風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第257回  三江線・長谷駅

路線の思い出   第257回  三江線・長谷駅  〔広島県〕


川の対岸には渡れない位置にある
三江線随一の秘境駅・長谷

《路線データ》
       営業区間と営業キロ       輸送密度 / 営業係数(’16)    
      江津~三次 108.1km        46  /   1109
         廃止年月日             転換処置
          ’18/4/1      備北交通・大和観光・邑南町営・石見交通
                        など区間によって分担
運行本数(’17)
             江津~三次   下り2本・上り1本
             江津~石見川本 上り1本
             江津~浜原   3往復
             石見川本~三次 上り1本
             浜原~三次   2往復
             口羽~三次   1往復
      ※ 廃止日までの残り2週間は昼間便の浜原~口羽の通し運行を実施した
             江津~三次   下り4本・上り3本
             江津~石見川本 上り1本
             石見川本~三次 上り1本 
             江津~浜原   1往復
             浜原~三次   1往復

長谷駅(ながたにえき)は、広島県三次市粟屋町字長谷にあったJR西日本・三江線の駅である。
三江線の廃止に伴い、2018年(平成30年)4月1日に廃駅となった。

元は仮乗降場であった為に時刻表には掲載されていなかったが、1987年の国鉄分割民営化を機
に正規の駅として認められ、JR発足時に駅に格上げされた。 浜田鉄道部管理の無人駅で、自動
券売機等は設置されていない。


地元の教育委員会が
風雪から列車待ちの児童を護る為に
建てた長谷駅待合室

三次方面に向かって左側に単式1面1線のホームを持つ停留所規格の駅で、駅は川に向く斜面上
の道路からやや高い場所にある。 ホームの少し下の方に小さな木造の駅舎があるが、これは当
駅が設置された当時の教育委員会が建設・設置したものである。

三江線で唯一通過列車が設定されている駅であり、一部の列車は停車しない。
三江線廃止の直前では、下りが2本・上りは3本のみの停車となっており、下りの最終列車は午前
9時台・上りの始発列車は午後2時台と極端に偏った設定となっている。

これは付近集落の子供が通っていた学校が過疎化によって閉鎖され、歩いて通えなくなった事に
伴って当駅が設置された為で、三次方面への通学を考慮したダイヤ設定だからである。
現在は駅を利用する児童は皆無となったが、開業当時からほぼ変わらないダイヤで推移していた。

なお、2012年10月1日から12月31日まで実施されたJR三江線増便社会実験で運行されたバス便
は当駅に全便停車した。 それでも下りの最終便は午後1時台であり、停車する列車の本数は変
わっていない。 周辺には小さな集落があるが、2015年の一日平均の乗車人員は0人(1人以下)
との事。




長谷駅から粟屋方向を望む

長谷は、乗降場時代に一度下車した事がある。 その時は確かローカル線問題が片付いて鉄道からやや気持ちが離れていった時期だった。 従って三江線に訪れた目的も、鉄道に乗ったり『撮り鉄』したりする若き日の鉄道旅での”いつもの事”ではなくて、その頃から鉄道に変わって興味を抱き始めた滝めぐりの為である。

そう・・、この三江線の行き交う江ノ川の流域には、滝がたくさん潜んでいるのである。
その江ノ川流域で最も著名な『百名滝』(但し、この時点では指定されてない)の常清滝に訪れる為にやってきたのである。

普通は滝めぐりというとマイカーなど車で訪れるものだが、当時はまだ車の免許を持っておらず、日に6往復(当時)の列車に乗って滝めぐりをするとなると徹底的に時間が余るのである。
そして、時間が余ったり雨が降ってきて外を歩き周れない状況となると、やはりする事は『先祖返り』の鉄道追っかけになってしまうのである。


この企画を立ち上げる為に訪れた長谷駅は
くしくも鉄道から離れたく思うトラウマにあった
あの時と同じく陰鬱な雨模様の空だった

なぜなら、車がなく『移動力』は無いに等しかったが、『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』(このキップの名前はこっ恥ずかしくてドモっちまう)を持っていて、鉄道だけは一日乗り放題だったからだ。
それで雨の日に時間を潰すべく降りたのが、乗降場時代の長谷であった。

その時は何をするでもなく、待合室で持参したマンガを読んでいた(今思えば、とても無駄で意味のない事ですね)が、その時に地元の人なのか中年のオッチャンに「こんな所に何しに来た?」と尋ねられた事がある。

狼狽えた小僧のワテは「この駅に降りたくて三江線に乗ってきた」と答えると、オッチャンは半分軽蔑した口調で「あっそう・・」といって去っていった。 この時の事は結構トラウマとなって、それからは『鉄道マニア』である事を隠したり誤魔化するようになったのである。


”あの時”に撮っていたモノ
思い返せば「もっと撮っていればよかった」
という後悔のみが頭をかすめたよ

まぁ、今思えば、ワテが若き日に三江線を訪れた30年近く前は秘境駅を狙って下車する『駅降り鉄』なんてカテゴリーは存在せず、こんな利用者皆無の駅に降りる事は『奇人変人の類』と見られて当然だったのである。 そういった鉄道から離れようとする苦い思い出を抱いたのが、この長谷駅なのである。

でも、時が経って、こういった秘境駅に降りたつ事が『駅降り鉄』として鉄道趣味のカテゴリーの一つに加わった事で、「あの時は恥ずかしい思いをしたけど、やっぱり降りてて良かった」と思うのである。 それは、車でこの長谷駅に容易に訪問できるようになってからは、「今さら鉄道に乗ってこの駅に降りよう」とはさすがに思えないからである。

