2018-06-09 (Sat)✎
路線の思い出 第265回 士幌線・糠平駅 〔北海道〕
在りし頃の糠平駅舎
駅舎とかの『B級写真』はサブカメラの
PENTAXでネガ撮りしてたみたい
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度(’79) / 営業係数(’83)
帯広~十勝三股 78.3km 359 / 1743
廃止年月日 転換処置
’87/ 3/23 十勝バス
廃止時運行本数
帯広~十勝三股 4往復《糠平~十勝三股 バス代行運転》
帯広~糠平 1往復
帯広~上士幌 下り1本
糠平駅(ぬかびらえき)は、かつて北海道河東郡上士幌町字糠平に置かれていた旧国鉄・士幌線の駅である。 糠平ダム建設の為に駅の位置を移転した経歴を持つ。 士幌線の廃止に伴い、1987年3月23日に廃駅となった。 駅跡は上士幌町が開設した『士幌線・鉄道資料館』となっている。
上記に記した通り、1955年に糠平ダム建設に伴って、大きく左に旋回して糠平ダムサイト前を横切った先の位置まで600mほどの駅移転となる。 この移転によって現在の糠平湖の東岸にあった旧線は廃棄され、糠平湖のダム前を横切って、糠平湖の西岸を巻くように線路が付け替えられた。
なお、湖水の水位により姿を現す”幻の橋”『タウシュベツ橋梁』は、廃棄されたこの東岸の旧線上に架っていた橋梁である。
移転前の駅舎は構内の西側(十勝三股方面に向かって左側)に存在し、島式ホーム1面2線と駅舎前に1本、駅裏に数本の貨物用副本線が敷設されていた。 駅構外の十勝三股方面右側には営林署管轄のストックヤードが隣接し、駅から専用線が伸びていた。
移転後の駅舎は構内の南側(十勝三股方面に向かって左側)にあって、島式ホーム1面2線と駅舎前に貨物用副本線、駅裏に引込み線が敷かれていた。
1978年12月25日に、路線全体の赤字額の半分近くを占めていた糠平~十勝三股間の列車運転が休止となり、上士幌タクシーが受託するマイクロバスによる代行輸送となる。 この代行バス運行の処置によって、当時の士幌線の収支が3割改善したと言われている。
糠平から先は
このように廃線となっていますた
なお、休止後も同区間は名目上は鉄道路線として存続しており、国鉄の時刻表にも引き続き掲載されていたが、列車が発着する事はなく事実上は廃線となっていた。
糠平以北では、路線廃止後の上士幌タクシーによる代替バスですら沿線の極端な過疎化(糠平地区以外はほぼ無人化)によって2003年9月いっぱいで廃止され、同年10月より帯広〜糠平~旭川間の都市間バス〔ノースライナーみくに号〕を共同運行する道北バスなどのバス会社により十勝三股停留所が新設され、幌加温泉入口停留所と糠平方面の乗降も可能として代替している。
駅名は当地字名からであるが、その『糠平』の地名の由来はアイヌ語の「ノッカ・ピラ」(形のある崖)からきている。 音更川沿岸の崖に、人の姿に似た岩があった事からの命名との事。
その岩は糠平ダムの湖底に沈み、現在は見る事はできない。
士幌線を『撮り鉄』したのはほとんど冬で、夏は最初に北海道にやってきた時に撮ったきりだが、その「唯一の1回」もASA感度(現在はISO感度)に釣られてタングステンフイルムを使ってしまう大失敗で、青味が掛かって『全ボツ』となってしまったのである。
まぁ、この失敗の『リベンジ』に燃えて(”萌えて”じゃないよ)学生の本分をかなぐり捨てて北海道に入り浸ったせいで、こんな”ロクデナシ満開”になっちまったけど。 でも、あの時に『燃える』事がなかったなら、今頃何も自慢する事のないつまらない人生だっただろうな・・との想像も着くのである。
失敗のリベンジに燃えたお陰で
地位や評価は失ったが
それよりもずっと大切でかけがえのない
『お宝写真』を撮る事ができたよ
よく「自慢はばかりする奴は中身がないつまらない奴だ」と酷評されるが、ワテにとっては自慢する事のひとつない人生の方が寒く憐れな人生だと思うし、例え「自慢ばかりする奴」だと煙たがられても、お手本通りに生きるだけの何もないつまらない人生だけは送りたくないと思う。 その『自慢』の内容が、「遭難からの帰還」や「死亡フラグ」乱立のハメを外した”ロクデナシ”系の事だったとしても・・である。
話は脱線したが、初めての北海道で士幌線を『撮り鉄』した時はまだ周囲を見渡してアングルを創造する力がないガキの頃(今もあるかどうかは疑問だが・・)で、『士幌線』=《糠平湖》という事で、安易に糠平湖に近いこの糠平駅を選択したのである。
「初めての北海道」のこの旅では
『士幌線の国鉄代行バス』に
乗る事が最大の目的であった
まぁ、この時は「初めての北海道」で、もちろん士幌線の乗車も「初めて」だったのである。
