風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第330回  槍ヶ岳・春山 その1

『日本百景』 春  第330回  槍ヶ岳・春山 その1  〔長野県・岐阜県〕


憧れの槍の穂先へ

   槍・穂高連峰 やり・ほたかれんぽう (中部山岳国立公園)
北アルプスのハイライトとして登りたい山・・。 また、眺めても美しい姿の山として圧倒的に人気があるのが、この槍・穂高連峰である。 標高が日本第3位の奥穂高岳 3190メートル や、極めて山容秀麗な槍ヶ岳 3180メートル がそびえ立つ北アルプスの代表となる山域だ。 登山ルートはバリエーションルートも含めて色々あるが、一般的なコースは上高地から槍沢経由のコースである。 

ちょっと上級の方ならば、やっぱり縦走コースの『表銀座』・『裏銀座』を目指す事だろう。 
これらのコースは北アルプスの展望が素晴らしく、人気共々第一級の縦走コースだ。 
また、登山の“玄人”を自負する方には、槍ヶ岳から大キレットを通り奥穂高岳へ抜ける嶮しいコースもある。



今回は春山で3000mを越えます。 そう・・、山の民憧れの“槍”の穂先へ行ってまいります。
でも、行って“参り(降参)ました”にならねばいいけど。 いや、ともすれば『行って』が“逝って”になるやも・・。 ナメきっているからねぇ、この筆者(タワケ)。


今回の槍ヶ岳・春山ルート 行程図
駐車場・トイレ・山小屋情報

    行程記録   どこまでもナメきって・・ でも、結果を残すのは大したものだと
           自分を褒め称えたくなるですト

《1日目》 沢渡駐車場(0:20)→上高地バスターミナル(2:00)→徳沢(1:00)→横尾
      (2:20)→槍沢ロッジ
《2日目》 槍沢ロッジ(1:40)→大曲(2:50)→殺生ヒュッテ分岐(1:30)→槍岳山荘
       槍ヶ岳へはコースタイムで往復1時間であるが、槍岳山荘より上り1時間・下り45分
       かかっちゃったよ
《3日目》 槍岳山荘(0:40)→殺生ヒュッテ分岐(1:40)→大曲(1:20)→槍沢ヒュッテ
     (2:20)→横尾(1:00)→徳沢
《4日目》 徳沢(1:00)→明神より上高地散策(1:15)→上高地バスターミナル
     (0:25)→沢渡駐車場


  《1日目》 初日はただ歩くだけ・・ ヘタレきった己の自我との闘い
上高地・沢渡の駐車場で朝6時に目覚める。 この年のGW期間中の天気予報の『曇り』(週間予報に至っては、一段下の『曇り一時雨』だった)に反して、スカイブルーの快晴だった。 
今日は槍沢までの行程で時間的にもゆとりがあるので、7時半前後のシャトルバスに乗ればOKである。

・・で、GW中は20分毎のピストン運行となっているシャトルバスの7:20の便に乗り、20分程で上高地のバスターミナルに着く。 出発の気合にと梓川と穂高の写真を撮ろうとするが、キャノンF-1・・御歳20歳・入院暦4回が早速ゴネ出し始める。


いつもなら振り回せば直る我がF-1も
今回はオートが完全に沈黙

測光メーターが動かない・・。(汗)  始めは全てに渡って動かなかったが、電池を抜いたりバッテリーチェックボタンを押したりしているとマニュアルモードだけ測光表示が復活した。 オートは完全にお亡くなりになっていたので、久々にフルマニュアルで撮らねばならんようになったよ。 
まぁ、この事は、事の全体に対しては“小さな出来事”で他愛のない事なのであるが。

さて、上高地バスターミナルから5分ほど歩くと、あのバ『河童橋』が見えてくる。 時刻はAM8:00ちょっと過ぎという事で、まだ観光客で溢れてはいなかったが、それなりにいる事はいるようである。


ペット犬を連れてくる人間のクズは
この川に犬の粗相を流したそうな

まぁ、幸いな事に、ペット犬を連れてくるような恥知らずはいなかったみたいだが。 以前は、連れて来た犬の糞を梓川の清流に流すチョーセンな輩もいたらしいけど。 まぁ、チョーセン民主党に懲りて、少しは道徳というものが見直されたのかな?


