2018-04-08 (Sun)✎
路線の思い出 第256回 天北線、興浜北線・浜頓別駅 〔北海道〕
駅舎は撮ってなかった!
:
地元郵便局会から購入依頼のあった
『さよなら天北線タトウ』より
かつて北海道には雄大な原野をめぐった
天北線という鉄道路線があった
《路線データ》
天北線
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
音威子府~南稚内 148.9km 418 / 884
廃止年月日 転換処置
’89/ 5/ 1 宗谷バス
廃止時運行本数
音威子府~稚内 下り7本・上り6本(内 急行1往復)
音威子府~浜頓別 1往復
声問~稚内 1往復《休日運休》
曲淵~稚内 上り1本
ローカル線ファンの心を魅了した興浜北線
興浜北線
営業区間と営業キロ 輸送密度(’79) / 営業係数(’83)
浜頓別~北見枝幸 30.4km 111 / 2201
廃止年月日 転換処置 廃止時運行本数
’85/ 7/ 1 宗谷バス 6往復
国鉄時代に発行された
浜頓別駅開業65周年記念入場券
浜頓別駅(はまとんべつえき)は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡浜頓別町字浜頓別154にあったJR北海道の駅である。 天北線の廃線に伴い、1989年5月1日に廃駅となった。 天北線内では最大の中心駅で、路線廃止時まで運行されていた急行【天北】の停車駅であった。 かつての国鉄時代に当駅から北見枝幸まで興浜北線が分岐していたが、1985年7月1日に路線廃止となっている。
札幌からの急行【天北】も停車する
線内の中心駅であった
※ グーグル画像を拝借
廃止時点で、島式ホーム1面2線を有する駅で、列車交換可能な交換駅であった。 かつては島式ホーム2面3線(駅舎側ホームは片面使用)を有しており、1985年7月1日に興浜北線が廃止された後、駅母屋寄りの1番線の線路が撤去された。
興浜北線廃止前の1983年の時点では、駅舎側から1、2、3番線と割り振られ、2、3番線ホームと駅舎は南稚内方の跨線橋で、1番線ホームと駅舎は通路で連絡していた。 1番線が興浜北線専用、2番線が天北線上り、3番線が天北線の下りとなっていた。 そのほか1番線ホームの未利用の片面部分に旧貨物側線を1線有し、3番線の外側に5線の側線、及びそれらから分岐した側線があり、うち1線には転車台も備えられていた。
興浜北線在りし時の興浜北線ホームより
:
脇にある島式ホームが天北線ホームだ
※ グーグル画像を拝借
職員配置駅で、駅舎は構内の東側に位置していた。 鉄筋の駅舎は天北線の中心駅である事を示すかの如く内部が広く取られて、また観光の拠点らしい建物であった。 1983年の時点では待合室にズワイガニの剥製が展示され、「わたしの旅スタンプ」が設置されていた。 興浜北線は、当駅所属の車掌が担当していた。 1985年の1日乗降客数は350人との事。
浜頓別駅にあったスタンプ
駅名の由来は当駅の所在する地名からで、地名の「頓別」は、アイヌ語の「トウ・ウン・ペツ(沼から出る川)」に由来する。 これに海辺の地域を示す「浜」を冠したのが駅名であるが、駅開業当初のこの地は頓別村であり、駅だけが「浜頓別」を称していた。
「思い出お~い天北線・乗車記念」の
裏面にあった天北線の路線史
その後、海側の頓別地区から当駅周辺に行政中心が移って市街ができると、まず地区名が浜頓別となり、更に1951年の町制施行時に、町名も駅名に合わせて浜頓別町となった。 砂川駅などと同様に、駅名が町の名前を変更させた例の一つである。
「思い出お~い」路線の
分岐駅だった浜頓別駅
浜頓別駅は、恐らくローカル線ファンの人気の1~2を争う興浜北線と、これまた雄大な北海道をゆく車窓風景を魅せて鉄道ファンを虜にした天北線の分岐駅であるが、筆者は両線とも廃線間際に必死に追いかけて何とかその”足跡”を残す事ができたが、残念な事に浜頓別駅での在りし日の両路線の姿は撮りそびれているのである。
天北線を駆けた急行【天北】号
駅舎も当時は大きな駅舎にはさしずめの興味もなく撮っておらず、困った事に浜頓別駅舎の写真がないのである。 「困った時のウィキペディア画像」も、肝心の浜頓別駅のウィキペディアに駅舎画像がなく(建て替えられたバスターミナルしか無かったよ)、貼る画像がない困った事になったよ。