なので、『撮り鉄』よりも士幌線の『完乗』が目的のメインとなっていたのである。
もちろん、当時唯一の存在であった糠平~十勝三股の『士幌線の代行バス』区間の乗車が、最大の目的だったのは言うまでもない事であった。
在りし当時の士幌線時刻表
※ グーグル画像を拝借
だが、士幌線の列車本数の少なさは掲載した時刻表が示す如く、「未乗区間がとうの」とか「『撮り鉄』がどうの」という以前に、『完乗』と『撮り鉄』の両立自体が至難の技だったのである。
というのは、始発列車で帯広からやってくるのは必須条件として、そのまま糠平で代行バス区間に直行してしまうと十勝三股での折り返しの便が11時までなく、十勝三股で行きづまってしまうのである。
なので、始発列車で糠平に着くと、乗ってきた列車の折り返しを撮るべく糠平湖に架かる橋梁まで、黒石平方向に駆けていかねばならないのである。
その距離は約1kmで、折り返し列車が糠平駅に停留する時間は20分ほど。 当時は銀箱を担いでいたので、あの持ちにくい銀箱を肩に掛ける走り辛いナリで持久走のベストタイムを叩き出すに近い走りをせねばならないのである。 言うなれば、当時のワンゲロ現役時代の若さと体力がなければ絶対ムリな撮影行だったのである。
「それなのに・・」である。 「それなのに」フタを開けて(現像より上がって)みれば、間違って室内用タングステンフイルムを使った失態で、撮った写真の全てが青味が被る『全ボツ』となってしまったのである。 この上がった「失態の数々」を目にして、ワナワナと『リベンジ心』が湧き上ったよ。
「それなのに・・」
:
手元に存在しているのは
撮影後にサブカメラで撮った
『B級写真』一枚のみ
この後は『リベンジ』の鬼となり、計算して落第寸前まで学校をサボるなど学生の本分をかなぐり捨てて北海道への撮影行に挑み、費用を工面する為に職員室に忍び込んで学割に学校長印を押しまくるなど”ロクデナシ道”に邁進し、真冬に駅寝するなど「なんでもアリ」となってしまったのである。
それは学生から社会に出ても同じであった。 旅の目的や対象がローカル鉄道から山や滝に変わっただけで、1年12ヶ月の内の10ヶ月働いては放浪旅に2ヶ月を費やす『スチャラカ人生』を10数年も続けてしまったよ。 お陰で、普通の人なら絶対に体験できない『自慢』で溢れかえる事となったよ。
『自慢』を語りだせば、一昼夜では終わらない位の・・。 但し、その『自慢』のほとんどが、「恥じなる体験談」なのであるが。
思えば、『初めての北海道旅』でヤっちまったこのフイルム間違いが、ワテの人生の『ボタンの掛け違い』の主要因となっちまったのだろうね。 でも、ワテの歩んだこの人生、かなり気に入っているのである。
さて、話を戻すとしよう。 士幌線の時刻表を見たら判るように、バス代行区間を含めた『完乗』と『撮り鉄』を両立させるには、『撮り鉄』のチャンスは糠平駅8:06折り返しのこの1便のみで、9時台の下り列車は代行バスに乗る事を考えると、『銀箱を肩に掛けて1kmの距離を(乗換時間の)5分で駆ける』なんてマネは高校総体(インターハイ)優勝の実力がなければムリでしょうな。 この頃は若さと体力はあったけど、記録的にはそこまで秀でてなかったしィ。
代行バスに乗って
こんな『お宝写真』が撮れますた
幌加駅の駅名標
現役時代の”モノホン”ですよ
そして、糠平~十勝三股のバス代行区間の『完乗』という本願を成就して戻ってきた後は、帰るべく乗車する16時の列車まで列車がないんだよね。 駅撮りなら、戻ってきたバスの接続列車を撮る事ができるけど・・ね。
要するに、5時間の時間が空くのだよね。 仕方がないので、糠平湖の散策で時間潰しをするが、その時にダム資料館に立ち寄ったのだが、そこで出会ったのがものすごく美人の大学生のお姉さん(追っかけ?なのか、野郎の大学生が2人追随していたよ) で、高校1年の小僧というワテのポジションはこのお姉さんのツボにハマったらしく、手を引っ張られて湖散策に連れ回されたよ。 もちろん連れ添う野郎達は、ワテとこのお姉さんのツーショットを撮る『カメラ係』でしかなかったよ。
駄菓子菓子! この数少ないワテの絶頂期を示す写真も、例の青味が掛かった『タングステン災禍』で『全ボツ』だしィ。 『ボツ』を嘆いてぞんざいに扱っていたら、そのうちに紛失してしまって『ロマンスの証拠』は一つもありましぇ~ん。(涙)
数少ない「ロマンス」のチャンスも
この車止めの如く『終止符』が打たれたのだった
この時はまだガキで『異性や恋愛事よりローカル線』だったので、このお姉さんとはそれっきりになっちまったし・・ね。
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No title * by 風来梨
