2018-09-22 (Sat)✎
路線の思い出 第279回 御殿場線・御殿場駅 〔静岡県〕
富士山観光の玄関口となる御殿場駅
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
国府津~沼津 60.2km 7124 / 120
運行本数(’18)
国府津~御殿場 上下とも毎時1~2本
国府津~山北、山北~御殿場 区間運行数本アリ
小田急・新宿~御殿場(松田から乗入れ) 特急【ふじさん】3往復
御殿場~沼津 上下とも毎時2~3本(早朝・深夜は毎時1本)
御殿場駅(ごてんばえき)は、静岡県御殿場市新橋にあるJR東海・御殿場線の駅である。
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の合計2面3線のホームを有する。 駅構内の西側にある単式ホームが1番線、東側にある島式ホームが2番線および3番線となっている。
3番線の東側には電化された側線が2本あり、主に電車の留置線として使用される。 また1番線ホームの南側には、駅構内に御殿場工務区が置かれている関係で保線車両留置用の側線があり、夜間滞泊も設定されている。 側線上には保線車両用の小さな車庫が置かれている。 国鉄時代の貨物営業を行っていた頃は、1番線ホームの北側と南側の2か所に貨物ホームが設けられていた。
駅舎は駅の東西を結ぶ自由通路を併設する橋上駅舎で、2階の自由通路に面して改札口が設置されている。 1階のホームと改札口とは、階段やエレベーターで連絡している。 改札口にはICかーど対応の自動改札機が導入され、駅舎内にはICカード対応のタッチパネル式の自動券売機が設置されている。
但し、国府津駅はJR東日本管内の駅となっているので、ICカードは沼津方面のみ使用可の処置が取られている。
駅(自由通路)の出入口は富士山と乙女峠にちなんで、西側の「富士山口」と東側の「箱根乙女口」の2か所が開かれている。 駅舎には、売店・飲食店等のテナント「ASTY御殿場」が併設されている。
橋上駅舎が建設される前は、1番線ホームに隣接する場所に地上駅舎が置かれ、2つのホームを結ぶ跨線橋があった。
駅長・駅員配置の直営駅で、管理駅として御殿場市内と小山町内に位置する御殿場線の4駅(駿河小山駅・足柄駅・南御殿場駅・富士岡駅)を管理している。 2016年の1日平均の乗車人員は4906人との事。
駅舎横にある富士急バスターミナル
:
富士山方面へのバスが
ひっきりなく発着している
※ ウィキペディア画像を拝借
静岡県東部の中規模都市である御殿場市の代表駅であり、市の中心部に位置する。 全列車が停車し、沼津方面には普通列車の折り返し運行が多数設定されている。 また、小田急・新宿駅と当駅を結ぶ特急【ふじさん】が起点・終点としている主要駅である。 乗降客は、御殿場線内では沼津駅・国府津駅に次いで多い。 富士山や箱根の玄関口の一つであり、駅前からは富士山麓や河口湖、箱根方面などへ向かうバスが発着している。
駅の開業は1889年(明治22年)で、1934年(昭和9年)に東海道本線の熱海ルートが開業して御殿場線となるまでは東海道本線の一部であり、東海道本線の当該区間が開業したと同時に当駅も開業している。
なお、貨物営業は、2006年(平成18年)4月に廃止されている。
御殿場線自体が
「小僧の時に通しで乗っただけ」だった
※ グーグル画像を拝借
ワテは基本的に、電化路線に乗りに行ったり訪れたりする事はない。 当然、この御殿場線も、昔むかしの小僧時代に、夏休みの避暑地として親戚が所有していた南箱根の別荘(ワテの身内はうだつが上がらないダメダメちゃんだったが、親戚連中は裕福だった)にお泊りに行った(ムリヤリ泊まり込みに行った・・だろ?)際に、シンカンセン代にもらった金をちょろまかして『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』で行った時に、ついでに乗っただけである。
