風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第327回  火打山・春山

『日本百景』 春  第327回  火打山・春山  〔新潟県〕


ミズバショウ花開く妙高高原より
春の妙高連山を望む

  妙   高 ょうこう (上信越高原国立公園)
上信越の山でキラリと光る存在が、この妙高連峰だ。 山頂からの眺め、広大な草原とそこに彩るお花畑、見事な渓谷と滝など山の魅力をいっぱい兼ね備えている。 特に、盟主・妙高山 2454メートル と最高峰の火打山 2462メートル から見る日本海と佐渡の姿は素晴らしい。 
また、360°を占める山なみの風景も圧巻だ。

この山域も山麓はスキー場などの乱開発で痛めつけられているが、まだまだ広い範囲に渡ってその魅力を味わう事ができる。 願わくば、この“癌”ともいえるスキー場の乱開発で、これ以上山を侵されないようにと祈るのみである。




妙高・春山ルート 行程図

    行程表              駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 笹ヶ峰登山口(0:50)→黒沢(1:30)→十二曲り頂上(2:05)→富士見平
     (0:50)→高谷池
《2日目》 高谷池(1:45)→火打山(1:35)→高谷池(1:40)→十二曲り頂上(1:40)→黒沢
     (0:40)→笹ヶ峰登山口

  《1日目》 笹ヶ峰登山口より高谷池へ
春の妙高の登山口《笹ヶ峰》へのアプローチであるが、人気のある山なのだが路線バスの運行は夏山シーズン以外にに無く、鉄道利用でやってきたならタクシーを使うしかない。 まぁ、ほとんどの春山登山者がマイカーでやってくるので、当然と言ったら当然なのだろう。

タクシーを降りると。周囲は完全な雪野原だった。 ルートは完全に雪に覆われ、皆は行きたい放題に踏跡をつけていた。 なので、ルートが判り辛い。 10年ほど前の夏に通った記憶では、黒沢を渡るまでは樹林帯の中を伝うほぼ平坦なコースだったような。 でも、今は雪道で、一歩一歩がズブズブとハマる。
また、すれ違う人は、その95%以上が『ノルディカ』の歩くスキーを履いていた。

見た目も実際も、スゲエ楽そうだ。 下り坂なんかだと、50m位をものの10秒そこそこでさっと移動しやがる。 でも、何か山では邪道のような気がして、これをする気にはなれんのだな、ワテは。
山・・、そして大地は一歩一歩踏みしめて行きたいし、今までもそうしてきたのだから。
そして、『山で滑る』ってのは、『命を失う』って事につながるのだ。

まぁ、これは、偏屈な私のいち個人の考え方なので悪しからず。 しかし現実には、到達時間は元より、体力の消耗度や疲労度、困難度・・などの考えられる全てで有利なのである。 
前述の如く、黒沢を渡る所までは平坦な雪道であるが、幕営装備一式を担いで雪にめり込みながら歩くワテで、黒澤まで所要50分。 だが、『ノルディカ』なら、30分少々で到達しているみたいだ。


下から見ると
なだらかな山なのだが

ルートは、この黒沢を渡った所から本格化する。 目の前に立ちはばかる標高差250mほどの高みを登りきらねばならない。 通称《十二曲り》という急登だ。 急登と言っても夏ならばジグザクを切ってあり、余裕をもって登れる何でもない登りなのだが、雪が斜面を全て覆い隠した春山は違う。 
完全な直登なのだ。
その傾斜度は、たぶん毛勝山のそれに匹敵するような急傾斜である。

この坂を22㎏の荷を背負って登っていくのだが、筆者は“ナンチャッテ”ではあるが雪山経験者で有るにも拘らず、「10本爪アイゼンは重くかさ張るから」と6本爪の軽アイゼンしか持ってきていない体たらくであった。 前爪の無い6本爪は蹴り込みができず、アイゼン離脱のリスクを考えるとない方がマシであった。 なので、何もつけずに蹴り込みで段を造り、ステップを切って登っていく。