オータさん、こんにちは。
去年のゴールデンウィークにタウシュベツ橋梁を撮りに当地を訪れた
のですが、幌加・十勝三股はそれぞれ鹿ノ湯と三俣山荘の1件づつの世帯があるだけのようですね。 でも、タウシュベツや三国峠を始めとした観光地として訪れる観光客は増えているようです。
タウシュベツの前はニペソツ山に登る時に十勝三股に立ち寄ったけど、その時はまだあった十勝三股の駅舎を無視して見送ってしまう痛恨な失態をしてしまって、今では後悔しきり・・ですね。
山に登っていた時は、下らない見栄を張って『鉄』と呼ばれるのを嫌っていたので・・。
去年のゴールデンウィークにタウシュベツ橋梁を撮りに当地を訪れた
のですが、幌加・十勝三股はそれぞれ鹿ノ湯と三俣山荘の1件づつの世帯があるだけのようですね。 でも、タウシュベツや三国峠を始めとした観光地として訪れる観光客は増えているようです。
タウシュベツの前はニペソツ山に登る時に十勝三股に立ち寄ったけど、その時はまだあった十勝三股の駅舎を無視して見送ってしまう痛恨な失態をしてしまって、今では後悔しきり・・ですね。
山に登っていた時は、下らない見栄を張って『鉄』と呼ばれるのを嫌っていたので・・。
No title * by オータ
拝復、北海道の地方の疲弊度は酷いですから、山村になれば チト珍しい観光資源は なんでもPRして 売り込んできます。それでも 観光客が来ればよいのです。
前述の今は無き ひがし大雪博物館には 友の会があって会員になっていたので、地元会員の自然に関する投稿や 催しの報告を 読んでいました。バスの運転手で 三股山荘の田中さんも、ただ一軒残った 幌加温泉鹿の谷(もう一軒 幌加温泉旅館がありましたが廃業)のご主人も、友の会会員で 会報に投稿されていて 東大雪の興味深い話を 読んだものです。学芸員だった 川辺氏は 幻のキツツキ ミユビゲラの発見者でした。ナキウサギ、シマフクロウ、オショロコマ… まさに 一級品の自然がある地域で、今も 憧れの気持ちは尽きませんね。
前述の今は無き ひがし大雪博物館には 友の会があって会員になっていたので、地元会員の自然に関する投稿や 催しの報告を 読んでいました。バスの運転手で 三股山荘の田中さんも、ただ一軒残った 幌加温泉鹿の谷(もう一軒 幌加温泉旅館がありましたが廃業)のご主人も、友の会会員で 会報に投稿されていて 東大雪の興味深い話を 読んだものです。学芸員だった 川辺氏は 幻のキツツキ ミユビゲラの発見者でした。ナキウサギ、シマフクロウ、オショロコマ… まさに 一級品の自然がある地域で、今も 憧れの気持ちは尽きませんね。
No title * by 風来梨
オータさん、こんばんは。
疲弊を嘆いてばかりでは、事は何も改善しませんから、何かしらのチャンスを活かす手立てを常に想定するべきだと思いますね。 疲弊を悲観して萎縮化して、更にツボにハマってしまってるのがJR北海道ですからね。 飛行機に完全に牛耳られて見込みのない既存の手法『シンカンセン』は、するべきでなかったと今でも思ってます。
東大雪は自然の宝庫ですね。 あぁ、ニペソツ山・石狩岳もう一度行きたいなぁ。
疲弊を嘆いてばかりでは、事は何も改善しませんから、何かしらのチャンスを活かす手立てを常に想定するべきだと思いますね。 疲弊を悲観して萎縮化して、更にツボにハマってしまってるのがJR北海道ですからね。 飛行機に完全に牛耳られて見込みのない既存の手法『シンカンセン』は、するべきでなかったと今でも思ってます。
東大雪は自然の宝庫ですね。 あぁ、ニペソツ山・石狩岳もう一度行きたいなぁ。
士幌線沿線は 住みつく以前、つまり旅行者だった頃 最も縁のあった地域です。
1982,84年の九月に 大学のサークル仲間と訪れ、1985年8月にも行ったかな!?
82年は まだ 拓殖バスの然別湖線が走っていて、山田温泉で合宿を張ったのです。そして、糠平にあった ひがし大雪博物館の学芸員氏と 知り合いになったり、先輩夫婦が移住して上士幌に住んでいたので、北海道在住後も しばしば通っていましたね。ただ、士幌線全線が廃止された時は、あえて行かなかったです。
その後、十勝移住を 画策したのも 懐かしい思い出でして…成就せずでしたが。
上士幌タクシーの代行バスの運転手は、今も 三股山荘のオーナーである 田中さんという方で、定期の乗客は 田中さんの娘さん と、三股のもう一軒の住人で 郵便配達をしていた堀田のおばあさん だけでした。85年の再訪時は、あなたと同じく 朝10時前のバスで三股の廃駅を撮影後、堀田のおばあさんに声を掛けられお宅へお邪魔。すると、十勝三股駅のスタンプをお持ちで 押印させてもらったのです。