2018-10-08 (Mon)✎
よも”ヤマ”話 第53話 大峰・夜間山行 〔奈良県〕 ’92・11
大峰・弥山 1895m、大峰・八剣山 1915m 【名峰百選 18峰目】
大峰山 おおみねさん (吉野熊野国立公園)
“女人禁制”で知られる大峰山は、古くから修験道の道場として栄えた山である。
“女人禁制”で知られる大峰山は、古くから修験道の道場として栄えた山である。
山の名前にも、大普賢岳 1780メートル や釈迦ヶ岳 1800メートル など、仏教の意味合いから名づけられているものが見受けられる。 そして、その中心は山上ヶ岳 1719メートル。
この山に入る事はすなわち“修行”であり、難場の《鐘釣岩》・《蟻ノ戸渡》・《西ノ覗》といった“行場”を歩く事となる。
さて、景観で優れているのは、八剣山 1915メートル (この山は“仏教ヶ岳”または“八経ヶ岳”とも呼ばれている・・)をおいて他にないだろう。 山頂までトウヒなどの原生林が続き、枯れ立木の林立する景観が素晴らしく、特に朝日がこの木立より昇り輝くさまは深い感銘を覚えることだろう。
さて、景観で優れているのは、八剣山 1915メートル (この山は“仏教ヶ岳”または“八経ヶ岳”とも呼ばれている・・)をおいて他にないだろう。 山頂までトウヒなどの原生林が続き、枯れ立木の林立する景観が素晴らしく、特に朝日がこの木立より昇り輝くさまは深い感銘を覚えることだろう。
また、山頂からの眺望もアルプスに引けを取らず、大峰の個性豊かな山なみをはじめ、大台・日出ヶ岳を中心とする台高山系・・、果ては御岳山までも望む事ができる。 この八剣山へは、修験道でもあり登山コースでもある『大峰・奥駈道』を行くのがいいだろう。
・・修行の山・山上ヶ岳から特異な山容を示す大普賢岳を越えて、近畿最高峰の八剣山で素晴らしい御来光を望んで、朝の爽やかな雰囲気の中に山容秀でたる釈迦ヶ岳を見ながらこの山を目指して尾根道を行く『奥駈道』は、山行の楽しさを全て味わえる魅力的なコースである。
・・修行の山・山上ヶ岳から特異な山容を示す大普賢岳を越えて、近畿最高峰の八剣山で素晴らしい御来光を望んで、朝の爽やかな雰囲気の中に山容秀でたる釈迦ヶ岳を見ながらこの山を目指して尾根道を行く『奥駈道』は、山行の楽しさを全て味わえる魅力的なコースである。
(1:00)→聖宝ノ宿跡(1:00)→弥山小屋(0:40)→大峰・八剣山(0:30)→弥山小屋
(0:50)→聖宝ノ宿跡(0:50)→石休場宿跡(1:05)→行者還トンネル西口登山口より車
(1:15)→近鉄・下市口駅
日輪に輝く南大峰の峰々
大峰・八剣山を盟主にする大峰山塊は、ワテの住む関西圏では最高峰として知られる山域だ。
だが、この山域への目覚めは遅く、大峰山は今回が初めて踏み入れる山域なのである。
なぜなら、高校時代のゲレンデが六甲山や比良山系で、高校を出てからも関西圏で足繁く通った山域は大台ヶ原で、その大台ヶ原に通った理由は山ではなく『滝』だったのである。
即ち、少年から青年時代は大峰山域に向かう機会が無かったのである。
それは少年時代から追っかけ続けた「廃止ローカル線」が廃止・淘汰という帰結となり、それで乗り変えた”ターゲット”が『滝』で、関西圏だと250mと日本第二の落差を誇る大台・中ノ滝を大台の大蛇から望む事や、大杉谷の滝めぐりで渓谷を歩く事だったのである。
”初物”の山域なのに
こんな雪山に挑むタワケ
:
だから・・ いつも
『遭難フラグ』をおっ立てるんだよ
だから、大峰山域の初めてが遅いのは”ターゲット”を山に乗り変えたのが遅かったからで、大峰山域だけが行く機会が無かった訳ではないのである。 まぁ、本格的に『名峰』に登るべく”始動”したのは、この年の前年の’91年・夏の北海道旅だったのである。 この旅で高山植物の撮影に目覚めて、山を目指すようになったのであるが。
”初物”の山域なのに
こんな雪山に挑むタワケ その2
:
それも初物”の山で
夜間山行をするオマケ付き
こうして迎えた”初めて”の大峰山の山行であるが、”初めて”であるにも関わらず、ワテの資質と同じくロクデモナイ設定だったのである。 それは未訪の”初物”の山で、大胆不敵にも夜間山行を企てたのである。 もちろん、付き添いや登山同行者なんかナシである。
まぁ・・ こんなロクデナシに同行する
奴なんてそうそういないわなぁ