まぁ、あの時の状況を雪の中でしている・・と思えばいいだろう。 さすがに緊張の連続と、一歩一歩ステップを切る為の蹴り込み、それに加えて体力がないにも拘らず、20㎏超の荷を担いでの行軍でかなり疲れがくる。 もう疲れて、大樹が立つ根元(大樹の周りは雪が解けてえぐれている=急傾斜の中で頃良くすり鉢状になっていて安心して座り休憩ができる)に逃げ込んで、避暑とクールダウン(それにしても暑かった)を繰り返す。

そのすり鉢の中で休憩しながら見ていたのだが、『オバちゃん』と呼ばれる人種の度胸には圧巻する。
アイゼンを履いて下りていく下山者を尻目に、『オバちゃん』は奇声を発しながら『尻セード』で滑り下りていたのだ。 「ちょっと方向間違うと、樹に激突するぞ」、「ストックを持っていたが、止まらなかったらどうするよ」。 更に、「下りや登っている人にぶつかったらどうよ」と、その行為のもたらすリスクが泉のように湧いてくる。 いゃ〜、肝っ玉が坐ってるわ。

・・で、何とかこの急傾斜を登りきって、稜線上に立つ。 道標には《十二曲り》と《3/9》の文字が。
まだ『1/3』なんだ。 ちなみに、この下りはかなりの苦戦が予想されますね。 
伝家の宝刀『クマ下り』の発動が必須のようだ。 でも、この山中における95%の『ノルディカ』の奴らは、この坂は何でもないようだ。

なぜなら、スキー技術の達者な者なら、夏道でジグザクを切っているように忠実に斜めを切って滑り下りていく事ができるからだ。 ワテが登るのに1時間費やしたこの登りを、ものの7~8分で下って行きやがる。 でも、「山登りの醍醐味を捨てているな」って気になるのはワテだけか・・。

さて、この《十二曲り》を越えると、かつての記憶では消し飛んで“ある訳のない”急坂が延々と続き、ヘタったワテの身体を襲う。 「アレ、確か、こんな急な登りではなかったような」と首をかしげながら登っていく。 首をかしげながら歩くもんだから更に『ノルディカ』連中に抜かれ、かつては夏とはいえ2時間で着いた《富士見平》へ4時間以上かかっていた。


山に登りに来たのではなく
スキーをしに来たのだな

《富士見平》は妙高山の前座の山である茶臼山の裾野に広がる広大な平原で、多くの『ノルディカ』連中が思い思いに滑降を楽しんでいた。 あぁ、コイツらの目的は山でなくコレだったのね。
なら、納得。 『ノルディカ』連中を目にして、「山に登るのが目的だとするなら、あまりにも淡白過ぎてやりがいが見出せないのではないか?」と思っていたが、目的がスキーなら納得がいく。


火打山を背景に
広大な雪原が広がって

後は、夏道ならば何でもないトラバース道を抜けて《高谷池》に向かうだけだが、冬は結構トラバースがキツく、そそるものがある。 『ノルディカ』で滑った後である細い轍のルートを踏み外したなら、雪の斜面を真っ逆さまに転げ落ちる恐怖がまとわり着くからだ。 そして、スキー板二本の幅ってのが、結構狭く歩き辛いし。

現役!?時代は小走りで伝ったこのトラバース道を、50分かけて伝う。 やがて、雪の中に三角屋根の高谷池ヒュッテが現れる。 只今の時刻は15:15。 5時間以上かかってたりして。 
でも、その内の1時間半は意味のない休憩だったりして。

小屋で手続きを済ませテントを張るが、テント屋は7~8張いるようだ。 でも、1人入居はないみたいだ。 皆で荷物分担して、『ノルディカ』で楽にやってきているみたい。 その他の連中は全て小屋泊まり。 小屋の前には、似たような絵柄の『ノルディカ』のスキー板が所狭しと並べてあった。
間違ったりしなきゃいいけど。

まぁ、とにかく、かなり疲れた。 テントを張ると即効昼寝。 夕日は快晴なものの、あまりオレンジ色に染まる事が無く、イメージが膨らまなくって撮らなかった。 まぁ、寝るの優先ですな。
後はメシ炊いて、食って7時半には就寝する。