だが、「毎年北海道にやってきて駅寝するローカル線めぐりの猛者」としてちょっと知れ渡ったのか、天北線の沿線の郵便局会から『さよなら天北線タトウ』の購入依頼が届いていて、それに載っていた浜頓別の駅舎を掲載する事で難を逃れた(誤魔化した)のである。 まぁ、当時のワテは、『北海道冬の駅寝放浪四人衆』の周回遅れの末席に位置する『青ザックを担いでる奴』として、旭川鉄道管理局内の車掌さん達に認知されていたしィ。
そういう訳で鉄道在りし時の浜頓別駅は、天北線・興浜北線という廃止ローカル線の『王道』たる2路線への接続乗り換え駅としての認識しかなかったのである。 でも、撮っておかなければ、必ず後悔するモノなんだよね。 それが強い思いを持って追いかけていたモノなら、尚更である。
フイルム写真だったからこそ
生涯記憶に残る『お宝』を得れたのだ
そして、跡が鮮やかに・・、追いかける事で注いだ情熱も相俟って、年月を経る程により鮮やかに魅せてくれるフイルム写真であるから、その「撮ってない後悔」も多大なモノとなるんだろうね。
これが思いを込められないデジタルなら悔いる事なんてなかっただろうし、そこまでして追いかける情熱も湧かなかったと思う。
それを思うと、楽しみも誇れる足跡もない退屈な自分が見えてきてゾッとする。 だから、ワテの青春から青年時代がフイルム写真で本当に良かった! 助かった!と心底思う。 フイルム写真と共に旅を続けたおかげで、鉄道に・・ヤマに・・と自分自身で胸を張れる一生涯の『お宝写真』を得る事が出来たのだから。
鉄道が廃止になった広大な敷地跡に
バスターミナルが建てられている
※ ウィキペディア画像を拝借
だから路線が廃止となり、バスターミナルが建てられて『駅跡』になってからも、何度も訪れている。
それは、かつて憧れて必死に追い続けた天北線や興浜北線の跡を訪ねるのと同時に、フイルム写真の持つ表現力で魅せられる被写体を見つけたからである。 その被写体とは、クッチャロ湖に憩うハクチョウ達の姿である。
凍る湖面を飛び立った白鳥
今度はコレに魅せられた
鉄道を追いかけていた時は目もくれなかったクッチャロ湖だが、そこには廃止ローカル線を無我夢中で追いかけていたかつての情熱を思い起こさせるような、美しく優雅なハクチョウという被写体があったのだ。
湖面を駆けてテイクオフ!
もう、日の出から日没まで、1日カメラを構えても尽きない魅力・・。 そして、厳冬期から躍動の春、海辺の原生花園の花開く北の短い夏、何度訪れても「また行きたい」と計画を練る自分がいる浜頓別駅跡なのである。
ようこそ浜頓別へ
湖面の踊り子 3シーン
湖面でたたずんでいたハクチョウたちが
優雅に舞い始めた
その舞は「求愛の舞」なのだろうか
それとも我が子を抱く「抱擁の舞」なのか
それともこの湖の主役である事を示す
「雄壮の舞」なのだろうか
「雄壮の舞」なのだろうか
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No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。
「クマ出没注意」の看板の無い所の方が怖いですね。
若かりし時、深名線の白樺~北母子里を歩いたのですが、見る人が全くいないせいか、「クマ出没注意 旭川鉄道管理局(クマの絵つき)」も無かったです。
白樺の家の全てが圧し潰れて獣の骨が転がるゴーストタウンを見て大概狼狽えていたので結構キツかったけど、いい思い出(笑い話の持ちネタ)となりました。
山では日高で石を落としてきたクマとの遭遇(テント場の50m上だったから大丈夫でした)の時は平気だったんだけど。
「クマ出没注意」の看板の無い所の方が怖いですね。
若かりし時、深名線の白樺~北母子里を歩いたのですが、見る人が全くいないせいか、「クマ出没注意 旭川鉄道管理局(クマの絵つき)」も無かったです。
白樺の家の全てが圧し潰れて獣の骨が転がるゴーストタウンを見て大概狼狽えていたので結構キツかったけど、いい思い出(笑い話の持ちネタ)となりました。
