、必然的に今(一部の『駅降り鉄』の内だけで)話題となっている『秘境駅』となるのである。 その一例を挙げると、北海道はナシというか北海道は広大過ぎて、鉄道で山岳域はリカバーできないのである。
日高・十勝幌尻岳登山口
現在この駐車場は’16年の
北海道豪雨災害による
沢の氾濫で流失して存在しない
:
北海道の山の登山口は林道の終点にあり
人里から20km以上離れた所がザラにある
要するに、車がないと到底無理な広大さなのである。 でも、記憶を手繰ると根室本線の山部駅が、芦別岳の登山口の《太陽の里》まで約4kmと徒歩圏内だったな。
陸奥黒崎駅(現在は白神岳登山口に改称)より
徒歩圏内に登山口のある白神岳
東北では唯一、五能線の陸奥黒崎駅(2000年12月に白神岳登山口に駅名改称)が、駅から約1kmで白神岳の登山口がある『徒歩圏内』であった。
だが・・登山口の手前250mに
100台は駐車できる駐車場があり
五能線を使って白神岳登山を
する人は皆無に等しいだろう
他の全ての東北のヤマは、近くても駅から10km前後と徒歩では無理で、車かバス・タクシーでないと登山口に辿り着けない距離である。
在りし頃の田子倉駅
:
現在は入口が鉄の格子戸で塞がれている
越後や会越国境の山々では、’13年3月に廃止となった田子倉駅が浅草岳登山口までの距離が250mと、このネタではベストの数値を示していた駅だったのである。
田子倉から望む
秋の浅草岳と只見線列車
:
昨年足の捻挫で断念したこの山に
今年はリベンジ成功!
山頂に雪が被って半分雪山だったよ
ぢ・つ・わ・・、一昨日にこの浅草岳に田子倉駅跡から登ってたりして。
田子倉駅にはトイレはなかったが
登山口に建つ休憩舎にトイレがあった
:
現在は「宿泊不可」と掲示した
近代的な休憩舎に建て替えられている
また、同じ只見線の会津蒲生駅も、浅草岳の入叶津登山口から約7kmと歩けない距離ではなく、実際このタワケも浅草岳でのオチャメ山行からの下山の後に歩いていたりするのてある。
この会津蒲生駅は、地元の山・蒲生岳(標高828m)の登山口は駅の目の前の小道であるが、この蒲生岳が全国的に有名な山でないので省く事にしよう。
皇海山の登山拠点に建つ庚申山荘
:
こんな情景の所に
「駅から歩いていける」と思う方が
奇特な考えなのだろうね
皇海山の史実上の登山口となる
猿田彦神社の一ノ鳥居
:
原向駅からここまで12km
歩いて約3時間
関東の山々も『わたらせ渓谷鉄道』の原向駅が、皇海山の登山口である《猿田彦神社・一ノ鳥居》まで12kmと、ワテを含む金のない極少数派のみが徒歩を選択する距離である。
他の山域は登山口駅を称しても、駅から登山口までバスで30分以上の乗車が必要な所ばかりである。
そういえば、登山口駅においての『第一任駅』の事を忘れてたよ。 谷川岳の玄関口だった土合駅。
そういえば、登山口駅においての『第一任駅』の事を忘れてたよ。 谷川岳の玄関口だった土合駅。
462段の階段で有名なこの駅も、今や普通列車が上下5本づつのみで、しかも始発は8時と遅く、登山では使えないようになってしまったけど・・。
北ア・中ア・南アの中部山岳地帯も、ほぼ廃道然となっている大無間山の《風イラス》ルートが、現在の究極の『秘境駅』と目される大井川鉄道の尾盛駅が登山口となっているのみである。
確かに「駅前が登山口」とこのネタにピッタリ一致するのではあるが、このルートは相当の山の猛者であっても無理なルートである。
『奇跡の体力』のホルダーだった
ワテが大無間山へ登ったこのルートも
水無しで片道6時間かかる
「今では絶対ムリ」なルートである
:
しかも5年位前に登山路が崩壊して
登頂不能な山になっちまったよ