あぁ、明日はもうちょっとちゃんと山を楽しもう。 ちなみに、夕方で気温7℃、夜半過ぎで1℃と、ジャンバーを羽織ればすごぶる快適な一夜だった。 ランタンや湯たんぽ要らなかったね。
代りに10本爪アイゼンを持ってくるべきだったよ。




朝の妙高
また秋に行くさ

  《2日目》 火打山でオチャメ・・
朝4時に起きる。 もう、薄っすらと明るくなっていた。 時間を節約すめ為に最近山ではパン食にしているが、パンだけでは“寒い”のでカップスープを飲むべくコンロを炊く(もちろん、テントの中で)。
「もしかして、“オチャメ”ってここで?」って思うかもしれないが、コンロが暴発してテント炎上だの、コンロのお湯をひっくり返して大ヤケドだのというオチではないので念の為。 ちなみに、この二つの災禍はいずれも『経験アリ』なのは確かだが。 詳しくは、リンクをクリックしてミソ。


優雅な三角錐を魅せるあの頂へ
二本の足で登っていこう

さて、全てを終えてテントに衣類などの所持品をデポって、出発は5:20。 明け方は、あまりいい感じに山は焼けていなかった。 雲が多かったみたいだ。 雨(雪)の心配はなさそうだが。 
でも夏ならば、頂上へ向けて登っていく登山者のラッシュとなる時間帯なのだが、誰もいない。 そう、1人も追随者がいない。 朝日を撮りに「夜明け前から頂上へ」とまでは言わないが、私の知識にある『山の1日のタイムスケジュール』からは完全に逸脱している。

『ノルディカ』のスキーの事といい、この山旅らしくない朝の情景の事といい、何か切なくなってくる。
なぜなら、“ナンチャッテ”ではあるが、これだけ山をやってきたワテが完全に『エトランゼ』として浮いているからだ。 まぁ、グチでしかないので、もうこの事は考えない事にしよう。 
あまり楽しい話題ではないし。

さて、雪のない夏だと5分もあれば渡りきる事ができる平原も、雪道ならば倍近くかかる。
そして、「あの時の傾斜はこれほどキツかったっけ?」という疑問も、歩いている最中に次々と湧いてくる。 それもこれも全てが、道を雪に覆われた事による直登化が原因だろう。

だが、火打山の取付までは『ノルディカ』スキー連中のゲレンデとなっているようで、割と圧雪はされているみたいだ。 だが、『ノルディカ』スキーが不利な急登となると、状況は変わってくる。
『ノルディカ』の連中はこの不利な急登を避け、山の裏側のトラバースルートを行くようである。
それを斜面いっぱいに、大きくジグザグを切って登っていくみたいだ。


頂上に近づくにつれ
ドス黒いガス雲が覆い被さってきた

そして『2本の足』派は、全体の5%未満の極少数派だ。 そして、追随する者が皆無のトップ行。
即ち、踏跡が中途半端に薄っすらとあるだけなのだ。 それも消えかかっているし。 
夏道と思しき踏跡が薄っすらと着いたルートは、ハイマツが所々雪間から這い出るなど足元がかなり厄介だ。
そりゃぁ、『ノルディカ』の連中は避けるわなぁ。

でも、こちらは避ける訳にはいかんのである。 急斜面をスキー板の跡を辿ってジグザクに登るなどしたら時間がかかるし、体力の無駄だ。 そしてスキー板の跡でしかない痕跡は踏ん張りがきかない。
つまり、リスクが大き過ぎるのである。 で、あまり斜面に寄り過ぎず(寄り過ぎると斜面のあさっての方向へ転げ落ちる)に行くとなると、どうしてもハイマツの這い出る不安定な雪道を通るしか無くなる訳である。


ハイマツの際ってのは
オチャメの宝庫です

となると、「斜面のあさっての方向へ転げ落ちる」という命にも拘るリスクは回避できるものの、ハイマツの上に乗っかった雪庇を踏み抜いてズボッとハマるリスクを負う事になる。 一度ハマると、深い所で胸位の所までハマッてしまう。 小さくても、膝上位まではノメリ込むのだ。 そろそろお解かりだろう。
これが、今回のオチャメである。 何度かハマったが、その3つめが胸上まで深くハマってしまって、脱出に4~5分かかってしまった。

