2018-09-30 (Sun)✎
路線の思い出 第280回 根室本線・山部駅、布部駅 〔北海道〕
洋風のオシャレな駅舎の山部駅
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
滝川~根室 446.8km 2302 / 464
滝川~新得 運行本数(’16)
滝川~新得 6往復(うち1往復 快速〔狩勝〕)
滝川~落合 上り1本
滝川~芦別 1往復
滝川~富良野 下り4本、上り3本(うち下り1本、上り2本快速)
富良野~新得 1往復(上下とも旭川発着の快速〔狩勝〕)
※ 2016年の台風災害により、現在は東鹿越~新得は不通となっている
現在は不通区間に代行バスを運行
山部駅(やまべえき)は、北海道富良野市字山部市街地にあるJR北海道・根室本線の駅である。
石勝線の南千歳~新得が開業する1981年までは札幌と道東地域を結ぶ主要幹線で、札幌~釧路を結ぶ特急【おおぞら】も当路線経由で運行していた。 また、急行列車も運行され、当駅は急行【狩勝】の停車駅であった。 石勝線に主要幹線の座を明け渡した現在でも、急行から格下げとなった快速〔狩勝〕が停車している。
相対式ホーム2面2線を持つ交換設備を有する駅であるが、跨線橋はなく相対ホーム側へは構内踏切を渡る。 駅舎側ホームが滝川方面で、相対ホーム側が新得方面で使用されている。
駅舎側ホームには、1911年に建造されたレンガ造りのランプ小屋が残されている。
大正時代初期に建てられた
レンガ造りのランプ小屋もある
※ ウィキペディア画像を拝借
元は駅員配置えきであったが、簡易委託化を経て1994年に無人駅となっている。
’13年~’17年の乗車人員平均は39人との事。
駅名の由来は当駅の所在する地名からで、地名はアイヌ語に由来するが諸説ある。
1つ目は「冷たい・水」を意味する『ヤムぺ』からで、2つ目は「栗を・我ら・食べる」を意味する『ヤムアエ』から、3つ目は「冷たい・川」を意味する『ヤムぺッ』のいずれかに由来する云われている。
地域開拓のきっかけは1898年設置の北海道大学第八農場と、1899年に国有林の払い下げを受けた東京帝国大学北海道演習林だったが、第二次世界大戦後の農地改革により北大農場は1950年に解消され、東大演習林も付属農地を売却した。 また、山部駅付近にはアスベスト(石綿)鉱山が点在し、野沢鉱山や山部石綿鉱山などが操業していたが、1970年代までに採掘は中止されている。
TVドラマ『北の国から』の”聖地”
となっている布部駅
※ ウィキペディア画像を拝借
布部駅(ぬのべえき)は、北海道富良野市字布部市街地にあるJR北海道・根室本線の駅である。
島式ホームを持つ交換可能の駅だが、西側のみ使用している。 その他、貨物取扱い時に使用していた側線がある。 1982年に貨物・荷物の取扱い廃止と同時に無人駅化されている。
駅名は、アイヌ語の「ヌム・オッ・ペツ(クルミの多い川)」に由来する。
’13年~’17年の乗車人員平均は4人との事。
この駅はフジテレビ系ドラマ『北の国から』の第1話に登場した駅で、同ドラマの原点となっており、ドラマファンが立ち寄る『聖地』の一つとなっている。 また、『北の国から』の第1話収録・放映当時(1981年10月)は有人駅だった。 駅前には、倉本聰直筆の「北の国から」を記念した看板がある。
駅前には小さな集落があり、商店等もある。
TVドラマ『北の国から』の聖地として知られているなど、駅としての知名度は布部駅の方が断然上なので同じく取り上げたが、実際に鉄道を利用して降りた事があり、記事となる個人的なネタのあるのは山部駅の方である。
