風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第259回  函館本線・ニセコ駅

路線の思い出   第259回  函館本線・ニセコ駅  〔北海道〕


明らかに観光リゾート駅を意識した
山小屋風のニセコ駅舎

《路線データ》
       営業区間と営業キロ            輸送密度  / 営業係数(’15)
  函館~旭川・七重~大沼~森 465.7km          10649  /   105  
長万部~倶知安 の’18年・運行本数
                長万部~倶知安 下り4本、上り5本
                蘭越~倶知安  下り3本、上り2北

   廃止区間と営業キロ      廃止年月日      廃止時運行本数      転換処置
  砂川~上砂川 7.3km     ’94・ 5・16       6往復      北海道中央バス


ニセコ駅(ニセコえき)は、北海道虻田郡ニセコ町字中央通にあるJR北海道・函館本線の駅である。
国鉄・JRでは、初めて片仮名のみで表記された駅名である。 かつては特急【北海】や急行【ニセコ】などの停車駅だった。

相対式ホーム2面3線をもつ駅で、各ホームは跨線橋で結ばれている。 1・2番線が上下本線となっており、倶知安方面からのみ進出入が可能である3番線は通常使用しない。 但し、臨時列車増発の際の折り返し等に使用する場合がある。


山小屋風の表面と違って
裏面は国鉄様式の普通の駅だった

駅舎は1965年に完成した二代目である。 ブロック造り一階建て、209平方メートルで山小屋風の建物である。 株式会社ニセコリゾート観光協会が業務を受託する簡易委託駅(倶知安駅管理)である。
キヨスク設置駅である。

駅名の由来は、『真狩』はアイヌ語の「マク・カリ・ベツ」(奥の方で曲がる川)に由来するもので、沿線を流れる真狩別川が上流でも蛇行が多い地勢を表している。 『狩太』は、真狩別川と尻別川との合流点を示すアイヌ語「マク・カリ・ベツ・プトゥ」(マッカリベツ川の川口)に当て字をした「真狩別太」の略称である。

「ニセコ」は沿線にあるニセコ連峰の主峰・ニセコアンヌプリ(アイヌ語で絶壁に向かってある山の意)に由来する。 1963年に当時の狩太町が狩太駅をニセコ駅に改称するよう国鉄に要請したが、国鉄の「町名を改正しない限り駅名改正は認めない」との方針を受け、まず1964年に狩太町がニセコ町に町名を変更し、その後にようやく駅名も「ニセコ駅」に改称されたという経緯がある。



ニセコ駅に立ち寄ったのは羊蹄山をバックに『撮り鉄』する為なのだが、その撮影目的は通常の『撮り鉄』の連中が狙う目的のSLとは違うのである。 それはワテが『○鉄』である所以であるのだが、もしゴールデンウィーク期間中のこの日にSLが運行していたなら、SL目当てにタカる『鉄』の群れに嫌気をさしてワテは間違いなくこの駅に立ち寄らなかっただろう。


「SL嫌い!」、「基本特急はパス!」、「群れるの嫌い」・・
変な『撮り鉄』=『○鉄』の撮る被写体は単行の普通列車

それにワテ、鉄道を撮るのが好きな『撮り鉄』なのだが、SLは「周囲の風景を汚い煙でかき消す物体」として忌み嫌っているのである。 また、最近『撮り鉄』の間で人気が出て狙う奴が多くなっている淘汰間近の国鉄型の特急気動車の183系も、正直言うとあまり興味はない。

ワテにとっての183系は「腹から火を噴いた」コレで、それは日高・ペテガリ岳で183系と同じく「腹から火を噴いた」事とダブってあまりいい印象を持ってないんだな・・、コレが。←ただのロクデナシによる”こじつけ”です、ファンの方・・スンマセン


こういった「羊蹄山と普通列車」が
『○鉄』のターゲットなのである

「SLは嫌い」、「183系もあまり興味をひけない」という、このロクデナシ『○鉄』が「ニセコで撮りたい」と欲するのは、羊蹄山というコニーデの裾野を広げた山とキハ40系なのである。
要するに、昔のローカル線を追っかけていた時に撮りそびれた「羊蹄山と胆振線」の再現なのである。


肝心の羊蹄山とキハ40のコラボは
逆光・黒潰れ

まぁ、「再現」といっても胆振線は30年以上も昔に廃線となっているので、その状況に近いシチューエーション・・、つまり羊蹄山背景で当時胆振線を行き交っていた”生き残り”の国鉄型キハ40とのコラボで撮るって事である。

