風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第263回  可部線・戸河内駅

路線の思い出   第263回  可部線・戸河内駅  〔広島県〕


町の中心で簡易委託駅・戸河内駅
きっぷ売り場が閉鎖されてない時点で
有人駅では?と気づくハズなのだが
※ ウィキペディア画像を拝借

《路線データ》
          営業区間と営業キロ        輸送密度 / 営業係数(’15) 
        横川~あき亀山 15.6km        19106  /  179  
運行本数(’18)
広島~あき亀山 日中毎時3本、ラッシュ時毎時5本
           朝夕には広島~緑井・梅林に区間運行便あり
〔廃止区間〕
         営業区間と営業キロ             輸送密度  /  営業係数
        可部~三段峡 46.2km             800程度  /   519   
 ’17/ 3/ 4 に可部~あき亀山1.6kmが電化の上で復活した
    廃止年月日        転換処置            廃止区間の運行本数
    ’03/12/ 1       広島電鉄バス      可部~加計 8往復、加計~三段峡 5往復
                 広島交通バス

戸河内駅(とごうちえき)は、広島県山県郡戸河内町(現在は安芸太田町)上本郷字中坪780にあったJR西日本・可部線の駅である。 可部線非電化区間(可部~三段峡間)の廃線に伴い、2003年12月1日に廃止された。

1面2線の島式ホームで列車交換が可能な駅であった。 当初はその交換設備を使用していたが、晩年は加計~三段峡間のスタフ(通票)閉塞化により実質棒線化され、島式ホーム南側のレールは残されていたもののポイントは固定されて、構内の信号機はすべて使用停止・消灯されて、島式ホームの北側のレールのみが使用されていた。 駅舎があり、簡易委託駅であった。 駅舎とホームは下り線路を渡る構内踏切と通路で結ばれ、東側からホームに上がっていた。


ホームへは構内踏切が渡してあった
※ ウィキペディア画像を拝借

駅の所在地は旧戸河内町の中心部に当たり、戸河内町役場(現:安芸太田町役場)と戸河内町立国民健康保険病院(現:安芸太田町戸河内病院)があった。 太田川が駅の裏側(北側)を流れ、駅のすぐ南側を国道191号が通っている。


駅跡に植樹された桜の大樹
※ 安芸太田町の町紹介のウェブサイトより

駅舎、プラットホーム、駅付近のレールなどはすべて解体・撤去され、跡地にはバス待合所(戸河内役場(現:安芸太田町役場)バス停)が建設され、桜の木が植樹された。



この駅では、「世界広しと言えども、この事を体験したのは筆者(タワケ)以外にいないだろう」というオチャメな体験をしでかした駅である。 それは、案の定というか、やはりというか、筆者が駅でオチャメる最大要因である駅寝が絡む事なのである。

・・という訳で、この駅に降りたのは駅寝目的という事で、『撮り鉄』ではないのでスンマセン。
可部線は一枚も写真を撮ってないから、全てがウィキを中心とした借り物画像デス。


この頃は可部線が廃止に
なるなんて思いもしなかったよ
※ ウィキペディア画像を拝借

そしてこの頃は、若き日に学業その他をかなぐり捨ててでも、必死になって追い求めていた廃止ローカル線の大方が廃止という結末となり、追い求める目標を失って鉄道から心が離れていこうとしていた時期であった。 だから、この線に乗りに来た理由も、鉄道路線として『撮り鉄』や『路線完乗』を達成する為ではなく、鉄道に変わって新たに追いかけるターゲットになりつつあった『滝めぐり』の為であった。


三段峡の主瀑・三段滝
この時の目的は『鉄』ではなく『滝めぐり』だった

『滝めぐり』というと滝は駅の近くにある訳ではなく・・っていうか、駅より離れた山奥の沢筋を入った所にあるって事で、普通は鉄道など使えたモノではなく車で行き来するのが”当り前”なのであるが、当時のこのタワケは車どころか運転免許も原チャリが関の山で、『滝めぐり』をするのも鉄道を利用するしか”手”がなかったのである。

車もないし、当然金もないので、旅で寝泊まりする費用も持ち合わせてはいなかったのである。
そして移動に使う切符も、もちろん行先が自由に決められて複数日有効である『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』なのである。


戸河内駅に進入するキハ40
『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』の利点は
どこへでも行ける事
※ ウィキペディア画像を拝借

こうして『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』を使うとなると、鉄道から心が離れつつあろうが「かつて取った杵柄」で、旅費の重きを占める宿泊費を『ゼロ』にする技・『駅寝』を駆使するしか旅自体の遂行が不可能になってしまうのである。

・・で、この可部線の終点・三段峡駅には、鉄道利用でもめぐる事が可能な駅名通りの名の大渓谷・《三段峡》があって、この日はその渓谷めぐりを控えての前日、つまりアプローチ日であったのである。
それで、「『三段峡めぐり』前日の宿泊場所として”白羽の矢”を立てたのが、この戸河内駅であったのだ。