要するに胸上という事は、1m30cmは落下した訳である。 そして、ハイマツが身体にぶち当たって猛烈な衝撃となる。 胸部打撲と擦過傷。 でも、雪山という事で厚手の服を着ているので、落ちた瞬間は転げまわる程に痛くはない。 だから、後になってこれが“オチャメ”に昇華した訳である。
即ち、事が起きた瞬間は何でもなかったのだ。 それが、後になって・・という事である(答えを最後に明かすのって、まどろっこしいねぇ)。

やがて、雪が吹き飛ばされて夏道が現れた岩ゴーロ地帯を登り、その上の急傾斜を雪を蹴り込んでのステップを刻みながら直登していく。 要するに、雪斜面を登るってのは、このように苦労するんですよ。
そして、帰りは下りなのでチト怖い。

この急斜面を登って肩に出ると、後100mほどの直登だ。 でも、『ノルディカ』で直登りができる程度の傾斜だ。 しかし、風がかなり巻いているみたいで、体力的にはキツイですね。 
で、最後り100mを登りつめたけど、風は強く周囲の山はガスに覆われて皆無・・、つまり写真を撮る余地が全くなかったのである。 そして、『アリバイ写真』を撮ろうにも、セルフでカメラを置く下地がない=撮れないのである。


頂上は少々荒れ気味だったので
最も標高の高い所で撮った
コレで勘弁してネ

結局、朝だれも追随者がいなかった如く、雪一色の頂上では何もできなかったのである。
もう、頂上標柱を撮るのもアホらしくなり、頂上にタッチしただけで引き返す。 帰りは風との戦いだった。 時折吹っ飛ばされそうな風が吹きつけてきて、そういう場面はこの程度の斜面(『ノルディカ』で直登りができる程度)でも伝家の宝刀『クマ下り』を発動せねばならなかった位だ。 従って、頂上での写真はないので悪しからず。

帰りは、伝家の宝刀『クマ下り』の大セールを乱発して、何とか『ノルディカ』連中のゲレンデまで戻る。 ここで、ようやく『ノルディカ』の頂上アタック隊のトップと遭遇する。 時間は8時過ぎ。
もしかして、小屋で7時位まで寝てたんか? コイツら。 でも、速い速い。 
下りは100mを10秒そこそこで滑り降りて来るんだもんね。 体力が温存される訳だわ。


いやぁ・・ これほど
雪が深いとは思わなかったよ

で、戻ったのは8:40頃。 往復で3:20もかかっちまった。 ちょっと一服してからテントを撤収するが、その傍らで『ノルディカ』連中が次々とゲレンデに向けて出撃していく。 おいおい、『9時から行動』かよ。 こちらは、下りもかなり時間を食うと予測して、9時半出発で下山開始としよう。
「《十二曲り》の急傾斜の下りで手間取るだろうから、恐らく2時過ぎ位までかかるだろう」との予測を立てて・・。

食料分が減ったとは言え、20㎏はある荷物を抱えての下山だ。 そして、何の訓練もナシにくる“ナンチャッテ”である。 《高谷池》の小屋を出てすぐの《富士見平》への登りだけでヘタリ出してくる。
そしてそのヘタリは、胸の辺りの痛みとして現れ出す。 また、必要以上に汗が出る。

だが胸の痛みは、身体をひねると「フンヌ」っと叫ばねばならぬ時もあるが、聞き分け良く何とも無い事もある。 こういう状況だったから、この時点では「体力の著しい低下が原因で異常ナシ」と思えてしまう。

でも、痛みを伴っての下山は、体力と気力を大いに奪い去る。 そして、汗の量もいつもより多くて気になる。 まぁ、暑かったって事もあるが、春で雪に覆われた山中で「Tシャツ一枚になりたい」と思う位なのだから。 そうこうしている内に、例の《十二曲り》の頭にたどり着く。 
これより、毛勝山なみの急傾斜の直下降となる訳だ。