この駅に立ち寄った目的は
『名所案内』にもある芦別岳だった
:
そして駅寝となった
※ ウィキペディア画像を拝借
でも、この山部駅は撮り鉄の為でも、駅を訪ねる為に降りたのではなく、降りた当時は鉄道の追っかけから足を洗っていた山期の真っただ中で、〔名峰次選〕に選出した芦別岳に登る為に「最寄り駅」である山部駅に降りただけなのだ。
芦別岳の登山口には芝生が敷き詰められた
ロケーション最高のキャンプ場がある
駄菓子菓子・・
※ 『太陽の里』のウェブサイトより
そしてそのオチは、駅舎にテントを張っての『駅寝』をしているのである。 だが、芦別岳の登山口には、広大な芝生が広がる絶好のキャンプ場でありながら、キャンプ料が何と無料のキャンプ場『山部自然公園・太陽の里』があり、登山前日は当然ここにテントを張って泊まる。
今回の山旅は
飛行機と鉄道と徒歩でのモノだった
※ グーグル画像を拝借
話は前後するが、この時は日高のコイカクシュサツナイ岳(この山に登って1839峰を目にして、この標高をそのまま山名とする日高の無名峰を〔名峰次選〕に選出したよ)と、芦別岳の登山が目的で日程が4~5日の短い旅程だった(確か夏休みを9月の初めにズラしてもらっていた→放浪旅ではなかったのだよ)ので、周遊券や『セ・セ・セ・セ青春18』は使わずに普通の乗車券でやって来ていたのであった。
標高がそのまま山名となった
1839峰を眺めるべく日高の山へ
その2~3年後に1839峰への本願成就
まぁ、周遊券を買う程に長い旅日程でもないし、日高の山域の玄関口となる帯広と芦別岳のある山部以外に立ち寄る予定もなかったし、この時は前述でチラっと記した通り『プー』ではなかったので、何と飛行機を使ってやってきていたのである。 でも、この頃はキャンピングガスのボンベは没収されなかったような・・。 そして、ベットの旅客機持ち込みは、常識的に「御法度」のマトモな情勢だったよ。
でも、いつから、常識が崩れ出したのだろうね。
でも、マトモに見えるのは飛行機を使った事“だけ”で、旅の計画自体はこのタワケが展開するいつもの「旅プロデュース」で、見事なまでの行き当たりバッタリだった。 それは、帯広から交通機関のある中札内まではバス利用だが、その先の登山口となる札内ヒュッテまでの12kmは、「タクシーが捕まらなければヒッチハイクで、最悪は歩いていく」という、到底社会に出た大人の思考とは思えない計画だったのである。
結果は行きはタクシーが捕まったもののの、帰りは『日高の登山口』=『財政破綻危機に瀕した北海道が建設放棄した【日高横断道路】の建設予定地』で、公衆電話なんてある訳のないこの場所でタクシーなど呼べるハズもなく、歩いて帰るのを覚悟して歩いたなら、500m程歩いた地点で運よく沢釣りに来た方の車が停まってくれて、帯広までのヒッチハイクが成功したのであった。
このように、「一か八か」の行程を組んでいたのである。
だから、今は災害で不通となっている根室本線の新得から、落合や幾寅を通って山部駅にやってきたのである。 その時に見たよ。 映画撮りの奴らの鉄道に対する惨い仕打ちを・・。
それは、『ぽっぽや(鉄道員)』のロケ地・幾寅駅で、映画撮影用に「ブタ鼻ライト」に改造されたキハ40が、胴体輪切りの惨たらしい姿で展示されていたのだ。
幾寅駅には後に訪れたが
さすがにコレは撮る気が起きなかったよ
※ ウィキペディア画像を拝借
列車の中から見ると輪切りにされた後ろの部分を隠す櫓が見えて、奴ら映画撮りにとっては映画を撮る為の道具でしかない・・とはいえ、鉄道に対しての冷酷さに怒りを覚えたよ。