それはこのルート・・、大無間山に行くにしても2泊3日かかる(しかも途中で水の入手不可能)ルートで、駅への道路が皆無で徒歩で辿り着く事が不可能な究極の『秘境駅』・尾盛駅と共に、到底”使えない”ルートなのである。 もちろん、ワテも通った事はない。 大無間山は登った事あるけど。
高校のワンゲロでの比良縦走山行の行程図
:
北小松から蓬莱まで完全徒歩行程だったよ
も一つオマケは六甲全山完全縦走行程図
:
山陽電鉄・須磨浦公園駅から阪急・宝塚駅まで
延長54kmを徒歩にて完全踏破する
大スペクタクルな行程だよ
地元の関西では、比良山へのアプローチ駅・湖西線の北小松や蓬莱、六甲山の《芦屋ロックガーデン》の登山口である《大谷茶屋》へのアプローチ駅・阪急の芦屋川駅があるね。 これらの駅は、高校のワンゲロ時代には定例山行でいつも登山口まで歩いていた駅である。
駅舎も撤去されて坊主となった開聞駅
後は、強いて言えば芸備線の道後山が駅から10km位と、九州の開聞岳がバスに乗れなくて開聞駅まで歩いた事があるから、歩ける距離である。 調べると、開聞駅から登山口まで約3kmと、このネタでは『優良株』だったよ。 ちなみに、開聞駅から開聞岳へのバスは、利用客微少で廃止になっちゃったんだって・・。
長々とワテが独自に調べた「俄か調査結果」を書いたが、その中で今回のネタである『駅から登山口まで歩いていける』駅で最も登山口に近い駅が、今回取り上げる越美北線・勝原駅である。
駅から荒島岳の登山口となる勝原スキー場脇まで400mと、先出の田子倉駅が駅廃止となった現在ではダントツのトップ駅である。
この車両に置き換えられて
『撮り鉄』への足も遠退いたよ
※ ウィキペディア画像を拝借
この山に登った時はもちろん車で来て、山を破壊して成し得るスキーが嫌いな為にスキー場で車寝するのがイヤで勝原駅前で車寝したのが、この駅が絡んだ記憶である。
・・そう言えば、「越美北線と城下町・越前大野を練り歩きたい」と御所望された我が『写真床』師匠の風来茄子マルゥテェツ殿下を勝原駅で降ろし、ワテ単独で荒島岳に登ったのだったな。
でも、あれから越美北線も様変わりしたよ。 列車はレールバス型の車両に置き換わり、初めて駅寝した越前下山駅の近くに温泉クアハウスができてたりするのである。
これ以上話を進めると、取りとめも無く駅と鉄道から内容が離れてしまうので、荒島岳の紅葉風景をひとつまみ出して終わる事にしようか。
駅から徒歩で行ける山
荒島岳の秋をひとつまみ
山全体が彩りを得て
ススキに朝の光が当たって
秋のひとときが描き出されていた
山とススキと
秋のひとときを思わせる情景
頂上にひっそりとたたずむ山岳信仰
秋の山肌は鮮やかな彩りのキャンパスとなる
頂上からのキャンパスは
黒い木々と鮮やかな紅葉との対比が描かれていた
白い枝が山のキャンバスに幾何学模様を描く
最後の1枚は
しっとりした“秋”を表現してみた
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No title * by 風来梨
●さん、こんばんは。
土合駅・・、忘れてました。 早速、追加記述しましたよ。 土合駅を忘れるとは、ちょっと恥ずかしいですね。
木曽駒から中央本線側に抜けるとは、物凄い猛者ですね! 木曽義仲が越えたという伝説のある木曽殿越え(でも、事実は作り話らしいですけど・・)のルートは標高差で2000メートルを超えるという猛烈にキツいルートですからね。
今の私なら、迷わずローブウェイです。
私で、皇海山の庚申山荘から原向までの12キロメートルが駅まで歩いた距離の最高かな? あぁ、高校のワンゲル時代の六甲の全山縦走で、須磨浦公園駅から宝塚駅までの54キロメートルの『行』があった。 あれは、14時間のフルマラソンに匹敵する『行』ですね。 若かったあの頃・・を思い出すと、また枕を涙で濡らすのですね。(笑)
