2018-06-30 (Sat)✎
路線の思い出 第268回 JR東日本各線・新潟駅 〔新潟県〕
新潟駅(にいがたえき)は、新潟県新潟市中央区花園一丁目にあるJR東日本の駅である。
新潟県の県庁所在地で、政令指定都市でもある新潟市の中心駅である。 上越新幹線の終点であり、本州日本海側の鉄道網、また鉄道以外の公共交通機関も含めた新潟都市圏のターミナル駅である。
現在、駅舎周辺では在来線の連続立体交差化と、それに伴う周辺整備事業が進められている。
当駅が終着駅の上越新幹線と信越本線、白新線、越後線の在来線3路線が乗り入れており、いずれも当駅を起点または終点としている。 なお、信越本線が在来線における当駅の所属路線となっている。
在来線ホームは万代口改札に直結した8・9番線を除き、高架化されている。 高架ホームは高架化第1期開業時点では3面4線で運用されている。 かつての在来線ホームは万代口駅舎と南口駅舎の間の地上部にあり、2012年11月3日までは単式ホーム1面1線(1番線)島式ホーム3面6線(2~7番線)を有していた。 2012年11月4日以降は単式ホーム1面1線、島式ホーム2面4線(2013年4月7日以降は島式ホームの1面2線が単式ホーム1面1線に変更)を有していた。
2018年4月15日には高架ホームのうち単式ホーム2面2線と島式ホーム1面2線が供用開始され、現在は地上部8・9番線と合わせた4面6線が使用されている。 島式ホームの8・9番線は頭端式構造で、旧1番線東側を切欠いて設置されたものである。 高架ホームと地上ホームは万代口への連絡通路を兼ねる2本の跨線橋で連絡している。 普通列車に関してはホームを効率的に運用するため、方面別の振り分けは特に決まっていない。
在来線高架ホームにおいては簡易的な自動放送が導入されているほか、きらきらと舞い降りる雪と輝く海をイメージしたオリジナルの発車メロディ(曲名:「冬」)が使用されている。 なお、ワンマン列車の発車合図は車載スピーカーから放送される。
新幹線ホームは南口駅舎の高架部3階にあり、島式ホーム2面4線を持つ。 新幹線ホームは16両編成の列車に対応しているが、開業当初は当駅へ乗り入れる列車は最大12両編成となっていた為、新潟新幹線車両センター方の4両分のスペースを閉鎖して客扱いを行っていた。 2012年3月17日のダイヤ改正から東京〜新潟間の全線で16両編成の列車が運行されるようになった為、これに合わせて駅設備の対応工事が行われた。
2018年4月の在来線高架化第1期開業時に11番線の反対側にホームが新設され、在来線の5番線ホームと2ヶ所の乗り換え改札を介しての乗り換えが可能になった。 このホームは「のりかえホーム」と称し、独立したホーム番号を持たず、新幹線コンコースに直接出入りする事が出来ない。 一方で、従前からの11番線ホーム(12番線との島式ホーム)も継続して使用されており、11番線は「両側のドアが開く」新幹線ホームとなっている。
のりかえホームの新幹線側には上越新幹線では唯一の可動式安全柵が設置されている。
バリアフリー対策として、2番線を除く全てのホームにエレベーターが、在来線2〜5番線と新幹線ホームにエスカレータが設置されている。
新潟駅に停車中の急行【きたぐに】
※ ウィキペディア画像を拝借
新潟駅の思い出は、何といっても東北の旅への往来に乗った急行【きたぐに】にまつわる事であろう。
中でも、(ワテの居住する)大阪から新潟に向けての下り列車ではなく、新潟駅を夜に発つ上り列車の事である。
山に登りまくった最盛期は
急行【きたぐに】は大阪から乗っていたな・・
:
その頃の塗装はコレだったと思う
※ ウィキペディア画像を拝借
『奇跡の体力』で山に登りまくった最盛期が終焉となり、歳と共にヘタレの坂を転がり落ちていく過渡期だった7~10年位前、それはワテの旅のスタイルの変革期であったのだ。
山に登りまくっていた時の旅のスタイルであった期限を定めぬ長期の放浪旅はできるハズもなく、宮仕え(会社勤め)となって休みも土日に有給を足しての3日間となり、旅もそれを使っての目的地での1泊旅が関の山となってしまった。
そういう訳で、旅の目的地に少しでも長く滞在できるように、行き帰りの手法が重要となってきたのである。 鉄道で云えば、最速の列車は周知の通り『シンカンセン』であろう。 だが、『シンカンセン』は深夜に運行する列車がないのである。 要するに、夜遅くにシンカンセン駅に着いたとて、その夜は足止めを食らっちゃうのである。
でも、新潟から夜行で大阪に向かう上りの急行【きたぐに】は大阪到着が朝の6:48と、翌日出社がギリギリ適う時間となるのだ。 そう・・、シンカンセンならば、前夜に新潟で足止めを食らってしまったなら、どう足掻いても大阪帰着は昼過ぎとなってしまうのである。 要するに、シンカンセン利用では土日+有給の休みでは関西圏から東北へ繰り出す事が不可能であったのだ。 ・・という訳で、ワテにとっての急行【きたぐに】は、東北旅の必須アイテムであったのだ。
