風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第276回  高砂線・高砂駅

路線の思い出  第276回  高砂線・高砂駅 〔兵庫県〕


自らで撮った2枚の内の1枚
在りし日の高砂駅舎

《路線データ》
      営業区間と営業キロ             輸送密度 / 営業係数(’83)
     加古川~高砂 6.3km               989  /   898
       
     廃止年月日          転換処置         廃止時運行本数
     ’84/12/ 1           神姫バス           13往復

高砂駅(たかさごえき)は、かつて兵庫県高砂市高砂町鍛冶屋町にあった国鉄・高砂線の駅で、単式ホーム1面1線を有していた駅であった。 駅員はいたが貨物扱い要員としての配置で、旅客駅としては無人駅であった。 ホームに接する線の他に5本の側線があった。

無人化は1970年頃で、木造駅舎の出札口は閉鎖され壁となっていた。 廃止決定後当駅発行の記念乗車券が発売されたが、当駅では駅入口で臨時に記念乗車券のみを販売していた。


各工場に向かう構内側線の名残り
線路跡遊歩道に残されたさ
ポイント切替えの転轍テコ
※ ウィキペディア画像を拝借

駅構内北端で東側へ向かい、高砂北口駅へ続く本線から、西側へ向かい国鉄高砂工場方面へ続く構内側線が分岐していた。 その工場線から、東播磨港高砂地区に面するキッコーマン高砂工場やタクマ播磨工場、黒崎播磨高砂不定形工場、三菱重工業高砂製作所、神戸製鋼所高砂製作所へ続く専用線がそれぞれ分岐していた。 また本線と工場線の分岐点近くから東側へ分岐し、三菱製紙高砂工場へ至る専用線も存在した。

高砂線の旅客扱い駅としては当駅が終端駅であったが、当駅の1.7km先に貨物駅の高砂港駅があった。 前身の播但鉄道時代に旅客扱いをしていた為、貨物専用駅ながらも旅客ホームが残っていた。 
この高砂港駅からも、西側へ向かって鐘淵化学工業高砂工業所(現 カネカ高砂工場)へ続く専用線が、北側に向かって福栄肥料(窒燐加肥料工業)高砂工場へ続く専用線が分岐していた。


駅跡ロータリーの隅に置かれた
駅であった事を示すモニュメント
※ ウィキペディア画像を拝借

現在の駅跡地は、バスのロータリーとして使用されている。




ヤル気の見えない
さよならスタンプだねぇ

高砂線に乗ったのは高校生の頃、ふと学校をサボって路線めぐりした時である。 この時期に、同じく廃止対象路線として挙げられた三木線や北条線も乗っている。 記事の冒頭から、このタワケの小僧の頃からのロクデナシぶりが垣間見れてますなぁ。 でも、計算して留年のリミットを測りながらサボってたので、留年の心配はなかったよ。←このタワケ・・、ホンマモンのロクデナシだわ

でも、乗りに行っただけだったので「写真を全く撮ってない」というか、撮った記憶が無かったのである。 駄菓子菓子! 何の気まぐれか・・、年に片手ほども掃除する事はないのに、なぜか物置に山積みされた雑誌などの溜まり具合が気になって、一部を荷造りの紐で結んで捨てよう・・との気になったのである。

それで、山積みの雑誌などを物色していたが、物臭さで性根がロクデナシのタワケがこういった整頓作業をすると、決まって山積みされた雑誌の取捨選択と題した「読み返し」モードに突入して、一向に整理整頓が進まないようになるのである。

でも、この腐った性質も、まんざらでもないのである。 それは、この「読み返し」モードに突入すると、思わぬモノがポロっと出てきたり、発見できたりする事もあるのだ。 そう・・、ネガもなく、全く撮った記憶のなかった高砂線の写真が出てきたのである。 それも、『ジャポニカ学習帳・よいこノート』(使った奴はロクデナシの極みだが)なるA6サイズの小冊子ノートに、『ローカル線ぶらり散歩』と称した写真集を製作していたのである。


