2018-07-14 (Sat)✎
路線の思い出 第270回 三江線・木路原駅 〔島根県〕
木路原駅ホームと庇だけの待合所
逆光でフレアとなってしまったよ
逆光でフレアとなってしまったよ
:
木路原駅は夏に撮ったこの1枚だけ
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’16)
江津~三次 108.1km 46 / 1109
廃止年月日 転換処置
’18/4/1 備北交通・大和観光・邑南町営・石見交通
など区間によって分担
運行本数(’17)
江津~三次 下り2本・上り1本
江津~石見川本 上り1本
江津~浜原 3往復
石見川本~三次 上り1本
浜原~三次 2往復
口羽~三次 1往復
※ 廃止日までの残り2週間は昼間便の浜原~口羽の通し運行を実施した
江津~三次 下り4本・上り3本
江津~石見川本 上り1本
石見川本~三次 上り1本
江津~浜原 1往復
浜原~三次 1往復
木路原駅(きろはらえき)は、島根県邑智郡川本町大字川本木路原にあったJR西日本・三江線の駅である。 三江線の廃止に伴い、2018年(平成30年)4月1日に廃駅となった。
浜原方面に向かって左側に単式1面1線のホームを持つ停留所規格の駅で、駅ホームは斜面上の道路からやや高い所にあった。 浜田鉄道部管理の無人駅で、ホーム上に庇の着いた待合所があるのみで、道路からはスロープを挟んだ階段を昇って直接ホームに入る形になっていた。 自動券売機等の設備はない。
2015年の一日平均の乗車人員は4人との事。
駅名となる地名の由来であるが、『木路畑(きろはた)』から転じたものだと考えられる。
これは「切畑」に通じるもので、「焼き畑」の意味だろうと思われる。
編集と撮影にガンバった!?お陰で、我がホームページ『日本百景』の『撮影旅行記』である『三江線・最後の一年』で掲載した三江線全33駅で、唯一の「掲載”坊主”駅」となったのが、この木路原駅である。 掲載”坊主”駅で書くネタも乏しいので、ムリヤリの「ネタづくり」宜しく「この駅がなぜ掲載”坊主”になったか?」を語るとしよう。
まず、1つめの主となる理由は、「駅のシチュエーションが乙原駅に似ている」って事である。
それも口悪く言えば、乙原駅の”劣化版コピー”な感じがしたのである。
それも口悪く言えば、乙原駅の”劣化版コピー”な感じがしたのである。
木路原駅にも桜の木はあるが
限りなくショボイ
※ グーグル画像を拝借
それは乙原と同じく駅前に桜の木が1本あるが、かなり小ぶりの桜の木で花の着きも今イチで、これを目にしたら恐らく誰しも「(同じ駅前の桜を撮るなら)乙原で撮ろう」って気になるだろう。
また、高台の土手にあり階段でホームに上る形は乙原と一緒なのだが、乙原がキチンとした建物である『待合室』なのに対して、この木路原駅は庇が着いただけの『待合所』で、言わば「最低クラス」の駅待合施設なのである。 また、背後の山も、『秋』にそれほど彩を見せなかったし・・で、木路原駅で撮るべく足を向ける気が湧かなかったのである。
次の2つめの理由が、唯一の掲載写真である上の『駅写真』が「強烈なフレア」を帯びた失敗写真となってしまったからだ。 これは民家とかの入らない「撮りたいと思う」方向が日中は「強烈フレア」となる程の”ド逆光”で、向かってくる列車を撮れば間違いなしに『逆光・黒潰れ』となるだろうからである。
次の2つめの理由が、唯一の掲載写真である上の『駅写真』が「強烈なフレア」を帯びた失敗写真となってしまったからだ。 これは民家とかの入らない「撮りたいと思う」方向が日中は「強烈フレア」となる程の”ド逆光”で、向かってくる列車を撮れば間違いなしに『逆光・黒潰れ』となるだろうからである。
津軽鉄道より
薄日がシャワーのように差込み
雰囲気が高まった
:
逆光黒潰れの数少ない成功例
『逆光・黒潰れ』をサルベージするなら、光のカーテンのようなお釣りがくるほどのインパクトが必要なのである。
最後の理由は、ズバリ「撮りに行けなかった」からである。 それは最後の追っかけ旅である『追っかけ旅・ファイナル』で、運行最終日まで掲載”坊主”駅であった石見松原駅のリカバリーが成功して掲載”坊主”駅解消に弾みがついたのであるが、この唯一掲載”坊主”駅となってしまった木路原駅だけは、『竹越え』という道路の”サミット区間”の為に撮りに”行けなかった”のである。
最後の理由は、ズバリ「撮りに行けなかった」からである。 それは最後の追っかけ旅である『追っかけ旅・ファイナル』で、運行最終日まで掲載”坊主”駅であった石見松原駅のリカバリーが成功して掲載”坊主”駅解消に弾みがついたのであるが、この唯一掲載”坊主”駅となってしまった木路原駅だけは、『竹越え』という道路の”サミット区間”の為に撮りに”行けなかった”のである。
県道40号線の道幅が離合困難の狭さとなる”サミット区間”でも竹駅の先の美郷町と川本町の町境辺りは、特に道幅が狭くなって『対向車接近!』の電光表示が点くだけの『簡易(手抜き!?)片側交互通行』となり、この超狭隘区間に「最終日に三江線列車を追っかける『撮り鉄』の車」が殺到して乙原の先で大渋滞となっていたからである。
『片側交互通行』でも信号や旗振りで誘導するならば比較的スムーズに通れて渋滞もデカくならないのだが、『対向車接近!』の電光表示は無視するバカが多数いて、たちまちすれ違いが困難となって”詰まる”のである。 それに現地の道をよく知らないエトランゼの「『撮り鉄』の車」が加わると、更に状況が悪化するのである。
三江線最終日
エトランゼの『追っかけ鉄』の車が殺到して
こんな狭隘区間で最初で最後の大渋滞となっていたよ
※ グーグル画像を拝借
その大渋滞を目にして「この道路では、最初で最後の渋滞だな・・」と思ったよ。
この渋滞に巻き込まれて抜け出せずに最終日の行程を潰す訳にもいかないので、渋滞を目にして即効車を回して戻ったよ。 この渋滞に入ってしまって、最終日を潰した御仁はご愁傷さまぁ~。
これを引き返した事で木路原駅での『撮り鉄』は叶わなかったが、代わりに明塚と伊賀和志の各駅の掲載”坊主”駅を解消ができたので、結果としては”オーライ”なのかな!?
木路原での撮影を断念したお陰て
掲載”坊主”駅の筆頭候補だった
伊賀和志で撮る事ができたよ
一方、「江ノ川左岸の土手をゆく列車」の情景は、背景となる山野が彩る『秋』がいいだろう。
でも、”いいだろう”といっても廃止となって「もう列車が走らない」という手遅れとなったのだから、ダイレクトに「良かった」と記すべきなのだろうか。 これは、この項目でこのネタを書き記しながら”ふと”思った事である。
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No title * by 風来梨
tomさんこんにちは。
尾関山公園のあの場所は、意外や意外に最終日直前も『撮り鉄』さんはほとんど来なかったです。
あの場所はちょっと桜の樹の角度がズレていて「満開の桜と」はキビシイアングルだったからかな?
この最終日は、奇跡と言っていい程に桜が3月末で満開となりましたから、いいお別れ写真が撮れました。
尾関山公園のあの場所は、意外や意外に最終日直前も『撮り鉄』さんはほとんど来なかったです。
あの場所はちょっと桜の樹の角度がズレていて「満開の桜と」はキビシイアングルだったからかな?
この最終日は、奇跡と言っていい程に桜が3月末で満開となりましたから、いいお別れ写真が撮れました。
メインサイトの方も拝見しました。尾関山の桜と三江線は見事ですね。ズームアップした下から3枚目はとても好きですね。堪能させて頂きました。