土合駅・・、忘れてました。 早速、追加記述しましたよ。 土合駅を忘れるとは、ちょっと恥ずかしいですね。
木曽駒から中央本線側に抜けるとは、物凄い猛者ですね! 木曽義仲が越えたという伝説のある木曽殿越え(でも、事実は作り話らしいですけど・・)のルートは標高差で2000メートルを超えるという猛烈にキツいルートですからね。
今の私なら、迷わずローブウェイです。
私で、皇海山の庚申山荘から原向までの12キロメートルが駅まで歩いた距離の最高かな? あぁ、高校のワンゲル時代の六甲の全山縦走で、須磨浦公園駅から宝塚駅までの54キロメートルの『行』があった。 あれは、14時間のフルマラソンに匹敵する『行』ですね。 若かったあの頃・・を思い出すと、また枕を涙で濡らすのですね。(笑)
No title * by 鳳山
琵琶湖西岸の比良山地、地理の盲点になりがちですが千メートル級の山々が連なっているんですね。戦国時代、金ケ崎の退き口で京都に逃げ帰った織田信長のルートがこのあたりなんでしょうね。
ナイス
ナイス
No title * by 風来梨
鳳山さん、こんばんは。
金ヶ崎の退き口で使われた道は、比良の裏側・朽木の街道ですね。
この道は通称『鯖街道』と呼ばれ、若狭に水揚げされた鯖を京の都に運ぶ裏街道として栄えた道のようです。 そしてこの道は古くから『棒道』としても知られていたようですね。 中村町・坂下町・坊村町・梅ノ木町など、軍勢の調達役や兵糧役を担った庄屋の名がつけられているそうです。
金ヶ崎の退き口で使われた道は、比良の裏側・朽木の街道ですね。
この道は通称『鯖街道』と呼ばれ、若狭に水揚げされた鯖を京の都に運ぶ裏街道として栄えた道のようです。 そしてこの道は古くから『棒道』としても知られていたようですね。 中村町・坂下町・坊村町・梅ノ木町など、軍勢の調達役や兵糧役を担った庄屋の名がつけられているそうです。
No title * by レガシィ
もう少しスケールの小さな話をしても良いですか?近鉄額田、南生駒駅は生駒山の暗峠越えの最寄駅です。国道308は全国区の酷道で、名を馳せています。話のネタになる道である事は、間違いないです。
No title * by 風来梨
レガシィさん、こんばんは。
暗峠・・。 話のネタありますよ。(笑) 昔々の高校ワンゲル時代に、クロスカントリーの訓練で歩いた(と言うより駆けた)事がありますね。
あの『○』の滑り止めのついたコンクリの簡易舗装は、駆け上るのはふくら脛が爆発しましたね。 下りの駆け出しも傾斜が急過ぎて、油断したら止まれずにコースアウトして、路外の雑木林に突っ込んで全身擦り傷だらけになりましたね。←本当になった
まぁ、青春時代のいい思い出!?ですが、今の高校ではこんなブリバリ訓練はしないだろうなぁ。
暗峠・・。 話のネタありますよ。(笑) 昔々の高校ワンゲル時代に、クロスカントリーの訓練で歩いた(と言うより駆けた)事がありますね。
あの『○』の滑り止めのついたコンクリの簡易舗装は、駆け上るのはふくら脛が爆発しましたね。 下りの駆け出しも傾斜が急過ぎて、油断したら止まれずにコースアウトして、路外の雑木林に突っ込んで全身擦り傷だらけになりましたね。←本当になった
まぁ、青春時代のいい思い出!?ですが、今の高校ではこんなブリバリ訓練はしないだろうなぁ。
勝原駅から荒島岳は「駅から登山」でいつかは…と思っているルートです。
あとお手軽な「駅から登山」と言えば土合駅からの谷川岳ですかね。
登山口というか下山口としてですが、昨年木曽駒から原野駅まで歩いたのは車道歩きが長く辛かったです。
駅には木曽駒まで10何kmという看板がありました。