下手すれば頸椎捻挫(寝違え)もあり得る
直角イスの自由席
※ ウィキペディア画像を拝借
そして、その旅の御用達列車である急行【きたぐに】の乗車スタイルも、『周遊券』を使って自由席の直角イスで耐え忍んで急行料金さえケチるコスい乗り方から、グリーン車を経て、かつては想定さえも浮かばなかった寝台を利用するまでに”老いて”いたよ。
『奇跡の体力』が末期に差しかかった頃には
3000円払ってグリーン車に乗っていたよ
※ ウィキペディア画像を拝借
まぁ、放浪旅をしていた時は時間だけはいくらでもあったし、テントと食糧を車に積んで周っていたから、どこでも泊ってどこでも寝る事ができたけど、宮仕えとなってからは『休日』という「限られた自由時間」を目一杯使っての旅が至上命題となってしまったのだ。 これを否定するなら、社会人としての生活習慣も否定しなければならないのだ。 かつて取っていた「10ヶ月働いて2ヶ月放浪する」という生き方は、歳を喰って体力・気力的にも社会的にも許容されなくなってしまったのである。
そんな旅において、正反対の”ガンジ絡め”の時間の縛りに対して、今まで取っていた旅の本質を最大限に追及すべくワテも考えや旅のスタイルを変えざるを得なくなったし、旅のスタイルを変えるべくの『収入の安定』という武器も使うようになった。
まわりクドい言い方をしたけど、とどのつまり旅の目的地へのアプローチは、金を使っても最速で快適な手段を選ぶようになったのである。 まぁ、時間に縛られる生活となったのだから、当然と言えば当然なのであるが。
だから、旅の行程計画表を立てる時は時刻表やネットとにらめっこしながら、夜行バスから飛行機まで、ありとあらゆるアプローチ手法を検討するようになったのである。 いや・・、一つだけ、かつて『主』として取っていたアプローチ手法だったのに、ほとんど使わなくなってしまった手法がある。
それは、マイカーによるアプローチだ。
まぁ、時間は計算できないし、限られた日程時間の約1/3を占める『深夜』という時間帯が全く使えないし、運転はシンドイし、高速代とガソリン代を含めるとコスト的にも最悪な数値となるからである。
先程に「金は使う」といったけれど、不利になる様な使い方はしないし、”できない”のである。
要するに、金は旅において『目的』を果たす為に使うようになったのだ。
その『目的』とは、旅先での滞在時間を最大に取り得る事ができる移動手段なのである。
シンカンセンに勝っていた
急行【きたぐに】
※ ウィキペディア画像を拝借
ちょっと話は脱線したが、それでシンカンセンより早い移動手段・・、目的を果たすべく金を使うに値する列車が、新潟発の上り急行【きたぐに】号だったのである。 そして、その「使える」移動手段である急行【きたぐに】号において、より快適に、翌朝の勤務に支障がないようにするなら、かつての若き日に選択した自由席の直角イスではなく「金を払ってでも」寝台のベットなのである。
下段はいつも満席でなかなか取れない
中段は狭くて入り辛いし頭を上げれない
上段はハシゴが怖いしクーラー直撃だけど
小窓から眺める夜景は夜行列車の雰囲気満点だ
※ ウィキペディア画像を拝借
だから、このきっぷが取れなくなったら一大事となるのである。 従って、かつてはする事がなかった『予約』で寝台を確保するようになったよ。 そして、東北への旅に繰り出すなら、この急行【きたぐに】に乗る為に、発車時刻である22:50の1時間半前には新潟駅に着くように逆算して計画を立てるようになったよ。 もう、新潟までの道程も、特急を使うのは当たり前になったしね。
いつも20時過ぎに新潟に到着する
特急【いなほ】に乗っていたな
※ グーグル画像を拝借
そして、山や滝などをめぐる旅のアプローチを『予約』するのだから、週間天気予報にもかなり気を配るようになったよ。 それは、『予約する』という事は、その方面へ旅に出る為に有給を取り、レンタカーの予約を入れてフイルムを買うなど旅の準備に取り掛かっているので、取り消しや変更が利かないからである。
だから、関西圏から最も遠い感覚の地・東北への旅を無事に終えて、帰阪するべく乗る新潟発の急行【きたぐに】の寝台ベットの上は、旅の成功も相俟って最もホッとできる場所となるのである。
小窓から流れる夜景を見ながら
ゴロ寝でマンガ本を読む
旅を終えた後の祝福のひととき
※ ウィキペディア画像を拝借
新潟駅のブックストアでマンガ雑誌や読み切りのマンガ単行本を買い込んで、寝入るまでのひとときを寝台の小窓から入る夜景を見ながらゴロ寝してマンガを読む・・、コレってかなり至福のひとときなのである。 この列車が無くなってしまって、東北への旅が更に困難となってしまったよ。
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