だが、始めから夜間山行を企てたのではなく、土曜日の昼過ぎに大阪を出て前夜は『道の駅・黒滝』で車寝をして、早朝に《行者還トンネル西口》の登山口に向かって登り始めるつもりだった。
しかし、以前から普段のロクデナシな行動とは裏返しの『初物』に対しては”ノミの心臓”がもたげて、途端に寝れなくなっちまったよ。
それに、まだ『道の駅』が全国的に広まる前で、勤労感謝の日を含む3連休の初日だというのに停泊する車はワテの車1台のみで、しかも夜間に車も人も寄りつかない事を『道の駅』の管理側は知っているのか、トイレの電気まで完全に遮断していたのである。
この状況では「コリャァ たまらん!」と、車を移動させる。 車で夜の真っ暗な峠道を走らせながら、「どうせ真っ暗闇なら、登山口の目の前まで行って車寝した方がマシ」と行程計画を変えて《行者還トンネル西口》に向かう。
真っ暗闇は平気なのに
”初物”にはビクつく
奇妙キテレツな性質のワテ
でも、このタワケ・・、『初物』には寝れなくなる程の”ノミの心臓”なのに、ガードレールのない真っ暗闇の峠道は何の気兼ねもなく車を走らせる事ができる・・という、奇妙キテレツな性質の持ち主であるのは藪の中に。
・・で、深夜の1時過ぎに《行者還トンネル西口》に着く。 《行者還トンネル西口》の登山口前には車数台が駐車できる砂利敷きの空き地があり、昨日から山に登っているであろう登山者の車が2台ほど止めてあった。 その端に車を止めて運転席のリクライニングを倒して寝に入るが、当然の帰結通りに目が凛々と覚めて寝る事ができなかったのである。
「エ~ィ 侭よ!」とヤケを起こして
素晴らしい情景に魅せられますた
それで深夜2時過ぎ・・、「エ~ィ 侭よ!」とばかりにカンテラを取り出して登山口をくぐって登り始める。 登り始めるとすぐに小沢を跨ぐ。 この小沢で、冷たくて清らかな沢水を『力水』として汲んでいく。 まぁ、この凍りかけの冷たい水は、眠くなってきた時の”気つけ”としても使えるだろうし。
この沢を渡ると、雪着きの急登が始まる。 登山口の《トンネル西口》で月明かりをアテに見上げたあの稜線の高みまで、高低差500mの“バカ登り”が始まる。 夜間で真っ暗闇とはいえカンテラの光で周囲を照らすと雪からの照り返しで眩く、また『百名山』に指定された山という事で整備された一本道で、稜線に上るまでは迷う事無く登って行けたのである。
登る分に関しては
『奇跡の体力』完全発動の一歩手前
だったので難なく登っていけた
また登っていく内に、若く背丈の低い樹木の枝にカマボコ板にマジックで書いたようなプラカードがぶら下がっているのが見られたのである。 そのプラカードには『まだまだ、あと400m』とか、『あと半分!200m』、『ガンバレ!もうひと息・・50m』など、残りの標高差と率直!?な一言(捉えようによっては、余計なお世話かもしれないが)が記してあったので、これを見つけながら登って行けば道を違える事は有り得ないのである。
急登につぐ急登を約1時間少々耐え凌ぐと稜線上に這い上がり、大峰山系きっての縦走路である『奥駈道』との合流点・《一ノ垰》に出る。 この《一ノ垰》付近は樹木に囲まれて展望はないが、少し歩いて《石休場宿跡》付近まで進むと北側の展望が開けて、星空と大峰山の山々が暗闇の中の黒い影として現れる。
急登につぐ急登を約1時間少々耐え凌ぐと稜線上に這い上がり、大峰山系きっての縦走路である『奥駈道』との合流点・《一ノ垰》に出る。 この《一ノ垰》付近は樹木に囲まれて展望はないが、少し歩いて《石休場宿跡》付近まで進むと北側の展望が開けて、星空と大峰山の山々が暗闇の中の黒い影として現れる。
大峰・八剣山より望む大普賢岳
:
真夜中の暗闇では写真が撮れないので
修験道の峰・山上ヶ岳と樹氷林
:
上の写真と以下同文
烏帽子頭のような大普賢岳 1780メートルや原生樹氷林に覆われた山上ヶ岳 1719メートル、《大日キレット》を魅せる稲村ヶ岳 1726メートルなどの大峰山系の特徴ある山なみ、またその背後に台高の山なみも伺える。
ピンク色の夜明け空に浮かぶ
大台・日出ヶ岳
:
これまた上の写真に以下同文
昔の修験者の宿場跡であった《石休場宿跡》であるが、昼間なら素晴らしい展望が広がる所なのであろうが、夜は暗闇に三角点標柱と雪に埋もれたベンチがあるのみの侘しい吹きッ晒しの所だった。