バ『河童橋』より魅る穂高連峰

バ『河童橋』の袂では、早速餅菓子屋が甘い匂いを漂わせていたが、今のワテは戦う値(ケットウ値)が高いのだ。 「のっけから、そんな誘惑ヤメテケレ」と誘惑を振り絞って、バ『河童橋』より離れていく。 何ていうか、あの橋とその周囲はホント俗世間なんだよねぇ~。 でも観光客の多くは、ここでバリバリ・・ジュルジュル・・ハグハグと飲み食いまくるんだろうね。 街の生活と変わらんジャン。

進路であるが、上高地散策ルートにつながるバ『河童橋』を渡らずに直進する最短ルートを取る。
こちらは合流する明神まで見るべきものがないので、観光客は比較的少ないのだ。
そして、20㎏以上担いでいるとはいえ、まだ出だしで余力があるので1時間を切る位の勢いで明神に着く。


『穂高・奥宮』と名のる
明神から穂高連峰おば・・

明神にある『穂高奥宮』の標柱と、奥穂の写真を撮って出発。 明神を出ると、少しづつ雪が道床にヘバリ着いてくる。 でも、まだまだ泥にまみれた黒い塊のような雪で、雪のイメージはない。
日も上がって汗ばむようになってくると、上高地から2時間経って徳沢に着く。

徳沢は芝生のテント場が広がる園地となっていて、テント泊するには快適そうだ。
でも、実際テント泊するとは思いもよらんかったけど・・。 ここまでの距離は6.4km。
コレは、津軽・白神山の登山口から頂上までの距離とほぼ同じ・・なのである。
そう考えると、この6.4kmが胡散臭いのか、白神山直下の0.8kmが胡散臭いのか。


梓川と焼岳

とにかく、20kg以上担いで徳沢までの6.4km・2時間を歩くと、少しは疲れてくる。
しばし休憩して、約2ヶ月ぶりに甘いジュースを飲む。 甘いジュースといっても、持ってきたポカリスエットの粉末を水に溶かして飲むだけだが。 闘う値(ケットウ値)と闘う事が義務付けられてからは、水・お茶・ノンカロリー飲料・ブラック珈琲等の『0カロリー』しか口にしていなかったので真剣美味かったよ。

ひと息着いて、次の横尾までは3.9km。 「10km歩いてもまだ着かんのか」って事実を目にして、より疲れが増してくる。 「10kmと言えば、ここの頂上までの距離とほぼ変わらんぞ」などとブツブツ念じながら歩いていく。

徳沢を出ると道にヘバリ着く雪も、泥にまみれた黒雪塊から白い雪の吹き溜まりに変わってくる。
途中の箇所では、道に崩れ落ちた雪塊の真ん中を廊下状に刳り貫いた所もあった。
登っている感覚は全くないが、上高地より標高差にして100m高くなっているのである。
周囲の雪も、それに忠実に従っている情景なのだろう。


徳沢~横尾は最も梓川に近づく
穂高連峰も凛々しい

徳沢から半分ほどゆくと、梓川の河原の上を伝って、それに続いて作られた護岸保守用の車道跡っぽい砂利道を歩く。 この道を通してゆくと、横尾である。 でも、車も通れる幅の道っていうのは、早く歩けるものである。 徳沢~横尾の3.9kmを1時間を1分切るタイムで歩く事ができた。

その横尾だが、奥穂・涸沢との分岐という事で、登山者を中心にかなり人出がある。
向かう先は、若干槍よりも奥穂の方が多いみたいだ。 まぁ、涸沢の方が広いし、宿泊施設も充実しているようだしね。 横尾まで表示上は10.3km・所要3時間を20kg担いで歩いてきたなら、やはり疲れるよ。 でも、まだあるし、次の槍沢までのスパンが最も長いし・・である。

横尾にある『←上高地 11km・槍ヶ岳 11km→』の道標は、ある意味下界と山の境界を示す暗示が含まれている。 これよりは、雪の世界となるのだ。 そして、1kmの長さが今までの2倍に感じてくるのも、この道標を起点として・・である。 その通り、これよりは雪に道床が覆われてくるようになり、雪床に踏まれたトレースを見ながら右往左往してゆかねばならなくなる。 でも、まだまだ雪道としては序ノ口であるが。