滑稽だけど体験し難い貴重な思い出のある駅も
モニュメントだけになってしまった
※ ウィキペディア画像を拝借

なぜ戸河内駅に”白羽の矢”を立てたのかというと、位置的には渓谷入口に最も近い三段峡駅がベストなのだが、《三段峡》は全国でも有数の観光地で駅は有人駅だし周囲も観光ホテルが建ち並び、駅寝が有人駅で不可なのは元より、さすがにホテルが建ち並ぶ所で「近くの公園のベンチでゴロンと」をする度胸は無かったのである。 これで三段峡駅が駅寝候補から消えて、次の駅の戸河内駅という塩梅となったのである。

三段峡駅の実情を眺めて「駅寝はムリ!」と判断して17時台の列車に乗り込んだが、次の駅の戸河内駅までは「針のムシロ」のような心地だったよ。 まぁ、戸河内駅がダメなら、それこそ「公園ベンチ」ルートになるのは必定だったし。

・・で、降りた戸河内駅は、一言「トレビアン」な駅だったよ。 でも、この「トレビアン」な駅を喜ぶあまりツメが甘く、後ほどドンデン返しをくらうのであった。 駅に降りたって、キップ売り場の窓口の電気が消えているのを見て、確認もせずに「無人駅だな」と決め打ちして早速炊事の支度を始める。


この窓口が消灯して誰もいない事で
ノーテンキなタワケ(筆者)は無人駅と思い込み
※ ウィキペディア画像を拝借

この時はワンゲロが新入部員ゼロで潰れて、卒業生全員が部の備品をくすねて私物化していたのである。 ワテはホエーブスを私物化(トンデモないクラブ・・いやクズ学校ですな)していて、それを持って来ていたのである。 このホェーブスはホワイトガソリン使用のいわゆる超火力のガソリンコンロで、キスリングや自衛隊仕様のツエルトテントと並んで、旧世代の遺物と称されたコンロである。


ガソリンコンロで火力抜群!
でも加圧しないと暴走して炎上するコワいシロモノ
※ グーグル画像より拝借

それは非常に重く、ガソリン込みで重量は3㎏はあったと思う。 そして、メタクッカーで加熱しながらポンピングで圧力を加える一歩間違えば炎上も有り得る『危険物』であったのだ。 現に、現役時代にテントを炎上させてテントに穴開けてるしィ。 でも、ウチの高校は、高校生にこんなヤバい奴使わせていたよな。 ・・っていうか、今の御時世なら即刻部活動禁止で、顧問は吊し上げられてるよ。
いゃぁ、大らかな良き時代でしたなぁ。

でも抜群の火力で、実際にコメを炊く事ができたのである。 そのホェーブスで、今日は釜飯の素と焼き鳥の缶詰とジャキーカルパス(燻製ハム)と生味噌ずい・・の、普段でも年に片手位しかない「一汁三菜」を実現した献立であった。 それはもう、「腹の鳴る音は幸せを待ちわびる音」と例える事ができる程の絶頂の時を迎えていたのであった。


この時のワテはお色直しを受けた
加計駅のキハ58のように絶頂を迎えていたよ
※ ウィキペディア画像を拝借

・・が、その”絶頂”は、駅にやってきた近所のおばちゃんの「この駅閉めますよ」という言葉で、暗雲と稲妻が走る阿鼻叫喚の情景となったのである。 そう、このおばちゃんはこの戸河内駅の『駅長』で、いつも列車の到着する5分位前だけ切符を売りにくるのであった。 そう、このおばちゃんがやってくる時間だけ、キップ売り場の窓口の電気が灯るのである。

おばちゃん『駅長』の「この駅、閉めますよ」という言葉で、もう駅を追い出されるのは確定事項で、このピンチの回避策は、外に出て暗くなった知らない町の公園を探して彷徨うか、最終列車に乗って新たな駅寝駅を即興で見つけるしかないのである。 そして、その前に、炊事でバラした荷物一式を片づけなければならないのである。 ここは当然、後者の『最終列車』の方がはるかに有利なので、”スクランブル”で荷物をザックに詰め込む。

そのタイムリミットは、最終列車が到着するまでの僅か5分。 もう、ブスの火を消して缶に詰めて、後はザックがいびつになる位に片っ端からザックに詰め込んでどうにか列車の到着時刻に間に合うが、「焚きかけの釜飯」の鍋だけはどうする事もできなかったのである。


この両手なべの取っ手を
持ちながら列車に乗ったの
※ ウィキペディア画像を拝借

・・で、この日の最終列車の乗客は、冒頭で記した「世界広しと言えども、この事を体験したのは筆者(タワケ)以外にいないだろう」というオチャメな乗客となったのだ。 それは、両手に焚きかけの御飯の鍋を持ったまま列車に乗車するという、前代未聞のタワケな姿であった。

列車には乗客は誰もおらず、この奇妙な乗客だけだったのだが、早速車掌が検札にやってくる。
両手を鍋の取ってで塞がれたこのタワケは、『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』を鍋の上に置き、検札の儀式を受ける。 検札する車掌の「この変な客に視線を合わせまい」とする素振りが、とてもコケティシュだったよ。


