風来梨のブログ

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路線の思い出   第261回  宗谷本線・智東駅跡

路線の思い出   第261回  宗谷本線・智東駅跡  〔北海道〕


廃止後の智東駅
交換設備のある有人駅が
晩年は1日上下4本しか停まらない貨車駅に・・
※ グーグル画像より拝借

《路線データ》
    営業区間と営業キロ            輸送密度 / 営業係数(’15)  
   旭川~稚内 259.4km             746  /  489         
運行本数〔名寄~音威子府〕(’18)
名寄~音威子府 特急 3往復、普通 下り4本、上り5本

智東駅(ちとうえき)は、かつて北海道名寄市字智恵文智東にあったJR北海道・宗谷本線の駅である。
利用者僅少に伴い、2006年3月18日に廃駅となった。 1992年度の1日乗降客数は0人(1人以下)との事である。

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する駅であった。 ホームは線路の南西側(稚内方面に向かって左手側、旧2番線)に存在した。 無人駅で分岐器を持たない棒線駅となっていたが、かつてはホームが千鳥式に配置された相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。


ぢ・つ・わ・・
駅舎の在りし時に降りた事あったりして
※ 『北海道690駅』 著 宮脇俊三、原田勝正 より

かつてあった駅舎は構内の北西側に位置しホーム北側に接していて、互いのホームは駅舎側ホーム南東側と対向ホーム北西側を結んだ構内踏切で連絡していた。 駅舎側(北側)が上りの1番線、対向側(南側)が下りの2番線となっていた。

その有人駅時代からの駅舎は1986年11月のCTC化による交換設備廃止と駅の無人化を機に取り壊されて、車掌車を改造した貨車駅舎が設置されたが、その設置場所は旧駅舎の基礎の上ではなく、下りホームである旧2番線側に位置変更となった。 交換設備運用廃止後は、線路は側線を含め1993年3月までには撤去された。

そのほか1983年4月時点では1番線の旭川方から分岐し駅舎南側の貨物ホームへ至る貨物積卸し用の側線を1線と、2番線稚内方から2番線ホーム手前への側線を1線有していた。 また安全側線を上下各1線有していた。 

駅名は当駅の所在する地名からで、駅開業当時のこの辺りの地名は《智恵文村》と呼称されており、その東端に位置する事から「智東」と名付けた事に由来する。 かつて、林業が盛んであった頃には近隣山林から切り出した木材の積み出し駅であったが、林業の斜陽化と共に居住者は全て流失して周囲は原野に還り、いわゆる秘境駅のひとつに数えられていた。

周囲には民家が無く駅周辺の道路が除雪されない為、1987年から冬季は全列車が通過し閉鎖される臨時駅となっていた。 廃止直前には、営業期間中でも普通列車が2往復(下りは午後の2本、上りは朝夕1本ずつ)しか停車しなかった。




晩年は貨車駅となった智東駅
※ ウィキペディア画像を拝借

今はなき深名線の白樺・蕗ノ台と並び『伝説の秘境駅』だった智東駅。 この地当駅には、駅が存在した往時に下車した事がある。 でも、当時は駅に対しての思い入れは乏しく、この駅が『伝説の秘境駅』となるとは想像だにできなかったのである。

それもそのハズ、この駅に降りた理由が寒い冬の北海道での「暖房付の時間潰し」で、それは塩狩駅での撮影で長大な列車待ち時間ができ、「駅で凍えるよりも、暖房の利いた列車に乗って往復する方がトク!」って事で列車に乗って、この列車が上下交換する前の駅で降りて折り返す目論見であった。 「その上下列車の交換駅である美深の手前の駅」として適当に降りたのが、この智東駅だったのである。


在りし日の智東駅に立ち寄った理由は
塩狩駅での客車急行【天北】の撮影だった

まぁ、当時の宗谷本線は名寄以北の区間でも普通列車が7~8往復は運行され、そしてこういう時間潰し目的の乗車が可能な周遊券があったのである。 そして、撮影する列車もキハ22や客車急行【天北】やらキハ54の急行【礼文】など撮影意欲の湧く列車が運行されていたのだ。 だから、このような撮影目的の列車が撮影地を行き交う時間までの”時間潰し”が必要となってくるのである。

でも、この先に「『伝説の秘境駅』となる智東駅の木造駅舎」という壮大な価値も計れず、”時間潰し”で適当に降りただけなので、写真を一枚も撮らなかったよ。 もし撮ってればこのブログに載せて、それで消えかけのロウソクのような人気のこのブログが「火の鳥」となったかもしれないしィってか、そんな事ある訳ないか。


