2011-05-26 (Thu)✎
『オホーツク縦貫鉄道の夢』 第15回 知床岬へ・・ 後編
※ 『第14回 知床岬へ・・ 前編』 からの続き
天から100m近い・・、いやそれ以上の滝が2本かかっているではないか。 何と神秘的な滝だろう。
この国には、知られざる魅力がいくらでも隠されているのである。 もう先程の弱気は消し飛び、心も高揚してこの素晴らしい滝をカメラに収めまくる。
この国には、知られざる魅力がいくらでも隠されているのである。 もう先程の弱気は消し飛び、心も高揚してこの素晴らしい滝をカメラに収めまくる。
十分にこの滝を楽しんで、先に進む。 写真でも見て判るように、この日はキツイ日差しがギラギラと輝いていた。 従って水の消費量が多く、この滝の水を分けてもらう事にした。
でも、この水が今日の食事に使われるとは、努々思わなかった事だが。
でも、この水が今日の食事に使われるとは、努々思わなかった事だが。
男滝
落差80m位の末広がりの滝だ
さて、2つの滝から15分程で、《念仏岩》という大きな洞窟のある崖前に着く。
目の前は漣痕状の岩礁が広がっている。 その岩礁を伝って海の方へ。 すると、漣痕上の陸地はすぐに途切れ、いきなり水深10mはあろうかという海が広がっていた。 岩もハングとなって、伝っては渡れそうにない。 “これは、また崖越えかな”と辺りを見渡すと、洞窟の横に魚網ロープが垂れてあった。
・・で、これを伝って登っていくが、この足場の脆い事、脆い事。 1歩踏み出す毎に、バラバラとガレが落下していく。 これを何とか登りきって《念仏岩》の上部に出ると、幅70cm位のヘツリでこの岩のヘリをめぐっていかねばならないようだ。 下は約30mの先程の洞窟。 落ちたら、確実に“サヨナラ”だろう。 冷汗で額をグッショリ濡らして、この滑りやすい急坂をノメリ上がっていくと、約2.5m位の垂直の土崖が現れた。
・・で、これを伝って登っていくが、この足場の脆い事、脆い事。 1歩踏み出す毎に、バラバラとガレが落下していく。 これを何とか登りきって《念仏岩》の上部に出ると、幅70cm位のヘツリでこの岩のヘリをめぐっていかねばならないようだ。 下は約30mの先程の洞窟。 落ちたら、確実に“サヨナラ”だろう。 冷汗で額をグッショリ濡らして、この滑りやすい急坂をノメリ上がっていくと、約2.5m位の垂直の土崖が現れた。
武器は、垂れ下がっている魚網ロープ1本。 条件は約20㎏を担いで、重量が100㎏近くとなったワテ。
何度かこの土崖をよじ登るべくチャレンジしてみたが、足を掛けるとボロボロと崩れ落ちて失敗。
約1時間近くアタックしたが(連続的ではないけどね)、ついに登ることができず引き返した(幅50cmの脆い崖の上に1時間いる精神力は、我ながら大したもの!?)。 “もうこれは、明日に『地元の少年少女アタック隊』のケツに着いていくしか手はないな”。 そう決断して、《念仏岩》の上部より下っていく。
しかし、あのエグイ岩のヘツリの、しかも下りだ。 《念仏岩》を越えれなかった事で再び萎えた気持ちと併せて、この下りだけは本当にキツかった。 だが、明日は更にキツい状況が待っているのだ。
何とか《念仏岩》の洞窟の下に戻り着いたのが12時前。 洞窟の中にテントを張って、今日はもう“店じまい”としよう。 明日の“天からの救いの手”となる『地元の少年少女アタック隊』は、午後3時頃に到着。 彼らは、テントを張らずに洞窟の中でそのまま寝るらしい。 ワイルドやなぁ。
念仏岩の洞窟前に立つ岩礁
《3日目》 念仏岩より遂に“憧れ”の知床岬へ
さて、昨日も述べたように、もう『地元の少年少女アタック隊』に頼るしか手がない私は、彼らを引率するリーダーの方にケツについていく事の許可をもらって、生唾ものの今日の朝を迎える。
さて、昨日も述べたように、もう『地元の少年少女アタック隊』に頼るしか手がない私は、彼らを引率するリーダーの方にケツについていく事の許可をもらって、生唾ものの今日の朝を迎える。
昨日に、嫌という程に“これからの難関”を説明してもらったので、かなり気持ちは硬直していた。
『地元の少年少女アタック隊』は朝が遅い。 少年少女達は15人位、大人は10人位の編成だ。