だが、雪道歩きのそれに加えて、横尾までの10.3km・3時間の“ジャブ”が効いてくる時間帯となってくるのだ。 ホント、途端に足が上がらなくなってくる。 そして順調に切っていたコースタイムも超過し始める。 途中に渡る一ノ俣の沢までは地図の標記では1時間のコースタイムだが、1時間20分もかかって正午を周ってしまったよ。


ガス欠前に撮ったからか
力が抜けて割りといいデキに

こうして時間がかかり始めると、気持ちがダレてくるんだよね~。 暑い正午のピーカン照りに加えて、一ノ俣の沢より40分のコースタイムなのに一向に見えない槍沢ヒュッテに更にダレてくる。
そういえば、昼飯まだだったよ。

そして、出発前に闘う値を下げる薬を飲んできたから、完全にガス欠状態になってしまったようだ。
これは明日に目一杯症状が出て始めて薬が原因の一つだと気付いたのだが、「よく効くねぇ~、闘う値と闘う薬は」。

もう、ヒュッテまでの最後の登り(登りとしては大した事はない)は、ヘタリ込んでしまったよ。
まぁ、近年の筋肉がメタボ脂肪に変わってから・・は、いつも最後はヘタリ込んでいるからなかなか気付かなんだよ。 ヘタリ込むと弱気になってくる。 まぁ、つまり『人の揺れる心』が如実に現れるんだな・・これが。

それは「事と次第ではヒュッテに泊まろうかな~」なんていう、誘惑に駆られ始めるのだ。
その『事と次第』とはヒュッテ前にテントが張れず、テント指定地のババ平まで更に40分歩かねばならなくなる事態の事である。 弱気になると、この先を更に40分歩くのが不可能に思えてくるのである。

常識に考えたら、ここまでテント用具一式担いできたのに山荘で泊まるほどアホな事はないだろう。
でも誘惑というのは、全く持って常用外の思考をもたげてくるのである。 そして、悶々としながらも腰を上げて、ヒュッテまでの最後の登りに挑む。 最後は完全にガス欠状態で、1分進む毎にへ~へ~喘いでいたが。

・・で、ヒュッテでテント場を聞く。 ヒュッテの人によると、「ババ平のトイレは開設してテント設営は可能たけど、雪に埋もれて水場がないので、ヒュッテを囲む土手の上にテントを張る人の方が多いですよ」と。 この言葉で誘惑は断ち切れた。 20kgを担いだ5時間超が無駄にならずに済んだのである。

そして、水も天水汲み置きの水がタダで分けてもらえて幕営料金も500円と、近年の山では安く“良い事尽くし”であった。 水をもらってヒュッテを囲む土手上に上る足取りは、先程の1分毎に喘いでいたのとは別人のように軽い足取りで向かう。 やっぱり、バテやヘタリは気持ちが大半を占めるモノなのですねぇ。


こういう所にテントを張りますた
雪山でフライさえキチンと張れてない
夏テントで泊るこのタワケって

土手上には3張ほどテントがあって、その脇にマイテント設営する。 が・・、他のテントに比べて“みすぼらしい”の一言である。 それは、防寒対策が全く図られていないのがワテの“マイテント”だからである。 昔は、これで北八ヶ岳の氷点下20℃や、大峰・八剣山の氷点下10℃を凌いだんだからねぇ。
「我ながら、若き日は屈強だったと思うよ・・ じぶん(筆者)」と涙する。

その夏用テントに、夏ならば持ってこない使用20年超のボロボロのテントマット(通称・銀マット)を敷き、「冬季は断熱面の銀マット面を下にして下さい」という、20年の時を経て消えかけた使用説明書きに初めて従って銀マット面を下にする。 使用書き通りにすると、暖かく感じるから不思議なものだ。
北八ッの時も大峰・八剣山の時も、何で書いてある通りにしなかったのだろう・・、謎だ。←筆者のタワケたる所以を垣間見ましたね・・

そして、コスく半身だけのプープークッション(エアマット)を膨らますが、今のは破れにくく空気漏れはしにくいが、随分と薄くなって断熱効果は今イチのプープークッションである。 しかも、前述のように半身だけ・・である。 こんなダメダメの防寒装備であるが、筆者には最後の兵器がある。
それはシグボトルの『湯たんぽ』である。 これがあれば、生きてゆけるのだ。 これで氷点下10度や20度をかいくぐってきた筆者がいうから本当である。


