2018-03-06 (Tue)✎
路線の思い出 第250回 のと鉄道・波並駅 〔石川県〕
波並駅跡
路線廃止以来放置されたまま
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 廃止年月日 廃止転換処置
穴水~蛸島 61.1km ’05・ 4・ 1 能登観光開発バス
※JR能登線からの移管路線
廃止時運行本数
穴水~蛸島 下り6本上り5本、穴水~牛出津 上り1本
穴水~珠洲 下り2本上り3本、牛出津~蛸島 上り1本
珠洲~蛸島 下り2本上り4本
駅名標にある『鳳至郡三波村』は
1960年の当駅開設以前にあった村名で
1955年に能都町に編入され消滅している
:
その能都町も当路線廃止直前の2005年3月に
周辺町村と合併して現在は鳳珠群能登町となっている
※ ウィキペディア画像を拝借
波並駅(はなみえき)は石川県鳳珠郡能登町波並にあった、のと鉄道能登線の駅である。
2005年4月1日に、能登線の廃止により廃駅となった。 単式ホーム1面1線を有する駅で、無人駅であった。
駅前には国道249号線を挟んで小さな漁港があり、小さな波止場のある駅として鉄道雑誌に度々取り上げられている。 開業当初から駅舎の無い棒線ホームの無人駅で、ホーム上に待合室があるだけの典型的な停留所規格の駅であった。
この路線は第三次特定地方交通線に指定されて、その後にのと鉄道に経営移管された旧国鉄能登線であるが、第三セクターに経営移管されても経営は改善せずに、2005年の4月に廃止される憂き目にあっている。 その廃止が宣告された能登線に、我がライフワークとして製作途中の『日本百景』の掲載項目『奥能登』の取材!?を兼ねて訪れた時の事である。
この能登線は遥か昔の国鉄時に一度乗ったのみで、撮り鉄もこの波並駅を適当に選んで撮ったに過ぎなかった。 その時は荒天であまり撮った手応えがなかったのだが、この路線を訪れたのは追っかけていた廃止線の趨勢が決まった後の事で、撮り応えの無いままそのまま放置で『撮り鉄』から離れていったのである。
撮った当初は”駄作”だったけど
その後に「コレなかなかジャン!」って
思う様になったりして
・・で、気がつけば、路線自体が廃止となる直前となっていたのである。 この時は放浪山旅の時代を終えて、休みに細々と山に登り、そのついでに細々と『撮り鉄』を再開し始めた・・、そう『奇跡の体力』が夢散と消えて今のグダグタな状況へと突入する始めの頃であった。
その時の写真を撮る動機が、ライフワークとして今までの山旅などで撮った写真を元に製作・編集をしていた『日本百景』であったのである。 この『日本百景』はこの路線を訪れた前年の’04年にウェブ公開し始めたのだが、公開して1年経ったこの時はまだ3割近くが『未訪地』とした『歯抜け』状態であった。
だから、結構写欲はあったのだ。
その『未訪地』である『奥能登』を編さんするに当たって、やはり掲載ネタとなるのは”かつて取った杵柄”である能登線の路線風景だったのである。 だから、今回は廃止されようとする鉄道を追っかけるというより、むしろ沿線の波止場風景と鉄道情景を合わせて『奥能登』の情景として撮る事に思考が向いていたみたいである。
この波止場で撮った手応えから
波止場での『撮り鉄』がレパートリーに加わった
取り敢えず船との絡みが
どの位置がいいか適当撮りで諮ってみる
それでは、その小さな波止場の『風景鉄道』をごろうじろ。 でも、後で訪れる蛸島駅より、よっぽど廃止を間近に控えた路線の表情が撮れたよ。
陽も射してきていい感じに
この時はまだ船をアップに撮る事は
思い浮かばなかったよ
いつもは邪魔に思う俄か撮影者も
廃止直前の路線ならいい味に
袂にはバス転換後の
バス待合室があった
漁船の穂先にカモメが・・
個人的にコレが今回の一番星
その後に訪れた蛸島駅では、廃止を見越したのと鉄道が廃止に関わる”思いてグッズ”を2500~5000円のボッタクリ価格で売っていたし、この頃から廃止に近づくと群れて訪れる『葬式鉄』の傍若無人な言動が地域問題化してきた事もあり、廃止線として能登線の撮影には夢中にはなれなかったのである。
蛸島でおざなりに撮ったモノ
撮った後にこの列車に乗っていた
殿下をつれて即効退散
だから、終点の蛸島では駅に入ってくる列車を1~2枚撮っただけで、列車が到着して『葬式鉄』が群らがる前に退散したよ。 何でも、旅行会社の『廃止路線めぐりツァー』も企画されていたようで、観光バスが駅前で待機していたしィ。 たぶん、駅に留まっていれば、こういう奴らに蹂躙されていただろうね。
なお、この「ヤル気の全くない」蛸島駅の訪問は、この時に生涯の『初乗り』であった風来茄子マルゥテツⅡ世殿下のお出迎えであったのは藪の中に。 殿下をお迎えすると、駅前に停めていた車で立ち去ったよ。
後半戦は船を半分載せる
アングルを試してみる
でも車両をアップにして
『風景鉄道』から外れる悪いクセが
殿下をお連れして、再び波並の波止場の前に向かって、殿下と共に波止場の『風景鉄道』を撮る。
だが、午後からは天気が崩れてきて、翌日の能登半島の先端めぐりでは、爆弾低気圧直下の嵐となって、より情緒的な『奥能登』の編集が叶ったよ。
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