風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第260回  山陽本線〔和田岬支線〕・和田岬駅

路線の思い出   第260回  山陽本線〔和田岬支線〕・和田岬駅  〔兵庫県〕


駅舎が撤去されて
完全な停留所規格となった和田岬駅
※ ウィキペディア画像を拝借

《路線データ》
      営業区間と営業キロ            輸送密度 / 営業係数(’83)
        兵庫~和田岬 2.7km              和田岬支線単体の数値は不明  
運行本数
平日17往復、土曜12往復、休日2往復
(曜日を含め全列車が朝夕のみの運行で昼間の運行はない)



和田岬駅の硬券入場券
コレ・・ 友人からの貰い物デス

和田岬駅(わだみさきえき)は、兵庫県神戸市兵庫区にあるJR西日本・神戸市営地下鉄の駅である。
かつては神戸市電の電停も設置されていた。

単式ホーム1面1線を有する地上駅である。 現在は神戸駅管理の無人駅だが、JR移管直後に自動改札機が設置されるまで駅員が配置されており、有人改札口や出札窓口があったが現在は当駅内に改札や券売機などはなく、兵庫駅の和田岬線ホームに設置された自動改札機(中間改札)と自動券売機がその役割を代替している。



和田岬駅のスタンプ
駅は停留所規格に落されたけど
スタンプのデザインは良くなったみたい

改札業務を担った駅舎が撤去されて改札のない停留所規格の駅構造となってしまった為に、ホームの中ほどには敷地外の一般道路に直接出入りできる出入口が設けられている。
駅構内に車止めが設置され、来た列車が折り返すだけの構造であるが、和田岬線の貨物営業が廃止された1980年までは三菱重工業神戸造船所への専用線が続いていた。

また、神戸市電が走っていた頃はこの専用線を跨ぐため、路面電車としては比較的珍しい鉄軌道同士の立体交差があった。 2016年度の1日平均乗車人員は4,823人との事である。


でもワテとしては素朴な感じの
コチラの方が好みだな
スタンプはいずれも友人にスタンプを預けて
”押して”もらったモノの転写

駅周辺は三菱重工業・三菱電機およびその関連企業の工場が広がる工場街であり、当駅の利用者も工場への通勤者がそのほとんどを占めるなど、当支線の利用状況は周辺工場への通勤需要に特化している。

その支線の持つ性格から、列車の運行は通勤利用に合わせた朝晩の時間帯のみで日中の運行がなく、周辺工場の操業日である平日は17往復、土曜日12往復で、周辺工場の休業日となる休日は朝夕各1往復のみの計2往復と極端に運行本数が削減される。 当支線に日中の列車運行がない為、神戸市営地下鉄では和田岬駅でのJR乗り換えの案内をしていない。


かつては貨物輸送に対応したであろう
大きく立派で奥行きの広い駅舎が
がらんどうの空洞となって存在していた
※ ウィキペディア画像を拝借

かつては1943年完成の木造平屋建て駅舎があったが、2009年7月27日に駅舎と付属建物が撤去され、駅舎の跡地にはコンビニエンスストアの店舗が建てられている。 和田岬線沿線では兵庫運河を活かした街づくりが始まっており、これに関連して和田岬線の存廃が取り沙汰されているとの事である。



この路線へは、神戸市内に私用(もちろん『乗り鉄』以外の・・デス)で立ち寄った際に、”ふらっと”立ち寄った路線と駅である。 何の下調べも用意なく”ふらっと”立ち寄っただけなので当然にカメラも持ってきておらず、また当時は携帯電話を持つのを嫌っていたので携帯も所持しておらず、それでの撮影もない(っていうか、15年前は携帯にカメラがついていたっけ?)ので、和田岬駅に関する写真は一切撮っていないのである。

そして、その時は15年も以前のまだ駅舎が取り壊される前の事で、駅舎が取り壊された今・・思い返すと「惜しい事をしたな」と思う。 でも、”ふらっと”でも運行が僅か2往復の休日に、その2往復の夕方の便の運行時間に合わせて訪れたって事は、この路線の予備知識は持ち合わせていたって事なのである。

この文を書き記す内に訪れた当時の事を徐々に思い出してきたが、それはホームに接した片側(右側)しか出入口がなく、車内は車両の端部分に3人掛け椅子があるたけで中間は吊皮がぶら下がるのみの空洞だったこの支線専用の旧型客車に乗ってみたい・・と思っていたようなのである。


コレに乗りたいと思ってたけど
訪れた時の10年前には既に
キハ35に置き換えられてたみたい
※ ウィキペディア画像を拝借

まぁ、この特殊な旧型客車に乗りたいと”思っていた”のであるが、その思い入れは意識が鉄道から離れてヤマに向かっていた事もあって、”敢えてわざわざ乗りに行く程のものでもないしィ”ってな具合に極々弱いモノだった。


置き換えられたキハ35のゲテモノも・・


既に淘汰されていたよ
※ 2枚いずれもウィキペディア画像を拝借

そういった背信的な思考が災いし、「私用で神戸に行った”ついで”」という機会が訪れていざ訪れると、その時は既に支線の電化がなされて、乗りたいと欲した片側のみ扉の旧型客車はおろか、片側の扉を埋められてエンジンを取り外されてトレーラ化した気動車などの車両は淘汰され、両側に扉のある普通の電車(103系)が走っていたよ。