智東駅にあった名所案内
これを見て滝に行った者はいるのだろうか?
※ グーグル画像より拝借

これが駅往時の思い出であるのだが、駅廃止後の駅跡も30年の時を経て訪れる機会が訪れたのである。 それは、駅にあった『名所案内版』に記してあった《比翼ノ滝》である。 もっとも、この滝は駅にあった『名所案内版』で知ったのではなく、道路地図に滝表記があったのを見て訪ねたものであるが。


看板だけ滝見客を意識してるな・・

感動した! 大地を轟かす7m

雪解け水をイッキに叩き落とす


舞い上がる飛沫が
神秘の滝の様相を醸し出す


雪深い谷の雪解け水は半端ではない


大瀑布に興奮した水が
早瀬でも猛烈に弾けていた

絆されて再び・・

感動は裏切らなかった


それはもはや神情景だった


あまりもの迫力に
一歩退いてひと休み


退いて眺めると
着水地点の飛沫が目に映る


再び飛沫をアップに・・


そして飛沫で”決める”


興奮を鎮める為に
敢えて滝下の静かな情景を撮る

でも、この滝には2年連続で訪れる程に絆されたよ。 春の雪解け水を合わせて大地に瀑音を轟かす大瀑布となる様は、感動そのものだった。 でも、この滝が訪れる者はほぼいないであろう秘滝であるのと同時に、居住者が全て流出して原野に還り、冬季は除雪されずに道が完全に封鎖される秘境であるのだ。

そんな中に駅があって、過去にそうなる事を露とも思わずに降りた”自分史”がある事にも改めて感動したよ。 だから、駅跡を訪ねたのである。 でも、最初はその位置が解らず、原野に還り道路が一本延びているだけの智東を車でウロウロする。

でも、こうしていても時間の無駄なので、スマホ検索で「智東駅跡」のウィキを引き出して駅の所在した『キロ程』を見る。 それで「旭川起点 84.9km」を調べて、滝への林道と線路との交点(つまり踏切跡ですね)に出ると、その高点の音威子府側すぐに『86km』のキロポストがあった。


滝への林道との交点にある踏切跡から・・
初めはここが智東駅跡だと思っていた


かつて人が居住していたとは思えぬ
見渡す限りの原野の先に駅跡はあった

後は、線路に沿った道を1kmほど下ると、砂利道のスロープがありその砂利道に『駅鉄』と思しき奴の車が止められていた。 なので、スロープの下から駅跡を撮りたかったが、コイツの車がデカデカと入る為に撮れなかったよ。

まぁ、『鉄』の車があるって事で、ここが智東駅跡と判明し、砂利道スロープ上にあった駅跡を探索
する。 智東の駅跡は一部残されたかつてのホーム上に配電設備を収納する建物があるだけで、周囲は原野となって、あの時降りた智東駅とは全く別モノだったよ。


30年の時を経て見た智東駅跡
駅であった形跡が微かに残るのみだった

後は名寄方向へ天塩川に沿って続く道道をゆくが、進めば進むほどに道幅が狭くなり、人の気配が全くと言っていい程になくなってくる。 そのまま川沿いの原野を突き抜けると、自衛隊の名寄射撃演習場の脇から日進駅筋出てこの駅跡訪問を終えるが、この道は冬季にラッセル撮影の”お立ち台”の『東恵橋』から、この射撃演習場までが除雪されずに通行止となるのである。  

  ※ 比翼ノ滝の詳細に関してはコチラをどうぞ。
   
 この項目の内容とは全く関係ないですけど、メインサイトの『撮影旅行記』に
 『三江線・最後の一年 その1』と『その2』をアップしました。 宜しければどうぞ。

























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No title * by 鳳山
九度山というと和歌山が有名ですが北海道にもあったんですね。

ナイス

No title * by 風来梨
鳳山さん、こんにちは。

この山はスキーで滑降する山のようですね。
この辺りで有名なのはピアシリ山で、樹氷が裂けてささくれ立つ程に冷え込む厳しい冬がこの地域の特色ですね。

コメント






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No title

九度山というと和歌山が有名ですが北海道にもあったんですね。

ナイス
2018-05-11 * 鳳山 [ 編集 ]

No title

鳳山さん、こんにちは。

この山はスキーで滑降する山のようですね。
この辺りで有名なのはピアシリ山で、樹氷が裂けてささくれ立つ程に冷え込む厳しい冬がこの地域の特色ですね。
2018-05-13 * 風来梨 [ 編集 ]