晴れていても霞の空だった
周囲の山が撮れたの・・コレ1枚

初めの内は強がって前を向いて下っていったが、6本爪アイゼンでは頼りなく、すぐさま落城して『伝家の宝刀』を抜く。 しかし、「何とも安い『伝家の宝刀』だな」と我ながら思う。 
そして、この『伝家の宝刀』は弱点があるのだ。 それは後が見辛い事と、とっても時間がかかる事である。 そらそうであろう。 雪面にヘバリつきながら、一歩一歩雪面を蹴り込んでステップを刻みながら下るのであるから。

また、これをやり終えると、『矢吹丈』のように真っ白になるのだ。 それもそうだろう。 
20㎏からの荷物を1時間以上背負ったままで、雪を40cm間隔で階段状に蹴り込んで行くのだから。
その点、「ダレていてもこれができるワテってスゴい」って自分で自分を褒めてあげたくなる小市民なワテ。

「あら、胸の痛みはどうしたの?」って事だが、『クマ下り』に熱中して忘れちまっていたよ。
でも、この下りを終えた後、10分位『矢吹丈』になっていたが。 後は、もう問題となるような所はない。 50分ほど雪道を歩いていくと、笹ヶ峰の登山口だ。 いや、問題が一つあった。
それは、麓へ戻る方法だ。

所有携帯は電波が一番ダメな“柔らかい銀行”のモノで全く使い物にならず、そして行きにタクシーの運ちゃんに教えてもらった公衆電話はシーズン前という事で撤去されてナシ。 また、キャンプ場を統括する《笹ヶ峰ビジターセンター》も閉鎖中。 路線バスも前述の通り、春シーズンは運行しないのである。
そして、最後の望みである「営業中の《明星山荘》で電話を借りる」って手も、電話を引いていないそうでジ・エンド(八方塞り)となってしまった。

となると、最後の手段・・しかあるまい。 それは、手当たり至題の車に「麓まで乗せてもらえませんか?」と擦り寄るヒッチハイクである。 あぁ、ヒッチハイクは白馬の蓮華温泉以来だなぁ。
で、最初の一台目に「お願い」すると、一発必中でOK! この喜びに荷物を担ぎながら小踊りしたので、胸に激痛が走ったよ。 これをもって、「寝た子を起こす」と称するのですな。 えっ、違うって?


  PS・・ この胸の痛みはこの記事を読んで頂いた皆様方の予想通り、”肋骨にヒビ”だったよ。
      ちなみに、肋骨の胸骨と交わる部分は軟骨で、この部位は『肋軟骨骨折』と言わずに
      『肋軟骨損傷』って言うんだって。 体験を経て、また一つ賢くなったよ。

























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No title * by たけし
ハイカ-のいない積雪期に妙高を!さすが冒険家!!

胸を打撲した瞬間は、痛ぇ!ですが時間の経過とともに身体が動けなくなる痛みになるんですよね。
便乗させてくれた運転手さんが神に見えたことでしょう。

No title * by 風来梨
たけしさん、こんばんは。

この時までほとんど骨なんて折った事無かったんですけど、コレより境にコケると大ケガになってますね。 歳を食って衰えたせいかなぁ。

ホントその通り、折った時点より、山から下りて帰路に着く途中が痛いですね。

北海道のペテガリであばら骨2本やった時は、痛さで電車の座席取りに負けて、骨折れてるのに電車の中で2時間半立ちんぼでした。

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No title

ハイカ-のいない積雪期に妙高を!さすが冒険家!!

胸を打撲した瞬間は、痛ぇ!ですが時間の経過とともに身体が動けなくなる痛みになるんですよね。
便乗させてくれた運転手さんが神に見えたことでしょう。
2018-04-13 * たけし [ 編集 ]

No title

たけしさん、こんばんは。

この時までほとんど骨なんて折った事無かったんですけど、コレより境にコケると大ケガになってますね。 歳を食って衰えたせいかなぁ。

ホントその通り、折った時点より、山から下りて帰路に着く途中が痛いですね。

北海道のペテガリであばら骨2本やった時は、痛さで電車の座席取りに負けて、骨折れてるのに電車の中で2時間半立ちんぼでした。
2018-04-13 * 風来梨 [ 編集 ]