『ジャポニカ学習帳・よいこノート』に
”わるいこ”が丹精込めて路線訪問記なる
写真集を製作していたのだった

その小冊子ノート・『ローカル線ぶらり散歩』を真剣見入ってしまったよ。 それは、今展開しているこのブログの書庫『私の訪ねた路線』の前身とも言える内容だったのである。 その『写真集』は、取り上げた路線の時刻表を切り取ってビニールで保護しながら貼付け、写真も同様にビニールで包んで両面テープで張り付けるといった手の込んだ”製本”作業をしていたのである。

それは自らの部屋の掃除すら年に片手ほどもしないタワケの・・、自らでも信じ難い”マメ”な作業をしていた証であった。 そして、汚い字で改行とか全く考慮はなかったものの、全て鉛筆の手書きで書き直しをしもって丹念に書き記していた姿も、消しゴムの痕から露となったのである。

このタワケ・・、山や旅と一緒で普段はロクデナシの限りを尽くしているが、思い立った時だけはトコトン熱中する性質なんだ・・と、改めて思ったのである。 でも、「10ヶ月働いて2ヶ月放浪」なんて、まともな思考の人ならしないと思うが。

・・そういった訳で、今回も自らで撮った写真は僅か2枚で、大半の掲載写真がウィキペディアやグーグルからの借り物で凌いでいこうかと。


ウィキやグーグルから写真を借りないと
スタンプ画像のみの記事になっちまうし

ただ乗っただけで撮った覚えのない高砂線ではあったが、お蔵から写真を撮った『足跡』が出てきた事から、改めて記憶を手繰ってみる事にした。 なら、『高砂線』も、『撮り鉄路線』の対象として狙う計画を挙げていた事を思い出してきた。


鉄道雑誌のコンテストの入賞写真のコレを見て
下見に訪れたのがこの時の路線訪問理由だった
※ 鉄道ファン’79年4月号より

それは、鉄道雑誌『鉄道ファン』の誌上で開催していた『Canon 鉄道写真コンテスト』で、土手をゆく高砂線列車を逆光で撮った入賞写真を見て「こういうのが撮りたい」と目論んで、その事前偵察に訪れたのが今回の路線訪問で、その下見訪問後すくに路線廃止になっちまって、勝負をかける本番はやってくる事なく終わってしまったようであった。


でも『本番』を行う前に
路線が廃止になっちゃったよ

その下見はただ単に乗っただけだけで、勿体なくも野口駅の別府鉄道も無視状態であった。
それは、当時の「私鉄は無視!」という、しょうもないタワケの『国鉄ローカル線優先主義』思考のせいで、このしょうもない思考のせいで失った(撮りそこなった)のは南部縦貫や鹿児島交通、そして別府鉄道などかなり大きな後悔となっている。 でも、乗るには乗ったんだよね。


当時は偏屈な思考のせいで
別府鉄道は無視を決め込んでいたよ
今思えばかなり勿体ない事を
※ 鉄道ピクトリアル誌の掲載写真より

まぁ、小僧の頃は「時間はあるが金はない」ので、私鉄路線を追っかけて撮るべく余裕が無かったのである。 その当時の変えるべくもない状況を、「私鉄は無視! 国鉄廃止ローカル線優先主義」と誤魔化して「強がって」いたのだろうと思う。

加古川駅から高砂線に乗車するが僅か6.3kmの短い盲腸線の事、どんなに列車速度が遅くても14~15分で終点の高砂駅に着く。 ・・思い出してきた! そうそう・・、この時に車窓から必死に探したのは、例の『鉄道写真コンクール』の入賞写真の撮影場所である『夕方に横から陽が照りつける土手をゆく区間』だったのだ。 だからそれ以外は、気にも留めなかったのである。

まぁ、「思い立ったら一直線」という小僧からのワテの性質が裏目にでたのですな。←人生のほとんどに置いて、アウトローな『裏側』ばかりのタワケがよく言うよ・・ その高砂駅からは、5分の折り返しで乗ってきた列車で戻るのは勿体ないので、この折り返し列車は見送る事にする。


5分折り返しでは
駅写真もロクに撮れないし
だから撮り損ねて
ウィキペディア画像を拝借

でも、本数は多めとは言え廃止対象となるローカル線の事、1本見送ると1時間半から2時間の待ちとなるのである。 そして、高砂駅の周囲は普通の市街地然で、コレといった興味を惹くモノも見当たらず、途端にする事がなくなってきた。 なので、引き上げる事にする。