そのあまりの侘しさに、鼻水が垂れてきた事を明確に憶えている。
垂れた鼻水も月明かりで
このように輝いていたよ
垂れた鼻水を素手で噴いて雪で顔を洗うなど身繕いしてから、先に進む。 この三角点の丘からは、ルートは緩やかに下り始める。 下っていくと前方の眺めを遮っていた樹林も消えて、星空の下に目指す大峰・八剣山と弥山が肩を並べてそそり立つ姿が黒い影となって現れる。
この下りは、どうやら八剣山の取付への稜線の“たわみ”のようである。 やがて、この下りも途切れ、八剣山に向けて徐々に登り返していく。 登り基調になって30分程進んでいくと、樹林に囲まれた《聖宝ノ宿跡》に着く。
これよりグラデーション変化の
ショータイムが始まる
ここは樹木の囲みが深い薄暗い所だったが、樹林の隙間から望むと空の縁がほんの少し白くなってきていた。 夜明けまで、あと1時間半って所だろう。 ここからは、頂上直下の激しい急登となる。
この急坂は別名“胸突八丁”と呼ばれているそうだが、距離が短いので鍛えて山慣れした体だった事もあり、難なく乗りきる事ができた。
近畿最高峰での御来光を眺めにいこう
この登りを乗りきったなら、弥山の山荘前の広場に出る。 空は縁がかぎろい色に染められ、暗闇から美しい群青色のグラデーションを奏でていた。 山荘前の広場でひと息着いてから、近畿最高峰での御来光を眺めにいこう。
グラデーションが織りなすショータイム
紫からかぎろい色に
そして眩い黄金色に変化していく
クライマックスはほのかなかぎろい色に
茫洋と山が浮き立つ絶景
クライマックスの後
程なく御来光の瞬間を迎える
《弥山小屋》の側面から、真っすぐに樹氷林の中へ入っていく。 一歩一歩進む毎に夜が明けてゆき、樹氷にかぎろい色の光が当たり美しく輝く。
待ちに待った御来光の瞬間
御来光に魅せられた瞬間
夜間登山の苦労が一瞬にして吹っ飛んだよ
一度、弥山との鞍部まで下って、岩と原生林の根が絡んだ登りを30分ほど登っていくと、“近畿最高峰”大峰・八剣山 1915メートル の頂上に登り着く。 辺りには、樹氷となった美しい原生林が山麓に向けて林立している。
樹氷で美しくシバレた原生林
樹氷となった原生林が
山麓に向けて林立していた
登り着いた頂上には修験道に通ずる山らしく、釈丈が一つ地面に突き刺さっていた。
その釈丈に向かって御来光が輝き、また空がスペクトルの輪と条を描いていた。
釈丈と光のおりなす
神々しき気配に魅せられて
そして、その背後に枯木が一本・・。 これが御来光やスペクトルの空とあいまって、言葉では語れない素晴らしい情景を魅せてくれた。
枯木が輝く時
それは心が震える絶景だった
また、山岳風景も魅力いっぱいだ。 南方には、美しいピラミタルな山容の釈迦ヶ岳 1800メートル に続く《奥駈》の山なみが連なっている。 ピンク色の空と雲海に浮かぶ果無の山なみも美しい。
八剣山の頂上から
《奥駈》の山なみを望む
烏帽子のような頂を魅せる大普賢岳
振り返ると、大普賢岳 1780メートル や、山上ヶ岳 1719メートル といった“表”大峰をつかさどる山が独特な山容でそびえている。 その背後には台高山系の盟主・日出ヶ岳 1695メートル、そしてその背後が透き通ったピンク色の空であれば、うっすらと台形の山が雲海に浮かんでいるのが望めるだろう。
この台形の山こそ、木曽の御岳である。
八剣山の頂上から その2
薄っすらと御岳山も望めた
池原ダム湖が白く輝いていた
山の上から紀州の海を望んで
紀州灘が陽の光で
かぎろい色に輝いて
関西の山に登って中央高地の山なみが望めるとは、大峰・八剣山の魅力は底知れない。
“あの雲海の山へいってみたい・・”という湧きあがる願望を振り払って、今日の所は大人しく《弥山小屋》まで往路を戻る。
雲海が山上の湖の如く光って
帰路は、夜間登山での徹夜でそろそろに眠くなって重くなった瞼に雪を当てながら下っていく。
まぁ、冬季小屋でひと眠りしてから下山しても良かったが、”初物”の山という事でそんな方法を思いつく余裕がなかったのだろうね。
樹氷林をカメラに収めつつ下っていく
後は、休日日帰り登山で登ってくる登山者とすれ違いつつ、樹氷林をカメラに収めながら下っていく。
下り着いて、車の中でひと眠りしたよ。
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