所詮、奴ら映画撮りは映画作品は愛しても、被写体や道具は愛してはいないんだな・・と思ったよ。
だから、ワテは映画はあまり好きくないし、アニメ映画以外は強いて見る事もないのである。
“北海の谷川岳”・芦別岳登頂の
本願は成就したものの・・
あら・・、話が大いに脱線したが、とにかく帯広から山部に移動して、その日は駅から3km程先の芦別岳登山口にある『山部自然公園・太陽の里』でキャンプを張る。 まぁ、翌日は芦別岳に登って目的は果たしたのであるが、このキャンプ場は前述の如くキャンプ料がタダでロケーションは最高なのだが、下山した翌日は泊まる気にはならず、デポったテントを撤収したのである。
なぜなら、このキャンプ場はタダ故に「うるさ過ぎる」からである。 何かの合宿で来た学生が酒盛りでドンチャン騒ぎをしたり、飼い犬を連れてキャンプに来たアホウ(幸い山には来なかったが・・)が、キャンプ場の芝生に犬を離し、その犬が糞はたらすわ・・、夜半に吠えまくるわ・・など散々だったのである。
まぁ、たまたまこの日が、周りのキャンパーの質が悪かったという「めぐり合わせ」だったのかもしれないが・・。
この川のザーザー音も
『駄菓子菓子』の一つであった
※ 『太陽の里』のウェブサイトより
それと、キャンプ場の傍を流れるユーフレ川の「ザーザー音」もかなり煩く、眠りに支障をきたす程であったのだ。 そんなこんなで、テントを撤収して行き着く所というか、今夜の宿泊場所は山部駅しか見当たらないのである。 ・・で、なし崩しに、山部駅での駅寝となったのである。
床が広く『テント駅寝』なら
駅寝の神様が宿る駅だったよ
※ グーグル画像を拝借
山部駅は元有人駅なので駅舎が広く、無人駅化してからは椅子とかは撤去されていて床も広く、テントが余裕で張れるスペースがあったのである。 また、戸締りもできて、駅玄関にジュースの自動販売機もあって・・と、「煩かった」事を知る前のキャンプ場同様に「評価抜群」の駅なのである。
何が「評価抜群」かというと、言わずもがな『宿泊する際の適合度』である。←何を評価してるんだ! このタワケは・・
布部駅に設置された
原作者・倉本聰手書きの看板が
”聖地”である事を物語る
※ ウィキペディア画像を拝借
知名度だけで取り上げたもう一つの掲載駅・布部駅であるが、この駅は『聖地』として訪れる多くの観光客と同じく、放浪旅時代に車で立ち寄っただけ・・である。 そして憶えているのは、『北の国から』のロケ地が『麓郷の森』と書かれた道路案内板がデカデカと掲げられた一大観光地となっていた事と、さだまさしのハミングによるドラマ挿入歌のアレ・・、「♪ン~ン ンンン ン~ン」が、富良野界隈の町中の観光スポットで流されていた事であった。
さすがに富良野の街中に流れる「♪ン~ン」のアレは、サブミリアルの効果が過って気味が悪かったよ。 そして、この時は宮沢りえが純クンの彼女になった特別篇の放映があった頃で、宮沢りえの役『シュウ(だったと思う)』に成りきって台詞を覚える事が流行っていたようで、ペンションやら洋風喫茶店などは、ドラマでシュウと純クンと密会した喫茶店に似せたパーテーションの喫茶店が散乱してたし、その台詞が店の中外に掲げられていて、この徹底ぶりも目にして”退いた”よ。
3代目の黒板五郎の家
※ ウィキペディア画像を拝借
まぁ、TVドラマの『北の国から』は好きで良く見ていた(特に純クンが中卒と同時に北海道を離れる特別篇の第4弾が良かったな・・)けど、こういうハシャギようって、かえってドラマの余韻を台無しにすると思うんだけど・・。
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