通常は本数の少ないローカル線での計画外の『引き上げ』は容易な事ではないが、この高砂線はほぼ並行する形で山陽電鉄の路線があって、その乗換口となる隣駅の高砂北口までの距離は僅か600m程なのである。


細長いバラック建物を隔ててすぐの位置に
山陽電鉄との乗継駅・高砂北口駅があった
※ グーグル画像を拝借

そして山陽電鉄の高砂駅は、特急も停車する高砂市の代表駅で、一時間に普通4本・特急4本と、ほぼ待つ事無く乗れて、しかも新開地での乗換えはあるものの、大阪梅田に帰る事ができるのである。


国鉄高砂線があった時も
高砂市の代表駅だった山陽電鉄・高砂駅
※ ウィキペディア画像を拝借

その時は、次の高砂北口駅までただ歩いて山陽電鉄に乗り換えただけだが、今をもって山陽電鉄との乗換駅だった高砂北口の様相を見ると、学術的な面白さが満載だったりして。


高砂北口の駅跡はその立地を利用して
自転車駐輪場ならぬ『放置場』となっている


駅跡を反対側から見るとバラックを隔てて
山陽電鉄の駅が確認できる
※ 2枚いずれもウィキペディア画像を拝借

まぁ、小僧に、細いバラックな建物の”壁”で隔てられて掘割状に見える線路跡という、学術的な様相を見抜く事などできないだろうけど。


そのバラックを山陽電鉄の高砂駅側から見ると
このバラックが現役の建物だという事が判る


でもこのアングルだと建物倒壊も
懸念されるようなバラックそのものだ
※ 2枚いずれもグーグル画像を拝借



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No title * by chinu
こんばんは。高砂線の在りし日の姿・・・とてもいいですね。
高砂駅の現役時代の写真を始めてみました。木造の立派な姿を想像していましたが、以外にトタンでボロかったんですね。そこが、いい味出していますけど。
廃線後の風景が良い路線です。

No title * by 風来梨
chinuさん、こんばんは。

高砂線の沿線は、貨物引き込み線の数だけ鉄道史に関連するドラマがありそうですね。

でも現役時は、その貴重な鉄道史に気づく事なく、ただ乗っただけに終わっちゃいました。 目論んだ「土手上で夕日を浴びる列車」も撮れず仕舞いに終わってしまいました。

そして、高砂線以上に強烈なインパクトのある別府鉄道も、同じく乗っただけに終わっちゃいました。 都会のマンションの下を、バスケット付きのゲテモノ気動車がトコトコ走る姿は、痛快だったでしょうね。 まぁ、16~17の小僧に、これらを撮っておく先見性を求める方がムリがありますね。

No title * by pikes peak 2
おはようございます。
高砂線は廃線跡を歩いたことしかありません。
ここは乗っておきたかったですが、事実上ムリだったかも。
さよならスタンプ、路線、駅名も入って、なかなか好きですょ(^_^)
学生の頃は、ローカル線の存在を知らなかったので、随分と機会を逸してしまったと思います。
中高生では、遠出できなかったとは思いますが.…

No title * by 風来梨
pikes peak 2さん、こんばんは。

高砂線は「1往復乗っただけ」で写真も撮らなかった・・と記憶してたのですが、お蔵を掘り返してみれば、高砂駅で停車中のキハ20の2連と高砂駅舎の写真が出てきたもので・・。 この他にも『ジャポニカのよいこノート』に作成した『ローカル線ぶらり散歩』なる本には、ローカル線の貴重な写真と当時の時刻表を切り貼りしてました。

私基準ですが、物凄い掘り出し物を見つけましたよ。 17~18の少年時代のローカル線への熱中度が見れて嬉しいやら、こっ恥ずかしいやら・・でした。

コレを片手に、ローカル線の後を辿って見たくなりましたね。

No title * by 鳳山
このブログを訪問するといろいろなローカル線を知ることができて勉強になります。高砂は加古川の下流になるんですね。バラックな建物、風情があります。昔は栄えていたんでしょうね。