あの頃に抱いた鉄道への情熱を失ってしまった・・といえばそれまでだが、1日上下各2本しか停まらない駅の訪問一つの為に1日の全てを費やす訳にはいかないからである。
それは「車で・・、あるいはレンタカーを借りてやって来た」となると、鉄道に乗っている間の車の置き場所や車の回収で1日が確実に潰れるからである。 そんなこんな・・で、この長谷駅は車で訪れての『撮り鉄』の対象にしかならなくなったのである。


本当は横からスタンダートに
撮りたかったのだが
横正面はド逆光だったし

でも、『撮り鉄』目的にやってくると、この路線とワテとの相性が悪いのか、最後の年の大雪運休でなかなか『撮り鉄』ができなかったのである。 意図としては周囲の山々に雪が乗る冬景色と撮りたかったのだが、それは水泡と消えたと同時に『三江線の最後の冬』自体も表現するのが難しくなって、この旅行記の題を『三江線・最後の四季』から『三江線 最後の一年』に変更せざるを得なくなってしまったのである。

その『撮り鉄』だが、廃止の年の1月に訪れた時は、雪がないのに前述のように「大雪の為に」三次~石見川本の区間が運休で撮りそびれたが、この区間が復旧した直後の3月の最初の休日に『リベンジ』撮影に訪れている。 狙うは、江ノ川の左岸(西側)にへばりつくように通された三江線の線路が、江ノ川に注ぐ支流の川を鉄橋で跨ぐシーンだ。


橋の袂から超広角で煽るなんて
現地でなければ考え着かんよ

だが、撮影可能の昼間に運行される列車は、朝10時前三次発の石見川本行の1便のみなのである。
そして、この列車が長谷を通る10:20前後の「狙いを定めた橋梁」は、電線が架かる内陸側からが順光で、意図する向きからは、太陽光直撃の『ド逆光』なのである。

そして、この橋梁は軽くカーブしてるので、「電線の架かっている向きから、電線を避けつつ、順光で色鮮やかに撮る」ってのは、考えていたより難しかったりして。


保険に「後追い」もするが
期待していたより「後追い」も良かったりして

それはもう、鉄橋下に潜り込む様な位置から、見上げて超広角レンズを縦位置に構えて煽り気味に撮るっていう、実際に現地でしか考え着かないアングルでとったのがコレである。 まあ、「これはこれでいいかな」って思うが、三江線らしさには欠ける写真になってしまったかな。

そして、運転最終日当日のファイナルの時に訪れた時は、ちょっと『三江線と長谷駅らしさ』を出すべく、駅から200mほど粟屋寄りに離れた所から、江ノ川と川の左岸の縁にへばりつく長谷の駅舎を撮る事にした。 川から左岸の土手にある長谷駅の向きは順光なので、カメラを構えるだけで川の風景と撮る事ができた。


江ノ川を水鏡にして

この日の長谷駅は江ノ川の水鏡に
映される位に賑わっていた
なぜなら・・明日はこの駅がもう存在しないのだから

だが、この日は最終日と言う事で、『三江線の最後』で訪れた鉄道マニアの群れ+観光マイクロバスでやってきた観光客が長谷駅のホームでタムロしてごった返すという、「日頃はありえない光景」だったけどね。

    ※ メインサイトの『撮影旅行記』・『三江線・最後の一年』より転載










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No title * by 宮越とまと
こんばんは。

旧車両時代の貴重なお写真ですね。そうですね、少し前は、地方の駅にいれば不審者扱いって感じしましたね。同業者もあんまり居なかったような気がします。『三江線・最後の一年』、楽しみにさせていただきます。

No title * by 風来梨
宮越とまとさん、こんばんは。

横見浩彦氏の鉄道全駅下車が話題になるまで、駅の下車は鉄道趣味のカテゴリーに無かったですね。

その後、牛山氏の『秘境駅に行こう!』で、こういう駅に降りる事が市民権を得ましたね。

私も結構『秘境駅』には降りているんですが、多くが廃線により無くなってますね。 深名線の白樺の無人廃村なんて、小幌の比では無かったかと。

『三江線最後の一年』は、ファイナルに行った時に撮れた桜との写真が上がって、鋭意製作中です。 現在、江平駅まで完成しました。 我がホームページ久々の旅行紀なので、気合いが(中途半端に)入ってます。

コメント






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No title

こんばんは。

旧車両時代の貴重なお写真ですね。そうですね、少し前は、地方の駅にいれば不審者扱いって感じしましたね。同業者もあんまり居なかったような気がします。『三江線・最後の一年』、楽しみにさせていただきます。
2018-04-15 * 宮越とまと [ 編集 ]

No title

宮越とまとさん、こんばんは。

横見浩彦氏の鉄道全駅下車が話題になるまで、駅の下車は鉄道趣味のカテゴリーに無かったですね。

その後、牛山氏の『秘境駅に行こう!』で、こういう駅に降りる事が市民権を得ましたね。

私も結構『秘境駅』には降りているんですが、多くが廃線により無くなってますね。 深名線の白樺の無人廃村なんて、小幌の比では無かったかと。

『三江線最後の一年』は、ファイナルに行った時に撮れた桜との写真が上がって、鋭意製作中です。 現在、江平駅まで完成しました。 我がホームページ久々の旅行紀なので、気合いが(中途半端に)入ってます。
2018-04-16 * 風来梨 [ 編集 ]