目指す槍の穂先が
山屏風からチョコンと

取り敢えず、雪上にテントを設営して中で昼飯を食う。 メニューは甘い菓子パンだ。
これも明日に目一杯の症状が出るまで気付かなかった事だが、菓子パンを食ったら快調になっていたのだった。 後は夕飯までの2時間昼寝して、いつもと同じくパック御飯とレトルトと缶詰の夕飯の後、19時前には寝に入る。

ちなみに寝入った時は、この“みすぼらしい”防寒装備でもダウンジャケットを着込むと暑い位に感じたが、深夜を越えると氷点下3℃位まで落ちていたようで、深夜に湯を沸かして湯たんぽを仕立てなければならなくなった。 寝る時の温度は寝付く時は寒めの方が良く、寝入ると暖かい方がいいので、野営だと温度管理が難しいのである。 明日は、いよいよ槍の穂先に向けて歩いていく。




槍沢からは完全無欠の雪山となる

  《2日目》 槍の穂先へ・・ ケットウ値との闘い
ちょうど、湯たんぽの効能が切れる4時間後の5時過ぎに目が覚める。 外は快晴だ。
まぁ、雪山で春という事で、5時半出発などと入れ込む必要はない。 出発は6時半から7時で十分である。

また、昨日から考えていた事であるが、『上では山荘宿泊』と決めている(いくらなんでも、3000mの頂上稜線で夏テントはヤバイでしょ・・)ので、このテント設備一式は重荷でしかない。
近年ヘタって、筋肉と信じていたものがメタボ脂肪に変わってしまったから尚更である。

そこで、昨日にヒュッテの人に「テントをデポって、1日上で泊まってもいいですか?」と打診をかけてみた。 ヒュッテの方に快く了承して頂いたので、自炊用具や食料等の山荘での素泊まり対応の装備とカメラを担いでいく。

デポるのはテント用具一式・シュラフ・衣類・マット類一式・湯たんぽ用シグボトルで、いずれも嵩張るモノだが、重さとしては大した事ないようである。 これによって、カメラとレンズ一式が如何に重いかが如実に示されたのである。

後、デポった中身が重くない分、無人のテントが風で飛ばされないように、いつもより念入りにペグを打ち込む。 まぁ、打ち込むっていっても、雪の中に埋めるだけだが。 ひと通りの準備を終えて、トイレを済ましての出発が7時前。 ちょっと遅めかな。

さて、目指す槍の穂先は、山屏風に“とんがりコーン”の如くチョコンと顔を魅せている。
ちょっと間抜けな情景だ。 ルートは概ねトレースが着いているが、ババ平のテント場までは各人が様々なトレースを着けているので少し解り辛い。 傾斜が槍沢までの今までより大きくなっていて、もちろんアイゼンは出発時から着用済だ。


ババ平のキャンプ地は
完全に雪に埋もれていた

約30~40分で、広大なババ沢のテント場に着く。 夏に水場となる槍沢は雪に覆われていて、ただただ広大な雪原であった。 その橋に岩で造られたトイレがあり、その壁に沿って2張ほどの猛者がテントを設営していた。 まぁ、猛者といっても装備は完全冬テントで、事によってはみすぼらしい夏装備テントの筆者の方が猛者かもしんない。

ババ沢のテント場を越えると、槍沢の谷の中央に刻まれたトレースを伝って、大曲という如実に谷の向きを変える所まで平坦な雪道が続く。 距離にして約1km位か。 アイゼンを装着した足だと、平坦な雪原にボコボコに刻まれたトレースは歩き辛く、足の早い人は独自に雪原の未踏面を歩いていたようだ。


地形通りの『大曲』へ

そして、大曲。 いよいよ、槍に向けての急傾斜が始まる。 見上げると右手に裏銀座を成す山の岩盤が、左手には3000m級の南岳より派生する岩盤が、真っ白な雪とスカイブルーの空と相俟って異次元的な様相を魅せていた。 周囲が雪の白で覆われている分、空の蒼が途轍もなく濃く見えるのだ。