非電化時代のゲテモノ車両の置き換えは
面白みに乏しいごく普通の通勤型車両だった
※ ウィキペディア画像を拝借

これは、この筆者(タワケ)が物事を実行するに際して、その事に対しての下調べをほとんど行わないっていう事がバレバレの実例なのであるが・・。


改札口に向かう乗客の流れと逆らい直進すると
列車のない昼間は赤テープで塞がれる
和田岬線の中間改札機がある
※ ウィキペディア画像を拝借

兵庫駅を下車して改札口に向かう一般乗客の流れに刃向かって直進した所にある和田岬線の中間改札機を通って、休日で誰もいない4両編成の”座席完備の”通勤型車輌に乗る。 列車は数分後に発車して、何事もなく淡々と伝って4~5分で和田岬駅に着く。


ようこそ・・ 大輪田の御崎へ
旅心をくすぐる名セリフがそこにはあった

駅に着いた時は駅舎にさほど興味もなかったし、「駅舎があるのはこの駅の当たり前の風景」との認識であったので、貴重な建付けの木造駅舎はスルーしちまったよ。 無人化されて久しくがらんどうの『門』と化していた駅舎をくぐると横断歩道があって、歩行者信号が点滅していたありふれた街の光景を今でも憶えている。

別にこの横断歩道を渡る必要もなかったのだが、点滅する歩行者信号に釣られて駆けて渡ってしまったよ。 なので折り返しの”最終”列車を乗り逃して、歩いて戻る事にする。 まぁ、元から歩いて戻る気でいたので、”最終列車”をワザと見送った節もあるが・・。

「歩いて戻る」といっても、線路に沿っての街中を僅か2.7km戻るだけで、当時のヘタレ始めていたとはいえ『奇跡の体力』のホルダーであった当時のワテには他愛のない事である。
それに歩いて戻れは、知らなかった沿線情景が見れて楽しかった。


知識を持たずに町を練り歩くのは
新たな発見があっていいかも・・
・・と下調べを全くしない事を
誤魔化すコスいこのタワケ
※ ウィキペディア画像を拝借

それは途中に架かる『旋回橋』が見れた事である。 まぁ、この『旋回橋』の事はこの支線を訪れる『乗り鉄』なら当たり前に知っている知識なのであろうが、私用ついでに”ふらっと”訪れた「ヤマに意識が飛んでる為に”当分の間休業中”」の『○鉄』には、知る由もない知識だったので新鮮に感じたよ。

並行する道路橋(ワテの歩いている橋である)の袂にある小公園に『旋回橋』の説明板があって、現在は使用されずに旋回機構が外されて固定されている旨が説明されてあったよ。
ここも和田岬の駅舎同様に、カメラが無くて写真が撮れずに画像が借り物になったのは至極残念な事である。

後は何事も無く、道はやがてタイル張りの『駅前アーケード仕様』となって、程なく兵庫駅に戻る。
駅に戻ってからは、小腹が空いたので飯屋に入って軽く飯を食ってから帰ったのを憶えている。

















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No Subject * by ゲバゲバ
こんにちは。
私も昭和59年頃、乗りに行きました。
その時のブログです ↓
https://kabukuwa.fc2.net/blog-entry-361.html
https://kabukuwa.fc2.net/blog-entry-745.html

今は、なんてことない、面白くもない駅ですね。
駅前も綺麗になって、一瞬場所が分かりませんでした。

Re: No Subject * by  風来梨
ゲバゲバさん、こんばんは。

> こんにちは。
> 私も昭和59年頃、乗りに行きました。
> その時のブログです ↓
> https://kabukuwa.fc2.net/blog-entry-361.html
> https://kabukuwa.fc2.net/blog-entry-745.html
>
> 今は、なんてことない、面白くもない駅ですね。
> 駅前も綺麗になって、一瞬場所が分かりませんでした。

椅子のない客車時代の貴重な乗車体験ですね。
私は遅れる事30年後の、電車に変わった面白くない時の乗車となりましたね。

昭和59年頃は北海道の廃止ローカル線を追っかけてたので、和田岬線は眼中になかったです。
無くなって貴重だった事に気づくのは、人の性でしょうね。

でも、駅舎は取っ払われる前の現物を見る事ができたので、これでいいか!と思う私です。


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Re: No Subject

ゲバゲバさん、こんばんは。

> こんにちは。
> 私も昭和59年頃、乗りに行きました。
> その時のブログです ↓
> https://kabukuwa.fc2.net/blog-entry-361.html
> https://kabukuwa.fc2.net/blog-entry-745.html
>
> 今は、なんてことない、面白くもない駅ですね。
> 駅前も綺麗になって、一瞬場所が分かりませんでした。

椅子のない客車時代の貴重な乗車体験ですね。
私は遅れる事30年後の、電車に変わった面白くない時の乗車となりましたね。

昭和59年頃は北海道の廃止ローカル線を追っかけてたので、和田岬線は眼中になかったです。
無くなって貴重だった事に気づくのは、人の性でしょうね。

でも、駅舎は取っ払われる前の現物を見る事ができたので、これでいいか!と思う私です。

2019-09-17 *  風来梨 [ 編集 ]