少年少女の安全を確保する為、少年少女2人に対して大人1人の編成で「1ユニットが完全に上下を終えるまで次は出発しない」という方法で難所を越えていく。 それで最初の出発時間が7時であった。
最後の私まで、約1時間半近く待たされる事となる。 精神的に圧迫を受ける事は、引き延ばされると余計にキツイものだ。 もし、私が“聖なる胃袋”と“ゴキブリなみの精神力”を持っていなかったら、確実に胃潰瘍になってたかも!?。
・・で、遂にその順番がやってきた。 例の岩ヘツリを伝っていって、これまた例の2.5m垂直の土崖だ。どうやら、彼ら『地元の少年少女アタック隊』は、細引きに簡易ハシゴを取り付けて乗り越えているみたいだ。 まぁ、素ではなかなかいけないだろうなと思うが。 ワテも、これを借用させてもらってよじ登る。
少年少女の安全を確保する為、少年少女2人に対して大人1人の編成で「1ユニットが完全に上下を終えるまで次は出発しない」という方法で難所を越えていく。 それで最初の出発時間が7時であった。
最後の私まで、約1時間半近く待たされる事となる。 精神的に圧迫を受ける事は、引き延ばされると余計にキツイものだ。 もし、私が“聖なる胃袋”と“ゴキブリなみの精神力”を持っていなかったら、確実に胃潰瘍になってたかも!?。
・・で、遂にその順番がやってきた。 例の岩ヘツリを伝っていって、これまた例の2.5m垂直の土崖だ。どうやら、彼ら『地元の少年少女アタック隊』は、細引きに簡易ハシゴを取り付けて乗り越えているみたいだ。 まぁ、素ではなかなかいけないだろうなと思うが。 ワテも、これを借用させてもらってよじ登る。
これを登っても、約60°の土崖をロープを引っ張りながら頂上までよじ登らねばならない。
これをよじ登った後は腕はパンパンに張って、額とTシャツは汗でベトベトに濡れていた。
だが、本番はこれからである。
これをよじ登った後は腕はパンパンに張って、額とTシャツは汗でベトベトに濡れていた。
だが、本番はこれからである。
念仏岩の下りは
崖の懸垂下降だった
100mの崖登りをした後は、当然この崖を下らねばならない。 それも、常時60度で、クライマックスは完全垂直の崖下りだ。 垂直下降は20m程だか、足を掛ける所がほとんどないのである。 もう、レスキュー隊がビルを下る時のあの技のように、ロープを握って崖を蹴って下らねばならないのだ。
もう、信じられない程に汗が出た。 降りた後に着ているTシャツの腹の部分を絞ると、液体が滴り落ちた位だ。 内容はこれ以上に上手くは伝えられないので、掲載写真を見てもらえると有り難い。
さて、これを何とか下って、下の浜で少し休憩を取ったのだが、そこから海を望むと昨日泊った《念仏岩》の海岸漣痕がほんの100m向こうに広がっているではないか。 いざとなったら、泳いででもいける距離だ。 地形上で僅か100m進むだけで、こんなにも労力を費やさねばならないのか。
さて、これを何とか下って、下の浜で少し休憩を取ったのだが、そこから海を望むと昨日泊った《念仏岩》の海岸漣痕がほんの100m向こうに広がっているではないか。 いざとなったら、泳いででもいける距離だ。 地形上で僅か100m進むだけで、こんなにも労力を費やさねばならないのか。
これは、精神的に大いに疲れる。 でも、心労はこれだけでない。 まだ、“カブト岩”の下りがあるのだ。
この浜を伝うと、また大きな崖にぶち当たる。 いよいよ“カブト岩”だ。 この“カブト岩”の登りは大した事はない(大した事はないといっても、転がり落ちると“サヨナラ”であるが)。
上で約1時間半待って、いよいよ最終組の自分の番が回って来た。 これを下る最中に、ジワジワと腰が痛みだした。 硬直する体の負担が腰にきたようだ。 下りきるまでの約25分、腰の痛さに脂汗を垂らしながらこれを下りきる。 ここまでくると、もう“怖い”という感覚はなくて、腰の痛さだけが脳天に突き刺さるようであった。
・・何はともあれ、何とかこの難関を越えることができた。 しかし、『地元の少年少女アタック隊』の方々の助けがなかったなら、越えられなかったのも事実である。 この事からも、『地元の少年少女アタック隊』の方々には感謝の念でいっぱいである。
