2018-06-02 (Sat)✎
路線の思い出 第264回
草津線、信楽線(現 信楽高原鉄道)、近江鉄道本線・貴生川駅 〔滋賀県〕
近代的な橋上駅舎となった貴生川駅
でも・・ワテが知ってる貴生川駅ではないな・・
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
草津線
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15) 運行本数(’18)
草津~柘植 36.7km 12631 / 224 草津~柘植 29往復
草津~貴生川 下り11本・上り10本
信楽高原鉄道
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
貴生川~信楽 14.8km 2085 / 554
移管年月日 転換処置 移管時運行本数
’87/ 7/13 信楽高原鉄道 9往復(現在は15往復)
近江鉄道本線
営業区間と営業キロ 運行本数(’18)
米原~貴生川 47.7km 貴生川駅発着 朝夕毎時2本、日中毎時1本
貴生川駅(きぶかわえき)は、滋賀県甲賀市水口町虫生野(むしょうの)にあるJR西日本・信楽高原鐵道・近江鉄道の駅である。 JR西日本の草津線、信楽高原鐵道の信楽線、近江鉄道の本線が乗り入れ、接続駅となっている。 信楽線は当駅が起点、近江鉄道本線は当駅が終点となっている。
貴生川という駅名は、1889年(明治22年)に内貴、北内貴、虫生野、宇川の4か村が合併した際に各村名から1字ずつ取って付けられた合成地名に由来するものであり、駅の周辺に貴生川という河川は存在しない。
JRが使用する相対式ホーム2面2線と、信楽高原鐵道が使用する切欠きホーム1線の計2面3線のホームを有する駅で、1986年に橋上駅舎に改築された。 両社で構内を共用する共同使用駅であり、JR西日本が構内を管轄している。 JR西日本の直営駅で、みどりの窓口が設置されている。
JRのホームへはICOCA対応の自動改札機を通る事になる。 JRと信楽高原鐵道との乗換には改札を経由する必要はないが、JRでしか利用できないICカード利用者用の入出場処理用の簡易改札機がJRの3番のりば上に置かれている。 信楽高原鐵道に乗車する際は、改札外の乗車駅証明書発行機で証明書を発行し、JRの有人改札口で呈示する必要がある。 運賃は下車時の精算となっている。
転換間際の試運転中だった
信楽高原鉄道の気動車
信楽高原鐵道のホームは、JR3番のりばの反対側にある。 JRと信楽高原鐵道の線路は直通運転中止後もつながっているが、信楽方面への出発信号機の使用は停止されている。 また、近江鉄道・本線は島式ホーム1面2線を持つ駅となっており、橋上駅舎の改札外の自由通路の最奥部から階段で近江鉄道ホームへとつながっている。 なお、改札・切符売り場は、ホーム入口に設置されている。
駅の詳細で書いた橋上駅舎であるが、まだ降りた事がない。 あるのは、信楽高原鉄道が国鉄の廃止対象路線であった信楽線の往時の事である。
ワテの記憶にある貴生川駅は
国鉄信楽線の始発駅であった事である
いや、記憶を深く辿ると、信楽線が今の信楽高原鉄道に第三セクター移管される前の年にふらりと立ち寄った事があり、その時は橋上駅舎が建設中で、プレハブの仮駅舎だったような、なかったような・・である。 まぁ、建替え前のプレハブ仮駅舎など撮る奴もいないだろうから、当然写真は撮ってないし記録も残ってはいない。
ワテの記憶に残る貴生川駅はこの駅舎だ
※ グーグル画像を拝借
上記の記述でも判るように、ワテの貴生川駅の思い出は信楽高原鉄道がまだ『国鉄』信楽線だった30年以上前の事である。 しかも、まだブルートレインや特急を追いかけていた中坊の頃だから、鉄道情景も今では考えられない程に”濃い”モノだったのである。 もう、写真のネガをしまい込んだ”お蔵”から掘り出して目にした時は、そのあまりもの”濃さ”に心臓がバクバクと高鳴ったよ。
キッカケは夜中に京都に到着する
