2018-07-29 (Sun)✎
路線の思い出 第272回 日田彦山線・建替え後の添田駅 〔福岡県〕
かつて頭にあった『添田駅』と
全くの別の駅であった
《路線データ》
日田彦山線
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83) 運行本数
城野~夜明 68.7km 2705 / 410 小倉~田川後藤寺 上下とも毎時1~2本
田川後藤寺~添田、彦山 上下とも毎時1本
添田、彦山~日田 9往復
旧国鉄添田線
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
香春~添田 12.1km 224 / 2448
廃止時運行本数 廃止年月日 転換処置
6往復 ’85/ 4/ 1 西鉄バス
添田駅(そえだえき)は、福岡県田川郡添田町大字添田にあるJR九州・日田彦山線の駅である。
添田町の中心駅で、かつては添田線と接続していた。 島式ホーム1面2線を有する駅である。
旧国鉄時代は駅舎に面したホームがあり、現存する島式ホームとを連絡する跨線橋があったが撤去され、現在は駅舎とホームは構内踏切で連絡している。
添田線の線路を剥がされた直後の添田駅
※ 『懐かしい駅の風景』より
国鉄時代は路線の要衝駅として立派な木造駅舎を駅の東側の位置に備えていたが、添田線廃止後に旧駅舎を取り壊してその敷地の一部を道路用地に充て、添田線の旧1番線があった位置に鉄筋コンクリート造2階建ての現在の駅舎を建設した。 その建替えられた現在の駅舎は物産館と合築となっている。
駅舎内には、簡易型の自動券売機が設置されている。 2015年に、無人化されている。
添田線の存在が
添田駅が鉄道の要衝だった証なのかも
かつては添田線との接続駅であり、同線のホームは旧駅舎の前にあったが、全て撤去されて一部は道路用地として収用された為、撤去された旧木造駅舎及び添田線ホーム跡の敷地は砂利敷きの空地となり、現在の島式ホームは駅舎から約100m離れた位置にある。 構内に留置線があり、深夜に1編成が夜間滞泊する。
もともとは小倉鉄道が後の添田線の前身にあたる東小倉〜上添田間を開通させた際、その終点として開業させた駅である。 その後、1942年に日田彦山線の前身である田川線が延長された際、1.2kmほど北西の西添田駅から当駅を経由するルートで開業した。
西添田~添田間ではあまり離れていない2点間に線路を敷いたため、区間内に急カーブが2箇所あり、既に添田駅構内は添田線のホームや貨物の操車線でいっぱいだった為に、添田駅の日田彦山線ホームは駅舎から遠く離れた位置に作らざるを得なかった・・との事である。
ワテにとっての『添田駅』は
旧国鉄添田線の接続駅なのである
添田駅・・。 この駅の名を聞くと、ワテはやはり「旧国鉄添田線の駅」と頭に思い描く。
だが、現実に添田線廃止後の添田駅を訪ねた時、もうそれは完全に『別の駅』となっていた。
そう・・、ワテが知っていた添田駅とは、全く別物の駅である事を思い知らされたのである。
添田線と木造駅舎の撤去跡は
広大な砂利敷きの空き地に
※ ウィキペディア画像を拝借
かつては筑豊炭鉱から運び出された石炭・・、通称『黒ダイヤ』の集積・仕訳を司る要衝駅として多くの側線を擁し、常にディーゼル機関車が入れ替え作業に携わり、貨車の姿が必ずあった添田駅。
それが、物産館併設の人影もまばらな無人駅となり、かつてあった側線は全て剥がされて砂利敷きの空き地になっていたのである。
そして、到着する列車も優等列車の影も形も無く消え去り、毎時1時間程度の列車が発着するのみとなっていた。 しかも、この添田駅より先は日に僅か9本と、2時間に1本の運行に留まっていたのである。
そう・・、ツートンカラーの急行型塗装の車両は全て消えて、統一化された白地に蒼帯に塗り替えられた旧国鉄型車両と、運ぶべき貨客も減りに減り、経費削減の為にJR転換後に導入された黄色のレールバス型の単行気動車が行き交うのみとなっている。
添田線の廃止で添田駅が『只の駅』となり
添田線の跡は『只の舗装道路』となった
そう・・、鉄道駅として何の魅力もない『只の駅』の姿が、添田線在りし時に訪れた時から四半世紀ぶりとなった今回の訪問で目にした『添田駅の姿』だったのである。 この駅を目にした時、旅の計画を少し変更する気持ちが高まったのである。