それて、羊蹄山背景で撮る為に、この辺りの撮影地を片っ端からネットで調べたよ。 北四踏切、銀山の218キロポスト、ニセコ大橋などが出てきたけれど、最も撮りたいと思った羊蹄山バックの大きく弧を描く鉄橋だけは場所が解らなかったよ。 とにかく、この調べて出てきた撮影地を訪れる事にしたのである。


最も撮りたいと思ったこの撮影地だけは
ネットで場所を特定できなかったよ
※ グーグル画像を拝借

キハ40は30年経った今でも健在で何とかなれど、羊蹄山の方がなかなか姿を現さなく「空振り」し続けたのである。 それもそのハズ、撮影に来た正月休みは北海道の天候が安定しない日がほとんどで、撮影地も殆んどが雪でアクセス不能となっているのである。

それにネットで漁って出てくるネタは、ワテの望む「羊蹄山とキハ40」を撮った事例ではなく、汚い黒煙排ガスで周囲の景色を潰すSLや、183系のデコラ車(スラントというらしい)を先頭にした臨時列車を対象にしたもので、羊蹄山もどうせSLの黒煙で掻き潰されるのであまり重視していないようである。

要するに、汚い黒煙を吐くSLを望遠で引っ張ってドアップに撮る作例がほとんどなのである。
・・でも、コレって、「わざわざ羊蹄山の周辺を撮影地に選ぶ必要はないんじゃね?」と思うワテ。


こんなのが撮りたくて通っていたのですね
羊蹄山背景は未だ成就せず・・だった

2回の正月旅行で4回訪れたこの「羊蹄山狙い」も空振りばかりで不発に終わり、何度も同じ事をしても結果は見えているので、春のゴールデンウィークをターゲットにする。 春は目論見通り天気は上々であったが、霞み空っていうか肝心の羊蹄山は霞んで今イチだったよ。


ニセコでの羊蹄山の方角って
日中はほぼ逆光みたいだね
お陰で山が霞んでボツ

それで「この状況を打開するには、最も大きく羊蹄山が現れる”最も撮りたい”と思ったあの場所へ」と、ネットで漁っても見つける事ができなかった「大きく弧を描く鉄橋と羊蹄山」の撮影地へ行ってみる。 「行ってみる」と言っても場所は判らないままなので、レンタカーのカーナビで橋梁のありそうな所を適当に検討づけて入ってみる。

だが、その確証の全くない「検討づけ」は”大ハズレ”だったよ。 鉄橋が架かる川の畔へ下っていくが道はクマザサで隠されて不明瞭となり、足腰にまとわりつく・・、いや顔面までの高さでしなるクマザサのブッシュに、このアプローチが”大ハズレ”である事を確信する。 そう、踏み跡が消えて通行困難になった時点で、一般の『撮り鉄』が立ち寄る”お立ち台”的な撮影地とは違う事が明白なのである。

でも、列車の時間もあるし、何より「クマザサのブッシュを掻き分けてきたのに、元を取らずに引き返すのはイヤだ!」という”コスい性根”がもたげて、そのまま線路際まで突き進む。


クマザサのブッシュを掻き分けると
鉄橋はあるにはあったが

そこには鉄橋はあるにはあったが、鉄橋をゆく列車と羊蹄山を合わせて撮れる足場が全く見当たらず、仕方がないので鉄橋から後ずさりして土手の上に上ると、逆光ではあるが羊蹄山がそれなりの大きさで望める場所があった。 そこで撮ったのがコレ。


羊蹄山は頃良い大きさで撮れたけれど
逆光・黒潰れだしィ


逆光を和らげても
車輌が少しガッカリの「四角目」だしィ

でも、羊蹄山との『撮り鉄』よりも、列車待ちの時に暇潰しで撮った春の野花の方が『一番星』に近かったりして・・。


列車待ちで暇潰しに撮った野花が
最もよく撮れてるって・・

このクマザサに覆われた道のない土手の上でネバってもしかたないっていうか、もう函館本線のこの区間は普通ばかりの1日上下各7本の閑散線区なので、こんな足場のない所で次の列車まで待ってられないので、「駐車場・トイレ完備、撮影場所まで徒歩70歩」とネットで調べた中で最も『安全パイ』の撮影場所・《ニセコ大橋》に向かう事にする。


ニセコ大橋から羊蹄山とニセコ駅を望む
「駐車場・トイレ完備、撮影場所まで徒歩70歩」と
『優良不動産物件』なみの破格な条件の撮影地だ

《ニセコ大橋》で撮った後、ニセコ駅前にあるクアハウスでひと風呂浴びて、3年越しの念願であった「羊蹄山背景のかつての胆振線のような写真」を中途半端に成就してこの地を去る。






















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