この浜を伝うと、また大きな崖にぶち当たる。 いよいよ“カブト岩”だ。 この“カブト岩”の登りは大した事はない(大した事はないといっても、転がり落ちると“サヨナラ”であるが)。
傾斜60°の高低差約120mの崖をロープ一本で下っていかねばならないのだ。 しかも、足場はズルズルと崩れる泥土の崖である。 この下りも、《念仏岩》の時と同じようにユニットを組んで1組が中継地点(ザイルロープは50mなので、都合2回の中継がある)まで降りるまで待つという方式である。
上で約1時間半待って、いよいよ最終組の自分の番が回って来た。 これを下る最中に、ジワジワと腰が痛みだした。 硬直する体の負担が腰にきたようだ。 下りきるまでの約25分、腰の痛さに脂汗を垂らしながらこれを下りきる。 ここまでくると、もう“怖い”という感覚はなくて、腰の痛さだけが脳天に突き刺さるようであった。
・・何はともあれ、何とかこの難関を越えることができた。 しかし、『地元の少年少女アタック隊』の方々の助けがなかったなら、越えられなかったのも事実である。 この事からも、『地元の少年少女アタック隊』の方々には感謝の念でいっぱいである。
さすがにヘバって、もう『地元の少年少女アタック隊』には着いていけなくなり、“これより先はさしたる危険な場所はない”という事も手伝って、ズルズルと遅れていく。 やがて、《モイレウシ》で2日目の終着点と定めていた《赤岩》の番屋に着く。
地名ともなってる文字通りの“赤岩”
番屋の親父さんにテント設営の許可をもらって、ついでにあの難関を1人で戻る自信もないので恥を忍んで“泣き”を入れる。 もちろん、「帰りは船で送ってもらう」という“泣き”だ。 親父さんに快く快諾して頂いたので良かったが、これにしくじると途端に行き場を失う所であった。 快諾を得られて心の安寧をもらって、荷物をデポして岬へ向かう。 親父さんに岬への近道を教えてもらって、さぁ・・苦難を乗り越えての集大成だ。
岬の高台より
カブト岩の方向を望む
《赤岩》からは、今までの苦難がウソのような歩き良い道だ。 どこぞの海水浴場の砂浜でも歩いているが如く・・である。 これを伝って岬に近づくにつれて、心が高揚していく。 でも、疲れすぎたのか、はしゃぐ気にはなれなかった。 岬に最も近くにある廃屋の際から、近道の土手によじ登る。
この登りに、もう苦難はない。
ウサギギクの花と岬の岩礁
これを登りつめると、大地一杯にウサギギクが咲き乱れる別天地が広がっていた。
そして、その中央の高台に灯台が1つ・・。 憧れてやまなかった『知床岬灯台』である。
振り返って海の方に目をやると、これ以上先に陸地はない。 あるのは岩礁と海だけだ。
花に包まれた大地に
憧れの遙かなる岬灯台が
《知床岬》の大地を、今踏みしめたのである。 さて、どこから行こうか。 “取りあえず、岬の突端を踏んでこよう”。 灯台の立つ高台を越えて、大草原の中に続く一筋の道を真っすぐにこの道が途切れるまで伝っていく。
岬に向かって
一直線に延びる道
約700m位か。 その先に観測小屋と思しき小屋があって、そこで道は途切れている。
遂に、“憧れの岬”にして、立入規制もかかっていて最も立つ事が困難な岬、《知床岬》の突端に立ったのだ。
遂に、“憧れの岬”にして、立入規制もかかっていて最も立つ事が困難な岬、《知床岬》の突端に立ったのだ。
アブラコ湾の簡易防波堤の端
ここは本当の“地ノ涯テ”だ
この行為を“非合法”と非難する人がいても別に構わない。 その人は正しいし、間違っているのはワテである。 でも、その人は、尺正直な故に夢を追うことを理解しない悲しい人なんだなって思う。
そしてワテは、そんな“尺正直な人間”には魅力は感じないとも思う。
たとえ“非合法”でもそれをする事で目につく迷惑がかからないのなら、ワテは夢を追う事を優先したいと強く思うのだ。 まぁ、こんな状況は、そう何回もある訳ではないと思うが。 それに、記さずともいいのにこんな事を記す自分自身も、自分を取り繕うだけのただの“小市民”だと思う。
そしてワテは、そんな“尺正直な人間”には魅力は感じないとも思う。
たとえ“非合法”でもそれをする事で目につく迷惑がかからないのなら、ワテは夢を追う事を優先したいと強く思うのだ。 まぁ、こんな状況は、そう何回もある訳ではないと思うが。 それに、記さずともいいのにこんな事を記す自分自身も、自分を取り繕うだけのただの“小市民”だと思う。