それは、日田彦山線の大行司付近にある『眼鏡橋』を渡る列車の撮影を切りつめ、レンタカーで旧国鉄添田線の跡を周る計画に変更したのである。 でも、そのレンタカーでめぐった『旧国鉄添田線』の跡は、廃止になって30年が経過して跡形もなく消え去っていた。
土盛を確信のないまま
『添田線の線路跡』と認定
もう、駅跡がどこか・・、路線の遺構の全てが解らぬままだった。 だから、適当に土盛で「線路のあった築堤っぽいなぁ」と感じたのを適当に写真を撮る。 だから、それが本当に添田線の跡かどうかは全く確信がないのである。
在りし時は当たり前に位置が判明するが
捨てられた後は野に還り全く判らなくなる
それが『廃線跡遺構めぐり』なのだ
※ 『添田線・伊原駅』より
そうなのである。 『廃止路線の遺構めぐり』とは事前の下調べがモノを言い、それがなければほぼ探求などできない『カテゴリー』だったのだ、この『廃線跡の遺構めぐり』というのは・・。
ただ一回、しかも四半世紀前に一度乗っただけの記憶だけで追い求める事ができる程に『軽い』モノではなかったのである。
ただの一回・・
しかも車内では眠りこけて
車窓をほとんど見てない路線に
記憶なんてある訳がなかった
だから、行った途端に「行き当たりバッタリでのこの計画変更は失敗だった!」とすぐさま理解できたよ。 なので、レンタカーのカーナビでも唯一表示された大任駅跡の鉄道公園まで行き、その先は全く遺構の位置が見当も着かないので添田方向へ引き返し、そのままレンタカーを借りた博多に戻ったよ。
この大任駅跡の鉄道公園だけは
カーナビで表示されたよ
やっぱり、何事も中途半端にすると、得てして結果は全くついてこないという事を地て証明する今回の『プチ旅の計画変更』であった。 でも、廃線跡の遺構めぐりに旅の時間を費やす程に熱心に取り組む気もないので、恐らく他の廃止路線でも今回の添田線と同じような結果が待ち受けている事だろうと思う。
廃止になってすぐに訪れない限り
このようなお宝映像は撮れる訳がないのだ
※ 『添田線・伊原駅』より
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No title * by トドの写真ブログ1
お立ち寄りありがとうございました。
No title * by 鳳山
久大線は乗ったことがありますが、日田彦山線は日田から北九州まで続いているんですね。いつか乗ってみたいです。
ナイス
ナイス
No title * by 風来梨
たけしさん、こんばんは。
日本のどこにでもあった駅風景・・、貨物列車が待機し、跨線橋で上下のホームを移動して・・、昭和の懐かしい風景ですね。
鉄道を追っかけていたあの頃はこう言う駅風景をよく目にしてたのですが、当時15~6の小僧の事、それが貴重な歴史を示す駅情景とは見抜けませんでしたね。
だからこの写真も、グーグルからの拝借ですね。
でも、結構貴重な『お宝写真』を撮っているので、少しずつ公開しようかと。
日本のどこにでもあった駅風景・・、貨物列車が待機し、跨線橋で上下のホームを移動して・・、昭和の懐かしい風景ですね。
鉄道を追っかけていたあの頃はこう言う駅風景をよく目にしてたのですが、当時15~6の小僧の事、それが貴重な歴史を示す駅情景とは見抜けませんでしたね。
だからこの写真も、グーグルからの拝借ですね。
でも、結構貴重な『お宝写真』を撮っているので、少しずつ公開しようかと。
No title * by 風来梨
トドの写真ブログ1さん、こんばんは。
精力的に写真を撮られていますね。
フクロウの表情は圧巻です。
精力的に写真を撮られていますね。
フクロウの表情は圧巻です。
No title * by 風来梨
鳳山さん、こんばんは。
日田彦山線は、筑豊炭鉱の栄枯盛衰を知る路線ですね。 この添田駅も、北九州の門司港に石炭を送る中継の要衝駅だったのですね。
それは『昔』と言っても、僅か40年ほど前の事なんですよね。
日田彦山線は、筑豊炭鉱の栄枯盛衰を知る路線ですね。 この添田駅も、北九州の門司港に石炭を送る中継の要衝駅だったのですね。
それは『昔』と言っても、僅か40年ほど前の事なんですよね。
今は駅らしくなく、ショッピングセンタ-化しているのは民営化によるものでしょうね。