大喰岳や南岳など
3000mの山屏風が

始めの傾斜は難なくこなせるが次第にキツくなり、天狗原分岐の高台に登り着く頃には結構な傾斜となっていた。 そしてこの辺りから、槍の穂先と殺生ヒュッテのモレーンへの登路が見渡せる。
その傾斜は、結構そそるモノがある。 それは当然だろう。 夏ならばジグザグを刻みゆく所が、雪の斜面となった今では直登となっているのだから。


天狗原分岐道は完全に雪の下
これより雪の傾斜を登っていく

傾斜がキツくなると、ギンギンに照るピーカン直射も相俟ってヘタってくる。 喘ぎ喘ぎ登り、モレーンの先が視界に入る所まで登りつめる。 そこで目にした“下で見た目には傾斜の終わり”のモレーンの先は、少したわんで2段の直登が待っていた。 そして逃げ水現象!?の如く、モレーン上にあるように見えていた殺生ヒュッテの建物は、1段先の急傾斜の上にテレポート!?していたのである。

これは、結構ダメージが大きかった。 ヤル気が抜けていくのが感じられたからである。
そして、1段先の急傾斜を登り殺生ヒュッテへの分岐の直下の所で、筆者はいつもの如く『終了』を迎えた。 要するに、槍沢ヒュッテ到着直前の1分毎にヘタラねば進めない状況になっていたのである。

だが、いつもよりヘタり具合がキツいのである。 『~毎にへ~へ~喘ぐ』のはいつも通りとしても、いつもは短くても2~3分毎の1スパン50~100歩前進だったが、今日は1分の10数歩で立ち止まらねば前に進めない。 そして、バテに余裕がないのである。 前回の鹿島槍でもヘタるにはヘタったが、こんな惨状はなかった。 何せ、日が完全に落ちた雪降る闇夜の稜線を余裕で歩いて、小屋番に激しい注意を受ける位のゆとり!?があったのに、今日はそれがないのである。


これを登りきれば終り・・と思った己は甘かった
この上で薬の効き過ぎによるガス欠に

・・で考えた。 「コリわ、もしや、闘う値を下げる薬を飲んで、“24時間、闘えますか?(by リゲイン)”をしてしまったからかも・・」と。 要するに、決闘値もとい血糖値が下がって闘えなくなってしまったようである。 云わば、完全なガス欠である。 そうと解ると、平らで座っても滑り落ちない所まで喘ぎ登り、そこで荷を下ろして行動食用に持ってきたバターロールを2つ口に含んで、ポカリの甘い水をこしらえて飲む。

予想はドンピシャだったようで、速効で復活したのである。 前日も記したが、「よく効くねぇ~、闘う値と闘う薬は」である。 さて、この殺生ヒュッテの分岐からは、槍沢谷での最大傾斜の登りが控えている。 高低差で200m位だろうか。
 
夏ではジグザクを切っている上に、20年前の銀マットが新品だった頃のワテはバリバリに若かった事もあって屁でもなかった登路が、決闘・・もとい血糖値で弱り目とたたり目の今のヘタレたワテに襲い掛かる。 先程の発作が出たらマズいので、ポケットにバターロールを1ヶ忍ばせてこの傾斜に挑む。


とんがりコーンが乗っかる稜線までの最後の急坂
喘ぎ登る登山者の姿は小説「蜘蛛の糸」の如く

そしてヘタり防止の為に、「イチ・ニッ・サン・シ・・、ゴウ・ロク・ヒチ・ハチ」、「ニィ・ニッ・サン・シ・・」の掛け声で10まで続けて唱えながら登る事にした。 これでヘタるまでの間に、80歩進む事が約束される訳である。 これはヒットだったようで、バターロールパン復活した身体と相俟って順調に登れた。 
最後はヘタリかけたが、最終燃料の『ポケットに忍ばせたパン』を咥えて、無事この傾斜の直登を乗り切る。

登り詰めて、「あんなにへタッたから、もう14時を越えてるだろうな・・」と、恐る恐る時計を見ると、13時ちょうどであった。 7時間も8時間もかかった感があったこの登りは、6時間ジャストで乗り切ったのである。