でも、シンカンセンの特急料金込みの別荘地での小遣いを含めた3万円で『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』(金10000円ナリ)を買って、2日間分使っての残り3日間分と残った金2万円を九州の宮原線遠征費用に回す辺りは、この小僧・・ロクデナシながらも「自身が欲する事」への成就へ向けての執念はタダ者ではないかと。
御殿場駅の駅名板と富士山
※ JR東海の駅紹介サイトより
それなら何故に、「自らの意思を持って訪れる事のない路線の駅」だという、この御殿場駅を『路線の思い出』の駅として取り上げたか・・というと、〔名峰次選〕の全峰制覇のラス前となった富士山からの帰りの途中で、車窓から見た情景が印象強く残っているからである。
本当は、この富士山を〔名峰次選〕のファイナルに据えて、【名峰百選】制覇のこの時と同じく「ファイナル峰は我が国の最高峰」という“ミレニアム”を演出しようとしたのだけど、相次ぐ『オチャメ』(キハ183と同じくわき腹から火を噴いたり、道間違えて遭難フラグおっ立てたり)に遭遇して、富士山をラス前にせざるを得なくなっちまったのである。
遭難フラグをおっ立てたりする
『オチャメ』をカマシまくったので
感傷的になっちまったよ
そういう訳もあって、下山後は残り10峰となってからは3年がかりとなった〔名峰次選〕がいよいよファイナル峰を残すのみとなった事や、この3年であった色々な苦難(全て自業自得の『オチャメ』だけれど)を思い返して、少し感傷的になっていたのである。
雲海に富士のシルエットが映し出される
『影富士』を目にしたのも感傷心を大きくしたね
そんな気持ちを抱いて、三島からシンカンセンに乗って帰阪すべく乗車していた御殿場線電車の車窓から、夕景と富士山が現れたのである。 その情景は、気を入れていないと涙腺が崩壊しそうな程に感傷的な眺めだったよ。
思わず電車の窓を開けて
撮っちまった感動
山の上で数々の名峰を見てきて、山の上での素晴らしき情景を目にした体験は数知れずあるけれど、下界から・・、そして車窓から眺める峰の姿に感銘を受けたのはあまり記憶にないのである。
だから山の懐に赴いて、山に登って素晴らしき情景を目にする感動を生涯の生業にしつつあるんだけど・・ね。 まぁ、『奇跡の体力』は失って、「継続が困難の一歩手前」までヘタれてしまったけれど。
今日の朝は
あの“てっぺん”に立っていたのだな
あの素晴らしき情景を目にした後に乗り継いだシンカンセンは、大阪への暗闇を黙々と、そして淡々と突き進むのみだった。 その暗闇の中を黙々とひた走るシンカンセンの車内では、「山旅が終わって明日からまた都会の喧騒に逆戻り」という、新たな感傷心を抱いていた。
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No title * by 風来梨
pikes peak 2さん、こんばんは。
この時の車窓から見た夕暮れの富士・・。 〔名峰次選〕にあと一つと迫った事や、そこまで到達するのに色々あった事を思い出してジーンときましたよ。
この『影富士』も、富士山域の山小屋が全て9月第二週で閉まっている事を知らずに行って,秋の3000メートルでテントナシに野宿した『オチャメ』の産物なのですね。 その日は他の登山者は全て日帰りでしたから、誰もいませんでした。
その富士山での『オチャメ』も、感傷的になった原因かも・・。
この時の車窓から見た夕暮れの富士・・。 〔名峰次選〕にあと一つと迫った事や、そこまで到達するのに色々あった事を思い出してジーンときましたよ。
この『影富士』も、富士山域の山小屋が全て9月第二週で閉まっている事を知らずに行って,秋の3000メートルでテントナシに野宿した『オチャメ』の産物なのですね。 その日は他の登山者は全て日帰りでしたから、誰もいませんでした。
その富士山での『オチャメ』も、感傷的になった原因かも・・。
行かないと見られない、でも行くのには覚悟がいる....
車窓からの富士山もいいですね。
富士山は何度も観るも、朝方の東海道新幹線からと決まっているので、
違う顔を観てみたいものです....