山では日高で石を落としてきたクマとの遭遇(テント場の50m上だったから大丈夫でした)の時は平気だったんだけど。
No title * by 鳳山
北海道はじめいろいろな路線が廃線になっていますが住民の方は不便でしょうね。
ナイス
ナイス
No title * by 風来梨
鳳山さん、こんばんは。
道路の整備・改良によるモータゼリションで車社会となった事で、今や鉄道があったことが「無かった」かのようになってますね。 また、地方の働き手の流失で、ローカル鉄道のあった駅の周辺が軒並み『限界集落』に陥ってます。
でも、「このような状況に変わったから鉄道は要らない」ではないんですよね。 地方の人口流出=空洞化は国土保全上の問題を引き起こしてます。 国境の 海に面する地域が廃れて荒廃すると、必ず中央の都市部も影響を受けるんですよね。 だから、金を出してでも地方の衰退を阻止していかなければならないと私は思います。
道路の整備・改良によるモータゼリションで車社会となった事で、今や鉄道があったことが「無かった」かのようになってますね。 また、地方の働き手の流失で、ローカル鉄道のあった駅の周辺が軒並み『限界集落』に陥ってます。
でも、「このような状況に変わったから鉄道は要らない」ではないんですよね。 地方の人口流出=空洞化は国土保全上の問題を引き起こしてます。 国境の 海に面する地域が廃れて荒廃すると、必ず中央の都市部も影響を受けるんですよね。 だから、金を出してでも地方の衰退を阻止していかなければならないと私は思います。
No title * by なべ
こんばんは。天北線も興浜線も懐かしいですね。一度だけ行った事がありますが、興浜北線は海の青さに感動しました。末期までキハ22が走っていたので個人的にはポイントの高い路線でした。
No title * by 風来梨
なべさん、こんばんは。
恐らく興浜南北の両線は、廃止ローカル路線の中では最も人気があったと思いますね。 北見神威岬や日ノ出岬とオホーツクの海・・。 特に流氷が接岸した時は最高の情景を魅せてくれました。
南は流氷と撮れたのですけど、北は念願が叶わぬまま廃止になってしまいました。 願わくば、もう一度撮りたいなぁ。
恐らく興浜南北の両線は、廃止ローカル路線の中では最も人気があったと思いますね。 北見神威岬や日ノ出岬とオホーツクの海・・。 特に流氷が接岸した時は最高の情景を魅せてくれました。
南は流氷と撮れたのですけど、北は念願が叶わぬまま廃止になってしまいました。 願わくば、もう一度撮りたいなぁ。
No title * by かいざぁー
昨年夏に、枝幸から浜頓別、鬼志別とバスで通ってきました・・・
札沼線の新十津川もいずれ廃線の可能性が高いので、1年予定を早めて行ってきました・・・
札沼線の新十津川もいずれ廃線の可能性が高いので、1年予定を早めて行ってきました・・・
No title * by 風来梨
かいざぁーさん、こんばんは。
浜頓別から鬼志別はオホーツク沿いを行くので、夏はカムイト沼やベニヤ原生花園など見どころいっばいですね。 あと、乗客が少なくバスもコミュニティバスに変わってしまって不便だけれど、鬼志別から小石~曲淵と宗谷丘陵沿いをゆくのもいいですね。
次に北海道で廃止が確定したのは、来年3月末で石勝線の夕張支線ですね。 清水沢~鹿ノ谷なんか山間をゆき眺めがいいですよ。
浜頓別から鬼志別はオホーツク沿いを行くので、夏はカムイト沼やベニヤ原生花園など見どころいっばいですね。 あと、乗客が少なくバスもコミュニティバスに変わってしまって不便だけれど、鬼志別から小石~曲淵と宗谷丘陵沿いをゆくのもいいですね。
次に北海道で廃止が確定したのは、来年3月末で石勝線の夕張支線ですね。 清水沢~鹿ノ谷なんか山間をゆき眺めがいいですよ。
稚内に勤務していた時代(もう15年以上も前ですけど)、曲渕・小石・鬼士別あたりに出没してヤマベ(ヤマメ)釣りに興じておりましたが、天北線の線路跡を眺めながらの釣行が多かったですよ。
天北線跡の、小さい石積み橋梁を横目に「ちょっとこの辺り、雰囲気怪しいなぁ~、やばっちぃかなぁ~」なんて思いながら釣り糸を垂れていたら、川底に沈んでいる看板が目に入りました。
「クマ出没注意 旭川鉄道管理局(クマの絵つき)」と。
尻尾丸めて帰りましたよ。