まぁ、最盛期の5時間切りには及ばぬものの、冬の雪の直登で夏のコースタイムより40分オーバー程度で済んだのは褒められる事だろう。 こうして、時間がかかり過ぎると諦める事も頭の片隅にあった槍の穂先へのチャレンジへと駒を進める事にする。


槍岳山荘前で
ひと息着いたら槍の穂先へ

 先に山荘で宿泊手続きをして、自炊用具などの荷物を山荘にデポって、カメラと水筒だけを持って山荘の目の前にそびえる槍の穂先にアタックする。 出る前にアイゼンの装着に手間取って(山荘の土間へはアイゼンを外すのがエチケットです)、出発は2時前になってしまった。 
この時間帯は槍から降りてくる人が大半で、恐らくワテはシンガリとなるみたいである。


槍ヶ岳周辺 詳細図

その槍の穂先だが、ひとことで言ってヤバ過ぎたよ。 記憶では、往時(最盛期)の厳冬期に伝った宝剣岳よりエグかった。 露出した岩はアイゼンの着いた足では躓きが怖くて厄介だし、凍った所はアイゼンも利かぬほどに凍っていて、しかもそういう所に限って鎖は氷の中に埋もれていたりするのである。

完全に凍った所は、ピッケルの刃先を突っ込んで支えねば通過が難しい。 唯一安心できるのは、ホールドが保証されるハシゴだけである。 でもコレとて、オーバーハングの岩に掛かってハシゴの踏み段に足を乗せる事ができない“死んだ踏み段”もあるので厄介だ。

行きは難度としては下りより容易だが、下る人の通過待ちが度重なって頂上まで1時間かかったみたいだ。 そして、最後の30段のハシゴの登りを経て、槍の穂先に立つ。

着いた15時前はそろそろに午後の雲が空を覆い、そして皆はもう登頂を終えて山荘に戻っているので、この時間帯の槍ヶ岳の頂上は“我一人のパラダイス”となる。 だからといってする事もないのだが、やはり人気のある峰の頂上を独占する優雅さは誇らしい。 約30分ほど吹きっ晒しの槍ヶ岳の頂で、カメラ片手にボ~っと佇む。

槍の穂先にて

槍の穂先から従える山なみを望んで


西鎌尾根と裏銀座の山なみを望む


やがてガスが湧き出してきて


ガスに覆われた山なみは
凍るような冷たさを感じる

時折、覆っていたガスが晴れて、山々が一望できる。 これだけでも、この穂先に立てて幸せだ・・と思う。 ガスが晴れるのを待ちながらボ~っとしていたが、やはりしなければいけない事はせねばならない。 それは、これから始まる下りである。 ここを下って、安全な場所の山荘まで戻らねばならないのだ。

通過してこそ簡単に書き記せるが、シクじったら即刻“アノ世逝き”なのである。 
登りでも手こずったので、やはり恐怖感はある。 できれば避けたいが、それはこの場で座して死ぬしかないのである。
まぁ、極論的に書いたが、皆が通過している所であるので、何とかワテでも行けるだろう・・と暗示してこの難関に挑む。


別れ際には再びガスが晴れて
難所を降りる勇気を授けてくれた

最初の30段のハシゴは確実にホールドできるが、上から3段目あたりの踏み段がハングった岩に埋められて死んでいる。 面倒臭いのはピッケルだ。 これから大いに使うのでリュックにとめる訳にもいかないし、そうすれば後ろで引っかかって自爆するし。 でも、邪魔だ。 ここは、3段毎にハシゴに掛けながら下っていく。

ハシゴを降りたらヘツリ状に岩を巻いて降りていくが、これを過ぎるといよいよ最もデンジャラスな鎖の離れたパリパリに凍った斜面に出る。 登り時に下る人待ちで10分近く待たされた難所だ。
ここはピッケルの刃先を突っ込んで、それをホールドしながら凍った岩の間をトラバースしていく。
ホールドできる向こう側の岩まで移るとOKだ。 それまでの間は歩幅にして5~6歩だが、その1歩1歩が命賭けである。 シクじったら、岩間に滑り落ちて“サヨウナラ”なのだから・・。


丸をつけた所は
ピッケルの刃先がないとムリっス

何とかホールドできる向こう側の岩まで移ると、ホールドしながら斜めハシゴを伝っていく。
夏ならば他愛のない鎖場なのだが、凍った岩にかかる残雪期の斜めハシゴは足を掛ける所が乏しく厄介だ。