岬の突端にある湾
アブラコ湾
さて、岬を踏みしめる感慨を味わったなら、今度は岬灯台の上に立とう。 灯台へは先程の草原を戻って、230段の階段を登るといい。 《知床岬灯台》。 何の変哲もないただの灯台だった。
だが、最も近寄る事が困難な灯台なのだ。 しばらくこの上で、海よりの強き風に身をさらす。
疲れもあって、もうはしゃぐ気力もない。 ただ、ズルリとヘタリ込んだ。
最も立つ事が困難な
何の変哲もない白黒の灯台
何の変哲もない白黒の灯台
岬灯台で十分ヘタリ込んで思いを十分に果たしたなら、“さぁ・・、戻ろう”。 今日は、明日に船で帰る事を思い浮かべながら、テントの中に篭るとしよう。 しかし今日は、人生の中でも長い1日だったと思う。
もはやヘロヘロの
憧れの『アリバイ写真』
岬のシンボル・夫婦岩
なお、翌日は天候不順で海上も波が荒かったので、《赤岩》で1日沈殿。 昆布干しの手伝いと岬への散歩で1日を終える。 そして、翌々日。 天候も持ち直したので、昆布干しの手伝いが終わった後、写真を撮りに三度岬へ。 この後、昼過ぎに親父さんの出してくれたボートで《相泊》へ。
帰路のボートの上で見た《タケノコ岩》に群れる海鳥の群れは、すごい迫力であった。
写真は撮れる状況ではなかった(しがみついてないと、海に放り出される)が、あのシーンは目に、心に焼きついて一生涯忘れない。 だが、もう二度と行けないし、行きたいとも思わない所でもある。
そんな不思議な所だったのだ。 《知床岬》という所は・・。
人知れず弱肉強食の自然の掟があった
オジロワシに食われたウミネコの残骸
オジロワシに食われたウミネコの残骸
さて、憧れの地・知床岬を踏破した事だし、次回は再び根北線の知床・羅臼口駅に戻って、『オホーツク縦貫鉄道』の列車の旅を再開しよう。
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No title * by 風来梨
おはようございます。 見てもらってありがとうございます。
カムイワッカの湯滝、私もいった事あります。 この時は地下足袋でいったので、源泉を踏んだ時は熱くて熱くて・・、海パンの用意がなかったので、足だけ浸かってかえりましたが・・。
美瑛のグライダー、やってみたいなぁ。 サロマ湖でスノーモービルに引っ張られたパラセールで飛んだ事ありましたが、それはもう大興奮でしたから。
魅惑の大地・北海道。 いつまで経っても、憧れの地です。
カムイワッカの湯滝、私もいった事あります。 この時は地下足袋でいったので、源泉を踏んだ時は熱くて熱くて・・、海パンの用意がなかったので、足だけ浸かってかえりましたが・・。
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魅惑の大地・北海道。 いつまで経っても、憧れの地です。
No title * by kei
風来梨さん、トラバされた記事を拝読させていただきました。臨場感にあふれ、実際に体験した人間でなければ絶対に書けない文章ですね。
歩いて知床岬に立つという偉業達成に特大のポチ☆を!!!
歩いて知床岬に立つという偉業達成に特大のポチ☆を!!!
No title * by 風来梨
keiさん、見て頂いてありがとうございます。
一度しくじってこっ酷くやられました(メインサイトの失敗編にあります)ので、その時に引き潮と満ち潮の関係が月の引力によるものだ・・と学びました。 そして偶然とはいえ、しくじった時が引き潮と満ち潮の差が最も無い日だと知った時、無知の怖さも思い知りました。
そして、恐らく体力的にも行こうとは思わない難所である事も、私の体験における宝物となっています。
一度しくじってこっ酷くやられました(メインサイトの失敗編にあります)ので、その時に引き潮と満ち潮の関係が月の引力によるものだ・・と学びました。 そして偶然とはいえ、しくじった時が引き潮と満ち潮の差が最も無い日だと知った時、無知の怖さも思い知りました。
そして、恐らく体力的にも行こうとは思わない難所である事も、私の体験における宝物となっています。
グライダーに乗って大地を見下ろしました。もう一度行ってみたいです。ポチ☆