ナイス

No title * by 風来梨
鳳山さん、こんばんは。

高砂線のあった高砂市は神姫の工業地帯で、三菱重工を始め、タキイ種苗やキッコーマン醤油、鐘ヶ淵化学、神戸製鋼等、そうそうたる企業が工場を展開してます。

そして国鉄時代は、それぞれの会社が国鉄の加古川駅を介して工業製品を出荷するべく、自社工場と高砂線をつなぐ引き込み線を所有していました。

また、国内輸送だけではなく、高砂港から船で海外への輸出も担っていました。
高砂線には、高砂港駅という貨物駅が存在していましたし。 でも、鉄道輸送のコスト高から、企業がトラック輸送に切り換えて、高砂線も赤字ローカル線となって廃止されてしまいました。

戦時には、三菱重工ではゼロ戦も製造していたようですよ。 また、陸軍航空隊の弾薬格納庫が高砂にあって、その弾薬格納庫と高砂線をつなぐ線路跡もあるそうです。

コメント






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こんばんは。高砂線の在りし日の姿・・・とてもいいですね。
高砂駅の現役時代の写真を始めてみました。木造の立派な姿を想像していましたが、以外にトタンでボロかったんですね。そこが、いい味出していますけど。
廃線後の風景が良い路線です。
2018-09-02 * chinu [ 編集 ]

No title

chinuさん、こんばんは。

高砂線の沿線は、貨物引き込み線の数だけ鉄道史に関連するドラマがありそうですね。

でも現役時は、その貴重な鉄道史に気づく事なく、ただ乗っただけに終わっちゃいました。 目論んだ「土手上で夕日を浴びる列車」も撮れず仕舞いに終わってしまいました。

そして、高砂線以上に強烈なインパクトのある別府鉄道も、同じく乗っただけに終わっちゃいました。 都会のマンションの下を、バスケット付きのゲテモノ気動車がトコトコ走る姿は、痛快だったでしょうね。 まぁ、16~17の小僧に、これらを撮っておく先見性を求める方がムリがありますね。
2018-09-02 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

おはようございます。
高砂線は廃線跡を歩いたことしかありません。
ここは乗っておきたかったですが、事実上ムリだったかも。
さよならスタンプ、路線、駅名も入って、なかなか好きですょ(^_^)
学生の頃は、ローカル線の存在を知らなかったので、随分と機会を逸してしまったと思います。
中高生では、遠出できなかったとは思いますが.…
2018-09-05 * pikes peak 2 [ 編集 ]

No title

pikes peak 2さん、こんばんは。

高砂線は「1往復乗っただけ」で写真も撮らなかった・・と記憶してたのですが、お蔵を掘り返してみれば、高砂駅で停車中のキハ20の2連と高砂駅舎の写真が出てきたもので・・。 この他にも『ジャポニカのよいこノート』に作成した『ローカル線ぶらり散歩』なる本には、ローカル線の貴重な写真と当時の時刻表を切り貼りしてました。

私基準ですが、物凄い掘り出し物を見つけましたよ。 17~18の少年時代のローカル線への熱中度が見れて嬉しいやら、こっ恥ずかしいやら・・でした。

コレを片手に、ローカル線の後を辿って見たくなりましたね。
2018-09-05 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

このブログを訪問するといろいろなローカル線を知ることができて勉強になります。高砂は加古川の下流になるんですね。バラックな建物、風情があります。昔は栄えていたんでしょうね。

ナイス
2018-09-06 * 鳳山 [ 編集 ]

No title

鳳山さん、こんばんは。

高砂線のあった高砂市は神姫の工業地帯で、三菱重工を始め、タキイ種苗やキッコーマン醤油、鐘ヶ淵化学、神戸製鋼等、そうそうたる企業が工場を展開してます。

そして国鉄時代は、それぞれの会社が国鉄の加古川駅を介して工業製品を出荷するべく、自社工場と高砂線をつなぐ引き込み線を所有していました。

また、国内輸送だけではなく、高砂港から船で海外への輸出も担っていました。
高砂線には、高砂港駅という貨物駅が存在していましたし。 でも、鉄道輸送のコスト高から、企業がトラック輸送に切り換えて、高砂線も赤字ローカル線となって廃止されてしまいました。

戦時には、三菱重工ではゼロ戦も製造していたようですよ。 また、陸軍航空隊の弾薬格納庫が高砂にあって、その弾薬格納庫と高砂線をつなぐ線路跡もあるそうです。
2018-09-06 * 風来梨 [ 編集 ]