これを下って大岩を巻いていくと20段位のハシゴがあり、このハシゴを降りると、ワテ自身が今回の下りで最も厄介と感じた『アイゼンを履いての岩場の下り』が始まる。 それはもう、先程のピッケルの刃先を差し込んでのトラバースよりも厄介に感じたのである。

なぜなら、足を延ばそうにも、アイゼンを着けた足でも確実にホールドできるホールド点に届かないからである。 あるのは、アイゼンの爪が引っかかりそうな中途半端な極小ホールドだけであったのである。
仕方がないので、ヌメる様に身体を岩に擦り付けながらホールド点を足で模索する・・といった感じで乗り越える。

これを過ぎると残るは急傾斜のヘツリ気味の雪道のみとなり、ひとまず安心できる。
でも、ここでコケても“サヨウナラ”が待っているので、ピッケルを慎重に刺しながら下っていく。
安心できるのは、ピッケルを刺さなくても歩けるようになる穂先への登り口の50m手前まで下り立ってから・・であろう。

・・で、4時少し過ぎに、無事に山荘に戻る。 山荘では夕飯時まで間がないので眠くなるのを堪え、6時過ぎに夕飯を作って食って、7時前には寝に入る。 だが、今日の登りでピーカン照りと雪に焼かれた顔が腫れ上がって熱を帯び、あんまり寝れなかった。 水で濡らしたタオルを顔に当てて目を瞑っていたが、ほとんど寝た印象はないのである。 でも、次の日あまり眠くなかった事を思えば、しっかり寝ていたのかもしれない。

   ・・続く下山編は、次回の《その2》にて。

    ※ 元ネタは、メインサイト撮影旅行記に収録されている『槍の穂先へ(の戦い)』です。
      宜しければどうぞ・・←メインサイトも筆者と同じくヘタって、閲覧者が日に15人程に
      なっちまったよ

















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No title * by たけし
決闘血との戦いもあってハラハラして拝読しました。

昔、糖尿病の人と丹沢に行き途中でヘタレてしまい、原因は糖分不足だから飴玉しゃぶれ!と言っても、それすら受け付けなくなる状況に追い込まれました。
無理やり口の中に押し込んだら10分ほどでみるみる元気になり、驚いたものです。
風来梨さんも身体ご自愛くださいね!

No title * by 風来梨
たけしさん、こんにちは。

今考えてみればワタシの場合、決闘値の悪化=ヘタリ(老)化のような気が・・。

ヘタってからは足も上がらなくなって更にコケますし、コケた時のダメージもペテガリのアバラ2本やこの前の靭帯を痛めたヒドい捻挫など大きいし。 だから今、必死で血糖値を落とす事に気をかけてますね。

このゴールデンウィークの涸沢も、捻挫明けのリハビリの思惑があったし。 まぁ、靭帯を痛めても登れたので、まずはホッとしています。 決闘値も特急から急行(基準は1評定速度の1/10の数値)に下がったし。

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No title

決闘血との戦いもあってハラハラして拝読しました。

昔、糖尿病の人と丹沢に行き途中でヘタレてしまい、原因は糖分不足だから飴玉しゃぶれ!と言っても、それすら受け付けなくなる状況に追い込まれました。
無理やり口の中に押し込んだら10分ほどでみるみる元気になり、驚いたものです。
風来梨さんも身体ご自愛くださいね!
2018-05-03 * たけし [ 編集 ]

No title

たけしさん、こんにちは。

今考えてみればワタシの場合、決闘値の悪化=ヘタリ(老)化のような気が・・。

ヘタってからは足も上がらなくなって更にコケますし、コケた時のダメージもペテガリのアバラ2本やこの前の靭帯を痛めたヒドい捻挫など大きいし。 だから今、必死で血糖値を落とす事に気をかけてますね。

このゴールデンウィークの涸沢も、捻挫明けのリハビリの思惑があったし。 まぁ、靭帯を痛めても登れたので、まずはホッとしています。 決闘値も特急から急行(基準は1評定速度の1/10の数値)に下がったし。
2018-05-04 * 風来梨 [ 編集 ]