次の土居はあまりにも開放的で
駅寝環境最悪の駅だった
※ グーグル画像を拝借

・・で、次の土居で、鍋の上の『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』を見せて降りるが、心なしか車掌さんがホッとしたような表情を浮かべていたのは気のせいだろうか。 後は、この下りた「次の駅」の土居が、プラッチックイスの囲いの待合所だけで駅舎無し、下の道路からは「駅寝する浮浪者丸見え」の職質リーチの危険が孕む最低最悪の駅だったよ。 その続きは、『第90回 可部線 土居駅』の記事に委ねるとしよう。




     
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No title * by たけし
ホェ-ブスのラジュ-ス、懐かしく拝見しました。
私が使っていたのはペトロマックスでしたけどね。真鍮の本体と灯油が重かったし、他に与熱用の固形燃料も持たないと。

ホ-ムの向こうに見える山がオッパイに見えるのは、私がオカシイんですね。

No title * by 風来梨
たけしさん、こんにちは。

ラジウス、ツエルト型(自衛隊仕様)テント、キスリングは登山旧世代の遺産ですからね。 とにかく形がイビツで重かった。 ホエーブスなんかは、「ホェー」と唸る程に重かった! もちろん、今は担いでよう登れません。 テントも、ツエルト型に比べて2.5分の1の軽さになったし・・。 ・・で、ただ今東京都最高峰に遠征すべく、三峰行きのバスに乗ってます。 東京都最高峰で東京の夜景を狙ってます。

No title * by たけし
雲取山ですか!
山荘の名物親父、健在で小屋にいるかなあ?
私は下の方から延々と尾根を登って山小屋に宿泊し、帰路は縦走で本仁田山。そこから奥多摩駅までの行程でした。

お気を付けて新緑の山を楽しんでください。

No title * by 風来梨
たけしさん、こんにちは。

夕暮れから夜半過ぎまで小雨がパラついて、夜景はまた行かねばならなくなりましたぁ~。 でも、夜明け前から急速に天候が回復して、素晴らしい御来光が拝めましたよ。

それと、コレっていいのか悪いのか・・(一般の人は悪い事なのでしょうが・・)、登りで5時間48分、下りで5時間56分と、登りの方が早かったりしちゃいましたぁ~。 『奇跡の体力』ホルダーの時はこういう事はしょっちゅうありましたので、「もしかしたら復活?」とぬか喜びしましたけど、いずれも地図のコースタイムよりかかってるんですよね~。

『奇跡の体力』のホルダーの時の最高記録で、南アの椹島~千枚小屋が上り4時間20分、去年にこの区間を下った時は6時間30分と同じ人間とは思えない大記録を達成してますから・・。

いゃぁ・・、老いとは悲しいですねぇ。

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ホェ-ブスのラジュ-ス、懐かしく拝見しました。
私が使っていたのはペトロマックスでしたけどね。真鍮の本体と灯油が重かったし、他に与熱用の固形燃料も持たないと。

ホ-ムの向こうに見える山がオッパイに見えるのは、私がオカシイんですね。
2018-05-25 * たけし [ 編集 ]

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たけしさん、こんにちは。

ラジウス、ツエルト型(自衛隊仕様)テント、キスリングは登山旧世代の遺産ですからね。 とにかく形がイビツで重かった。 ホエーブスなんかは、「ホェー」と唸る程に重かった! もちろん、今は担いでよう登れません。 テントも、ツエルト型に比べて2.5分の1の軽さになったし・・。 ・・で、ただ今東京都最高峰に遠征すべく、三峰行きのバスに乗ってます。 東京都最高峰で東京の夜景を狙ってます。
2018-05-26 * 風来梨 [ 編集 ]

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雲取山ですか!
山荘の名物親父、健在で小屋にいるかなあ?
私は下の方から延々と尾根を登って山小屋に宿泊し、帰路は縦走で本仁田山。そこから奥多摩駅までの行程でした。

お気を付けて新緑の山を楽しんでください。
2018-05-26 * たけし [ 編集 ]

No title

たけしさん、こんにちは。

夕暮れから夜半過ぎまで小雨がパラついて、夜景はまた行かねばならなくなりましたぁ~。 でも、夜明け前から急速に天候が回復して、素晴らしい御来光が拝めましたよ。

それと、コレっていいのか悪いのか・・(一般の人は悪い事なのでしょうが・・)、登りで5時間48分、下りで5時間56分と、登りの方が早かったりしちゃいましたぁ~。 『奇跡の体力』ホルダーの時はこういう事はしょっちゅうありましたので、「もしかしたら復活?」とぬか喜びしましたけど、いずれも地図のコースタイムよりかかってるんですよね~。

『奇跡の体力』のホルダーの時の最高記録で、南アの椹島~千枚小屋が上り4時間20分、去年にこの区間を下った時は6時間30分と同じ人間とは思えない大記録を達成してますから・・。

いゃぁ・・、老いとは悲しいですねぇ。
2018-05-28 * 風来梨 [ 編集 ]