ヘッドマーク付のブルートレイン【出雲】の撮影だった
確かこの時は、京都駅で徹夜してブルートレインを撮った(中坊が夜中にうろつくなんて今では当たり前なのかもしれないが、当時はかなり”アウトロー”だったよ)あと、仮眠ついでに米原まで行って米原始発の特急を撮った後、「なぜか」信楽線に立ち寄ったのである。
大阪では撮れない名古屋発の
特急【しらさぎ】も目的の一つだった
でも今では急行のコレとか
今や新快速も走るこの区間を走っていた
コイツの方が『お宝写真』となってたりして
この頃は上に記したように”アウトロー”への道を歩み始めた中坊の小僧で、当然に『鉄』の対象も特急やブルートレインで、まだローカル線へは目を向けていなかったのである。
だから、「京都駅でブルートレインと米原駅で特急を撮る」といった中坊の『鉄』たる行動を取った後に、信楽めぐりをしたのかは今をもって深い謎なのであるが、一つ記憶を辿ると当時の夜10時前の天気予報で、明神鉱山の『1円電車』や信楽線と狸の置き物の映像が流れていて、それを見て興味を惹いたのだろうと思う。
この日に撮った信楽線の列車は
くしくもあの天気予報の映像に似ているような
まぁ、この時でもあるように、鉄道を撮りに行った後に歴史名刹めぐりする小僧だったから、今回の事も有り得る事なのだろうけど。
レッドトレイン50系
この頃は普通列車は客車もあった
さて、それで米原から草津で草津線に乗り継いでやってきた貴生川駅であるが、小僧のワテは高校時代のローカル鉄道を追っかけ回していた頃についた「私鉄は撮らない!」という『偏屈』な考えはなく、見た車両を何でも撮っていたようである。 そうなのだ・・、この頃に性格もキチンと修正しておけば、いまのような「ロクデナシ満開」にはならなかったのである。
その写真が下のコレで、コレが”お蔵”から出して目にした時に「心臓がバクバクと高鳴った」写真である。 でも、心臓がバクバクと高鳴ると同時に、思い出が『お宝写真』として輝き出すフイルムで本当によかったと思う。
今回の目玉『お宝写真』・近江ガチャコン
本当に「ガチャコン、ガチャコン」と音立てていたよ
そして、ローカル線を追いかけ回していた『撮り鉄』最盛期の高校~青年時代に、フイルムカメラを使っているにも拘らず「私鉄は撮らない!」という偏屈な考えから、数々の名シーンを撮り逃した悔しさも同時に頭を過るのである。
『お宝写真』は撮った時には
その存在に気が着かないものだ
ローカル線の風情漂う
『0番線』ホームとボロキハのキハ55
そして、駅の柵に掲げられた横断幕の『廃止反対!』の言葉に、「この信楽線が廃止になっちゃうかもしれない」という社会的な現実も学んだような気がする。
この頃はまだ鉄道神話があった
今と違って廃止に反対する声が大きかった
そうして、「初めてのローカル線」信楽線の車窓を眺め、その長閑な風景に魅せられて少しづつローカル線に気持ちがシフトしていったようである。
あの頃の信楽駅
コレを目にするとワテが魅かれた事が頷けるよ
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No title * by 旅の途中
旅の途中の思い出も4枚目の写真のイメージで残っています。まだ、信楽線にSLが走行しておりました。その頃の写真をトラックバックします。
No title * by 風来梨
旅の途中さん、こんばんは。
トラックバックをして頂き、ありがとうございます。
トラックバックの記事を見ましたが、最後の「ゆっくり、汽車に揺られ旅ができたころが懐かしい 効率や実績だけを追求する社会に誰がした。」という記述に大いに共感しました。
私が鉄道を追いかけまわした『廃止ローカル線』の頃は、鉄道の旅が楽しくて仕方がなかったですよね。 でも、路線の廃止や列車本数の削減で、今は旅をするにしても目的地にたどり着けなくなってしまいましたから・・。
旅の途中さんのブログ記事は『お宝写真』の宝庫ですね。
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